じょっぱれアオモリの星 ~「何喋ってらんだがわがんねぇんだよ!」と喋らいでギルドをぼんだされだ青森出身の魔導士、クズスキル【翻訳】の新米回復術士と共にツートな無詠唱魔術で最強冒険者ば目指す~
「オーリン・ジョナゴールド君。悪いんだけど、今日づけでギルドを辞めてほしいの」
――とんでもない場面に出くわしてしまった――。
ギルドマスターにお茶を出そうとしていた新米回復術師レジーナ・マイルズは、ドアの隙間から中を覗き込んだ。
巨大なマホガニー製の机に座り、優雅に足を組んマティルダは、怜悧な眼鏡面を非常に言いづらそうに歪め、なんと言葉を続けようかと迷っているようだった。
この冒険者ギルド『イーストウィンド』のギルドマスター・マティルダは、基本的に公私混同のない冷静な人だ。
かつて『ダンジョンの白百合』と称され、王族からも求愛を受けたと言われるその冷たい美貌も去ることながら、魔導士としての確かな実力、圧倒的な叡智、豊富な経験を見込まれ、若くしてこの由緒ある冒険者ギルドの総帥に就任している天才なのである。
公平で信義を重んじ、どんな逆境や苦境にあっても絶対に仲間を見捨てないリーダーとしての資質は、このギルドに所属してまだ半年でしかないレジーナもわかっていた。
だからそのマティルダがギルドメンバーに解雇を言い渡すということは、おそらく彼女の代では初めてのこと――要するに、よっぽどの理由があるということなのだ。
突然のギルド追放劇を盗み見しながら、机の前で雷に打たれたように硬直している青年を見た。
オーリン・ジョナゴールド、二十三歳。
この巨大冒険者ギルド『イーストウィンド』に所属してもう七年になる、C級の中堅魔導士。
寡黙で、あまり人付き合いが得意ではない方の魔導士で、何を言われても照れたようにはにかむだけの、目立たない青年。
顔のみてくれは結構悪くない方だと思うのだけど、いい年して彼に女っ気はないことからも、彼はとかく人を遠巻きにする人間であるのはわかっていた。
否――レジーナは否定した。
彼は孤独が好きなのでは、多分ない。
彼には孤独にならざるを得ない、重大な理由があるのだ。
その理由はまだ新米であるレジーナも、なんとなく予想がついていた。
オーリンは毒蛇に咬まれたかのように全身を硬直させ、目を見開き、震える声で絞り出した。
「な、なすて――!?」
マティルダは額に手を当てて言った。
「どうかわかってほしいの。これはみんなの安全を護るための苦渋の決断なのよ」
マティルダは既にオーリンと視線を合わせようともしない。
オーリンは急き込んだように詰め寄った。
「な、なすてすか!? わ、わでばこのギルドばえどふとづだと思て今までつぐすて来たのに……!」
なのに、とオーリンはなんとか翻意を促すように言った。
いや――翻意を促していたのかはわからない。
状況から判ずるにおそらくそんなことを言っていたのだろう。
何しろ、彼が何を言っているのかわからないのだから。
「わ、わのどごばまねのすか!? 戦闘のどぎばいっちばんさぎさたってけぱてあったのすよ!? 怪我人ばでれば回復魔法かげであさまがらばげまであずがった! そでばまねがったのすか!」
翻訳、と小声でレジーナは呟いた。
ふわわわ……と、今しがたオーリンの言った言葉が王都の言葉に翻訳され、虚空に浮かび上がる。
【私のどこがダメなのですか。戦闘のときは一番先頭に立って頑張っていたんですよ。怪我人が出れば回復魔法をかけて朝から晩まで介護した。それではダメでしたか】
なるほど、やっぱりレジーナの予想通り、相当に食い下がっているようだ。何言ってるかはわからないけど。
オーリンは必死の形相で頭を下げた。
「ご、後生だす! わさうまぐねどごがあるだば直すはんで、まんづこさおいでけです! わぁでばこごばぼだされればいくどごもなもあったもんでねぇびょん! マツルダさん! なぼでもわさ慈悲を――!」
必死の懇願に、ハァ、とマティルダはため息をついた。
「それよ」
「どんだず?」
「ねぇオーリン君。あなたが王都に来てから七年経ったわね?」
マティルダは机に肘をつき、小さい子供に説教するかのように語りかけた。
「七年前のことはよく覚えてるわ――目をキラキラさせて、お父さんとお母さんからプレゼントされたっていう冒険者の服を着て、あなたは遥か東と北の辺境から王都にやってきた。あなたの魔法には確かに才能があった。これは成長すればS級魔導士、その上の上級魔導士も夢じゃない。私は確かにそう感じた――けどね」
マティルダの目が鋭くなった。
「何年経っても――あなたのその猛烈な訛りが治ることはなかった」
ぎくっ、という表情でオーリンがマティルダを見た。
