ライラの足跡1
ちょっと説明多め。
リーベル村から帰って一か月。
季節はすっかり夏だ。
私達が沢山の研究サンプルを持って帰ったのを見て、室長達は目を輝かせた。
何から順に調べようか、と張り切るティックは次の日リーベル村へと旅立った。今は自ら持って帰ってきた薬草で、私と一緒により効果的な解毒剤を開発中だ。
それと並行して私は、リーベル村から持ち帰ったサンプルの研究も進めている。
「アシュレン様、これを見てください」
場所は城内にある薬草畑の隅。長方形の鉢植えに植えられた小麦を私は指差す。
「枯れている……?」
「はい。枯れています」
「どうしてこの二つの鉢植えだけが枯れているんだ?」
鉢植えは四個。リーベル村の水と土、麓の増水した川の水と小麦畑の土をそれぞれ組み合わせ、同じ条件で小麦を育てた。
「結論から言うと原因は水です」
リーベル村の土と川の水、麓の小麦畑の土と川の水を組み合わせた鉢植えで育てた小麦が枯れた。それに対して、リーベル村の水を使った鉢植えは枯れていない。
「しかし、麓の川は元を辿ればリーベル村の水源に辿り着く。同じ水ではないのか?」
「ええ。それに単純に水が悪いので有れば小麦畑は毎年枯れるはずです。だから小麦の大量枯れにはまだ何かしらの要因があるはずだと思い、これを用意しました」
私は少し離れた場所に作った畑にアシュレン様を案内する。庭師に頼んで作った五メートル四方の正方形の小麦畑。
「この小麦畑なのですが……」
私は目の前の小麦畑を指さす。明らかに普通の小麦畑ではない。
「右下から広がる様に小麦が枯れているのに対し、左上は青々としているな。与える水を変えたのか?」
「はい。井戸水の中に洞窟で採取した岩を入れ一晩置いた水を右下の小麦に掛けました。するとそこから広がる様に小麦が枯れ始めたのです」
「ということは原因はあの地層にあるということか。なるほど、大量に雨が降った場合、あの地層まで水が沁み込む。沁み込んだ雨水が、地層に含まれている有害物質を含んだまま川になる、ということか」
さすがアシュレン様。話が早い。
「ところであの地層は調べていただけたのでしょうか?」
洞窟の中で偶然見つけた地層は、室長の手により地層学者に届けられた。
「ああ、珍しいものだと思っていたが、高い山の頂上付近によく見られる地層らしい」
小麦は山の麓に広がる平地で主に作られている。それならば、リーベル村がある山脈の麓以外でも大量枯れが起きていることに説明がつく。
偶然だけれど、私達が山に登った時も雨が降っていた。だから採取した麓の川の水にも毒が含まれていたのだ。
「アシュレン様、地層学者様は、あの地層に含まれる毒については何か仰っていませんでしたか」
「人体に害はないと言っていた。それに川付近の小麦以外の作物に被害がないので、小麦にだけ害を及ぼす物質があの地層に含まれているのかも知れないな」
だけど、ここでひとつ疑問が出て来る。
日照りが続かない限り、川から水を汲んで小麦畑に撒いたりしない。
となると川に含まれた毒を小麦がどうやって吸収したかを説明しなくてないけない。
そして、それを明らかにするために作ったのがこの小麦畑だ。
「地層から滲み出た毒は川を流れるうちに、川の近くの土壌に吸収されたと思われます」
「その毒が土に吸収されやすいものであれば、可能性はあるな」
「はい、その可能性を確かめるために小麦畑を作って、その一角だけに毒を含んだ水を撒きました。それを数日続けたところ、水を撒いていない中央付近の小麦まで枯れ始めました」
つまり、毒が土に沁み込み広がり、小麦は枯れた。
「数日、ということは小麦はある一定量の毒を吸収したとき枯れるというわけか」
