死は詩となりて僕を救う
時間は巻き戻り、異世界転生するところから始まります
ドン底に陥った僕を救ってくれたものは何だっただろうか?
友人? 家族? 偉い人?
何も僕を救ってくれなかった。唯一、『死』だけが僕を救ってくれる希望だった。
『死』だけが僕の心を乱す煩わしいすべてのことから解放してくれる希望だったのだ。
真夜中、幹線道路の真ん中に立ち、『死』を待っているとき、頭の中で何か響いた。
それは酷く割れたスピーカーの音。
そして、甲高く聞き取りづらいボカロの歌声。
――死が友達。そんな人生もいいじゃない?
うろ覚えだがそんな歌詞だった気がする。ああ、もう一度聞きたかったな。
だが、それはありえない未来。
僕の意識は甲高いブレーキ音を最後に暗闇に落ちていった。
◇ ◇ ◇
目を覚ますと緑しか見えなかった。カサカサと風に揺れる音が背の高い草の海に沈んでるのだと伝えてくる。
よくわからないけどレモンの匂いがする。ハーブの畑にまで跳ね飛ばされたのか、それともレモンの香りに満たされた天国なのだろうか。
僕は特定の宗教を信じているわけではなかったけど、神様はいると信じていた。神様は決して人間の都合の良い存在ではないと思っていて、それは時には悪魔の姿をしていることも知っていた。
だから死んだはずの僕が天国にいてもおかしくはないと思う。天国に行けるような行いをしているかは別として。
「あれ、痛くない?」
立ち上がろうとして気がついた。僕は怪我をしていない。五体満足だ。
そして、草原のど真ん中にいることを知る。本当に草と空以外の何も見えない。人間も鳥もビルも山も海も何もかもなかった。
本当に天国に来てしまったのだろうか。
よくわからないまま、僕は歩き出す。
歩いても歩いても景色が変わらない。僕が踏み倒した草だけが僕が草の中を進んでいたことを認めていた。羅針盤もなしに大海原を航海している気分だ。
それでもしばらく歩いてたどり着いたのは古い茅葺きの粗末な小屋だった。窓がないから、住人はいないんじゃないかと思った。物置なのか? それにしては周囲には民家らしき建物は見えない。
「すみません。どなたかいらっしゃいますか?」
ちょっとした期待を込めてドアをノックする。どうせ誰もいないと分かっている。だけど、誰かいてほしいとも思っていた。
「はーい」
期待に答えてくれたのか返事があった。若い女の人の声だ。しかし、それは小屋の中ではなく、僕の頭の上からだった。
はっとして空を見るとそこには羽根に身を包んだ女の子が浮いていた。天使なのだろうか?
「天使じゃないです」
ピシャリ。即座に否定の言葉が返ってきた。
「見た目で判断してはいけないと教わってませんか?」
「は、はい」
僕はここへ来て初めてあった人間の姿に近い存在に興味を持っていた。状況を考えれば僕は死んでここへ来たのだろうし、女の子の日の光を柔らかく跳ね返す髪は天使のそれだし、まとわりつく羽根は白く清廉な印象を受ける。
「僕は枝里シマと言います。ここはどこでしょうか?」
「ふむ。記憶の混濁があるようですね。あなたは望んでここへ来たのです」
天使は名乗らず僕の質問だけに答えた。しかし、望んでとはどういうことだろうか。僕は絶望し、死に救いを求めたはずだった。
「死の瞬間に望んだではないですか。もう一度、聞きたいと」
確かにそう思った。しかし、それは望みではないような?
「ここはあなたが聞きたがっていた世界そのものです」
「え?」
「聞き間違いではありません。思う存分に聞くが良いでしょう。身体全体で!」
ニッコリと笑っているのに背後に激しく燃える陽炎が見えた気がした。
◆ ◆ ◆
生前、僕はボカロPだった。もちろん人気があるわけではない。いくら新作をアップしても評価されない日々。それでも次こそは認められると信じていた。
誰かにできることは僕にもできる。成功するまで続ければそれは失敗ではない。幼い頃の成功体験が僕を動かす原動力だった。理論上、人間にできることは人間に出来る。出来るようになるまでにかける時間が違うだけだ。
だから、僕の曲も時間さえかければ人気が出るようになると考えていた。神は細部に宿るという言葉を信じ、足し算引き算を繰り返し、納得の行くレベルの曲になるまで修正を繰り返す。エンコードされたら消えてしまうようなレベルでアタックの強さを微調整する。精神はガリガリ削られ新しい曲を作る期間はどんどん長くなり、僕は気が狂いそうになりながら曲を作った。
友達はおろか家族とも連絡を取らなくなり、アルバイトも生きていけるだけに絞り、ファミレスやファストフードのコンセントで充電し、真っ暗な部屋でDTMソフトへ打ち込む。
何が楽しいのか、いや、楽しくてやってるのか、なんのためにやってるのか、段々とわからなくなって、そして、僕は自らドン底に落ちたのだ。
◇ ◇ ◇
天使は説明が終わっても僕から離れようとしなかった。まだ何かあるのだろうか。
「さて、あなたは異世界へ転生しました」
「そうなんだ……」
「私からあなたへ異世界転生特典を授けましょう」
特典といえばチートスキルと言うことは世間に疎い僕でも知っている。ただそれを貰っても有効活用できる気がしない。なんと言っても僕は音楽しかしてない。戦闘や経済なんか全然わからない。
「これです!」
と見せられたのは見たことのある画面だった。ただ半透明で空中に浮いている。それにキーボード(鍵盤)らしきものもついていた。
「これは……DTMソフト?」
「はい。あなたにふさわしいものと言えばこれしかありません。この世界でも音楽を作ってください!」
「ここは地獄か……」
天使の言葉に僕は愕然となった。
だって音楽に絶望して死に救いを求めたのに、死んでからも音楽をしなきゃならない。それが地獄でなくて何というのだ。
「辞退します」
「もうお渡ししましたので返品はできません」
「せめてもう少しチートらしい魔法なんかを」
「大丈夫。あなたなら使いこなせます。魔法なんか要らないぐらいに」
天使は押しの一手で僕にDTMの画面を押し付けた。
仕方無しに受け取ると、そこには僕が作りかけだった(と言ってもほぼ完成していた)新作が表示されていた。
『ボカロのようにウタを謳う』
それが新作の曲の名前だ。歌詞も入っていて紫の髪のボカロが歌っている。
『ボカロのようなウタを謳う』と迷ったんだけど、こっちにした。理由はよくわからないけど、今の僕にぴったりだと思ったからだ。
「では、この小屋に入ってみてください」
「小屋になにかあるんですか?」
「はい。あなたに必要なものが」
ちょっと影のある笑顔に僕は嫌な予感がしていた。この小屋にあるものは僕が必要としているものではないのではないか。
「先に疑問にお答えしますが、この小屋以外は草原しかありませんよ」
選択肢のないゲームみたいだ。クソゲーだ。
「入るしかないってことね」
小屋は豪華なものではないし、大きさもそんなに大きくない。中にあっても僕一人が眠れるベッドぐらいだろう。
「じゃあ、ドアを開けるよ」
自分に言い聞かせながらドアを引いた。
そこには虹色に輝く何かがあって、
「それでは行ってらっしゃい」
という台詞とともにドンと押されてそれに突っ込んだ。
ボカロという単語だけ出てきますが、現実の歌詞や曲は出てきません。