マティルダは眼鏡の奥の目を光らせ、退路を断つかのように言った。
「最初は三年もすれば治ると思った。だって悪いけど本ッ当に何を言ってるのかわからなかったんだもの。これでは戦闘中に意思疎通が出来ない。これはつまりギルドのメンバーを大きな危険に巻き込む可能性があるということ。だから最初、私たちはあなたを無条件で護るように戦っていた――気づいてたかしら?」
ビシビシと、その怜悧な美貌に相応しい言葉で、マティルダはオーリンの弱点を指摘してゆく。
「三年ぐらいで、あなたはどうにか私たちの言ってることがわかるようになった。けれど、なぜかあなたの話し言葉はほとんど治らない。しかも興奮すればするほど濃ゆいお国言葉が出る。それに独学で学んだ魔法の詠唱も訛りだらけで、貴方の唱えている魔法が回復魔法であるのか防御魔法であるのか、あなた以外には全くわからない。要するにあなたとはこのギルドの誰も連携が取れないのよ」
確かに――傍で聞いているレジーナも、その理屈はわかる。
とにかく連携プレーが絶対のギルドの戦闘において、意思の疎通が困難なのは大きな問題だった。
それが生命の危険がある場面であればあるほど、微妙なニュアンスが伝わらない、または伝える事ができないオーリンの存在は大きなハンデとならざるを得ない。
「あなたは根本的にギルドパーティの戦闘には不向きなのよ。徹底的にスタンドアローンの魔導士にならざるを得ない。もうキャリア的には中堅であるのに、あなたをリーダーとしてパーティを任せることが出来ないのよ――そういうことを考えて、意識的にその言葉を治そうとしたことはある?」
オーリンは愕然としたような表情で顔をうつむけた。
本人がわかっていたのかわかっていなかったのかは不明だが――これは本人としては途轍もなく堪える一言だったらしい。
よろよろと肩を揺らし始めたオーリンに、さすがのマティルダも矛先を収めるしかなかったようだ。
ハァ、とマティルダは再び大きなため息をついた。
「とにかく、話は終わりよ。申し訳ないけど、あなたにはこのギルドからは出ていってもらうことになる。もう少し王都をウロウロするのもよし、国に帰るのもよし――その後のことは自分で選びなさい。今までご苦労さま。話は終わりよ」
なんだか、このギルドマスターにしてはやけに突き放した一言と共に、話は終わりだというようにマティルダは横を向いた。
オーリンは――というと、焦点の合わない目を虚空に泳がせ、なにかをブツブツと呟いた後、小さく頭を下げて回れ右をした。
こっちへ来る。レジーナは咄嗟にドアの前から退き、茶が乗ったお盆を抱えたまま物陰に隠れた。
まるで幽鬼のような表情と足取りで、オーリンは人の間を縫って歩き始めた。
ギルドのメンバーが絶望の表情を浮かべて歩くオーリンを不思議そうな目で見つめる。
その尋常ならざる様子に、何人か声をかける者もいたのだが――オーリンは一切その言葉に答えることなく、そのままゆらゆらと左右に揺れながらギルド本部のドアを出ていった。
なんだか、大丈夫だろうか。あのまま川か何かにふらっと飛び込んだりはしないだろうか――そうレジーナがまごついていたときだった。
「レジーナ・マイルズ。盗み聞きが終わったなら入って来なさい」
びっくぅ! とレジーナは三センチばかり飛び上がった。
いっけね、そう言えばお茶を出すんだった――レジーナはドアを小さく開け、とりあえずの愛想笑いを浮かべた。
「あ、あはは、マスター……ちょっとお茶淹れるのに失敗してしまったので、また淹れ直して来ますね……」
「そんなことはどうでもいいわ。いいから入ってきなさい、早く」
有無を言わさぬ口調でマティルダは命令した。
仕方なく、レジーナはすっかり冷めた茶を乗せたお盆を抱えたまま、おっかなびっくりギルドマスターの執務室に入った。
「扉を締めて」
鋭く言われ、片手でドアを締めて向き直る。
しばらく、マティルダは言いたいことをまとめるかのように沈黙した後、何度目かわからないため息をついた。
「申し訳ないわね。とんでもない場面を見せてしまって」
「あ、あの、とんでもない場面とは――?」
「くだらないことをごまかしてんじゃないわよ。そっくり聞いてたんでしょ、今の」
ビシリと言われて、背筋が凍りつく。
あわわ……と狼狽えると、マティルダが顔を俯けた。
「オーリンには悪いことをしてしまったわ。本当なら彼の能力を活かせる場がこのギルドにあればよかったのだけれど――」
何度も言うが、その怜悧な見た目とは裏腹に、マティルダはごく面倒見がよく、信頼を絶対に裏切ることは普通はしない。
