現地調査という名の婚前旅行.5
「ブレイク様、こちらにいらっしゃいましたか」
現れたのは、日焼けした肌に作業着姿の五十代半ばの男性。私達の姿を見ると、麦わら帽子を取って頭を下げてくれた。
「グレイ、どうしたんだ?」
「いえ、仕事をしに来たら伯爵家の馬車が停まっていたので。ブレイク様が帰省されていることは聞いていましたから、こちらにいるのかもと探しにきたのです」
そちらは、というように茶色い瞳が私達を見る。少し腰を折っているのは、服装からして私達が貴族だと分かっているからでしょう。
「アシュレン様、この植物園で働いてもらっているグレイです。グレイ、兄の上司の弟君のアシュレン様とその婚約者のライラ様だ」
「これはこれは、わざわざ辺境の地までいらっしゃるなんて……何があるのですか?」
グレイが伺うようにブレイクさんを見れば、ちょうど良かったとばかりにブレイクさんはグレイの肩を叩く。
「彼にはモニタレスの木の世話を任せているのです。グレイ、アシュレン様達はモニタレスの花を見に来られたのだ。一番綺麗に咲いている木に案内してくれないか」
「はい。ちょうど良かったです。ブレイク様を探していたのは、モニタレスの樹液の件でして。一緒に見ていただけますか?」
「おお、集まったか。タイミングがよい。是非見せてくれ」
樹液? アシュレン様と私が目を合わせると、ブレイクさんは「詳しくは歩きながら説明します」と言った。
冷たい井戸水で喉を潤し、首筋にハンカチを当てながら温室を出た私達は、細い小道を歩きながらブレイクさんとグレイから説明を受ける。
「この地方ではカチの木の樹液を砂糖代わりに使用しています。特産品ではあるのですが、日持ちしないので王都までの輸送が難しい。そこで代わりを探そうと、グレイに様々な樹液を集めるよう頼んだのです」
植物園は広大で、グレイ以外にも使用人は多くいる。そのうちの数人で一年かけて集めた樹液のうち、甘味のあったものがモニタレスの木だったらしい。
「カチの木の樹液は、昨晩紅茶と一緒にご用意したので召し上がられたと思います。いかがでしたか?」
そう言われ、昨晩のことを思い出し私の頬が赤くなる。
ブレイクさんが不思議そうな顔でそんな私を見てきて、余計に焦ってしどろもどろになってしまった。
「お、美味しかったです。砂糖とは違う甘さで……」
「クッキーにもよくあったよな。実に楽しめた」
平然と述べるアシュレン様を思わず睨んでしまったのは仕方ないと思う。
ますます赤くなる私に、それ以上踏み込んではいけないものを感じたのかブレイクさんが視線を逸らせた。
「同室のほうが良かったかな」なんて呟いていますが、とんでもない誤解をされているのではと不安になる。
「……そこで、モニタレスの樹液の採取を先月グレイに頼んだのです。カチの木は一晩あれば充分な量がとれるのですが、こちらはそうはいかず少し時間がかかりました」
「モニタレスの樹液はどのような味がするのですか?」
「今は『甘い』としかお答えできません。ひとなめした程度で味わってはいないのですよ」
それは採取できる量が少ないからかしら。そんなに貴重な品なら流通は難しいのではと考えていると、ブレイクさんがさらに言葉を続けた。
「モニタレスの樹液はターテリア国でも食べられているので、味は保証されています。ただ、ターテリア国とハドレヌ伯爵領では気温が違います。気温によって毒を含む植物もありますから、口にして安全と分かるまで食べないようにしているのです」
味見をしたあとは、飲み込むことなく口を漱いだというから、その徹底ぶりには薬学研究者として感心するばかり。
気温によって効能が変わる薬草は幾つか知っているし、安全が証明されるまで口にしないのは基本だ。もっとも、私はついつい好奇心に負け、口にしてしまうこともあるのだけれど。
「ライラより基本を分かっているな」
「私だって飲み込みませんよ?」
前科があるだけ強く反論できないけれど、してはいけないラインを踏み越えてはいません。
話しているうちに、背の高い木が増えてきた。
丸く厚みのある葉はつるりとして光沢がある。手をのばしその表面を撫でたところで、これがモニタレスの木だと教えてくれた。
図鑑で見たのより少し大きい気がするけれど、品種改良したせいかもしれない。大きさ以外はオリジナルと変わらないという。
木の幹にナイフで二十センチぐらい削った跡があり、その下にバケツがぶら下がっていた。垂れてくる樹液を効率よく受け止めるために、淵は丸ではなく三日月型になっていて、へこんだ部分がぴたりと幹に密着している。まるで誂えたかのようだ。
「この幹に合わせて作ったバケツですか?」
「錫を多く含ませ作らせた特注品です。錫は金属の中でも柔らかく、さらに銀のように錆びたり黒ずんだりもしません。男性であれば素手で形を変えることができます。アシュレン様よければどうぞ」
ブレイクさんは樹液の入っていないバケツをグレイに持ってこさせると、アシュレン様に手渡した。アシュレン様は半信半疑と言った形で両手に持ったそれに力を加えると、ぐにゃりと楕円形に変わる。
「これは凄い。自分が怪力になった気分だ。騎士連中を驚かせられるな」
なにかいたずらしようとしていませんか? 目が子供のようにキラキラしていますよ。
はい、と渡されたそれに私も力を入れてみたのだけれど、残念ながら形は変わらなかった。数ミリ程度は曲がった気がしなくもないけれど、アシュレン様に気のせいだと笑われてしまう。えー、変わっていませんか?
