変わらない日々と変わったこと.1
書籍化にともない、一章より変更点があります。
・アシュレン兄は外交官。普段は異国に赴きナトゥリ侯爵邸にあまりいません。主に室長とカリンちゃんが二人で本邸に住んでいます
・フローラとティックは結婚しました!!
カニスタ国で迎える二回目の春。
雲ひとつない陽気はちょっと汗ばむほどだけれど、窓から入ってくる風は心地よい。
出勤してすぐに研究室の窓を開けていると、アシュレン様がティックの机にもりもりっと書類を積み上げていた。
「それ、少し多くありませんか」
「一週間も休んでいたんだから、これぐらい当然だろう」
結婚休暇を取ったフローラさんとティックが、今日久しぶりに出勤をしてくる。
新婚旅行の行き先は海辺の町で、美味しい物を食べるのが楽しみだと言っていた。
でも、いくら何でもこれは。
と、私が眉を下げティックの机を見ていると、扉が開いて新婚の二人が揃って現れた。
「アシュレン様、ライラ、休暇をありがとうございます」
「いいえ、フローラさん、楽しかったですか?」
「ええ、異国の料理を出すお店が沢山あって、食べ歩きをしたわ」
「あっ、これお土産っス」
そう言ってティックは小さな袋を二つ私に手渡してきた。
「ひとつはアシュレン様のカフス、もうひとつはライラさんの髪飾りっス。どちらも異国の品でフローラが選びました」
あらあら。呼び方が「フローラさん」から「フローラ」に変わっている。
ちょっとにやけてしまう頬を引き締めつつ、
「ありがとう。アシュレン様、お土産をいただきましたよ」
袋の上からの手触りでカフスであろうほうを手渡すと、アシュレン様はフローラさん達に「ありがとう」と言いながら受け取った。
さっそく開けてみると、銀細工にアシュレン様の瞳の色と同じアイスブルーの石がついた髪飾りが出てきた。
ということは、とアシュレン様の手元を見れば、赤銅色のカフスがある。どうしても私の瞳の色に合わせると地味になってしまうのよね。それなのに。
「いい色だ」
アシュレン様は窓から差し込む光にカフスを翳しながら目を細める。
「ですよね。俺もそう思うっス。ルビーのような赤もいいけれど、アシュレン様は見た目が目立ちますから身に着けるのは落ち着いた色のほうがいいっスよ」
「同感だ」
相変わらず見目の良さを否定する気はないらしいけれど、嬉しそうにカフスを付け替えている姿はなんだか嬉しい。
「ライラも着けてやる」
カフスを付け替えたアシュレン様は、私の手のひらから髪飾りを取ると、向かい合った姿勢のまま手を後頭部に廻してきた。
えっ、着けてくれるのは嬉しいのですが、これって普通、一度後ろに回ってからしませんか?
抱きしめられるような体勢で、アシュレン様の襟元がすぐ間近にせまり、香水の匂いが
いつもより強く感じられる。
「よしできた」
にこりと微笑むアイスブルーの瞳に映るのは、直立不動で真っ赤になっている私の姿。
これは……。
「わざとですね」
「うん? 何がだ?」
~!! 恋人のようなことをしたいとうっかり言ってしまったせいで、アシュレン様は時々こうやって私を困らせ楽しむようになってしまった。
新婚二人がニヤニヤとこちらを見てくるのが、更に居たたまれない。
手で頬に風をパタパタ送っていると、「うわっ」とティックの声がした。
どうしたのかと視線を向ければ、呆然と自分の机の上を見ている。
「アシュレン様、これ、今日中とか言わないですよね」
「もちろん今日中だ」
「いやいや無理っスよ。残業確定っスよ。ほら、俺新婚だから早く帰ってすることもあるし……」
「俺なら定時でできる」
断言され、ティックはガクリと肩を落とし机に置かれた書類を忌々しく睨んだ。
やっぱりこれは可哀そうよね、とフローラさんを見れば、こちらはのんびりと自分の椅子に座る。
「フローラさん、私からもアシュレン様に言いましょうか?」
「いいのよ、気にしないで。おかげで今夜はゆっくりできるわ」
うーんと伸びをすると、この一週間の研究日誌に目を通し始めた。フローラさんがよいなら、と私も自分の仕事にとりかかろうとすると、思い出したように顔を上げいたずらっぽく口角を上げる。
「ライラも夏には結婚するんでしょう。頑張ってね」
「はぁ……」
何をかしら?