まして、今の突き放すような言い方をして人を追放することなど、こと彼女に限って言えばありえないとさえ言えると思う。
それに、この表情と今の言葉――まるで今のオーリンの馘首が不本意であったとでも言いたげな表情である。
その沈んだ表情を見ているうちに、レジーナも、この麗人に質問してみようかという気持ちが湧いてきた。
ゴホン、と咳払いをひとつして、レジーナはしどろもどろに言った。
「あの、ギルマス」
「何?」
「どうして――彼を追放したりするのですか?」
レジーナは率直に問うてみた。
「戦闘に不向きであるなら、事務方でもなんでも任せられる仕事があったのではないですか? それに彼はここを追い出されたら王都に親戚縁者はいない。彼は――路頭に迷うことになると思うんですけれど」
レジーナの問いに、ハァ、とマティルダはため息を吐いて無言のままだ。
「それにオーリンさんは寡黙で人付き合いは苦手であるけど、魔法そのものは悪くないはず。彼が七年もの間、このギルドにいたのがその証拠です。ギルマスは本当に彼を役立たずだと思ってるのでしょうか。ギルマスともあろう人が言い訳も許さずに彼を追放するというのは、なんて言うんでしょう、ちょっと不自然というか……」
「随分、彼をかばうのね」
ドキッ、と、心臓が跳ねた。
その声は脅すような色はないが、人の心を見透かしたような鋭さがあった。
思わず口をつぐむと、マティルダは普通の声に戻って言った。
「わかってるわ。でも、ああするしかなかった。彼の性格的に、温和な言葉で退職を促しても食い下がるのはわかっていた。だから突き放すしかなかった……」
やはり、この追放劇には裏があるらしい。
レジーナがマティルダの次の言葉を待っていると、マティルダの目が光った。
「レジーナ・マイルズ、業務命令」
「はっ、はいぃ!」
突然の言葉に、レジーナは反射的に踵を揃え、直立不動の姿勢を取った。
「これからあなたには長期任務についてもらう――内容はひとつ、ギルドを追放されたオーリン・ジョナゴールドにパーティメンバーとして随行し、彼の補佐をすること――わかったわね!」
「は、は――!」
返事しかけて、レジーナはぎょっと目を見開いてマティルダを見た。
「――え、オーリンさんのパーティメンバー……?」
オウム返しに問うと、マティルダは頷いた。
「私はずっと探していた。彼の、オーリンの真価を発揮させることのできる人材をね――七年も待った甲斐があったわ。レジーナ、そしてこれはあなたの【翻訳】のスキルを存分に活かす機会でもある」
マティルダの声は冷静だったが、だが一方、その声にはどこか楽しげな雰囲気がある。
この人は一体私に何をさせようとしているの――? レジーナが空恐ろしくなったとき、マティルダは宣言した。
「さぁ、そうと決まれば長居は無用よ。オーリンはいつも仕事が終わった後には街の酒場に行くのは調べがついてる。彼は今もきっとそこにいる――さぁ行きなさい。彼が何者になるかその目で確かめるまで、地の果てまで同行するのよ」
◆
指定された酒場は――お世辞にも綺麗とは言い難い路地裏にあった。
おっかなびっくり扉を明けると、ただでさえ薄暗い店内の雰囲気はなんだか酷く淀み、沈んでいる気がした。
それもそうだろう。店内にいるすべての客が、一体アレはどうしたんだと言いたげな視線をチラチラと店の隅に注いでいる。
そしてそのテーブル席に座っているのは、魔術師のローブ姿の青年で――その青年はしくしくと泣きながらコップ酒を煽っていた。
一瞬、レジーナはどう声をかけようか迷った。
もしもし、とでも言おうか、それとも、大丈夫ですか、と気遣うべきだろうか。
レジーナがまごついていると、オーリンは涙に震えた声で呻いた。
「わだばってわがっであったさ……こしたらじゃごくせ男、都会でば馬鹿にされるって……」
その言葉は酷く訛っているだけではなく、離れたここから聞いただけで、強く酒の匂いがした。
オーリンは机に突っ伏しながら、コップを握る指の力を強くしたようだった。
「んだたてわさどうすろっつのや……なぼ努力すても標準語などしゃべらいねし、何遍もしゃべてるごと聞きかえされるし……こえでも努力はすたんだ、努力は……」
なんだか、相当気の毒な独り言だった。
それ以上、弱っているオーリンを見るのが忍びなく、レジーナはパンパンと背中を叩いた。
「もし、先輩、オーリン先輩!」
オーリンがゆっくりと顔を上げた。
うわぁ、そんなに悪くない見てくれの顔が涙と鼻水でべちゃべちゃになっている。
内心顔をしかめたレジーナを、オーリンは焦点の合わない目で見た。
「――ああ、おかわりはいらねす。あんつごどねぇ、落ちづいだば帰るはで……」
