まわりまわるは輪舞曲の鐘
僕は浮かれていた。
初めてのダンジョン探索なので遠足に行くような気分でいた。女神からもらったスキルで安全は保証されていたようなものだし、ダンジョンまで半日程度というちょうどよい距離もそれに拍車をかけていたのかもしれない。
だから、僕はダンジョンに簡単に足を踏み入れた。
「これがダンジョンかあ」
中は暗いかと思ったが何か魔法の力が働いているのか明るかった。これだけ明るければ『罠発見』がなくても罠がわかるのではないだろうか。
早速、『隠密』を発動させてダンジョンに入っていく。通路は思いの外狭く、「こんなところで本当に魔物と戦えるのだろうか?」と思うほどだった。短い剣なら振れるが二人並んで戦うのは難しそうだ。
前から冒険者が来るたびに少し戻って脇道でやり過ごす。『隠密』スキルのおかげで誰にも見つかることはなかった。魔物は今のところ出てこないが、当然ながら魔石や音貨も出てこない。
ダンジョンの壁は石のレンガで出来ており、どことなくミノタウロスを閉じ込めていそうな感じを受ける。
『罠発見』のスキルが発動することもなく、そこそこ奥まで来てしまった。
「順調だな」
僕はあまりにも何もなさすぎて拍子抜けした。
新曲の着想を得られると思っていたけど、どうも徒労に終わりそうな予感だ。
そして、そろそろ帰ろうとした時だった。
「逃げてくれ!」と「助けてくれ!」という叫び声が遠くで聞こえる。
僕は何事かと思って声のする方向へ歩いていった。『隠密』スキルがあれば大抵の危険は回避できるだろうと考えていた。
声は次第に大きくなり、長い通路の先に見えたのは、魔物の大群に追われている冒険者の二人組だった。
魔物は人間の半分ほどの身長で灰色の肌をしている。赤く血走った大きな目で冒険者たちを睨んでいた。所謂ゴブリンを想起させる容姿だった。
ゴブリンたちは通路の壁や天井を蹴って自由自在に走り回り、冒険者たちを翻弄している。
「ヤバい。逃げなきゃ」
と思って慌てて走り出したが、冒険者と魔物の方が足が早い。どこか曲がり角があればそこに身を隠せるのだけど、ここは直線の通路が長く続く場所だった。
僕は声を聞いたときに逃げなかったことを後悔する。
こうなったら通路の端で気配を殺してやり過ごすしかない、と思ったときだった。
僕は冒険者の一人に追いつかれ横に押し出される。そのまま壁にぶつかりそこそこの衝撃を受けた。
そこまではよかった。
しかし、魔物が適当に振るった短剣が腹を割く。
「あああぁぁ!」
僕はあまりの痛さに叫び声を上げてしまった。
そして、『隠密』が解ける。
魔物たちは冒険者を追うのをやめて僕を取り囲んだ。
『隠密』を使いたいのだが、痛みが邪魔をする。痛くて痛くて集中できない。
「うぎゃ!」
腹を庇う腕を切られた。これも痛い。
普通、人間なら過度の痛みはシャットダウンして痛みを感じなくなるはずだ。でも、僕の腹も腕も痛さだけを脳に伝えてくる。
痛くて床をのたうち回る。自分の流した血で服が濡れていくのがわかった。急速に体温が失われていく。
「あ、死ぬのか……」
僕は新曲を完成させなかったことを後悔した。
「ごめんね。めが……」
最後までセリフを言えず僕の思考は停止した。
◆ ◆ ◆
怪しげな会社の面接を受けたあと新宿歌舞伎町の中を通ってJRの駅に行こうとしていた。時間は夜零時を回ったところなのにどこにでも人がいてわけのわからない言葉を叫んでいる。
僕はまるで外国に来た感覚に襲われていた。
暴力的で扇情的で暗い街に必要以上に明るい光。少し道を外れれば暗く怪しい道がある。
そのどこにでも人がいて、何らかのコミュニケーションを取っている。
それは笑いながら、ふざけながら、時には怒鳴り脅し暴力を伴っていた。
僕はそのどれもが怖くて早歩きで抜けようとした。
そして、誰にも声をかけられることなく歌舞伎町を抜けて駅についたとき、僕は結局何を怖がっていたのかを理解した。
僕は自分がわからない。
だから僕を見つけられるやつがいたら怖いと思った。
だって、僕よりも僕を理解できるなんて僕以外の何者でもないじゃないか。
僕は僕が外にいることに恐怖したのだ。
◇ ◇ ◇
「起きてください」
女神の声がした。僕はなんだかレモンの匂いがしていることに気がついた。
ああ、死んでレモングラス天国へ戻ってきてしまったのか。
僕は身を起こして目を開ける。心配そうな女神が覗き込む顔が映る。
「ごめんね。新曲できる前に戻ってきちゃった」
「そんなことより大丈夫ですか? 怪我はないですか?」
怪我どころではないはずだけど、僕の体は……。
「あ!」
「なんですか? どこかに怪我がありますか?」
「男に戻ってる……」
あれだけ渇望した男の体に戻っていた。体の隅々まで確認するけど、ちゃんとついていた。
「死んだら男の体に戻るのか……」
「そういうわけではありませんが、怪我はないようで良かったです。これならまた下界に戻れますね」
今女神はなんて言った?
「最初に言い忘れましたが、あなたは死ぬことはありません」
えっと、ここにいるのは死んでないってことか?
「肉体が壊れてしまって一時的に天界へ戻っただけですので、怪我がなければすぐに下界へ戻ります」
「ちょっとまって、僕は確か魔物に切り刻まれたはずなんだけど」
「ああ、たぶん大丈夫です。しばらくすれば再生しますから」
またダンジョンの中に戻るのか。僕は背筋がゾクッとした。またあの痛みを味わうのか。
「もう戻りたくないんだけど」
「しばらくは肉体の再生待ちの時間ですからここに居られますよ」
女神はどうしても下界へ僕を戻すつもりのようだ。やはり、ここは地獄なのではないだろうか。
「私はあなたに言いましたよね?」
女神は低い声で言った。
「なんで危ないことをしたんですか!」
かなりお怒りのようだ。
「僕としては危ないことをしたつもりはなくて、安全にダンジョンを探索するつもりだったんだ」
「バカですか?」
「バカです」
どんな悪口も受け入れなければならない。死んだのは僕の責任だし、女神の忠告を無視したのも僕の意志だ。
「もう二度としないでくださいよ?」
「うん」
「まったく無謀なんですから。大体なんでダンジョンへ行ったんですか?」
「それは……新曲の着想を得ようと……」
「一人だったら危ないと思わなかったんですか? あなたの友人も警告していたではないですか」
そう言われてみれば、ソニアもテミスもダンジョンへ行くなと言っていた。ソニアは一緒に行ってくれるとも。
「浮かれてました」
「……はあ。新曲を作る気になってくれたのは嬉しいんですが、何よりも大切なのはあなたの命です。軽々に危険な場所へ行くのはやめてくださいね」
「まったく、おっしゃるとおりです」
女神のためにしたこととはいえ、完全に僕が浅はかだった。
「さて、肉体の再生が終わるまで少しお話出来ますが、何かありますか?」
女神はにっこりと笑っていった。もう僕を許してくれたみたいだった。




