エピローグ
ほのぼのしたその後をひとつ。前半ライラ目線、後半アシュレン目線です。
「アシュレン様、距離が近いです」
「カニスタ国ではこれが婚約者の距離だ」
そういって出勤途中の馬車の中にも関わらず、私の髪に口付けをする。
チュ、という音に耳まで赤くなると、さらにライドブルーの瞳が意地悪に光り今度はこめかみに唇が。
本当に、カニスタ国の婚約者はこんなに親しいの?
とはいえ、強く言い返せないのはアシュレン様に私の事情に合わせて貰っているという後ろめたさもあるからで。
私達の婚約は、両親の承諾もあって(どうやって説得したかは怖くて聞けていない)すんなりと決まった。
ただ、ここで問題になったのが、それぞれの国の習慣。
ジルギスタ国では婚約期間は一年以上が当たり前。時間を掛けてお互いを知り、嫁ぐ家の領地経営などを勉強した上で結婚となる。
それに対してカニスタ国は比較的自由恋愛が多い。婚約期間は短く、結婚準備の間の数ヶ月程度。
アシュレン様はすぐに私と結婚するつもりだったらしいけれど、私がまだ心の準備ができてないと言うと、そこは渋々ながら歩み寄ってくれた。
婚約期間が一年と決まった代わりに、カニスタ国の習慣も受け入れて欲しいと微笑まれ、始まったのが溺愛だ。
婚約ってもっと清いものではないの? カーター様とは夜会で手を重ねたぐらいなのだけれど。
でも、そんなこと言えるはずもなく。
停まった馬車に私はほっと胸を撫で下ろした。
そんな日々がもう半年も続いている。
日増しにグレードアップする愛情表現に、結婚したらどうなるのかと戦々恐々する今日この頃。
研究室に衝撃が走った。
「えっ! ティックとフローラが婚約?」
私が目を白黒させる前で二人は肩を寄せ照れくさそうに、でも幸せいっぱいに微笑む。
「いつの間に……全然気づかなかったわ」
「いいカモフラージュがいてくれたんで助かりましたッス!」
ティックがカラっと笑いながら言うけれど、それって私とアシュレン様のことよね。
アシュレン様とて仕事場で必要以上にスキンシップは取らないけれど、それでも私達は目立っていた。
「それでいつ結婚するの?」
「二か月後にするつもりよ。出席してくれる?」
「もちろん」
フローラの手を握り祝福する私の隣でアシュレン様だけがどんよりとした空気を纏っている。
「二ヶ月……俺はもう半年も耐えているのに」
「あと半年っすね! お先に失礼します!」
ティックが肩を叩き励ますも思いっきり睨まれている。でも射貫くような視線を向けられてもティックはへらっと幸せそうに笑うのみ。強い。
私は、と言えば。ずっと気になっていたことをフローラに耳打ちする。
「ねぇ、カニスタ国の婚約者はどういうふうに過ごすものなの?」
「どうって?」
「そうね……例えば馬車の中では隣に座って手をつないだり……」
「それは、あると思うけれど」
「髪に触れたり……」
「うん、まあ」
「耳元で好きだ、とか愛してるとか時間があれば囁かれて。髪や額に口付けしたり、毎朝起こしに行くたびにベッドに引きずり込まれたり、あと……」
私はそこまで話して、フローラが信じられないものを見る目で私を見ていることに気付いて口に手を当てる。
「き、聞いた話よ?」
「うん。……えーっと。それは」
フローラが半目で、アシュレン様を見る。アシュレン様はティックとまだ何か言い合っていて私達の会話には気づいていない。
「ライラ、そうね。うん。あと半年経ったらそれら全てが可愛く思えるほどの日々が始まるわ」
その言葉は答えになっていないと思う。でも、幸せそうに笑うフローラにそれ以上のことは聞けず、改めて祝福の言葉を伝えた。
※※
その日の夕食後、カリンとのランプを使った「お休み」を終えたライラはソファで本を読みながらくつろいでいた。開けた窓から入ってくる初夏の風が、湯上がりの髪を掻き上げ甘い匂いを辺りに漂わせる。
俺はその匂いにつられるように、手にしていたブランデー入り紅茶をローテーブルに置いて、ごろりと横になりライラの膝に頭を置いた。
「アシュレン様!?」
何かするたびに、怒ったような照れた声で俺の名を呼ぶのが可愛くて、ついついいろいろやらかしてしまう。
「アシュレン様! どいてください」
「嫌だ。だいたい、ティック達の方が先に結婚するなどおかしくないか?」
「そういわれましても。それに、結婚していないとは言え、こうやって一緒に住んでいるのでよいではありませんか」
「一緒に住んでいるからこそ、限界なのだろう」
どうして分からないのかと見上げれば、きょとんとした顔で首を傾げる。
その顔を見るたびに、身体に湧く衝動を何度抑えてきたことか。
あと半年。もういいんじゃないのか?