「私は酒屋の店員じゃありませんよ! 覚えてませんか!? レジーナです! レジーナ・マイルズ! イーストウィンドの新米冒険者です! ほら!」
イーストウィンド。その単語に、オーリンの目が少しだけ正気を取り戻したように見えた。
オーリンはしぱしぱと目を瞬かせて――結局首を振った。
「ややや――悪ぃどもおべでねぇ。堪忍すてけろや」
ああ、覚えてないんだ――レジーナは少しだけ落胆する気分を味わった。
これでも彼の机にも毎日お茶汲みしてたんだけどな。
とにかく、とレジーナは言った。
「先輩、これ以上飲んだら身体に毒ですよ! とにかく今日は宿を取って寝ましょう! 明日からのことは明日から考えるべきです!」
「しゃしねな、ほっとげっつの」
素っ気なく言って、オーリンは言った。
「なもわのごどバガにしてけつかんだべや。こしたらなさげねあんこ、いまでばどすたらあほづらさげてあしぇでるんだべどわざわざみにきたってがや。ホニごくろうなごった。なぼでもわらったらいいべな」
【お前も俺のことを馬鹿にしているんだろう。こんな情けない男、今ではどんなアホ面を晒して歩いているんだろうとわざわざ冷やかしに来たのか。本当にご苦労なことだ。いくらでも笑えばいいだろう】――。
「いいえ! 私は馬鹿にしにきたわけじゃありません! ギルドマスターからあなたに随行するように言われてきたんです!」
レジーナが少し大きな声を発すると、びくっとオーリンの背中が跳ねた。
「ギルドマスターはあなたのことを考えてあなたを追放したんです! でなければ私にあなたのことを託したりしませんよ! とにかく、落ち込まないでください! お酒ももういいでしょう!」
レジーナの言葉に、酒で潤んだオーリンの目がちょっと驚いたように見開かれた。
そしてしばらく後、オーリンは言った。
「な、なんだや、なば――わのしゃべてらごどわがるんだが」
【な、なんだよお前は。俺の言っていることがわかるのか】
レジーナは大きく頷いた。
「私のスキルは【翻訳】ですから。たとえ犬猫の言ってることだって私には筒抜けですよ。先輩の喋っていることぐらい理解するのは簡単です」
「【翻訳】――? なんだばそのスキル? 聞いたごどねぇど」
「私だって同じスキルを持ってる人に出会ったことはありませんね。なにせ、何に役に立つのか自分でもよくわかりませんから」
そう言って、レジーナはオーリンの向かいの席に腰を下ろした。
「とにかく、今の言葉聞いてました? マティルダさんはあなたの将来を考えています。決してあなたが何を言ってるかわからないから追放したわけじゃありません。現に私にはそう言いました」
「へ、慰めでくれんのももういいでば」
オーリンは酒臭い声で吐き捨てた。
「どうせわのごでぁ、王都のどさいってもなにしゃべてんのがわがらねって蹴たぐらえるに違ぇね。もう尾羽打ち枯らして田舎さけるすがねぇ」
「そんなことわかりませんよ! それに冒険者するなら必ずしもどこかのギルドに入らなきゃならないわけじゃありませんよ。あなたと、私で、冒険者すればいいじゃないですか!」
「ふたりで、ってが。は、夢物語だな、そいづぁ」
予想はしていたけど、オーリンは相当腐っているようだ。
この田舎者に一体どんな言葉をかけたものか――悩んでいたときだった。
「おい、お兄さん」
ずん……と効果音が聞こえそうな圧とともに、目の前に筋骨隆々の男が立った。
うわ、とレジーナが息を呑むと、男は傷だらけの強面でこちらを睥睨しながら、脅すように言った。
「なんだか事情はわからないがよ、アンタみたいに陰気な客に居着かれると場が沈んで仕方ねぇんだ。とにかく、今日のところはそのお嬢ちゃんの言う通り、宿でも取って帰んな」
それを拒否するなら嫌でもそうなるぜ、と聞こえそうな声に、レジーナは思わず固まってしまった。
どうしよう……と震えていると、ゆらりとオーリンが立ち上がり、男の肩を叩いて言った。
「ああ、めやぐでした。しゃべらいだとおり、けるでば」
【ああ、すみませんでした。言われた通り帰ります】
そう言って、オーリンはゆらゆらと千鳥足で店を出ていった。
「あ、ちょっと!」と慌ててレジーナも後に続いた。
◆
「ちょ、ちょっと先輩! どこ行くんですか!」
「宿など取らねぇ。田舎さ帰る」
「どうやって!」
「歩いていぐさ。二本の足でな」
「何を言ってるんですか! 落ち着いてくださいよ!」
危なっかしい足取りで王都郊外へ歩いていこうとするオーリンの前に回り込みながら、レジーナは大声を出した。
「いいですか!? 落ち込んでるのはわかりますけど、落ち着いてください! 大体歩いていけるわけがないでしょう!? なんの用意もなしに、お金も持たずに!」