首を傾げつつ私は研究室の端にある籠を手に取った。
「それでは、私は薬草園に行ってきます」
「今からいくのか? ……まぁ、いいか。それなら、帰りに薬草課によってレイザンから書類を受け取ってきてくれないか。室長が先日頼んだ花粉症の薬についての治験書類が、今日完成するはずなんだ」
少し妙な間があったのが気になりつつも、アシュレン様の頼みに「はい」と答え、私は研究室の重い扉を開け外に出た。
この冬、室長から花粉症の試薬について何度か意見を求められ、試行錯誤ののち完成した試薬。
アレルギーの場合、人によって症状の程度は様々なので、レイザン様に頼んで花粉症に困っている人達に治験に協力をしてもらい、その結果をまとめた書類が完成したらしい。
目の痒み、鼻詰まりをどこまで緩和できたかは私も興味があるのであとで読ませてもらおう。
お城の裏庭を通りうねうねした木々の間を抜けると、そこには青々と葉を茂らせた薬草園が広がっている。
春は薬草の種類が多い。手入れは薬草課の人がしてくれているのだけれど、どれも葉が大きく瑞々しい色をしていた。
どんなに完璧なレシピを作っても、もとの薬草の質が悪ければ効果は半減してしまう。
この国の人は皆仕事が丁寧だ。
お目当ての薬草は数種類。
薬草園の端には温室もあるけれど、今日はそこへ行かなくてもいい。
冬場は温かくてよかったのだけれど、最近は暑く感じてしまう。夏場なんて汗だくだ。
土の上には冬の間眠っていた薬草がぐんぐん背を伸ばしていて、すでに私の膝あたりまであるものも。
薬草は種類ごとに植えられていて小さなプレートが立てられていた。もちろん見なくても分かるけれど、念のため確認しながら採取していくと、遠くの木の下に人影がチラチラ。
あんなところに何かあったかしら。
ここはお城の裏庭からさらに奥に入ったところ。あるのは薬草園だけなのに……と思っていると、人影がさらにもう一つ現れた。
男性と女性のようだ、と見ていると、赤い髪を後ろに撫でつけた男性の手が女性のブロンドの髪に触れた。
薬草園の向こうはお城の城壁。
その近くにあるユーカリの木の影に隠れるようにして会う男女、となれば。
これはもしかして密会というやつかも。それなら、私は早く退散した方がいいわね。
恋愛ごとに疎いと言われることが多いけれど、私だってそれぐらいはわきまえている。
手早く必要な薬草を籠に入れ去ろうとしたのだけれど、立ち上がった時に女性が男性を突き飛ばすのが見えてしまった。
えっ、喧嘩?
しかも女性がそのまま、こちらに走ってくる。どうしよう、私が隠れる必要はないはずなのに、見つかってはいけないと思ってしまうのは小心者だからでしょう。
慌ててしゃがんで薬草の葉に隠れようとするけれど、膝丈までしかない葉はあまり役に立たない。仕方なく膝を抱えできるだけ身を小さくしていると、目の前をピンク色の靴が通り過ぎた。
よかった、気づかれなかったと思ったのも束の間、靴はピタリと止まると向きを変える。
まずい。通り過ぎたはずの靴が数歩私に歩み寄って、目の前で止まってしまった。
何も悪いことをしていないはずなのに、覗き見をしたような罪悪感を覚えるのはなぜかしら。アシュレン様ならケロリと肩を竦めこの場をやり過ごしたでしょうに、私にはそれができない。
仕方なく視線を上げると、まず見えたのは赤い高価なドレス。腰まである緩くなみうつ髪は栗色で、瞳はアシュレン様と同じ奇麗なアイスブルー。えっ、まさか。
「……スティラ王女殿下?」
「ライラ!」
私の顔を見て、王女殿下ははっと顔を青くさせ、さっきまでいた木に視線をやった。
そこにはまだ男性がいて、こちらを見ている。遠目だから赤い髪だということ以外はよく分からないけれど、彼もまた戸惑っているかのように思えた。
「あ、あの……私、薬草を採りにきて……」
とそこで言葉が詰まってしまう。
なんて言えばいいの? 黙っておきます、でいいのかな。
この状況で何も見ていません、は通るのかしら。
どうすれば、と口をパクパクしていると、王女殿下は唇をぎゅっとかんだあと、あろうことか私と視線を合わすようにしゃがみ込んだ。
赤いドレスが土で汚れるのを見て狼狽える私の手を取ると、眉根を寄せ泣きそうな目を向け、「お願い、黙っていて」と懇願してきた。
私は分かったと無言で何度もコクコク頷くも、スティラ王女殿下はさらに眉間の皺を深くしながら念押しをしてくる。
「アシュレンにも黙っていてね」
「……分かりました」
アシュレン様、信頼されていないようですが何かしましたか?
もちろんそんなこと言えず頷くも、スティラ王女殿下はまだ何か言いたそうに視線を彷徨わせている。
でも、これ以上は話さない方がよいと判断されたようで立ち上がると「護衛に見つかるといけないから」と足早に立ち去っていった。
護衛を撒いてまで密会をされるなんて、ともう一度木の下に目をやれば、そこにいた彼もまた姿を消していた。騎士服ではなかったけれど、整った服装をしていたので文官かしら。
もしかして私、とんでもないものを見てしまったのかも。
ゆくゆくは……口封じ。なんてことはないわよね、さすがに。多分。
スティラ王女殿下と初めてお会いしたのは、謁見の間にて国王陛下達にアシュレン様と一緒に婚約を報告したとき。
王位継承権第二位のアシュレン様のお立場を考えればもっともなことで、私も王族の末席に名前を連ねる立場としてなにか求められるのかとビクビクしていたのだけれど、謁見は終始なごやかだった。
国王陛下は私の今までの研究をねぎらってくださり、アシュレン様が持つ王位継承権はあくまでも不測の事態が起きた時のためだから王族としての教育は必要ないし、今まで通りの生活を送ればよいと仰ってくださった。
スティラ王女殿下とはそれ以降、数度かお話をしたことはあるけれど、控えめでいながら国のことを深く考えていらっしゃる芯の強い女性に思えた。
だからこそ、密会するなんて意外だわ。
web版と書籍で違うところがあります。特にティックとフローラについてはいつの間に、っと思われている方も多いと思います。
一巻番外編にてティクからプロポーズしています!
もろもろ、ティック頑張りました。
できるだけ毎日投稿するつもりです。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。




