死は師となりて僕を諭す
「真っ白だ」
何も見えない。また何もない世界なのだろうか。
「あ……」
音だ。何かのメロディが聞こえてくる。
音の方へ歩き出そうとして足元を見ると石畳の道があった。
「これは霧?」
空を見上げるとぼんやりと拡散された太陽の光が見える。
石畳に沿ってゆっくりと進む。道は緩やかな上り坂になっており、その坂を登るにつれて音は少しずつ大きくなってきているようだ。
道の終着点はどうやら大きな壁のようだ。よく見えないが壁の一箇所だけ穴があり、道はそこに続いていた。
穴の前まで来ると音がワッと大きくなった。音源は壁の中なのだ。
「ようこそ。ミューズの街へ」
壁の横にいた兵士らしき格好の人が声をかけてきた。
「ミューズの街?」
「お? ミューズの街は初めてかい?」
海外旅行どころかTDRにも行ったことのない僕に取って初めて出ない場所はとてもレアだ。
「まあ、一聞すればすべてがわかる街だ。今日は月に二度のバザールの日。さあ、楽しんできて!」
兵士は僕の背中を押すと門の中へ押し込んだ。門をくぐると音がより鮮明に聞こえる。
「これはハウスミュージック? テクノっぽいのもあるな」
音ゲー創成期の音楽といえばわかるだろうか。ダンスすることが前提で早めのBPMの曲が多い。ボーカルはあんまり入ってないか、意味のわからない歌詞を繰り返すような感じだ(※個人の感想です)
このゴチャ混ぜ感。
「いいな」
とりあえず、音の発生源が何か気になったので、ハウスミュージックのような音楽が聞こえてくる方へ歩いていく。街の中に入っても相変わらず霧は濃くて、ちょっと前が見えない。これ、街の人はぶつかったりしないんだろうか。
歩いていくうちに何人かとすれ違ったけど、みんな器用に避けていく。どうやら、忍者の国らしい(外国人が日本に来て人混みでもぶつからないから「さすが忍者の国だ!」と感心した逸話から)
慎重に歩きながらハウスミュージックの元に付くとそこは果物がたくさん並んだ露店だった。どの果物も薄っすらと光っている。たぶん霧が細かな水滴となって果物についているのだろう。
「この音楽って」
「お、お客さんはミューズは初めてだね? これは店のテーマ曲みたいなものだよ」
「へー」
なるほど。この街は霧が多いんだろう。だから、店ごとに違う曲を流してどこにあるかを教えているんだ。
ハウスミュージックは蓄音機のような物から聞こえている。ただそこにレコードのような円盤はない。蓄音機型のMP3プレーヤーなんだろうか?
「ん? もしかして音貨を持ってないのか?」
「音貨?」
「これだよ」
果物屋の店主らしき人が見せてくれたのはキレイなビー玉のような物だった。色もさることながら音貨同士がぶつかるとキレイな音がなる。
「持ってないです」
「これは音がなる魔石で、店のテーマ曲もこの魔道具で鳴らしてるんだ」
異世界らしい。
「あとこの音貨はこの街の通貨だから、これがないと何も買えないよ」
僕は異世界で生活する上で必要なものを一切渡されずに放り出されたらしい。あの天使は何か知らないけど僕に怒っていたみたいだから、意地悪をされたのかもしれない。
「なにんにしろ、街の奥にある魔石屋に行ってみな。そこなら他の街の貨幣で音貨を買えるから」
「へー」
他の街の貨幣も持ってないんだよね。どうしよう。
「おじさん、ありがとう」
でも、おじさんは親切に教えてくれたのでお礼を言う。
「楽しんで!」
どうやらこれがこの街の挨拶のようだ。
「はい。楽しみます!」
果物屋から離れ、どうせなら、と僕は道沿いにある露店や屋台をひとつずつ見て回る。どの店にも蓄音機のような魔道具がおいてあって、その中に入っているであろう音貨が曲を奏でている。
テクノが流れている店は焼き鳥みたいな肉の串焼きを売っているし、ワールドミュージックが流れている雑貨屋には藁で編んだような鞄や籠が置いてあった。
お菓子屋さんは洞窟に響く水滴のような環境音だし、小鳥のような囀りが聞こえてくる粉屋は……あ、これは小鳥がいただけだ。
「それにしても」
霧が濃いため店構えは見えなくなってしまったが、一つずつの音でこの道沿いの風景がしっかりとわかる。
とても賑やかで確かにバザールだ!と感じた。
それからも露店や屋台を覗きながらゆっくりと奥へ進んでいく。お金は持ってないけど、身につけているものと音貨を魔石屋で替えてもらおう。
