現地調査という名の婚前旅行.6
「こいつは何を驚いているのだ」
「気候が変われば毒を持つ植物もあるので、樹液は飲み込まないよう使用人達に徹底しているのです」
「はは、これだからカニスタ国の貴族は無知で困る。この樹液は我が国で昔から食用されているので問題ない。植物学に長けている祖父の好物でもあるんだ。わが国で採れる樹液よりかなり粘り気はあるが味が変わらないから大丈夫だ」
ですが、と言いかけたブレイクさんをアシュレン様が制する。
横柄な態度は癪に障るけれど、彼が王族である以上、伯爵家の次男が反論することは許されない。
それをいいことに、エリオット殿下はモニタレスの葉を千切り、匂いを嗅ぐ。
「俺が知っている木より大きいが、匂いは変わらないな。うん? あそこに咲く白い花、あれはなんだ?」
数本先の木には真っ白な花が咲いていた。大きさは私の手ぐらいで、空に向かって花弁を広げるその形はマグノリアに似ていた。
よく見れば、花が咲いていない木とそうでない木がある。
確かイチョウの木に雄と雌があって、片方からしか銀杏が取れないと書いてあったけれど、モニタレスも似た特性があるのかも知れない。
エリオット殿下が花の咲いた木に向かい、珍しそうに見た。
「そういえば、昔、祖父が一度だけモニタレスの木に花が咲いたのを見たといっていたな」
少し懐かしそうな目になったのは気のせいかしら、と突然茶色い物体が木の影から飛び出して、エリオット殿下に飛び掛かった。
「おわっっ! なんだ!! おい、こいつを引き離せ!!」
護衛達が慌てて駆け寄ろうとするなか、ブレイクさんがピューと口笛を吹くと、茶色い塊はエリオット殿下から離れブレイクさんの肩に乗った。
赤茶色の長い尻尾をぶらぶら揺らしたそれは、体調五十センチほどの小さな猿。えっ、猿?
エリオット殿下がぶるぶると震える手で猿を指差し、口から唾を飛ばさんばかりの勢いで護衛に命じる。
「お前達、この猿を殺せ! 俺の手を引っ掻いた」
「畏まりました」
「ま、待ってください。いきなり人が現れて驚いたのです」
思わず前に踏み出した私に対し、ブレイクさんは片膝を折って頭を下げた。
「申し訳ございません。ですが、こちらの猿は、かつてターテリア国に留学した祖先が王族から譲ってもらったもの。当初は数匹だったのが、この植物園で自然繁殖して今は数十匹にまでなりました。私達は友好の証として彼らをとても大事にしているのです」
ハドレヌ伯爵領とターテリア国は山を隔てた隣同士。どうやら、モニタレスの木以外にも交友があったらしい。
この話に、剣を握りしめていた護衛達が顔を見合わせる。
王族が譲った猿を殺してよいものか、それともエリオット殿下の命令に従うべきか、悩んでいるようだ。
エリオット殿下はといえば、傷ついた手の甲をこれ見よがしにブレイクさんに突き出す。
「伯爵風情が隣国の王族に傷をつけ、タダで済むと思うのか」
「そ、それは……」
戸惑うブレイクさんの前に、すっとアシュレン様が立つ。
「確かに血が出ていますね。研究者なら薬草に触れたり実験する際に手が傷つき、剣士なら生傷が絶えませんが、さすが王族、綺麗な手です。……あっ、しかし、ターテリア国の王族は剣技に長けたうえ、エリオット殿下は学生時代に薬草研究の授業も受けていましたよね。もう研究はしていないのですか?」
ふむふむと、腰をかがめエリオット殿下の手を見るアシュレン様。
顎に当てた指先の爪は薬草の色がうっすらついているし、手を広げれば剣だこもある。
その言い方、明らかに喧嘩を売っていますよね。一見無害そうな笑みを浮かべていますが、目が笑っていません。
「エ、エリオット殿下、私が作った傷薬があるのですが、ご使用になりませんか? 騎士達の間でも好評なのです」
植物採取に小さな擦り傷は付き物。
私はポケットから軟膏の入った缶を取り出し、エリオット殿下に見せる。図らずもアシュレン様を背に庇うように立つ私をエリオット様は目を眇めたのち、満面の笑みを浮かべ缶ごと私の手を握った。
「ライラが手当してくれるなら、許してやろう」
「……ありがとうございます」
ピキッと引き攣る頬で微笑んだ私はえらいと思う。
後ろに立っているアシュレン様からただならぬ気配を感じたけれど、気づかなかったふりをすることにした。
こんなところで国際問題を起こされては困るし、それはアシュレン様も分かっている。大丈夫だとアシュレン様にだけ分かるよう振り返って頷いてみせつつ、ハンカチと消毒用アルコールが入った瓶もポケットから出す。
エリオット殿下は、私の手を引いたままモニタレスの木の幹にもたれるようにして座ると、傷のついた手の甲をはい、と見せてきた。
猿の爪は鋭いらしく、五センチほどにわたってスパっと切れていた。これは痛そう。
ハンカチに消毒薬を含ませ傷口全体を拭い、綿棒で軟膏を掬い塗っていく。その最中もなんだかんだと話しかけてきたけれど、適当に相槌を打ってお茶を濁しやり過ごすことにした。