「お前の知ったごでねぇ。とにかくほっといでけれで」
「ほっとけません! ギルマスの命令なんです!」
レジーナは粘り強く言い張った。
あくまで諦めるつもりのないレジーナに、ほとほと呆れたというようにオーリンは言った。
「わごどあんつでけでるのばわがるけどよ、わんつかすつけで、なよ。なすておらだけんたこものさかがわりあいになんだばて? マツルダさんさはなんどでもしゃべれるべや。ほっどげっつの」
【俺のことを心配してくれているのはわかるけれど、ちょっとしつこいぞ、お前。何故俺のようなつまらない人間に関わってくるんだ。マティルダさんにはなんとでも言い訳ができるだろう。放っておいてくれと言ったんだ】
「あなたがそれでよくても、私はあなたを放っておけないんです!」
なんで私がこんな田舎者の説得なんか――。
あまりに頑固なオーリンの言葉に、業務上の命令だとわかっていても、なんだか泣けてきた。
レジーナは小さな体を精一杯背伸びさせて、1.5倍は背の高いオーリンの顔を怒鳴りつけた。
「本当に先輩はいいんですか! お父さんとお母さんの期待を背負って田舎から出てきて! それでいいんですか!」
つい、言わないでおこうと思っていた言葉が口を衝いて出たのは、その時だった。
父と母。その言葉に、オーリンの碁石のような瞳が激しい動揺に揺れた。
「ギルマスから聞きましたよ! 先輩は七年前、田舎から王都に出てきたそうですね! お父さんとお母さんの期待を背負って! せっかく王都で七年も頑張れたのに、ちょっと挫折したからって諦めて家に帰る、それが本当に先輩の望んだことなんですか!?」
その言葉に、オーリンの顔がぐしゃっと歪んだ。
途端に、今までのほろ酔い気分とは違う、殺気のようなものがオーリンの身体から放たれる。
しばらく、レジーナの顔を怒ったように睨みつけてから、オーリンは思いがけないことを言った。
「――おらほのごでぁ、お前、知ってらか」
【お前、俺の田舎のことを知っているか】
レジーナは首を振った。
オーリンは静かに語り出した。
「わの田舎ば、アオモリどいう」
「アオモリ――?」
思わず、オウム返しに訊いてしまった。
アオモリ――それはこの国で使われている言語のどれとも違う、不思議な語感。
レジーナも知らない秘境の名前だった。
「知ゃねぇべな。東と北の、この大陸一番の辺境だ。人もあまり住んではねぇ。もちろんギルドなんつものもねぇ。王都でばあるものが、アオモリだばなんにもねぇのさ。東には広大な砂漠、西は人を寄せつけねぇ深い森、南には巨大な湖、北の果てにはこの世の地獄――。砂と山ばりの土地で、冬は何メートルと雪が積もる不毛の大地だ」
レジーナの顔から視線を外し、オーリンは遠くを見つめながら言った。
「それでも懐かすぃなぁ、もう七年も帰ってねぇのが――。アオモリにはトラやコブラもいるし、ゾウもいて、それだは大きく、太古のままに生きている――。おらの子供の頃の遊びといえば、オイワキ山やハッコーダ山から降りてくるドラゴンの子っこを捕まえで遊ぶごどであった――お前には想像もつかねぇべな。アオモリはそすたら場所だ」
オーリンは遠く、東と北の方を眺めた。
そこにはキラキラと煌く星たちが瞬いている。
「おらはそこのツガル村どいうどごで生まれ育た。隣村のナンヴ村とは何年か喧嘩すてあっだども、まんず平和などこでさ。リンゴやとうもろこしが美味くてな――わの家ばリンゴ屋であった。全体そうだども、おら家は村でも特に貧しがった。それでも、おらのお父どおっ母はおらを何不自由なぐ育ててくれだ」
はぁ、とオーリンはため息を吐きながら言った。
「この国でば、十五歳でスキルっつうものを見い出されるべや。俺さば【魔導士】のスキルがあってった。お父とおっ母は喜んでくれでな。きっとお前は都会で眩しく輝く星コさなってこいど――借金して支度して、立派におらを送り出してくれた」
それも、今日で終わりだ――。
そう言うように、ガックリとオーリンは俯いた。
「どうやって謝ったらいいべ、お父どおっ母さ――」
その時、レジーナの印象が間違いでないならば――。
オーリンはおそらく、隠さず泣いていたと思う。
「村総出で送り出してくれだのに、アオモリの訛りが元で追い出されたなんて、おら、申し訳なくて親さも友達さも言えねぇよ――」
オーリンは頭を抱え、胎児のように体を丸めて慟哭した。
今までの苛立ちもどこへやら――レジーナは情けなく背中を丸め、深く絶望しているらしいオーリンに、なんだか深い同情を覚えた。
今までは単なるうだつの上がらない田舎者だとばかり思っていたが、オーリンの絶望には、とても同情せずにはいられない切実な背景があったのだ。