「樹液といい、バケツといい、ブレイクさんはいろいろなことに興味があるのですね」
「移り気が多すぎると父や兄からは呆れられています。父が言うには専門分野を突きつめる兄を見習えとのことですが、いろんなことをした方が楽しいと思うのですよね」
「母と兄もブレイクと同じタイプだ。おかげで本邸はあらゆる国の妙なもので溢れている」
そうなのですか? 私が案内されたのはダイニングとその隣の客間だけだったので知らなかった。
でも、クラウド様は確かに博学だし、室長は好奇心に手足が生えたような人だわ。
「で、こちらがモニタレスの木の樹液です。口にするかどうかはお二人の判断に任せますが、飲み込まないでくださいね」
バケツから直接橙色の樹液をスプーンで掬い、ブレイクさんはアシュレン様に手渡す。もちろんアシュレン様はそれをひとなめし、グレイが出した水を受け取り口を漱いだ。
「うまいな。蜂蜜より濃厚でそれでいて甘さが舌に残るしつこさがない。正直、昨日食べたカチの樹液より俺は好きだ。ただ、かなり粘り気があるな」
ブレイクさんは新しいスプーンを「どうしますか」と私に見せる。もちろん借りて私も一口舐めた。
「美味しいです。癖がないので食べやすいですが、ドロリと粘り気が強いので使える料理は限られそうですね。水分が少ないのでしょうか」
クッキーやビスケットにかけて、とはいかないかも。
同じように水を受け取り、木の下で隠れるように口を漱いでから答えると、グレイも味見をしていた。
と、急に背後で数人の足音が聞こえ、なにごとかと振り返ると同時に声が響く。
「モニタレスの樹液か。うまいだろう、我が国の特産品だからな」
その姿に、私だけでなくアシュレン様まで目を丸くする。グレイは現れたのが誰か分からないけれど、頭を下げていた。
「エリオット殿下、どうしてこちらに?」
そこにいたのは、グレイとはまた違う褐色の肌にベージュの髪をしたエリオット殿下。
後ろには数人の護衛騎士も控えている。
「研究室を訪ねたら、ライラがハドレヌ伯爵領に向かったと聞いて追いかけてきたんだ。カニスタ国に来るときは海路できたが、陸路も悪くない」
そのまま山を越えて自分の国に帰ればよいのに、と思ったのは私だけではないはず。
「俺はまた、帰国ついでに寄られたのかと思いました」
「まさか、スティラ王女殿下の誕生日はひと月後だ。俺が婚約者候補だって話はしたよな」
「でしたら、城でスティラ王女殿下と親交を深めたらいかがですか? 他者を出し抜けますよ」
「そんな必要はない。俺が望めばカニスタ国王陛下は断れない。それより俺はライラのことをもっと知りたくてね。あっ、もちろん陸路で石炭の輸送が可能かの視察も兼ねてだが、あの舗装ではむりだろうね。もっともカニスタ国にしては充分な道だとは思うが」
この人、なにかと石炭を持ち出してくる。
だいたい、海路があるのに山を越え、陸路でわざわざ石炭を運ぶ必要はない。
多分、お付きの人には視察だと押し通してここに来たから言い訳をしているのでしょう。
アシュレン様が私を背に庇うより早く、エリオット殿下は私の手を取り、あろうことかそこに口付けを落とした。
「白衣姿も可愛かったが、今日も可憐だ」
「汗だくの汚れた姿で申し訳ありませ……ひゃ」
言い終わることなくアシュレン様が私の肩を引き寄せた。
「ライラは俺の婚約者です」
「それはまだ結婚していないということだろう。ポーカーフェイスで首位を取っていたお前の焦る顔は実に新鮮だ」
この人、学生時代のことをいつまで妬んでいるのだろう。なんだかいろいろ拗らせている気がする。
エリオット殿下はグレイに新しいスプーンを持ってこさせると、モニタレスの樹液をそれいっぱいに掬い取り、口に含むと躊躇うことなく飲み込んだ。
隣でグレイが目を丸くして「あっ」と言い、慌てて口を手で押さえる。
エリオット殿下再登場です。
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