腹黒の二乗.3
「ところで、新居の準備は順調か?」
もう薬草の話はお終いとばかりに、クラウド様が話題を変えつつ私を見る。
「はい、この前カートン様の工房に行き、家具は揃いました。その時に珍しい染料で染められたカーテンをも見せていただきました」
「ほう、もしかしてその染料とはモニタレスの木の葉か?」
「ご存知でしたか」
「スティラ王女殿下の誕生日パーティでは、いろいろな物をアピールするつもりだからな。その候補のひとつではある。もう少し大量生産できればいいのだがな」
どうやら布を染めるのに沢山の葉が必要らしく、今のままでは異国に輸出できるだけの量を用意できないので生産方法を改良している最中らしい。
さらに饒舌になったクラウド様は今度はアシュレン様に話を向ける。
「そういえば、この時期、モニタレスの木に綺麗な白い花が咲くのを知っているか? 匂いもよいと聞く」
「モニタレスの木は知っていますが、花については知りません」
「植林された木に咲いたそうだ。ところで、ライラが作った虫よけの蝋燭はよい匂いがするらしいな。母上はそれを改良したものを市井で流行らせようと、いまごろ熱弁を振るっているだろう。なんでも、クリスティ王女殿下のために薔薇の香りがするアロマキャンドルを作りたいそうだ」
テントの中で見たクリスティ王女殿下の顔が目に浮かんだ。
秘めた恋心に蓋をして、国のために生きようとする姿は凛々しくも儚げで、少しでも支えてあげることができればと思ってしまう。
本を書く以外にも何か私にできることはないかしら、と考えたところで、一つの案が思い浮かんだ。
「あの、できるかどうか分からないのですが、モニタレスの花から香水が作れるかもしれません。それをクリスティ王女殿下の誕生日に本と一緒に配るというのはどうでしょうか? 少しでもカニスタ国を隣国にアピールするお手伝いをしたいのです。あっ、でも、すでにターテリア国で作っていますよね?」
「いや、どうやらターテリア国ではその花は咲かないらしいのだ」
「咲かない? でも我が国では咲くのですよね」
となると考えられるのは土壌か気温の違い。
はて、と首を傾げたところでクラウド様が教えてくれた。
「ターテリア国は我が国よりさらに南にある。今の時期から半年は最高気温が四十度近い日が続くらしく、そのせいで花は咲かない」
「そう言えば、砂漠もあると聞いたことがあります」
山ひとつ隔てた隣国だけれど、気候は随分と違う。
初夏から初秋にかけほぼ半年、カニスタ国の真夏のような気温が続く。そのぶん冬も温暖だけれど、ごくまれに寒波に襲われることもあるとか。こちらも海の気温や山脈に当たる風が関係しているのかも知れないけれど、その方面の知識に私は疎い。
ただ、植物の生態が気温によって変わるのは珍しくない。とすれば、モニタレスの花があるのは我が国だけ、ということになる。
「珍しい花なので、成功すれば外交にも役立つのではないでしょうか?」
「確かに、王族の女性をはじめ、外交官の妻も出席するので注目を集めるだろうな。専門外とは思うがやってくれるか?」
「はい。それがこの国の役に立てるのであれば、頑張ります」
アロマキャンドルを作って、薬作りと似ているところも多々あると思った。
水蒸気蒸留法は何度もしたことがあるし、使う器具は馴染のあるものばかり。多分、だけれど芳香蒸留水までならできる気がする。
そこから先の調香については、正直やってみなくては分からないし専門家を頼るのも一つの手よね。
と、ここまできて、ニコニコ顔で私を見るクラウド様と目があった。
なんだろう、このピタリと枠に嵌められたような、外堀を埋められたような感覚。既視感があり過ぎる。
「兄上、新居の話から、モニタレスの木、それからアロマキャンドルと随分話がスムーズに進んだように思うのですが?」
「偶然だろう。いやぁ、これで我が国を他国にアピールするネタがまた増えたよ」
ニヤリと上がる口角を見て、私はすべてを悟った。