そうだ、彼にとってお国訛りとは、単になかなか取れない障害ではなく、遥か先にある故郷を誇りに思う気持ちそのものだったのだ。
だが、皮肉なことにその訛りが彼の将来を閉ざしてしまうなんて――それは考えただけでとてもつらいことであるに違いない。
「先輩……」
思わずレジーナがオーリンの背中に手を回した、その時だった。
「おっ、お前、オーリンじゃねぇの?」
ガラの悪い声が聞こえ、レジーナは顔を上げた。
ひと目見てその意地の悪さがわかる顔つきの、金髪の男は、さも面白いものを見つけたというように肩を揺らしながら歩いてきた。
その顔に見覚えがある。この人は確か――。
「ヴァロン――? あなた、どうしてここに――?」
「あァ、誰がひっついてるかと思えば、お前、お茶汲みのレジーナかよ?」
ゲヒヒ、と小馬鹿にしたように笑い、ヴァロンはぐい、とレジーナの顔を覗き込んだ。
「なんだァお前、なんでこんな田舎モンと一緒にいるんだ? 股でも開いて小遣い稼ぎでも始めたのかよ? 一見してもコイツは上客じゃなさそうだけどなァ」
下品な物言いと共に、ヴァロンは拳でオーリンの頭を小突いた。
厄介な人間に捕まった――レジーナは内心に歯噛みした。
ヴァロン・デュバル――巨大冒険者ギルド・イーストウィンドで第一線を張るSランクの剣士である。
この国でも希少な【魔剣士】のスキルを持ち、その天才的な太刀筋と圧倒的な魔力量で幾多の死線を掻い潜ってきた歴戦の兵。
王都どころか大陸一円に名声が轟く冒険者の中の冒険者だ。
だが――その性格はお世辞にも、人の範となるべきようなものではない。
己の希少なスキルを鼻にかけ、ギルドメンバーを完全に見下し、弱いやつは仲間ではないとコケにして恥じない性格。
仲間の背中越しに攻撃を放つこともしばしばと言われ、何人かは実際に彼の手にかかって命を落としたのだとまことしやかに囁かれる評判の悪い男だ。
圧倒的な実績がありながらも、その素行の悪さからギルドマスターのマティルダにとってはまさに目の上のたんこぶとなっている男だった。
レジーナはなるべく平静を装いながらヴァロンに言った。
「ヴァロン、悪いけど今は取り込み中なの。絡むなら後にして」
「なんだァお前、いつからS級に意見するようになったんだ、ランク外のお茶汲みの分際でよ、ええ?」
厄介なことに――その時のヴァロンの声からも、強く酒の匂いがした。
参った――レジーナは自分の不運を呪った。ヴァロンはその性格の悪さ以上に、それに倍する酒癖の悪さを王都中に知られている男なのだった。
虫の居所が悪ければ見境なく客をぶちのめすこともしばしばで、一度暴れ出したら王都の衛兵隊が束になってかかっても敵わない。
畢竟、この男が酒場で暴れるたびにイーストウィンドの名声は地に堕ち、その巨額の賠償はいつもギルドの方で負担することになるのだ。
「ところでオーリン、聞いたぜ。お前、マティルダからギルドを追放されたんだってなァ」
ヴァロンはごつごつと拳でオーリンの頭を小突いた。
ゲヒヒ、と、ゴロツキそのものの笑い声を上げ、ローブの中のオーリンの顔をさも面白そうに覗き込む。
「しかも追放理由が笑っちまうじゃねぇか。なに喋ってるかわからねぇから追放って――俺は笑いが止まらなかったぜ、えェ? こんな理由でクビになった人間はこの世にお前ぐらいだろうな、おい」
オーリンが顔を上げ、ヴァロンの顔を睨むように見た。
その視線がカンに触ったのか、ヴァロンの眉尻が痙攣した。
「んだよお前。なんだそのツラは? なんか言いたいことあるのか、ええ?」
途端に、ヴァロンの身体から猛烈な勢いで酒の匂いが漂い始めた。
ただでさえ赤い顔が更に赤黒く変色し、オーリンに食いつくように顔を寄せる。
「俺は慰めてやろうとしてんだよ、あァ? これからどうすんだ、お前。背中丸めて田舎に帰るんだろ? 餞別に俺が笑ってやろうってんだよ、ありがたく笑われんのがお前らザコの仕事だろうが、違うか?」
それでも、オーリンの表情は筋一本動かない。
まるで彫像のような無表情でヴァロンの顔を睨み続けている。
それを見ながら、ヤバいヤバい、とレジーナは言いようのない緊張を覚えた。
この流れはよくない。何しろ、ヴァロンは性格は最悪だが実力は本物だ。
ここで殴り合いにでもなればオーリンといえど全く敵わない実力者なのは間違いない上、一度暴れ出したら気が済むまで暴れ続ける――そういう男だ。
咄嗟に、レジーナはオーリンの腰のあたりに抱きつき、ヴァロンから引き剥がそうとした。
「ね、先輩。気にしちゃダメですよ。お互い酔ってるんですから、ね――?」
その一言に、ヴァロンがレジーナを睨みつけた。