いやだめか。
鼻先をライラの腹にくっつけるように横になっていると、諦めたのか細い指が俺の髪を撫でる。
まるで幼子をあやすようだが、悪くない。
甘い匂いに柔らかな感触、ほわりとした温もり。
悪魔と天使の囀りに耳を塞ぎながら、暫くそれらを堪能していると……
「ふふっ、あしゅれんしゃま、……かわいい」
突如、舌ったらずな声と一緒に顔を覗き込まれ、心臓が大きく跳ねる。
トロンとした色っぽい目元に、火照った頬。それにふわふわとしたこの感じ、見覚えがある。
がばっと起き上がりカップを見ると、どうやら自分の紅茶と俺のブランデー入り紅茶を間違えたらしい。いやいや一口飲めば気づくだろう。どうして全部飲んだ。
カップを手にしどうすべきか考えていると、突然柔らかい物に包まれた。
ライラが俺の首にしがみ付き、頬を摺り寄せてくる。
待て、待とう。落ち着け、俺。
ここには俺達しかいない。兄もいなければ母もいない。誰が止めるんだ?
「……ライラ。とりあえず寝るか」
「はい」
「立てるか?」
「むりぃ」
立てると思う。でも、抱きかかえた方が早そうだ。
仕方ないとライラの身体に腕を回せば、俺の首に回していた手に力が入る。うん、そうやって大人しく掴まっていてくれ。
階段を上りライラの部屋のドアを身体で押し開けベッドに寝かす。
「ライラ、腕を離してくれ」
「うーーん」
「ライラ……」
「あしゅれんさま、大好き」
「……」
あーもう。俺はいったい何と戦っているんだ?
戦う相手すら分からなくなってきた。
これは仕方ないんじゃないか。
俺は頑張った方だ思う。
そう言い訳を連ね、一緒にベッドに横たわれば、ライラはすうすうと寝息を立てた。
「……寝たか。そうだよな、寝るよな」
別荘の時もそうだが、酒を飲んだライラはすぐに寝る。分かっていた、そうさ、分かっていたよ。
俺はその可愛い寝顔を見ながらそっと唇に触れる。
柔らかく、温かい。もう何度目か分からない口づけをそっとし、布団をかけた。
あぁ、なんだか眠いな。緊張が一気にとけ睡魔が勢いよく襲ってきた。俺も今日はこのまま寝てしまおう。
明日どんな反応をするか、それも楽しみだ。
俺は可愛い寝顔を見ながら、浅い眠りについた。
次の日の朝、ライラの悲鳴が別邸に響き渡ったのは言うまでもない。
沢山の方にお読み頂き本当にありがとうございます。
日間ランキング11位に入ることができたした。(3/13)
短編だと有難いことに何度か表紙に作品が出たことがあるのですが、連載でこの順位は久々でとても嬉しいです。
六万字ぐらいの中編を新たに投稿しました。
『一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした』
https://ncode.syosetu.com/n0040id/
劇団を首になった主人公マリアンヌが、ある騎士に頼まれてマリアンヌそっくりの妹エスティーナの振りをする物語。身分差の切ない恋物語(でもハッピーエンドお約束)です。今回が王道ざまぁだっとのだ、少し毛色の違う話を書いています。