今までの会話は、ごく自然に香水へと向かっていた。作ると言い出したのは私だけれど、もし言わなくても、きっとクラウド様から話が持ち掛けられていたと思う。
あぁ、やられてしまった。腹黒だと、アシュレン様以上の黒さだと分かっていながら迂闊だったわ。
でも、言ってしまったことは仕方ないし、なにより、カニスタ国のために何かをしたいというのは本心だ。
カニスタ国の国力が上がれば、もしかするとスティラ王女殿下が選べる選択肢が増えるかも知れない。意に沿わない結婚なんて、できればして欲しくない。
私にできることなんて限られているけれど、やれることはしたいと思う。
「ライラ、クラウドがごめんなさいね。嫌なら断ってもいいのよ」
「いいえ、カトレーヌさん。私も興味があるのでやってみたいです」
「そう。でも本も作るのだから無理はしないでね。言いにくいことがあれば、私に言ってくれればいいから」
胸を張らせたカトレーヌさんは頼もしい。味方がひとり増えた気分だ。
モニタレスの木があるのはハドレヌ伯爵領。
そこの植物園にはカニスタ国では珍しい植物もあるというので、ハドレヌ伯爵領に行く用事ができたのは嬉しいことでもある。
「ハドレヌ伯爵のご子息はクラウド様の部下なのですよね。では、その方が案内してくれるのでしょうか?」
「いや、彼には任せている仕事がある。貴族学園が春季休中だから彼の弟に頼んでみようと思っている」
貴族学園は年に二回の長期休みがある、というのはジルギスタ国と同じ。時期は、ジルギスタ国が春と秋なのに対し、初夏と初冬と約一ヶ月のずれがある。今がちょうどその時期らしい。
とはいえ、殆ど面識がないであろう部下の弟に頼むというのは、いかがなものかと思っていると。
「ハドレヌ子爵の次男とは俺も面識がある。なかなか勉強熱心な学生で、長期休暇には兄の仕事を手伝いたいと俺に頼んできたので、雑用を任せたことが何度かある。今回も誕生日パーティの準備を手伝ってもらう予定だったから、案内役を頼もうと思う」
長期休暇には実家に帰る学生が殆ど。仕事の手伝いも兼ねた帰省でちょうどよいとのお考えだ。
クラウド様は「それに」と言葉を続けた。
「ハドレヌ伯爵領はカニスタ国で一番温暖な地域。温泉も沸くと聞いている。俺からの結婚祝いと思って、アシュレンとライラ二人で行ってくればいい。現地調査という名の婚前旅行だ」
「兄上、勝手に決めないでください」
「母上は賛成していたぞ」
「……」
すでに外堀は埋められていたらしい。
気づけば私だけではなくアシュレン様も、クラウド様の掌中に収まっていた。
クラウド様は立ち上がりこちらに来ると、アシュレン様の肩を掴みぐっと引き寄せる。
「婚前旅行も悪くないぞ。なに、もし何かあっても一ヶ月半なんて誤差の範囲で笑ってすませられる」
……何を笑ってすますのですか?
首を傾げる私の横で、アシュレン様は顎に手を当て思案顔。
さらにクラウド様が何やら囁くと、暫くしたのち、アシュレン様は作ったような真面目な顔で口を開いた。
「分かりました。研究室の仕事もひと段落していますし、上司が了承しているなら問題ないでしょう」
「そう言うと思ったよ。では楽しんできてくれ」
頷く二人の表情はそっくりだ。って、アシュレン様、もしかして言い包められていませんか?
食後、クラウド様とアシュレン様はチェスを始められた。何かを賭けているようだけれど、楽しそうなのでそっとしておこう。
私は、カトレーヌさんが用意してくださった異国の珍しいドライフルーツでティータイムだ。その際に、これもお土産だと、本以外に簪と練香水をくださった。どちらも珍しい品で、簪にいたってはどう使えばよいか分からない。あとで侍女に聞いてみよう。
「ごめんなさいね。あの人いつもああなの」
「アシュレン様が手のひらで踊らされるのを初めてみました。ちょっと面白かったです」
「そう言ってもらえてほっとしたわ。婚前旅行にも抵抗はないみたいだし」
その言葉に、頬が熱くなる。
私としては現地調査のつもりだし、アシュレン様だってきっと……きっと同じですよね?
