死は市街に降りて僕と踊る
「シマ、バザールは十分に楽しんだか?」
僕はテミスの馬車に乗り、領主の館へ向かう最中だった。領主の館は街のさらに奥にあり、街の壁の外まで行くということだ。
「うん。楽しめたよ」
色々な露店や屋台を回ってそれなりに満喫した。貧乏性なので少ししか買ってないけど。お金があってもたくさん買おうとは思わないんだよね。
「今日はお父様もお母様も居なくてな。私ひとりだ。ゆっくり遊べ……お礼ができるぞ」
え? もしかして二人きり?
……ああ、そうか。テミスと二人きりになるかと思ったけど、使用人とかはいるよな。それに二人きりになっても女同士だから問題ないはず……?
「夕食を共にしたあとはミューズ名物の温泉を堪能してもらおうか。宿にも風呂はついていたと思うが、温泉は格別だぞ」
「それは嬉しい!」
温泉どころか風呂すらほとんど入れなかった僕はノータイムで返答してしまった。
「はは。楽しみにしてくれ」
テミスは僕の手を取るとマジマジと観察する。手相でも見ているのだろうか?
「君はどこかの貴族なのか?」
「いや違うけどなんで?」
「その手はとても綺麗だ。綺麗すぎる」
そう言われて僕は自分の手をマジマジと観察する。確かにタコもなく爪もピンク色で日に焼けてない。
テミスの手を見てみると剣だこのようなものはあるし、少し日に焼けていた。
「正直なところ自分がどこの生まれなのかも知らないんだ。親や家族もいない」
「……? 記憶喪失ということか?」
あ、異世界転生なんてわからないんだから普通はそう思うか。
ここで僕には何者かを語ることで自分の置かれている状況を変えられる選択肢が生まれた。
例えば、記憶喪失した普通の人間として振る舞うとすると、この世界の常識を知らなくて良い反面、よくわからないがたくさん金を持っている後ろ盾のない人間になる。危ない。
じゃあ、常識を知らなくて良くて後ろ盾のある存在となると、やはり『神の使徒』だろうか。実際、女神にこの世界へ連れてこられたようなものだし、女神の加護も貰っている。嘘ではない。
ただ女神はあと二日程度で天界へ帰ってしまう。僕が連絡を取ることは出来なくなる。その状態で『女神の代弁者』として振る舞うのは無理があるだろう。
さて、どうしたものか。
「記憶喪失ではないんだけど……」
結局、誤魔化すことにした。『複雑な事情があり詳しくは説明出来ない』ということにしておく。
「まあ、困ったことがあったらなんでも相談してくれ。私はこれでも領主の娘だからな」
「うん。本当に困ったら頼らせてもらうよ」
そんな話をしているうちに馬車は街を抜け、壁をくぐり、なだらかな丘のような場所に出た。
相変わらず霧が濃いのだが丘の陰と、馬車が緩やかに登っていく様子でわかる。この様子だと領主の館は丘の上にあるのだろう。
霧が濃い理由もなんとなくわかった気がする。ミューズは谷か盆地のようなところにあって、至るところに温泉が湧いているのだろう。湿度が高く切りが出やすいのだと思う。
「そういえば、テミスはなぜあの男たちに襲われていたの?」
何か事情があるんだと思う。お金目当てならあんなに簡単に殺そうとはしない。そして、あの男たちは『仕事だ』と言っていた。領主の娘を殺す仕事……。ちょっと想像がつかない。
「私にもわからん。だが、ある程度の予想はつく」
テミスは難しい顔をしていたが、すぐに表情を崩した。
「それは今は忘れよう。館にいるときは兵士たちが守ってくれるからな。君も心配しなくていいぞ」
「そうなると、なぜテミスはひとりであそこに?」
「そ、それはだな……」
テミスは顔をそむけて赤くなった。
「私もバザールを楽しみたくて抜け出したんだ」
「うわぁ……もうしないほうがいいと思うよ」
お転婆にも程がある。警護をしていた兵士たちも気が気じゃなかっただろう。
「……もうしない」
そういうとバツが悪そうに頭をかいた。
◆ ◆ ◆
作曲を始めたきっかけはなんだっけ?
