雨と洞窟と真実1
本日二話目
初夏の日差しが眩しい。
ジルギスタ国より南にあるせいか、夏が来るのがいつもより早く感じられる。
私は相も変わらずナトゥリ侯爵家の別邸に住んでいる。少し前に良い物件を見つけたので、引っ越そうかと思ったのに、侯爵家全員に引き止められてしまった。
そうこうしているうちに、目星のつけていた物件は入居者が決まって引越の話は流れてしまい。
そんな訳で、今日も私はアシュレン様と一緒の馬車で研究室に向かっている。
窓を開けると少し生暖かい風が頬を撫で、私の茶色い髪をふわりと靡かせる。
私が気に入った物件は、ナトゥリ侯爵邸からお城に行く道沿いにあった。
大通り沿いで比較的治安の良い場所にある三階建ての建物の二階。
まだ諦めきれず通るたびに眺めているのだけれど。
「アシュレン様、あの物件、入居者が決まったという割に、人が住んでいる気配がないのですよね」
窓は固く閉じられ、開けられているのを見た事がない。この陽気だと暑いと思うのだけれど。
「……そうか? まだ寝ているだけだろう」
「窓にカーテンもかかっていません」
「うーん、そうだな。……例えば密会用に借りたとか」
なるほど。そういうことですか。
でもそれなら裏通りの方が適していると思うのだけれど。それに使用上、カーテンは必須かと。
不思議だなと思いながら見ていた視線をアシュレン様に向けると、なぜか少し目が泳いでいた。
研究室の扉を開けると窓辺で水槽の手入れをしていたティックが振り返る。
「おはようございます。アシュレン様、ライラさん。今日も仲良く一緒に出勤ですね」
「……おはようティック」
ちらりとアシュレン様を見ても、気にする素振りがまるでなく。
それが周知の事実であるかのように悠然と椅子に座り足を組む。
この腹黒男、もはや誤解を解く気は皆無。
……早く新しい部屋を見つけなきゃ。
窓辺に置かれた水槽の中にはびっしりと藻が生えている。あの古城の地下から持ち帰ったものだ。
調べたところ、お腹を壊す成分を分解していたのは藻だった。今のところ用途はないけれど、水を張った水槽に石灰岩と一緒にいれて窓辺に置いておけば面白いほどに繁殖してくれる。
それならと、とりあえず水槽四つ分になるまで養殖することに。石灰岩以外も分解するか調べたいし、ついでに繁殖力も調べられる。飼育担当はティックに任命。挙手制ではない、全員一致による任命。
その水槽が日の光を反射させる先で、フローラが難しい顔で書類と睨めっこしている。
「おはようフローラ、難しい顔してどうしたの?」
口をへの字にするフローラの手元を後ろから覗き込むと、見ていたのは私がジルギスタ国で最後に作った農薬に関する資料だった。
「気になることがあるの?」
「あっ、いいえ。そういう訳ではないんだけれど」
モゴモゴと言いにくそうに口を波立たせる。もしかして、と思うところが私にもあり。
「その資料だけでは不十分だったかしら?」
「ううん、そうじゃないの。……ただ、ライラの研究に難癖つけるつもりはないけれど、これはもっと検証が必要なんじゃないかと思っただけで」
眉を下げ遠慮がちに言葉を選ぶフローラ。
私はといえば、さすが、と大きく頷く。
「実は私もその研究には少し不満があるの」
「えっ、ライラも? でもこれはジルギスタ国で褒賞された農薬だよね」
「そうなんだけど……」
うーん、と顎に手を当て言葉に詰まる私をフローラだけでなく研究室の皆が見る。
「ライラ、どういうことなんだ?」
アシュレン様に促され、ちょっと戸惑いながらも私は本当のことを話すことに。
実を言うと、誰かに聞いて欲しかった気持ちもある。
「実は研究の結果を早く求められていて、検証が不十分なのです。本当なら現地に行って自分で水や土地も調べたかったのですが、それもできずで」
