腹黒の二乗.2
「ところでライラ。お前も本を書いてみないか?」
「はい?」
突然、それでいてごく自然にさらりとクラウド様が私に話を振ってきた。
なんてことない口調ですが、今凄いことを仰っていますよね。
「本、をですか?」
「そうだ。内容はライラの研究結果である薬草の乾燥時間についてだ」
力強く頷かれたクラウド様は、私の戸惑いなんてお構いなしに言葉を続ける。
「母上から見せて貰った内容は専門的すぎて正直なところ俺には理解できない。だから、これはあくまで一つの案だと思って聞いて欲しい。本は図鑑のようにしたいと思っているんだ。左側には植物の絵を載せ、生息地域や色や匂いなどの特徴。右側にはその効用とともに最適な乾燥時間の計算式を書く。その際に、たとえば『よく乾燥させる必要がある』や『乾燥させるとどう形状が変わるか』なども書いて欲しい。ようは、単純に計算式だけを記載するのではなく、絵や補足も加え分かりやすくしたいんだ」
つまりは、今私が手にしている本と似たものを作りたいということですね。
でもそれをいったい何に使われるのでしょう。
計算式を記した紙は一年以上前に薬草課に提出をしているから、今さら改めて書く必要があるとは思えない。
「作るのはかまいませんが、仕事の合間でもよいでしょうか? お時間はどれぐらいいただけますか」
「すまないがひとまず、一ヶ月で仕上げて欲しい」
「一ヶ月ですか?」
まさか期限をつけられるとは思っていなかった。
一ヶ月となると時間的にかなり厳しいうえに「ひとまず」というのが気になる。
なんだろう、時々アシュレン様に感じる、あの肌がチリチリする感覚が蘇る。
そんな私の様子に、クラウド様は豪快にケラケラと笑った。逆に怖い。
「そう難しい顔をするな。それほど多くの薬草について書く必要はない。そうだな、よく使うもの十種類に絞ろう。どれを書くかはライラが決めればよい。絵は絵師に頼むから書いて欲しいのは右側部分の文章のみだ。それなら大丈夫か?」
「……はい。その程度でしたら二週間もあればできます」
「そうか! さすが母上が手放しで褒めるだけはある。では頼んだぞ」
満足気にグラスを傾けるクラウド様に対し、私の隣にいるアシュレン様は腕を組んでしかめっ面をしている。クラウド様を見る視線が鋭く、眉間の皺が徐々に深まっていく。
どうしたのかしら、それほど負担になる話ではないから私はかまわないのだけれど、と言おうとしたところで先にアシュレン様が口を開いた。
「兄上、何を企んでいるんですか」
「というと?」
「しらばっくれないでください。そもそも期限が一ヶ月というのがおかしい」
「ほぉ」
ニヤリと笑クラウド様は、グラスを置くとアシュレン様と同じように腕を組み、背もたれに身体を預けた。
二人の体勢はリラックスしたものなのに、急にダイニングの空気がピンと張り付めた。
「一ヶ月半後にスティラ王女殿下の誕生日パーティがあります。半月あればライラが作った本を複数冊、製本することができますよね」
「むろん、可能だろうな」
飄々と答えるその様は、是と言っているようなもの。
王女殿下の誕生日パーティと私の本にどんな関係があるのかしら、と思う私に対し、アシュレン様は、はぁ、と息を吐いた。
「ライラが書いた本を、誕生日パーティに出席した異国の王族、貴族に配るつもりですね」
「えっ、私の本をですか?」
どうしてそんなことをする必要があるのか、全く分からない。
というか、あの乾燥時間は作業を効率的にするために考えたもの。研究結果や論文の類いと違って、本にして配るような代物ではないと思うのだけれど。
「兄上のことだ、表向きはカニスタ国の薬草知識が優れていることを知ってもらうための文献として渡すつもりなのだろう」
諸外国から見て、カニスタ国は知識や医学、技術において劣っている国と思われている。
クラウド様はそんなカニスタ国の認識を変えてもらおうと、日々異国を周り、国内の産業や特産品を紹介している。
それにしても「表向き」とはなんとも不穏な言葉だ。
「よく分かっているな」
「兄上が国の利益なしで動くはずがない。薬草を十種類に絞ったのは期日が迫っているからというのもあるが、そう簡単にすべてを教えるつもりがないからだ。本を持って帰った隣国の貴族は、ひとまず記載されている通りの乾燥時間で薬草を乾燥させるだろう。ライラ、その結果どうなると思う」
「おそらくですが、より質のよいものができると思います」
自慢するつもりはないけれど、あの計算式は優れものだと思っている。
下準備された薬草の質をあげることは、あらゆる薬の効果の底上げにつながる。
「そうだ。そうすると、十種類の薬草以外にも知りたくなる」
アシュレン様の言葉に、クラウド様はニッと口角を上げた。
その顔が腹黒い時のアシュレン様と実によく似ている。
「ゆくゆくは、ライラにはすべての薬草の乾燥時間を書き留めて欲しいと思っている」
「で、それを売るつもりなんだろう」
「ライラ、急がなくていいぞ。小出しにしたほうが、長く興味を引くことができる」
クツクツと喉を鳴らすクラウド様。その様子を見てずっと黙っていたカトレーヌさんが眉を顰めた。
「あなた、その顔はまだなにか企んでいますね。まったく、どうして身内にまで手の内を隠そうとするのですか?」
