ジルギスタ国での日々3
※※※※※
第二王子殿下への報告を終えて一カ月。
私は相変わらず仕事漬けの毎日を送っている。
今夜は王城で各国から要人を招いた夜会がある。私は午後に言われた仕事が中々終わらなくて、晩秋の夕暮れの中、急いで馬車を走らせて帰宅した。
「ただいま戻りました」
「ライラ、あなたこんな時間に帰ってきて何を考えているの?」
「申し訳ありません。お母様、ですが仕事が……」
「また仕事。本当あなたは要領が悪いのだから、アイシャを見習いなさい。あの子はお昼前にちゃんと帰ってきて身支度を既に整えているわ」
命じられた仕事に加え、そのアイシャがすべき仕事を片付けて帰ってきた私にお母様は眉を顰を吊り上げる。
「お母様、おねえさまを責めないで。人には向き不向きがあるのですから」
鈴を鳴らすような声を響せながら、エントランスへ続く階段をアイシャが降りてくる。ピンク色のオーガンジーのドレスに、髪は高く結い上げ花の形の髪飾りが頭上付近で輝いている。
早く帰って磨き上げた身体からは薔薇の香が漂い、瑞々しい肌は透けるかのように白い。
「あぁ、とても綺麗よアイシャ。ライラ、よくご覧なさい。アイシャは毎日早く帰宅して、髪や肌の手入れを欠かさないの。それに対してあなたは何? 仕事と言って夜遅く帰宅して、美しくあるための努力をしないなんて令嬢として失格よ。少しはアイシャを見習いなさい」
お母様は私とアイシャを見比べると出来損ないの私に、冷たい視線と言葉を浴びせる。
女にとって一番重要なのは、殿方を惹きつける容姿であること。その為に自分を磨き、見初められるのが女の幸せだというのが母の持論だ。
「奥様、カーター様が来られました」
「夜会のエスコートに参りましたが、ライラ、まだそんな姿でいたのか?」
サッと私の全身を見ると、舌打ちこそしないものの明らかに不機嫌な声を出す。
「申し訳ありません。頂いた資料以外にも確認した方が良い事例がないか探しておりました」
カーター様に渡された資料だけでは不十分なのは今に始まったことではない。お忙しいカーター様に代わってよく似た事例の資料を集めるのも私の仕事だと言われている。それらを探していたら遅くなってしまったのだ。それなのに
「俺が渡しただけでは足りないというのか」
「そうではありませんが、でも、カーター様は以前……」
「あぁ、もういい。お前はすぐに、でもや、だってと口にする。実に可愛げがない。妹のアイシャを見習ってもう少し素直になった方がいいぞ」
お母様と同じ言葉に私は唇を噛む。どうして、とまた口から出かけたけれども、それは飲み込みじっと耐える。
「ほらほら、ライラ、カーター様の仰る通りよ。女は殿方の言うことを聞いて、可愛く装うことに努力すべきなの。カーター様、せっかく来て頂いたのに至らない娘で申し訳ありません。急いで準備させますので、ひとまずアイシャと会場にお向かいください」
「そうですわ。この夜会ではカーター様の研究結果に対して褒賞もされるのに遅れるわけにはまいりませんもの」
えっ、褒賞。
そんなこと私聞いていない。
私の名前で発表されることはなくても、あの研究結果を出したのは私なのに。
それなのに、カーター様は驚く私の様子すら気に留めることなく、アイシャの手を取ると私の横を通り過ぎ馬車へと向かった。
パタン、と閉じられた扉。
残された私を見て、お母様は「さっさと用意しなさい」とだけ言い捨て階段を上がっていった。
私もそれに続くようにトボトボと階段を上がると、一人バスルームに向かう。もう何年も前に私専属の侍女は居なくなった。仕事が忙しくて、帰ることすらままならない日が続いた時、必要ないから首にしたとアイシャから聞かされた。
小さい時からお世話をしてくれたのに、私は別れの挨拶すらできなかった。
湯はとっくに冷めていて仕方なく私は固く絞ってタオルで身体を拭くと、ドレスに着替える。もう何年も夜会に行っていないから十五歳の時に仕立てたドレスしかない。
十九歳の私には少し幼いデザインだけれど、その中から紺色のワンピースを選ぶ。
「胸元を飾る大きなリボンを外せば着れるかな。髪は、オイルを馴染ませてハーフアップなら自分で出来るかも」
碌に手入れしていない髪は、オイルを塗ったぐらいで艶は出ない。ボサボサの髪に、疲れた肌のせいで化粧のりは最悪。すっかり痩せた身体はドレスの中で浮いていて不恰好極まりない。
それでも私が夜会に向かったのは、研究結果に対する褒賞があるから。例えカーター様に向けられた賞賛の言葉でも、私は自分の耳で聞きたかった。