冬の始まりと風邪予防4(室長目線)
室長(アシュレン母)目線です
愚息が連れ帰ってきたのはふわふわの茶色い髪の可愛らしい令嬢だった。
突然の歓迎に、大きな瞳をさらに見開いて驚きながらも丁寧に挨拶をする。
初めて来た場所にも関わらず物おじしない性格のようで、一人一人としっかり目を合わすのは好感が持てた。
華奢というより少し痩せすぎの身体だけれど、出された食事はしっかりとっていたので健康状態は悪くないとひとまず安心する。ただ、全てを一人で背負おうとする張り詰めた雰囲気が気になった。
先触れに書かれていたのは令嬢の名前と、ジルギスタ国の新薬を作ったのは彼女だという事実。
そんな機密をどうやって知ったのかも、何と言って説得したのかも省略されている。
せめてもう少し情報をと、手紙を持ってきた従者を問い詰めると、夜会から連れ去りそのまま船に乗せたという。
何してるの。
妙齢の女性を連れ去るような男に母は育てた覚えはないわよ。
息子の暴挙に軽い目眩を覚えながら、とはいえ、言い寄ってくる令嬢をバッサリと切り捨て、その煩わしさから女嫌いの域に達している我が子が女の子を連れてくるのは嬉しくもある。
思わず、そのままお嫁さんになってくれないかな、と呟いたことが噂として広まったのは予想外、ふふ、決してわざとではないのよ。
その噂もそのうちアシュレンが火消しをするでしょう、と放っておいたのだけれど。
出勤も帰宅も同じ馬車。別邸の侍女に探りを入れると食後に同じ部屋で本を読んだり、お茶を飲んだりと意外と仲良くしているらしい。
さらに追い打ちをかけるように、薬草課で涙ぐむライラを抱き寄せ慰めたと聞いた時は、我が耳を疑ったわ。あの女嫌いの息子が。
そんなことを頭の隅で思いながら新薬の相談に薬草課に向かうと、丁度アシュレンとライラが裏口から出て来た。アシュレンの手には調理場で借りたであろう大鍋と、首には女性もののマフラー。
何あの締まりのない顔。あんな顔する子だったかしら。
ふたりは鍋を直接地面に置くと、赤色の葉や茎をその中に入れていく。そしてライラが柄杓で混ぜ始めた。まるで子供のおままごとのように適当な手順で作られたその鍋からは、次第に鼻をつく刺激臭がしてきて。
えっ、大丈夫? いったい何を作っているの?
心配になって思わず声をかけると風邪の予防薬を作っているという。
こんなに適当に? それに予防薬なんて初めて聞いたわ。
「これは飲み薬よね?」
ちょっと飲みにくそうな気がするけれど、と思い聞けばライラは首を横に振る。
「これはうがい薬です。それから、消毒薬としても使えます。水で薄めて食器や机、ドアノブを拭くのに使えます」
うがい薬! その発想は今までなかったわ。風邪の原因は目に見えない菌によるもので、それは人から人に感染するとされている。今まで感染した人をいかに早く治すかばかりに気をとられていたから、感染そのものを防ぐなんて思いつかなかったわ。
「感染予防ということね。凄いわ、私にその発想はなかったもの。しかもこんなに簡単に作れるなんて、すぐにでも沢山作って王都に流通させましょう」
「そうですね。俺、今から薬草課の人に説明をしてきます」
「それならレイザンと会う約束をしているから私から話しておくわ」
こんなに簡単にできるなら、薬草課だけでなく厨房の使用人にも手伝ってもらおうかしら。大きな鍋が必要だから、騎士団にある遠征用の大鍋を借りて、ついでに騎士団にも作ってもらおうかな。
頭の中で段取りをしていると、ライラが躊躇うように私を見ていることに気が付く。
「どうしたのライラ、何か気になることでも?」
「いいえ、その。でも、私がそこまで言うべきではないと思うのですが……」
いつもははっきりと意見を言うライラが珍しく口籠る。きゅっと胸の前で両手をにぎり、目線を彷徨わせる彼女は珍しい。
「どうしたんだライラ、気になることがあれば何でも言ってくれ」
「そうよ、遠慮はしないで。それに意見を採用するか最終的に決定するのは私なんだから、責任が、とか自分の立場とかそんなの気にしなくていいのよ」
そう言えば、ライラは目を見張って私を見返してきた。
どうしたの、そんなに驚いて。
あぁ、きっと今まで誰にもそんなこと言われたことがなかったのね。前の上司であり婚約者は聞いた話では相当の屑のようだし。
「ありがとうございます。実はジルギスタ国でも提案したんですが、それは私の考える領分ではないと怒られてしまったので、出すぎた意見かもしれませんが」
それでもまだ言いにくそうに前置きしたあと、ライラが提案してくれた内容に私は再び驚かされた。
「この消毒薬の作り方を王都、いえ国中に広めることはできませんでしょうか? さきほど説明した通りすごく簡単な作り方です。料理のようだと室長は仰いましたがその通りで、専門知識のない平民の主婦でも聞けば作れる薬です。材料も水と手近に生えている薬草。流行り病は貧困層から広まることが多いですが薬として売ってしまっては彼らには買えないかも知れません」
「……ライラ!それはすごく素晴らしい方法だよ。室長もそう思われますよね」
息子よ。なぜ自分のことのように鼻高々なのだ。確かにこんな素晴らしい宝を連れて来たのは貴方だけれど。
「ええ、私も同意見だわ。出来上がった薬はひとまず効果を確かめるのに王城で使うとして、それと並行してレシピの流布も進めるわ」
「ありがとうございます。ですが……そうなると、研究室だけでなく他の部署も巻き込む大仕事になってしまいませんか?」
確かに、まず宰相に話を通して、国王達にも説明をする。それから各領地の貴族にレシピを渡し、彼らから領地民にそれを周知してもらわなくてはいけない。でも、大丈夫でしょう。
「問題ないわ。そのために私はここにいるの、任せておいて」
「ライラ、人を動かすことにつけては母の右に出る者はいない。安心しろ」
ライラは私とアシュレンの顔を不思議そうに交互に見ると、戸惑いながらも頷いた。
細かな事情を話してもいいのだけれど、それはのちのち。今はいいとしましょう。
「二人で瓶詰めは大変でしょうから人を呼んでくるわ」
「いえ、瓶だけ貰えればあとはライラと二人でします」
あらあら、どうやら私はお邪魔虫のようね。クスクスと笑うとアシュレンが睨んできた。はいはい、母は気を利かせて立ち去ってあげるから、あとは頑張りなさい。
私は二人に手を振り薬草課の扉を叩くことにした。
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