雨と洞窟と真実9
「いや、まあ、お前がこんな場所で無茶するとは思ってないけどね」
とアシュレン様の肩をぽんと叩いたあと、マーク様は私に縄を一つ手渡した。
「この崖の上に村の者がいる。合図をすると引き上げてくれるから、身体を崖に対して垂直にして。靴底で崖を歩くイメージで、できそうか?」
「はい、やってみます」
では、とマーク様が私の身体に縄を結ぼうとすると、アシュレン様が素早くそれを取り上げ、ぎゅっと腰に巻き付けてくれた。
「途中で緩んではいけないので少しきつめに巻いたが苦しくないか」
「大丈夫です」
「それにしても細いな。折れそうじゃないか、もっとしっかり食べろ」
これでもカニスタ国にきてから随分ふっくらしたのだけれど。三食しっかり摂って睡眠時間も充分な健康的な生活のおかげで、骨張った私の身体は女性らしいラインを取り戻した。
「では二人とも準備は良いか」
「もちろん」
「頑張ります」
靴底を崖に当て気合いを入れる私を心配そうに見ながら、マーク様はピューと指笛を吹かれた。その音が合図となり縄がピンと張られたかと思うと、私の身体は上へと引っ張られる。
途中何度か足を踏み外しそうになりながらも、やっと崖の上に辿り着いた時にはへとへとに。
ペタリとそこに座り込んだ私を見て、引っ張り上げてくれた男性が、女だったことに鳶色の瞳を丸くした。
「てっきり男だと思っていた。随分軽いからおかしいとは思っていたんだ」
その軽さのせいか、もしくは男性の腕力のおかげか、一番に崖の上に辿り着いたのは私だった。
「ありがとうございます。助かりました」
「いやいや、これぐらい大したことないよ。それに、あの兄ちゃんがたっぷり謝礼を前払いしてくれたからな。いい小遣い稼ぎだ」
ほれ、と男性は私にパンを渡してくれた。
「嫁に、お腹を空かしているはずだから持って行けって渡されてな」
「ありがとうございます。昨日から干し肉しか食べてなくて」
「そうか。じゃ、村に辿り着いたらまず飯だな」
四十歳ほどだろうか。浅黒い肌に人懐っこい笑みを浮かべながら、大きな手で私の肩をボンと叩いた。
そうしているうちにアシュレン様もマーク様も崖の上に。パンと水をお腹に入れたあと、私達は村人に案内され、探していたルーベル村へと向かった。
山の中にぽっかりと切り取ったような平地が広がったその場所がルーベル村だった。四十世帯ほどが暮らすその村は青々とした小麦畑の中に家がパラパラと建っていた。
平地で農業をする村人、斜面で果物を育てる村人がほぼ半分ずつ。野菜は各家庭で作り、山に罠を仕掛け動物を捕まえたり、川で魚を捕まえたりと基本自給自足で生活している長閑な村だ。
私を引き上げてくれたのはルーベル村の村長さん。私達はまず村長さんのお宅に招かれ奥さんが用意してくれていた夏野菜たっぷりのスープと焼き魚をご馳走になった。
「こんなものしかなくて申し訳ありません」
私達が貴族と知って途端に恐縮し始めた村長夫婦に、「ありがとうございます」と礼を言い、美味しく完食した。新鮮な野菜がこんなにも美味しいものとは知らなかった。
アシュレン様は三回もおかわりをし、すっかりお腹も膨れたところで本題に入ることに。
「この村で小麦が大量に枯れたことはあるか?」
「いいえ、ありません。下の村では数年に一度あるようで、その度にわざわざこの村まで買いにくる人がいるぐらいだ……です」
アシュレン様の問いに、丁寧な言葉使いなんてできないと、村長さんは身を小さくし、少し白髪が混じった茶色の髪をガシガシと掻く。
「それについて何かお心当たりはありますか? 例えばこの地域だけに伝わる肥料や農薬、苗の育て方、何でもいいので教えてください」
「はい。でも、何でも、言われましてもなぁ。特に変わったことはしてねぇんだけど」
心当たりはあるか、と村長さんは入り口付近からこちらの様子を覗き見る村人数人に声をかけた。
かけられた方も首を傾げ、お互い顔を見合わせるばかり。その内、一人の村人がおずおずと前に出てきた。
「あ、あの。俺、この山の麓の村から婿養子に来たんだが、小麦の育て方は一緒です。強いて言うならこっちは山の上で気温が低いから、麓より種を撒いたり収穫する時期が遅いぐらいで」
「遅い、とはどれぐらいですか」
「二週間ほどですかね」
二週間。山の高さから考えて妥当なところ。
「ねぇ、何でおとうさん達、水神様の話しないんだ?」
突然聞こえた可愛らしい声は、村長の末娘。奥さんの腕を引っ張りながら首を傾げている。
それに対して奥さまは「しっ、シシル、向こうに行っていなさい!」と眉を顰め、隣の部屋に押しやろうとする。
「あの、水神様って何ですか?」
「いえ、子供の言うことですから。すみません」
「この村には水神様がいるから小麦が枯れないんだっておかあさん、いつも言っているじゃない!」
赤い頬を膨らまし、シシルが言い返すも奥さんがその口を抑え、頭を下げる。
「申し訳ありません。こんな辺境の村で育ったので口の利き方を知らなくて」
「いいえ、構いません。それで水神様とは?」
「なに、特に何かを奉っているわけじゃないんだ。春の種まきの時期に今年も豊作になりますように、と水源に酒を垂らすぐらいで」
「垂らす酒より、俺達の腹に入る酒のほうが何十倍も多いぐらいです」
村長さんに同意するように麓の村から婿に来たという村人が応える。
アシュレン様がその儀式について詳しく聞いてくれたけれど、小麦を作っている農家が集まり、豊作の祝いと称して花見をしながら酒を飲む集まり、というのが本当のところだった。
「アシュレン様、あの……」
「分かっている。行きたいんだろ、その水源に。村長に話を付けてくるから少し待っていろ」
アシュレン様はそう言うと、村長さんに銀貨を数枚渡し案内を取り付けてくれた。村長さんは、「こんなに沢山貰えない」と恐縮していたけれど、食事代込みで話をまとめ、私達は早速その水源に向かうことにした。
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来週中には完結です。
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