僕は暗い部屋の中で思い出そうとしていた。
確か変な歌を歌っていたら誰かに褒められたんだ。
誰だったか思い出せない。
それでピアノを習わせてもらって……練習が厳しくてやめて……ボカロの動画を見て……またやりたいと思って……。
そう思っているだけで僕は何もしなかった。
そのうち就職活動が始まって面接で何度も失敗して、嫌になって、また。
音楽を作り始めた。
◇ ◇ ◇
想像どおり領主の館は丘の頂上にあった。周囲に壁はなく見通しがいい。霧の上に出る形で建てられているため、雲の上にいるような錯覚に陥る。
「絶景だね」
「そうだろう?」
ついて早々に案内された二階のテラスから絶景を眺めていた。お客様をここに連れてくるのが定番のルートなのだろう。
「もしかしたら聞いちゃいけないことかもしれいけど、なんで領主の館は街から外れたところにあるの?」
防衛上の理由があれば、教えてはくれないだろうし、それを探っている僕はスパイか何かと思われるかもしれない。
「単に眺めがいいからだろ?」
あっさりと答えが出た。
「単純な理由だった」
「さて、目を楽しませたあとは胃袋を楽しませようか。そろそろ夕食の準備が終わる頃だ」
「おお、楽しみ」
宿の食事であれだけのものが出たのだ。領主の食卓には期待してしまう。まあ、僕の中で至高の料理はシーフードカップ麺をなんだけど。
テミスに連れられて食堂に行く。食堂はとても大きくて長いテーブルの両脇にたくさんの椅子が並べられていた。
その一角に料理が並べられている。温かいようで湯気が登っていた。
「美味しそうな匂い!」
「そうだろ? 私が捕ってきたんだ」
「え? 捕ってきた?」
テミスは料理の中央を指差した。そこにはかなり大きな鳥の丸焼きが乗っている。余計なものが全て切り落とされているが、ダチョウぐらいあるんじゃないか?
「あれはサラマンダーを食べるヒクイドリと言ってな、火がつくほど脂がのってるんだ」
「ほほー」
「うまいぞー!」
「お腹減る……」
「話はこれくらいにして食べようか」
テミスは僕が座る席を引いてくれた。僕は「ありがとう」とお礼を行って座る。テミスの席は控えていたメイドさんが引いた。
そして、料理長らしい人がヒクイドリの丸焼きを取り分けてくれる。
メインから食べるのかな? マナーに詳しくないけど、テミスの真似をしながら食べれば大丈夫だろうか。
「あ、マナーは気にしなくていいぞ。私も両親がいないときはマナーなど無視している」
街であったときの剣士風の姿といい、喋り方といい、なんか豪快な姫様だな。
「わかった。気にしないことにする」
手を合わせて「いただきます」と言うと、早速取り分けてもらったヒクイドリにフォークを刺して口に運ぶ。
テミスの言うとおり、滴る脂が堪らなく美味しい。
「これはうまい!」
「たくさん食べてくれよ」
僕に勧めてくれながらもテミスはパクパクと食べている。
「うん」
ヒクイドリの丸焼きの他には小さな骨付きの唐揚げのようなものもある。全体的に油ものが多目だ。サラダのようなものも魚のようなものもない。
「テミスってもしかしなくてもお肉大好き?」
「そうだぞ。めちゃくちゃ好きだ。よくわかったな」
見た目はお姫様と言っても過言ではないが、口調と食べ方で脳がバグる。
「あまりに好きすぎて狩りに行くぐらいだ」
「へえー」
テミスはかなりアクティブなお姫様なんだな。
「ところで、酒は飲めるか?」
「えっと」
どうだろう? 転生前は少し飲んだことはある。そのときは酔っ払うこともなかった。だが、転生後の体は明らかに子供だ。でも、異世界のお酒には興味がある。
「弱いから少しだけなら」
「よし。じゃあ、サラマンダーの酒を果汁で割ったカクテルを用意しよう」
説明だけでも強いお酒だと言うことがわかる。
「す、少しだけだよ!」
「わかってる。わかってる。私も少しだけ付き合おう」
メイドさんの苦笑いを見ていると、僕をダシにして自分が飲みたいだけのようだ。多分、サラマンダーの酒はお客様が来たときにだけ飲めるような高いお酒なのだろう。
しばらくすると僕の前にオレンジ色の飲み物が運ばれてきた。見た目通りオレンジの果汁のようでさわやかな香りとアルコールの香りがした。
「そういえばサラマンダーってなに?」
「なんだ、見たことがないのか? トカゲ型の魔物だよ」
僕は少し顔がひきつる。
「そこの唐揚げもサラマンダーだ」
僕が鳥の唐揚げだと思っていたものはサラマンダーだった。となると目の前のお酒は焼酎にサラマンダーを漬けたものなんだろう。
「へえ。ヒクイドリって魔物を食べるの?」
「ああ、ヒクイドリも魔物だからな」
なんてこったい。もしかして今日は魔物尽くしなのか……。
「最近はこの辺でも捕れるようになってな」
「あれ? この辺は魔物が少ないって聞いたけど……」
「よく知ってるな。ちょっと前まではそうだったんだが、最近は街の反対の森から魔物が出てくるんだ」
女神の神託は確か数年の猶予があったはずだった。しかし、魔物の驚異の片鱗は神託の前から見えていたようだった。
僕は楽観的なテミスを見てまだ大したことではないんだなと思った。