「んだよお前、俺が難癖つけてるとでも言いたいみてェだな」
「あ、いや、そんなことは――とにかく先輩、行きますよ! ほら!」
「待てってんだろうが!」
ヴァロンに髪の毛を掴まれ、有無を言わさずに引っ張られる。
突然捻じ曲げられた首の痛みを呻く間もなく、酒臭いヴァロンが顔を寄せてきた。
「そういやお茶汲み、お前のスキルも確かクズみてぇなスキルだったな。【翻訳】――だったか、お前のスキル? こりゃ傑作だよ。そんなクズスキル持ちのくせに、よくイーストウィンドの門を叩けたもんだって、俺たちよくお前のこと噂してんだぜ?」
そんなことはわかっていた。
オーリン以上に、自分のスキルが冒険者向けではない、何の役にも立たないスキルなのは、自分がよく身にしみてわかっていた。
そのせいで故郷の友達はレジーナのことを遠巻きにするようになり、時には露骨に差別され、馬鹿にされることさえあった。
けれど――どれだけ馬鹿にされても、自分には夢があった。
立派な回復術師になり、人々を助けるという夢が。
如何に自分にその才能がなくても。
求められていない人材であったとしても。
必死に努力し、経験を積めば、いつかは芽が出るかも知れない――それに一縷の望みを託し、自分は冒険者ギルドの中でも最大のギルドであるイーストウィンドに加入したのだ。
「おお、そうだそうだ。お前のクズスキル、この何言ってんのかわかんねぇクソ田舎者とはお似合いじゃねぇの? どうせコイツと一緒にいるってことは、お前もマティルダに一緒に追放されたんだろ、な? 今からこいつの馬の糞だらけの田舎に帰って世帯でも持ちな。餓鬼でもこさえりゃそこそこ幸せに――」
その一言に、レジーナの怒りが燃え上がった。
ギリッ、と歯を食いしばり、ヴァロンのニヤケ面めがけて唾を吐きかけてやる。
びちゃっ、と頬に汚れが張り付いた途端、ヴァロンが一瞬で青ざめるほどに激昂した。
「この売女が――!」
その怒声と共に、レジーナの顔に鋭く痛みが走る。
うっ、と顔を背けて手で覆うと、ぬら、と鼻から滴った鮮血で掌が汚れた。
思わず、キッ、とヴァロンの顔を睨みつけ、レジーナは涙目で吐き捨てた。
「このクズ!」
その一言に、ヴァロンの両眼が零れ落ちんばかりに見開かれた。
「このアマ――! 今なんつった!」
馬鹿、殴られたぐらいで済むならまだマシじゃないか――!
冷静になれと叫ぶ頭を無視して、レジーナはなおも言った。
「クズ、って言ったのよ! このチンピラっ! アンタなんかお呼びじゃないわ! さっさとどっか行け、この酔っ払いのドクズ男ッ!」
「ざけやがって――!!」
完全に正気を失ったヴァロンが、大きく拳を振りかぶった。
ヤバい、殴られる――! レジーナがぎゅっと目を瞑った、その瞬間だった。
「【拒絶】」
その声は鋭く、雷鳴のように響き渡った気がした――。
いくら待っても、殴られる衝撃が来ない。
え――? と薄目を開けたレジーナは、次の瞬間、驚愕に目を見開いた。
「なによ、これ――?」
目の前にあったのは、光り輝く魔法陣。
不思議な色に光り輝く障壁がレジーナの顔のすぐ前にあり――ヴァロンの拳を正面から受け止めていた。
次に大声を発したのはヴァロンだった。
「な――!?」
「おい、そごのとうもろこしのカス頭」
低く、ドスの座った声――その声が一体どこから発したのか一瞬レジーナは測りかね得た。
その声に気圧されたように、拳から鮮血を滴らせながら、ヴァロンはよたよたと後ずさった。
「女さ手ば上げるよんたクズ、アオモリだばどご探してもいねど。お前、なにやってらがわかっているのか?」
「な、何を――!?」
言っていることはわからないが、とにかく馬鹿にされていることはわかったらしい。
ますます赤黒く変色した顔でヴァロンが喚いた。
「んだよコラァ! 障壁なんていつ出した!? お前か! お前が――やったのか!?」
「だったら何だ」
「ふざけやがってェ! いっ、一体何の手品だァ――!?」
今度はオーリンに矛先を向けたヴァロンが思い切り拳を振りかぶった。
うわ! とレジーナが悲鳴を上げる直前、再び雷鳴のような声が響き渡った。
「【連唱防御】」
その瞬間、オーリンの目の前に再び光り輝く防御障壁が現れ、ヴァロンの拳を真正面から受け止めた。
ゴリ……! と身の毛もよだつ音がヴァロンの拳から発し、うぎゃあっとヴァロンが耳障りな悲鳴を上げた。
「な――なんだお前は!? いっ、いつ詠唱した!? この防御障壁はどっから出してるんだ!?」
砕けた右手をかばいながら、血相変えてヴァロンが喚く。
それを見ながら、レジーナはぽかんとオーリンの背中を見ていた。
一体何が起こってるの、何が――?
