現地調査という名の婚前旅行.4
早朝、小鳥のさえずりで目を覚ました私は、ぼんやりと部屋を見渡す。初夏の朝日が天蓋の影を落とすなか、シーツがもそりと動いた。えっ、動く?
なぜ、と隣を見た私は、次の瞬間叫んでいた。
「あ、アシュレン様!! どうして……むぐっ」
「……おはよう、ライラ。悪いが悲鳴は誤解を生むのでやめてくれ」
こくこくと首を動かせば、アシュレン様は慎重に手を離したあと、きらきらの笑顔で「おはよう」と再び言った。
はっとしてシーツを捲れば、ガウンこそ脱いでいたけれど、寝着は首元までしっかりボタンがとまっている。
「あ、あの……昨晩……あれ、私、記憶が途中から……?」
「俺がたっぷりブランデーを入れたカップを間違って飲んで、そのままコテンと寝てしまった。ベッドまで運んだのはいいが、部屋に鍵を掛けられる状態ではなかったので、俺もこの部屋に泊まることにした」
「ソファ……」
「ほぉ、馬車の長旅で疲れた上に、酔っぱらいの世話をした俺にソファで寝ろと」
「うっ、それは……。あ、ありがとうございます?」
やや混乱しつつもお礼を言えば、アシュレン様は満足そうに頷く。ありがとうで合っているわよね?
「じゃ、俺は自分の部屋に戻るよ」
そう言うと、ごくごく自然な流れで私の頬に唇を落とし、アシュレン様は出ていかれた。
~~!! そのあと、悶絶しながらシーツにくるまったのは言うまでもない。
そのせいか、いつも寝起きの悪いアシュレン様がそうではなかった理由が、一睡もしなかったから、なんて思いつきもしなかったのだけれど。
身支度を整えた私達は、馬車で二時間ほどの場所にある植物園に向かった。
植物園、というもののその規模はお城の面積よりも広く、周りが自然豊かなこともあっていつから植物園に入ったのかその境目が分からない。
「あっ、アシュレン様、あの木、ここより東の地域にあるものですよね。あっ、あそこの花は……」
「ライラ、落ち着け。それにしてもこれほど広いとは。数日では見て回るのは無理だな」
「でしたら、お二人の新婚旅行は是非我が伯爵領へきてください。じつはこの近くに宿泊施設を作って、観光地にしてはどうかと父に進言しているのです。まだ宿はできていませんので、今回同様別荘を使ってください。それで、できればご意見も伺いたいです」
私達の向かいに座るブレイクさんは、相変わらず寝ぐせかくせ毛か分からない頭だ。鳥の巣みたいでちょっと触りたくなる。
「ライラさんは長女でしたよね。ご実家は妹様が継がれるのですか?」
結婚するというならこの話題が出てくるのは当然ではある。カーター様はその後処罰が決まり、今は国が管轄する鉱山で重労働についている。任期までは聞いていないので分からないけれど、それなりの期間になるはず。
アイシャに関しては、もともと研究に対する責任がカーター様より小さかったこともあり、数年投獄されたのち釈放される予定だ。
ただ、ウィルバス子爵家としては、領地の一部没収と罰金があったらしい。
どれも実家から届いた手紙を、私の代わりに読んでくれたアシュレン様から聞いたから、省かれた箇所もあるでしょうし、全体的にオブラートに包んだ表現になっていた。
「……いろいろありまして、二つ下の従弟が跡を継ぐことになりました」
「そうですか、僕と同じ年ですね。ライラさんのような博識な従姉がいるとは羨ましいです。ところで温室ですが、植物園の中心にあって」
そこですっと話題を変えたブレイクさんは、言葉を濁す私に何かを察したのかもしれない。
アシュレン様を見ると、少し心配そうに私を見ていたので、大丈夫だと微笑み返し、温室につくまでブレイクさんの話を聞いていた。
着いたのは、薬草園にあるより大きな温室、それが五個も建っている。
走り出したい気持ちを押さえつつアシュレン様の袖を引っ張れば、苦笑いで「落ち着け」と笑われた。そんなアシュレン様だって目を輝かせそわそわしていたけれど。
とりあえず手前から順に入っていくことにしたのだけれど、半分ほど見たところで額に汗が浮かんでくる。
「分かっていたのですが、熱いですね」
「この温室が一番大きくて、中央に井戸があります。そこで休憩しましょう」
指さした先にポンプ式の井戸とそれを囲むようにレンガで水場が作られていた。
ベンチと小さなテーブルがあって休憩スペースになっているらしく、テーブルの上にはトレイがあり、そこに伏せたグラスが数個置かれていた。
「ライラさん、申し訳ないのですが水を出すので、グラスを漱いでもらえませんか」
「分かりました」
「いいよ、ライラ。俺がする。服が濡れるだろう」
アシュレン様はすでに脱いでいた上着をベンチに置き、袖を捲るとグラスを手にした。
私も半袖のワンピースにすれば良かったな、とちょっと後悔。
整備された植物園と聞いていたので、歩きやすいショートブーツに膝丈のワンピースにしたのだけれど、脱いで体温調整をできるような服装にすべきだったわ。
アシュレン様なんて、第一ボタンまではずし胸元をパタパタさせている。
色香が駄々洩れで目の毒だから止めて欲しいと視線を逸らしていると、はい、と水が入ったグラスを手渡された。
前髪が濡れているのは、顔も洗ったからでしょう。こういう時、化粧をしない男の人はずるいと思ってしまう。
「ありがとうございます」
受け取れば、アシュレン様は再び井戸に向かい、ブレイクさんと変わるようにして井戸の持ち手を上下させた。
軽く言葉を交わせた後、今度はブレイクさんが水で顔を洗う。いいなぁ、気持ちよさそう。
「ライラもするか」
「できることならしたいですが、お化粧をしているのでできません」
すると、ブレイクさんがポケットから出したハンカチを濡らし差し出してくれた。
「首筋を冷やすだけでも気持ちいいですよ。水分はしっかりとってくださいね、って私なんかに言われなくてもご存知ですよね」
「はい、ありがとうございます」
濡れた前髪をかき上げるブレイクさんと目が合う。
いつもはぼさぼさの前髪の隙間からしか見えない緑色の瞳がはっきりと見えた。
すごく綺麗なエメラルドグリーン。まるで宝石のように輝いていて、吸い込まれそうなほどだ。これを隠しているのはもったいないとまじまじと見ていると、ブレイクさんが怪訝な顔で首を傾げた。
「私の顔になにか?」
「綺麗な瞳をされているのですね。普段隠れているのがもったいないです」
「兄には、髪を短く切るか、伸ばして括るかしろと言われます。でも、短くしてもすぐ伸びるし、長くなる前に手に負えないぐらいぼさぼさになるんですよ。アシュレン様のような髪に憧れます」
「それは私もです」
私達の会話を聞いていたアシュレン様が、うん? と前髪を摘まんで眺めているけれど、持って生まれたものが当然すぎてその価値に気がついてはいないよう。
「俺はライラの髪の方が手触りがよくて好きだがな」
「いえいえ、アシュレン様のほうがサラサラしていましたよ」
絶対手入れなんてしていないでしょうに、と思っていると、アシュレン様が僅かに眉間を寄せた。
「ライラが俺の髪を触ったことなんてあったか?」
「!」
しまった。寝ているときにこっそりと堪能させていただきましたなんて言えない。そんなこと言ったら、何倍にもなって返ってきちゃうもの。
なんて言い繕うかと考えていると、葉を掻き分ける音と一緒に声がした。
健全な朝チュンです。
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