だから、この農薬については自分の中でいまいち納得ができていない。湿気による菌の増殖を抑える、という効果には間違いないのだけれど、そもそも小麦の大量枯れの原因が湿気で良いのかが、どうもしっくりこない。
アシュレン様にその辺りの事情を説明すると、難しい顔でうーん、と腕組みをされた。
その後ろから室長が現れ、フローラの手から資料を受け取る。
「ライラはどうしたいの?」
「実は小麦の大量枯れが起きない場所があるのです。是非そこに行ってみたいです。もしかしたら大量枯れの本当の原因が分かるかも知れません」
「そう。でも、そこはジルギスタ国の領土よね。私が許可を出す訳にはいかないわ」
「それでしたら、これをご覧ください!」
私は机から地図を取り出す。春休み中に街中をうろうろして見つけたこの国の地図だ。
「小麦の大量枯れが起きない村はこの場所。ジルギスタ国とカニスタ国にまたがる山脈の頂上付近です」
私は地図上の一点を指さす。山脈の北側、つまりジルギスタ国側にある小さな村だ。
「この山脈の南側、つまりカニスタ国側にも同じ高度の場所に村があります。リーベル村という小さな村で主に果物を作って生計を立てていますが、一部小麦も作っているようなのです。
「確かに地図を見る限り、僅かだが小麦が作れそうな平地があるな」
アシュレン様が地図を覗き込む。さっと視線を走らせ王都からの距離も測っているのはさすがだ。
「そうなんです。ただ、自分達が食べる分しか作っていないので大量枯れがあったかは分からないのです」
収穫した小麦を毎年税として納めていたなら、資料が残っているけれど、自分達で食べていたのならこれ以上調べようがない。どこにも収穫量が記載されていないのだ。
「行ってみたいけれど、無駄足に終わる可能性も高いということね」
室長がふむふむ、と地図を見る。
そうなんです。
アシュレン様から現地に行くこともあると聞いて調べてみたのだけれど、行っても何も収穫がない可能性が高くて言い出せなかった。
「いいんじゃない? 行ってみれば」
「いいのですか!?」
あっさりと述べる室長の言葉に、思わず聞き返してしまう。だって、王都からだと山の麓まで馬車で四日。そこから山を登り村まで丸一日はかかってしまう。
「ええ、小麦の大量枯れは我が国でも問題になっているの。疑問点が有れば徹底的に調べるべきよ。でも、この道程をライラ一人では行かせられないわね」
「それなら俺が同行します」
アシュレン様が当然、というように名乗りでてくれる。確かに女一人で行くには無理があるし、アシュレン様なら安心できる。
「ライラも異存は無さそうね。でも、もう一人護衛も必要よ」
「俺が護衛も兼ねます」
「あなたの剣の腕は母としても自慢だけれど、やはり騎士を一人つけるべきだと思うわ。山脈に行くまでに峠が幾つかあるから、盗賊の類に出くわす可能性も考えなきゃ。それに」
「「それに?」」
私とアシュレン様が声を揃えて聞くと、室長は眉を下げふっと息をはく。
「結婚前のライラを男性と二人で行かせる訳にはいかない。たとえ相手が貴方でもね」
「う……それは。分かりました。では護衛騎士を一人つけてください」
室長はにんまりと笑うと、「騎士団長に相談してくるわ」と実験室を出て行った。
ティックがアシュレン様の肩に手を掛け、まるで慰めるようにぽんぽんと叩いた。
「でかい釘を刺されましたね」
ティックが囁いた言葉は聞こえなかったけれど、アシュレン様の拗ねた顔はちょっと赤かった。
お読み頂きありがとうございます。
今度は現地調査に行きます。冒頭で書いた小麦の大量枯れの原因を探る旅です。
興味を持って下さった方、続きが気になる方、是非ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。