その言葉はアシュレン様にとっても以外なものだったらしく、ライトブルーの瞳をパチリとしたあと、眉間に皺をよせた。
「兄上、ライラは俺の婚約者。いえ、間もなく妻になります。隠し事に付き合わせるわけにはいきません」
……どの口が言うのか、と思わずジト目で見てしまった私は悪くないと思う。
私のことを考えてくれているのは分かるけれど、アシュレン様が言えるセリフではない。
「分かった、分かった。別に隠そうとは思っていない。とりあえず本を贈ってその反応を見てから、改めて考慮しようと思っていただけだ。そう怒るな」
クラウド様は手元にあったワインを手にするとアシュレン様のグラスになみなみと注ぎつつ、同意を求めるように私を見る。見られても困ります。
「で、その考慮の内容とは?」
「二冊目以降は、売るのではなく二十年間に渡って本の知識を利用する許可を与えるとする」
「許可? しかし二十年後、広まった知識を使うなと制止するのは無理ではないですか?」
「二十年間、我が国の許可なく、他国にその本の売買、知識の流布をしなければ、以降自由に使うことを許可する、といのはどうだ」
なるほど、売ってしまえば、買った国がそれをどう使おうと止めることはできない。例えば、自国の手柄のように第三国に売ることだって可能になる。
アシュレン様は、顎に手をあてふむと頷く。
「兄上の一番の目的は、カニスタ国が他国より遅れているという認識を変えること。あくまで乾燥時間を書いた本はその手段ということですか」
「そうだ。少なくとも本の利用を許された国は、今後二十年間カニスタ国をないがしろにはできない」
クラウド様の計画通りにいけば、医学の分野において、カニスタ国を見る目が変わってくるらしい。
どうやら、私の研究はとんでもないことに使われるようだ。
そんな大事なことを黙っておくなんて、アシュレン様と同じくらい、いえ、それ以上に腹黒なのは間違いないわ。
「……どうした、ライラ。なんでそんなに俺を見てくる」
「よく似た御兄弟だと感心しております」
「なんだか素直に喜べないのは気のせいだろうか」
眉間に皺を寄せるアシュレン様を見て、クラウド様が豪快に笑われた。
「ライラの言う通りだ。お前になら俺の後任を任せられる。いっそのこと外交官になって異国を見て回るなんてどうだ」
「遠慮します。カリンと一緒にいたいからと、俺に仕事を押し付けないでください」
クラウド様はカリンちゃんを溺愛している。
そのせいか、冗談に聞こえない。……って本気ではありませんよね?
「ライラも知っているだろうが、我が国は領土も狭く特に資源が豊かなわけではない。そんなカニスタ国が隣国と肩を並べるためには、知識と技術の向上が必須だと考えている」
こほんと咳ばらいをし、真面目な顔に戻るとクラウド様は私に向き合った。
カニスタ国は近隣諸国より五十年遅れていると言われていた。
でもこの一年ばかりでその評価は大きく変わりつつある。
一年前に開発した小麦の大量枯れを防ぐ方法と解毒薬は、アシュレン様の戦略も相まってジルギスタ国を通して近隣諸国に広まっていった。
それ以外にも、金細工や染色にも力を入れているそうだ。
「聞きようによっては、ライラの知識を利用しているように思うかもしれない。でも、本を作るのは外交のためだけではない。ライラの許可が出るなら、できた本は国内にある図書館と学園に寄贈したいと思っている。その知識と技術を本に残し広め、それを学んだ若者がこの国にさらなる発展をもたらしてくれるのが一番よいと、俺は考えている」
最後に「協力して欲しい」と言いながら、クラウド様は頭を下げた。私は慌てて胸の前で手を振る。
「どうか頭を上げてください。そう言ってもらえて光栄です。私にできることならなんでも協力します」
ひたすら実験を繰り返し作り続けた薬草の乾燥時間が誰かの役に立つのは嬉しいし、私が訪れたことのない国にまで広まるなんて信じられない。
「ありがとう、ライラ」
「お礼をいうなら私のほうです。私の作った本が踏み台となりこの国の発展につながるのなら、それほど嬉しいことはありません」
背筋を伸ばしクラウド様に告げた私の肩をアシュレン様が引き寄せた。
「兄上、ライラは素晴らしい女性だろう。人を蹴落とし名誉を欲しがる研究者は多くいるけれど、踏み台にされて喜ぶ研究者はいない」
隣を見れば、まるで自分のことのように誇らしげに微笑むアシュレン様と目があった。
その距離が思ったより近くて、頬が熱くなる。さらには甘く見つめ返されて、私はどうすればよいのかと視線を彷徨わせることしかできない。
「はは、アシュレンが惚れこむのも分かる。それから、お前でもそんな惚気を口にするのだな」
「……兄上にだけは言われたくありません」
「俺は惚気たことはないぞ、カトレーヌが優れていると思うからそう言っているだけだ」
そのセリフを、当然だと真顔で返すあたり、相当惚れていらっしゃると思うのですが。
カトレーヌさんを見れば、いつものことよ、とばかりに優雅にワインを飲んでいた。
あっ、空になった瓶がまたひとつ増えている。
腹黒二人の腹の探り合いはもう少し続きます。
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