「ライラ、いつもカリンと一緒にいてくれてありがとう。カリンはとても楽しそうに貴女の話をするわ」
「そんなこと。カリンちゃんは素直で可愛いです。私も楽しんでいますのでお気遣いは不要です」
「それならよかったわ。でもね、正直、子供が幼いのに、こんなに離れていていいのかしらって迷うこともあるのよ」
そう言って、カトレーヌさんは視線を扉の横にある背の低いチェストへと向けた。
そこには手紙が一通置かれている。
「祖母から、いつ仕事をやめるんだって頻繁に手紙がくるの。私は母を亡くしているから、母親代わりとして心配してくれているのは分かるのだけれど……」
言葉を濁し小さくため息をつかれる。
カニスタ国は女性が働くことを好意的に捉える国だと思っていたから、ちょっと意外な言葉だった。
私の戸惑いが表情に出たのでしょう、カトレーヌさんは小さく笑って言葉を続ける。
「ライラはジルギスタ国出身よね。あの国では既婚女性が働くのは珍しいでしょう」
「はい。未婚女性でも働いている人は少ないです。私は、その……」
「元婚約者の方を手伝っていたのよね、妹さんと一緒に」
私のことは、初めて会った時に隠さず話をしている。
その時は、アシュレン様とはただの仕事仲間だったから、以前に婚約していたことを話すのにそれほど抵抗はなかったのだけれど、今の私の立場で「元婚約者」の話は少々肩身が狭い。
「あっ、以前に婚約者がいたことは気にしなくていいのよ。アシュレンだってそれは承知のことなのだもの」
「ありがとうございます。それで、御祖母様はカトレーヌさんが働かれることに反対されているのですか」
「ええ。あの年齢の人は、女性は男性に愛され、結婚したら家を守るのが唯一の生き方だと思っているから」
それはまさしくジルギスタ国の価値観と同じ。
忙しくて社交会に顔を出すことが少なかったし、私の周りの女性は皆いきいきと働いていたから、カニスタ国の女性は昔からそうだと思っていた。
「母の世代から徐々に価値観が変わっていったようね。人口が少なくて女性の社会進出を勧めたのもあるけれど、国王姉であるお義母様が結婚してもナトゥリ侯爵の妻として仕事を続けたことが大きかったと聞いているわ」
カトレーヌさんは困ったように笑いながら、紅茶を一口飲み、もう一度視線を手紙へと向けた。
「あの世代の人に言わせると、子供を産んだのだから、母親は子供を一番に考え家のために生きて当然らしいわ。その考えが間違っているとは思わないけれど、でも私は、子供を育てることも、仕事を続けることもクラウドの妻であることもすべて含めて人生だと思っているの。欲張りだと思われても、そのどれも手放したくないのよ」
「分かります。私も研究をしない人生は考えられません」
幸せな家庭を築くことは充実した生き方に繋がるかも知れない。
でも、ひとりの人間として私を必要としてくれる場所も欲しいと願ってしまう。
「祖母はカリンのために仕事を辞めなさいというけれど、私はカリンのために働きたいの。ひと昔前は、女性は男性の所有物で意思を尊重してもらえなかった。でも、仕事を持ち男性と同等の立場になってきた今、女性の生き方は変わってきたわ。未だに祖母のような考え方を持つ人がいるからこそ、私達の世代が防波堤となって、そんな古い価値観をカリンの時代に残したくないの」
と、そこまで話すとフッと笑いを零し「酔ったのかしら、熱く語りすぎたわね」と恥ずかしそうに笑った。
「いいえ、素敵な考えだと思います。カリンちゃんもきっと分かっています」
「だとよいのだけれどね。ねぇ、ライラさん、あの二人の勝負は時間がかかるの。よかったら客間を用意するし今日は泊まっていくといいわ」
「アシュレン様の勝率はどうなのですか?」
「四割よ。私の夫はあれで優秀なの」
ふふ、と笑うとカトレーヌさんは侍女を呼び部屋を用意してくれた。
きっと明日の朝はカリンちゃんに起こされるのでしょう。
ということで、ハドレヌ領に向かいます。アシュレンはいろい唆されておりましたが…。今回のメインはモニタレスの木です。
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