腹黒の二乗.1
一章からの変更
アシュレン兄は外交官で留守がちです!
「アシュレン様、着替えるので少し待ってください」
仕事を終え別邸に帰ってきた私は、急いで玄関扉を開ける。
アシュレン様は呑気に「そのままの服でいい」と仰るけれど、今日は本邸でナトゥリ侯爵様ご家族と一緒に夕食を摂るのだからそうもいかない。
仕事の時はシンプルな服を着ることが殆どで、今着ている服にはフリルやレースなんて可愛らしいものは付いていない。汚れることも多いのでスカートは濃い色を選んでいるので正直地味だ。
鼻を近づければ、きれいに洗っても染み込んだ薬草の匂いは取れていない。
「強力な消臭剤を作ります」と拳を握れば、アシュレン様が近づいてきた。えっ、と思う間もなく肩のあたりでスンと匂いを嗅ぐ気配がした。
「俺は好きだけれどな。ライラの甘い匂いも薬草の香りも」
「~~!! 着替えてきます!」
真っ赤な顔で肩を押しのけると、その勢いのまま階段を上がる。
アシュレン様にしてみればお兄様との食事だけれど、私からしてみれば婚約者の兄夫婦との晩餐なのだ。今までもお茶をご一緒したことはあるけれど、お二人とも忙しい身だから食事をするのは初めて。その場にこの格好が相応しくないのは、私だって分かる。
今回は久々の長期滞在で、時間があるからと誘われたのはいいけれど、何を着て行けばいいのかしら。
家族との食事に夜会できるようなドレスは不釣り合いだろうし、かといって私が持っているデイドレスではカジュアルすぎるかも。
こんなときは、と三階へと向かい、アシュレン様が用意してくださったクローゼットを開け、その中から淡いブルーのワンピースを選ぶ。白い襟とカフスにはピンク色で花の刺繍がしてあり、フワリと広がるスカートが可愛らしい。
ネックレスを外し、チェーンに通していた指輪を左手に嵌め直し、軽く白粉をはたこうとしたところで、元気な声が階下から聞こえてきた。
「アシュレン様ぁ、ライラ、お迎えにきたよ」
階段を上がる元気な足音が近づいてきたと思ったら、扉がノックされる。
はい、と出れば、額に汗を滲ませたカリンちゃんが息を切らせながら私を見上げてきた。
「早く、早く」
「分かったわ。わざわざ迎えに来てくれたのね」
「だって待ちきれなかったんだもん」
手を引かれ階段を降りれば、さっきと同じ服装で玄関扉に背を預けていたアシュレン様が、私を見て少し目を細め身体を起こした。
「お待たせしました」
「かまわない。馬車は厩舎に返したので歩いて行こう。腹を空かせた方が食事は美味い」
「はい。とはいっても、緊張して食べられるかどうか」
「相手はもう何回か会ったことがある兄夫婦だぞ。ライラの身内になるのだから気負うことはないっ……と、カリン、走ると転ぶぞ」
タッタッと走り出したカリンちゃんをアシュレン様が追いかける。するとカリンちゃんはそれを楽しむかのようにさらに走り出した。
いつもより浮かれているのはお父様とお母様が長く邸にいるからかも。
夕暮れの中、走る二人の背中を追うように私は本邸へと向かった。
案内されたダイニングにいたのはナトゥリ侯爵様ご夫婦だけ。
室長は知り合いの商会と会食があるらしい。きっとアロマキャンドルのことだ。
「さあ、座って。ライラさんはそこ、アシュレンはそこね」
華やかな笑顔で場を仕切るのはお義姉様のカトレーヌさん。茶色い髪を首の後ろで丸くまとめて、テキパキとメイドに指示を出している。
外交官のお義兄様の補佐官をされているだけあって手際がよい。
お義兄様のクラウド様は膝にカリンちゃんを乗せ、楽しそうにお話をしている。カリンちゃんと同じブロンドの髪は短く切り揃えられていて、少し垂れたライトブルーの瞳がさらに優しく細められ……ようは愛娘にデレデレだ。
食事がテーブルに並ぶと、カトレーヌさんに促されカリンちゃんも自分の席に座った。
クラウド様はグラスを手にすると、僅かに「うーん」と考えたのち、「ま、とにかく乾杯」とグラスをあげた。
カトレーヌさんはお酒を勧めてくれたけれど、私より先にアシュレン様が断り、オレンジジュースが手渡される。別荘で飲んで以来、なぜか私はお酒を禁止されている。美味しかったのに。
クラウド様はアシュレン様の六歳年上で、学生時代からカトレーヌさんとお付き合いしていて、卒業と同時に婚約されたらしい。
本来ならすぐに結婚するところ、カトレーヌさんの強い望みもあって、そのあとも数年クラウド様の秘書をしたのち結婚したと聞いている。
十代のうちに親が婚約者を決めるジルギスタ国とは違い、カニスタ国では学生時代、もしくは社会に出て知り合った人と婚約することが多い。婚約期間が長かったことを除けば、カニスタ国では一般的な出会いと結婚というわけだ。
初めこそ緊張したけれど、二人が話す異国の話はとてもおもしろく、食事も美味しくて、途中から私は声を出して笑っていた。
クラウド様は瞳の色こそアシュレン様と同じだけれど、顔立ちも性格も全く違う。
王子様然とした整った顔のアシュレン様に対し、クラウド様はがっしりとした体格をされている。豪快に笑い、誰とでもすぐに打ち解けるコミュニケーション能力は、さすが外交官といったところね。
「ではお二人は、西の大陸まで行かれたのですか」