◆ ◆ ◆
雨が振り湿度が急上昇した中でもエアコンの電源をいれることはない。このエアコンはこの部屋に最初からついていたものでどうやら前の住人の残していったものなのだが、古くてまともに動いた試しがないんだ。もっとも例え正常に動いたとしてもエアコンのために払う電気代はないんだけど。
ノートパソコンの排熱が僕の右手を焼く。なんでノートパソコンの排熱って左から出るようになってないんだろう? 右はマウス持つんだから排熱が当たって熱いじゃないか(冬は逆のことを考えているが)
画面の中にあるノート(音符)を見ながら、曲をチェックしていく。
「ここは少し寂しいな」
最近の流行なのか、人気のある曲にはよくわならない音が僅かに入っていることがある。突然踏切のようなカンカンした音がまるで窓を締め切った室内で聞くようなレベル(音量)で入ってることがある。最初はなぜなのかわからなかったが、あれは寂しさを少し軽減するためなのかもしれない。
ほんの少しの小節にちょっとした効果音をつける。それだけで寂しさは少しなくなった。
あとはイントロの長さをどうにかしないと。イントロが長くてすぐに歌に入らない曲は人気がない。僕としてはゆったりとして次第に音に厚みが増えていく今のイントロは気に入っているのだが。
汗がコメカミを伝って頬を流れる。それを無造作に手の甲で拭い、それはTシャツで拭く。普通に考えたらタオルで拭けばいいのだが、その時間さえも惜しい。
「この曲が完成したら」
この地獄は終わるのだろうか?
◇ ◇ ◇
魔石屋の周辺は音がなかった。屋台も露店もなくなり、音が聞こえなくなった事で不安が募る。営業中なんだろうか。音が鳴ってないからお休みでは?
窓があるので中を覗くとカウンターらしきところに座っている人と目があった気がした。というのも中の人はフードを目深に被っていて目が見えなかったからだ。
だが、営業中らしいことはわかった。
「こんにちは」
声をかけてゆっくりと扉を開ける。
店の中は色々な石が並べられていた。アクセサリーショップか、宝石店のような印象だ。
「いらっしゃい。音貨に両替かね?」
カウンターに座っていた店主らしき人は立ち上がると売り場に出てきた。相変わらずフードは深くかぶったままで顔はわからない。身長や声から判断すると若い女の人のようだ。
「あの、僕はこの辺のお金は持ってなくて、出来れば僕の持ち物と音貨を交換してほしいのですが」
「ふむ。そうだねえ」
店主は僕をジロジロと見る。僕の持ち物を値踏みしているようだ。
「何か音の出るものは持ってるかい?」
「はい。でもこれは……」
持っているのだが、天使から貰ったDTMの魔道具しかない。これって売れるのかな。売れるとしてもこれを売ったら僕には何も残らない気がするんだけど。
「どれ?」
僕の逡巡している理由がわからないのか、店主は僕の顔をまじまじと覗き込んでくる。フードから僅かに見える鼻と口がとてもきれいだ。
「これです」
手に持っていたノートパソコンぽい魔道具を店主の前に出すが、店主は首をひねるばかりだ。
もしかしたら天使にもらったこの魔道具は僕にしか見えないのかもしれない。
「うーん。見えないんじゃしかたないですね。一応、音楽を再生する道具なんですけど、聞いてみます?」
「うん? 再生する? 鳴らすってこと?」
「はい」
僕はDTMの再生ボタンを押す。
すると魔道具から僕の作った曲である『ボカロのようにウタを謳う』のイントロ部分が再生される。
「……なんだこれは!」
店主がすごい勢いで僕の肩に掴みかかる。
「うわったっ……」
危うく魔道具を落としそうになったが、なんとか落とさずに済んだ。
店主の顔が僕に近づく。掴みかかったときの勢いでフードは外れ、綺麗な顔と艶のある金髪が見えている。
「この曲はなんなんだ!?」
「僕の作った曲ですけど……」
「名のあるコンポーザーの方なのか?」
「コンポーザー?」
作曲家という意味だっけ?
「無名ですが、作曲家ではあります」
ボカロPも似たようなものだろう。この世界でボカロPと言っても通じないだろうし。
「お願いがある。先程の曲を魔石に録音させてもらえないだろうか?」
真剣にお願いされて僕はどうしたものかと考え込んでしまった。