「アシュレン様はご存知かと思いますが、薬にしろ毒にしろ、どれぐらいの量を摂取するかで反応が変わってきます。薬だって沢山飲めば毒になります。大人なら多少飲んでも平気な湖の水も、身体が小さな子供が飲めばすぐに腹痛を起こします。それと同じように、小麦が枯れ始めるのはある程度の毒を含んだ時だと思われます」
それなら、雨が降った時期と大量枯れが起こる時期がずれていることも説明がつく。
夏に大量に雨が降ると、それが毒のある地層まで沁み込み、川に流れ込む。毒は河辺の土に浸透し、それが広がり、小麦が一定量の毒を吸収するのに数ヶ月かかるのだ。
私が作った小麦畑は、直接水を撒いたから反応が早かったと思われる。
「では、これを早速、室長に報告しよう」
アシュレン様は少し興奮ぎみにそうに言い、私の手を引き研究室に向かおうとする。
でも私はその場から動けないでいた。
だって、まだ検証しなければいけないことが沢山ある。
私がジルギスタ国で作った農薬のことが脳裏をよぎる。
カーター様は小麦の大量枯れの原因は湿度によって増える菌だと結論づけた。
私はその菌に効く特効薬を作れと命じられ、出来上がった農薬自体は失敗ではない。確実に菌を滅することができる。
でも、そもそも大量枯れの原因が菌でないのであれば、あの農薬に効果はない。
「怖いのです。ジルギスタ国で作った農薬は検証が不充分でした。そのため、あの農薬では大量枯れを防ぐことはできません。同じことを繰り返したくないので、もっとじっくりと調べたいのです」
私を掴んでいたアシュレン様の手がゆっくりと離れる。
珍しく渋い表情で腕を組んだアシュレン様は、暫くしたのち「ふぅ」と小さく息を吐いた。
「ライラの言うことは良く分かる。俺もそれが研究者としてあるべき姿だと思う。しかしそうも言っておれない事態になってきたのだ」
「と言いますと?」
「南の海で魚が大量に漁れ出した」
「……はあ、それは、嬉しいです、ね?」
魚。どうしてここで魚?
アシュレン様はどちらかと言えばお肉が好きなのに。
意図が分からず首を傾げる私に、アシュレン様は意外だとばかりの目を向けてくる。
「ライラ、知らないのか? 夏、豊漁の時は決まって長雨になるのだ」
「えっ? 魚と雨に因果関係があるのですか?」
そんな話聞いたことはない。
私は薬草以外のことに特段詳しい訳ではないけれど、どう考えてもその二つには繋がりが有るとは思えない。
「カニスタ国では有名な説だぞ。海洋学者が言うには、海面の水温が関係するらしい。湿った空気が山脈に
ぶつかり雨雲ができるんじゃないかと言われている」
「初めて聞きました。ジルギスタ国はカニスタ国の南側で漁をすることがないのかも知れませんね」
昔から漁師達の間で言われていたことで、調べてみると根拠があることが分かったらしい。
「では、今年も小麦の大量枯れが起こるというのですか」
「おそらく。だからこの結果をひとまず室長に報告すべきだと思う」
どうすべきなのだろう。
今年も大量枯れの可能性があるなら、このまま進めるしかないのかな。
仮説が間違っていたら小麦は枯れる
でも、検証を優先させても小麦は枯れる。
それなら、と足元の小麦畑を見る。
この結果に賭けるしかないのかも知れない。
「ライラ、全てを一人で背負う必要はない。判断するのは室長や俺だ。ライラは一人じゃない」
その言葉にハッと顔を上げると、優しく微笑むアシュレン様がいた。
そうか、私には相談できる人がいるんだ。
よく話をしようと思った。
室長やアシュレン様、それからフローラとティックも。
「分かりました。この結果を皆に伝えて意見を聞きたいと思います」
私の答えにアシュレン様は大きく頷いた。
ティックはぶーたれながらリーベル村に向かいました。野宿はしなかったけれど、護衛騎士の体力について行けず半泣きで頑張りました。
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