「そうだ。こちらとは全く違う文化で面白い。これからは、宝飾品を始め酒や薬と珍しいものがカニスタ国に入ってくるぞ」
「薬! それは楽しみです」
思わず前のめりになった私に、アシュレン様とクラウド様が同時に吹き出した。
「ライラ、普通そこは宝飾品に興味を持つところだ」
「ですが、珍しい薬ですよ。見たいではありませんか」
「ま、そこがライラらしいんだがな」
テーブルに肘をつき手で顎を支えながら、苦笑いをこぼすアシュレン様。手元にあるお酒は三杯目かしら。
「そうだわ。その時の戦利品があるの、きっとライラさんは喜ぶわ」
カトレーヌさんは「少し失礼するわ」と言って、眠たそうに船を漕ぎ始めたカリンちゃんを連れて部屋を出て行くと、暫くして分厚い本を胸に抱え戻ってきた。
「カリンは侍女に頼んだわ。これなんだけれど、どうかしら」
テーブルに置かれたのは黒い本。布表紙で左側を紐でつづられたそれは、私の知っている本とは違う作りをしていた。
「中を見てもよいですか?」
「もちろんよ」
目線で促され捲れば、初めのページは文字と数字が羅列されていた。異国の文字だから何を書いているのか分からないけれど、目次のようなものかしら。
数枚捲ると今度は植物の絵と、すり鉢や鍋などが書かれている。その下にはこれまた分からない文字がびっしり。
これって、もしかして。
「薬の作り方が書いてあるのですか?」
「ええ、そうよ。その国では薬草を食事にも取り入れているらしく、後半は料理の本に近いかしら」
カトレーヌさんがページを捲り最後のほうを見せてくれた。絵から推測するに確かに料理っぽい気がする。
「この国では、ハーブのように薬草も料理に取り入れているのよ。私も食べたけれど、そうね、独特の風味はあるけれど身体によさそうな気がしたわ」
それは、ちょっと微妙な味ということかしら。そう思っているとクラウド様が隣から「腹の調子がよくなったんだよな」と言い、カトレーヌさんに睨まれていた。
「カトレーヌさんはこの文字が読めるのですか?」
「ええ。私、秘書兼通訳をしているの。話せる言葉はクラウドより多いのよ」
凄い。聞けば十ヵ国語を読むことができ、うち七カ国語は会話に困らないらしい。
クラウドと親し気に名前を呼んでいるのは、学生時代から友人だったからかしら。そういえば、フローラさんもティックと言っているわ、とこんなところでも文化の違いを感じた。
「義姉上、先程『戦利品』と言っていましたが、何をしたのですか」
「ふふ、異国の外交官と少しね」
意味ありげに笑うカトレーヌさんに対し、クラウド様は思い出したかのように眉間を揉み渋い表情をした。笑うばかりのカトレーヌさんでは埒が明かないと、アシュレン様はクラウド様に目線をやる。
「兄上、何があったんですか?」
「その外交官、といっても王族の血を引くので俺とそう立場は変わらないのだが、彼がカトレーヌを綺麗だと誉めそやしてな」
チッと舌打ちをしながら続けた話によると、その夜開かれるパーティでダンスをしたいと申し込んだらしい。
「あなた、あれはリップサービスのようなものよ。あの方は女性がそばにいれば誉めなければいけないと思っているような方。道化役を買って出て周りを盛り上げているだけなのですから」
「分かっている。かなりタチの悪い道化だ。それでいて恐ろしく頭がキレるから油断ならん」
ダンスぐらいと思うけれど、クラウド様はその方が気に入らなかったようで。そんな夫の思いを知ってか知らずか、カトレーヌさんが勝負を申し込んだらしい。
「義姉上、その勝負っていうのはまさか」
「ええ、お察しの通り飲み比べよ」
カトレーヌさんの言葉に、アシュレン様がガックリと項垂れる。
えっ、と思い見れば、カトレーヌさんの前には空になったワインの瓶が数本。それ全部ひとりで飲まれたのですか? いつのまに。
「それで、相手はどうでしたか?」
「それなりに頑張っていたわよ。でも日付が変わる頃にバタン、ね」
ほほほっと笑うカトレーヌさん。
そのお綺麗な顔でまさかのザルですか。
「それで、この本をいただいたの」
「カトレーヌ、あれは奪ったと言うに等しい」
呆れるクラウド様を横目に、アシュレン様は私の手元にある本を覗き込む。
多少は読めるようで、目で文字を追っていた。
「ライラの結婚式までには翻訳をするから待っていてね」
「ありがとうございます。でもご無理はしないでください。アシュレン様もお分かりになるようですし」
「いや、俺では三割程度しか分からない。義姉上、俺からも翻訳をお願いします」
これだけの量を訳するとなるとかなり時間がかかるはず。
せっかくお邸にいるのならカリンちゃんとの時間を作って欲しいのに、と思っていると、そんなことはお見通しとばかりに微笑まれた。
「実は船の中で半分以上訳しているの。結婚式までには仕上げるから待っていてね」
どうやら私達への結婚祝いらしい。
うーん、飲み比べで奪ってきた本を、義理弟の祝いになんて、カトレーヌさん見かけによらず勇ましい。
私の小説を幾つか読んでくださっている方なら、アシュレン兄がどこへ行ったかお分かりになるかと。
女好き&外交&王族の血を引く人とは…。
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