湖の古城2
本日二話目です。
そして長期休暇がやってきた。
王都から馬車で三時間の場所にある領地は、穏やかな丘陵に湖、東には森が広がる自然豊かな場所だった。
アシュレン様の手を借り馬車から降りた私は大きく伸びをする。
「長閑ないい場所ですね。空が抜けるように青いです」
「夜には星が綺麗に見える。昔はあの湖で泳いだものだ」
そんな時代がアシュレン様にもあったのですね。
「今でも整ったお顔ですし、可愛い子供だったでしょうね」
まじまじとご尊顔を見つめながら、子供時代を想像する私に、アシュレン様は所在なさげに目を彷徨わせる。
「……前から思っていたが、それは無自覚か? もしかして実は計算高いとか?」
「何のことです? こんなとこまで来て仕事させないでくださいね」
カニスタ国にきて休むことが大事って分かった。睡眠不足は集中力を欠けさせ仕事の効率を下げるし、気分転換も必要だ。って、あれ。アシュレン様が深い溜息をつかれている。こんな素晴らしい景色なのにどうしたのかしら。
「ライラ、あのね、おうちの一番上は屋根裏部屋になっていて、そこから星を見ながら寝ることができるんだよ。今夜は一緒に寝よう!」
侯爵様達の馬車からカリンが降りて走って来ると、その勢いのまま私に抱き付いてきた。可愛すぎる。
「それは素敵ね。ナトゥリ侯爵夫人、良いでしょうか?」
「ええ、是非お願いするわ」
カリンの後ろから歩いてくるナトゥリ侯爵夫人に聞く。歳は私の五歳上、ほわんとした女性らしい雰囲気はアイシャと似ているけれど、芯が強く侯爵様は意外と尻に敷かれているらしい。
湖面の縁に建つ二階建ての建物がナトゥリ侯爵家の別荘。別荘と言っても私の実家ほどあるのだから、さすが侯爵家。
落ち着いたレンガ造り、赤いとんがり屋根のその別荘は、一階のテラスが湖面に張り出ている。子供の頃、アシュレン様と侯爵様はそこから湖に飛び込んでいた、と室長が教えてくれた。
荷物を下ろし、一息つくと使用人達がテラスに食事を用意してくれた。この辺りで採れた野菜やウサギのお肉を使った料理。ウサギは食べたことがないから初めてだけれど、下処理が良いのか柔らかく食べやすかった。
食事と入浴をすますと、カリンが早速私の部屋にやってきた。フリルのついた真っ白な寝着を着たカリンは、頬を染め待ちきれないとばかりに私の袖を引っ張る。
「ライラ、早く屋根裏部屋に行こう」
「ええ、分かったわ」
寝着の上にガウンを羽織り枕を持つ。同じように枕を抱えたカリンに手を引かれ、階段を登った先には私の背より少し低い小さな扉。
何これ、まるで秘密基地みたい。
カリンがワクワクするのも分かるわ。
身を屈め扉を開けると、茶色い板張りの上、天井の窓から差し込む月明かりの下にマットレスが敷かれていた。小さな扉からどうやって持ち込んだのかは不明なそのマットにカリンがぴょんと飛び乗る。
ボンと、スプリングが跳ねるのを楽しむように何度も跳ねるその横で、私も靴を脱いでマットに上がる。
屋根が三角だから、頭上の頂点目指して壁が斜めに伸びている。その壁に大きな嵌め殺し窓が二つ付いていて、そこから淡い月灯りが部屋に差し込んでいた。
持ってきた枕を置いてその上にゴロリと寝転がると、窓が絵画のように夜空を切り取り、大小様々な星が輝いていた。
降ってきそう、というより吸い込まれそうな夜空。
耳をすませば、微かな風が木の葉を揺らす音とその合間に梟の鳴き声が聞こえる。
穏やかな夜を迎えることが出来る様になったのは、カニスタ国にきてから。ジルギスタ国にいた時は毎日クタクタで、帰れば泥のように眠るだけだった。こんな風に夜空を眺める時間なんてなかった。
カリンが私のすぐ横に枕を置いて、同じようにゴロリと寝転ぶ。
こども特有の甘い匂いとふわりと細い髪が頬にあたり、知らず口元が綻ぶ。
「ライラ、湖の真ん中に島があるでしょう」
星灯りの下で、アシュレン様と同じアイスブルーの瞳をキラキラと輝かせる。
「木がこんもりと繁っているあの島のこと?」
「そう、あのね、あの森の中には昔のお城があるのよ」
まるでとっておきの秘密を囁くように、私の耳元に顔を近づけてカリンがそっと教えてくれる。この部屋には私達しかいないのに、と思わず笑いが溢れてしまう。
「秘密のお城ね。カリンは行ったことがある?」
合わせるように私も声を潜めれば、カリンは嬉しそうにすり寄ってくる。
「ないよ、お父様が行っちゃだめだって。あの島は呪われているの! それでお城の中には綺麗なお姫様が眠っていて、王子様が来るのをずっと待っているのよ」
「あらあら、それなら王子様は急がなきゃ。お姫様がお婆さんになっちゃうわ」
「もう、ライラ! 寝ている間は歳を取らないから大丈夫なのよ」
でも、王子様は歳をとってしまうわよ。
うーん、でも寝ている間にキスされて、その相手と強制的に結婚ってお姫様はそれでいいのかしら?
「それでね、この湖のお水は呪われているから飲んじゃダメなのよ」
「えっ、飲めない水なの? では料理で使っている水は? 紅茶も普通に飲めたわよ」
「それは、遠くから水を持ってきて水瓶に溜めてるの。お風呂は湖の水を使うけれど、口にするお水は全部水瓶から汲んだ水だよ」
「井戸水は?」
「あるけれど、やっぱり飲んじゃ駄目なんだって。お腹が痛くなるってお母様が言ってた」
飲めない水。飲むと腹痛を起こす水。
でも、テラスから見た湖はとても澄んでいて、湖底が見えるほど。
「それなのに飲めない」
どうして? 何が考えられる?
私が思考を彷徨わせていると隣から穏やかな寝息が聞こえてきた。
そうね、今日は沢山移動して疲れたもの。
私も疲れたわ。
湖の水については明日考えよう。
満天の星空をもう一度眺めたあと、私もゆっくりと瞼を閉じた。
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