湖の古城6
本日二話目です
見つけたのは、床板に付けられた錆びた丸い金属の持ち手。この下に地下室があるのは間違いない。
私が持ち上げようとするのをアシュレン様が制し、代わりに持ち手を掴み引き上げてくれる。
ギギギッときしむ音がして、その先に現れたのは真っ暗な空間。階段が下へと続いていた。
「階段がありますね」
「俺が先に降りる。ライラは気をつけて後から来てくれ」
「はい」
アシュレン様が先に立ち、ランプで周りを確認しながら慎重に階段を降りる。天井の高さは十分で背の高いアシュレン様でも、身を屈めることなく歩けるほど。
十数段の階段を降りた先は石が雑多に敷き詰められた殺風景な空間。地下室だと思っていたけれど、半地下のようで、上の方に明かり取りの窓がついていた。
差し込む陽の光の下、チョロチョロと水が流れる音が聞こえた。
不思議なことに地下室にあったのは二メートル四方ほどの生け簀のようなもの。その大半が地面に埋まっている。
水があるせいか床は湿気と苔で滑りやすい。アシュレン様が手を貸してくれ、その生け簀に近づくと、深さ二メートルほどの底には藻や水草がびっしりと生い茂り、小さな魚が数匹泳いでいた。
「生簀でしょうか?」
「こんな所にか?」
「お風呂?」
「水は冷たいぞ」
水は下から湧き出ているようで。生簀でもお風呂でもないとしたら。
「ちょっと通常と形状は違いますが井戸でしょうか」
「そう考えるのが妥当だな。でも、どうしてこれだけの大きさが必要なのか」
通常の井戸は三十センチ四方で深さはもっと深い。
それに比べてこれは浅くて広い。
生き物がいるということは、水に毒は含まれていない。
それならばすることは一つ。
「お、おい! 何をしている」
戸惑うことなく水を口に含んだ私に、アシュレン様がギョっと目を見開く。私はそれを手で制して、湖の時と同じように水を舌の上で転がすようにして味を確かめると、ごくんと飲み込んだ。
「待て! 今飲み込んだよな。せめて吐き出すと思っていたのに大丈夫なのか?」
「魚がいるので毒ではありません。最悪お腹を壊すぐらいです」
「いやいや、それは駄目だろう」
「痛み止めと経口補水薬は作っておきます」
お腹を下した時は無理に下痢止めを飲むより水分補給しながら出し切った方がよい。ここに来るまでに森で見つけた薬草で痛み止めは簡単にできるし、経口補水薬は厨房にある物で作れる。
そういう問題ではないと頭を掻くアシュレン様。
でも、私だって無茶はしませんよ。
問題ない可能性が高いから飲み込んだのだ。
「それに湖の水とは明らかに味が違いました。アシュレン様もお気づきだと思いますが、湖の水は口当たりが重く苦みを感じました。おそらくこの辺りの地盤には石灰岩が多く含まれているのでしょう」
「そうだろうな。石灰層を通ってろ過された水は俺達が普段飲む水と異なる。飲めないことはないが飲みすぎると腹を壊す」
悪いことばかりじゃないのだけれどね。かたまり肉なんかは湖の水で煮ると柔らかくなる。ウサギのお肉が美味しかったのはそのおかげかも知れない。摂取量さえ間違え無ければ口にしても実害はない。ただ子供はお腹を壊しやすいから、侯爵様はカリンに飲むなと強く言ったのでしょう。
アシュレン様もその辺りのことはもちろんご存知で、呆れながらも水を口に含み味を確かめ、ペッと吐き出した。
「確かに湖の水とは味が違うな。でもどうしてだ。別荘の井戸水も飲むのには不都合、湧き出た水なら井戸水と同じ成分のはず」
「そうなんですよね。どうして味が違うのでしょう」
理由があるとしたら何?
通常の井戸とは違う形状。
差し込む陽の光に揺れる水草とびっしりと張り付いた藻。
藻の色はよく見る緑色。
水草は私の瞳と似た赤銅色。
もしかして。
「アシュレン様、この藻か水草が湖の水を飲料水に変えているのではないでしょうか?」
湖の水が飲めないのは、その中に飲料水としては不適切な成分が入っているからだと考えられている。それをある一定量以上口にするとお腹を壊すのだけれど、もし、藻か水草がその成分を吸収、分解しているのだとしたら。
「なるほど、可能性としてはあり得るな。それなら、この井戸の形も説明がつく」
明かり取りの窓は藻と水草に必要な陽の光を取り入れるため、井戸より広いのはそれらを育てるため。
地下に作られたのは、外だと森にいる動物が水中に入り藻と水草を荒らすかもしれないから。
「となると、元領主は湖の水を飲料水に変える方法を知っていたということか」
「民間の伝承の中には、単なる言い伝え、伝統で終わらせることができないものもあります。根拠は分からないけれど、経験から得た知識により風習としてされていたことが、調べてみると理に適ったものであることも珍しくありません」
雨が降る前に燕が低く飛ぶと昔から言うけれど、あれは空気中の湿気が増えて燕の餌である羽虫が下を飛ぶから。
この藻と水草についても、理由は分からないけれど、水瓶にこれらを生やしていると、水を飲んでもお腹を壊さない、と伝えられてきたのかもしれない。おばあちゃんの知恵、的な感じね。
「昔はこの辺りに村があったらしいが、作物の実りが悪くナトゥリ侯爵家が領地を引き継いだ時には既に誰も住んでいなかった。今は、少し離れた場所にある集落がこの辺りの木を伐採したり、森の実りを採取して生計を成り立たせている」
「では、その時にこの藻と水草の言い伝えも途切れたのかも知れませんね」
私達は揃って水を覗き込む。
水面に映る顔はなんだか同じように見えた。どちらも子供のように隠しきれない好奇心に溢れている。
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