「ライラはジルギスタ国出身らしいな。異国に嫁ぐならそれがカニスタ国であってもターテリア国であっても変わらないと思わないか?」
「私はカニスタ国に嫁ぐのではなく、アシュレン様に嫁ぐのです」
「俺の第一妃の座は空いているぞ」
「スティラ王女殿下の婚約者候補の話はどうなりましたか?」
「この国の王も悪くないが、ライラの夫も捨てがたい。そうだ、俺が王になって法を変え、側妃を持てるようにすればいいんだ、どうだ、これですべて丸くおさまる」
スティラ王女殿下の話で女癖が悪いと聞いていたけれど、その発想には背筋がぞっとした。そんな馬鹿な法案が通るはずないと思うも、カニスタ国に資源が乏しいところにつけこまれると、不可能ではない気がする。じとり、と手のひらに嫌な汗が滲んだ。
とにかくこれ以上一緒にいたくないと、手早く治療を終わらせる。
こんな事態を招いた猿はというと、向かいにあるモニタレスの木に咲く花を美味しそうに食べたり、削った幹から滲んだ樹液を舐めていた。呑気なものね。
でも、猿が花を食べるとは知らなかった。雑食だった気もするけれど、動物については詳しくない。
数十匹もいるのなら、あまり食べられては採取する量が減ってしまうかも。
私が立ち上がるとエリオット殿下も腰を上げ、護衛を呼ぶとモニタレスの樹液を持って帰るよう指示をした。
あとで紅茶に入れて飲むらしいけれど、樹液の所有者であるブレイクさんに許可を取ろうともしない横柄さだ。
ブレイクさんはやんわりと止めていたけれど、まるで自分の領地のように振る舞い、グレイがどうしようかとおろおろしている。
アシュレン様といえば、しれっと花の採取をしていた。
そのポーカーフェイスの裏でなにを考えているか、想像しただけで恐ろしい。
ここは早く花を採取して帰ろうと、私は腰につけていたカゴの蓋を開ける。ベルトにカゴを括り付けたこれは、見た目は不恰好だけれど作業効率はよい。
花びらは肉厚で、ガクの部分に手を当てればポトリと折れるその花を鼻先に近付ければ、甘い匂いがした。
薔薇のように濃厚ではく、甘さの中に柑橘系のような爽やかな匂いも混ざっている、今までに嗅いだことのない香りだ。
ひとつ取っては匂いを嗅ぎ腰に着けた籠に入れるを繰り返していると、いつの間にか隣にアシュレン様が立っていた。
「やけに機嫌がよいが、あいつとどんな話をしたんだ」
「たいしたことは話していません。それより、随分嫌われているようですが、学生時代、なにがあったかのほうが気になります」
「それがまったく心当たりがないんだ。会話したことすら殆どない」
うーん、と首を捻っているところに、ブレイクさんが猿を肩に乗せながらやってきた。
「アシュレン様とは一年在学時期がかぶっています。武勇伝は二つ下の私の耳にも入ってきました。なんでも、登校すると門前に女生徒が列をなし、教室の前は人だかり。勉強は常に首位で、剣技では異国の王子を瞬殺したとか」
うん? 異国の王子?
「その異国の王子も見目はよかったようで、入学当時は彼のほうが目立っていたらしいです。でも、剣技で無様に負けてアシュレン様が優勝してからは逆転したとか」
「アシュレン様、それです。ぜったいそれです」
だってあれは令嬢にチヤホヤされたいタイプだもの。
「うーん、そんなことあったかな。でも、俺が優勝したのは一回だけであとはマークに負けていたし」
「騎士科の生徒を押さえ、常に準優勝だったと聞きました」
とブレイクさん。それでもアシュレン様は納得していないようで。
「門前に女子生徒なんかいたかな?」
「アシュレン様は、寝起きはいつもぼんやりしていますから気づかなかったのではないですか?」
きっとその無関心が火に油を注いだのでしょう。
自分だけライバル視して、相手にされず完敗とか、プライドの高そうなエリオット殿下なら根に持ちそうだもの。
やれやれ、と思いつつ、それでも必要な量の花を採取し終えたところで呑気な声が背後から聞こえてきた。
「ブレイクとやら、俺も今夜はハドレヌ伯爵邸に泊まるから部屋を用意をしろ。祖先の代から親しくしているのだ、俺達も親交を持ったほうがよいだろう。あの王配になるか、ライラを娶るか、その両方にするかまだ決めかねるが、俺と親しくなって損はないぞ」
これほど傲慢な笑顔が似合う人はいないだろう。顎先を上に向けブレイクさんに向け命令すると、人を見下すような黒い瞳を私達に向けてきた。俺にはこれだけの権力があると言いたいのかしら?
ぽかんとするしかない私達を置いて、エリオット殿下は当然のように先頭に立って歩き始めた。
折り返しです。ほのぼの?と進んできましたが、後半はスピードアップ。あ、あそこのあれが後半こう繋がるのか、と思っていただけると嬉しいです。
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