通常、ある魔法を発動するにはある程度の長い詠唱が必要だ。
その詠唱をする時間を稼ぐのがパーティの他のメンバー――戦士や剣士の役割であり、だから魔導士は戦闘中でも攻撃の届かない後方に控えているのが一般的なのである。
今の障壁は間違いなくオーリンの出したもの――。
それは間違いないのに、オーリンは詠唱をした形跡がない。
なにか一言――わからない言葉を呟いているだけだ。
「ふざけやがってふざけやがってふざけやがってェ! 俺をキレさせたらどういうことになるか教えてやらァッ!」
もはや冒険者でもなんでもない、ヤクザそのものの声を張り上げて、ヴァロンは腰に帯びた剣を抜き放つ。
途端に、その剣がぼうっと発光したかと思うと、凄まじい高熱を発して燃え始めた。
王都内で魔法剣を抜くなんて――! レジーナは正気を疑う声でヴァロンに向かって叫んだ。
「ちょ、ちょっとヴァロン! 何考えてるのよ! ギルドメンバー同士の喧嘩は御法度で――!」
「やかましいぞ腐れ女! 殺す! お前は絶対にブチ殺す、覚悟しろよ田舎者が――!」
「うるさい――【鎮火】」
オーリンが呟いた瞬間、ドバッという音とともに、ヴァロンが構えた魔法剣から水が滴り、じゅう、という音を立てて火が鎮火した。
今度こそぎょっと目を見開いたヴァロンは口をあんぐりと開け、オーリンの顔と剣の両方に視線を往復させた。
「な――!」
「どうしたSランク。俺を斬るんでねぇのか」
「あ――う――!」
狼狽したヴァロンは、終始何が起こっているのかわかりかねているようだった。
さっきまでの威勢はどこへやら、まるで怪物に出くわしたかのように色をなくした顔で呻き声を上げるだけだ。
「こ、このー―! 俺をコケにすんのも大概に――!」
「【強奪】」
その瞬間だった。まるでフィルムのコマ落としのように、ヴァロンの手から魔法剣が消えた。
あっ、と声を上げたレジーナと違い、ヴァロンは一瞬、そのことに気がつかなかったらしい。
一歩踏み込もうとして手の中にあるべき重さが消えていることに気づいたヴァロンが、声なき悲鳴を上げた。
「ほほう、悪ぐねぇな。これなら良ぐ斬れるだろう――」
オーリンは手の中に握られた魔法剣をしげしげと眺め感嘆した。
無論――その光景を目の当たりにしたヴァロンは、あ! と短く悲鳴を上げた。
それを見ながら――レジーナは今日の朝に聞いたマティルダの言葉を脳裏に思い出していた。
『オーリンには悪いことをしてしまった。本当なら彼の能力を活かせる場がこのギルドにあればよかったのだけれど――』
あの言葉は一体、どういう意味だったのか。
あの言葉は、このイーストウィンドでは彼の力を持て余してしまうことになると、そういう意味ではなかったのか。
オーリンにそれだけの実力があるなら。
オーリンが魔法を出す際に一言呟いている、あれが詠唱なら。
「無詠唱、魔法――?」
もし、オーリンの扱う魔法が、伝説に名高いあの無詠唱魔法だとするならば。
歴史にその名を残す大魔導士たちだけが扱えるというあの無詠唱魔法に、ごく近似するものであるとするならば――。
オーリンは一歩、ヴァロンに近寄った。
ヴァロンは恐れをなしたように一歩退き、二歩退き、そして必死の笑みを浮かべた。
「お、おい、冗談だろ? お――俺になにしようってんだよ……!?」
ヴァロンは一歩、また一歩と退がりながら引きつった愛想笑いをうかべた。
オーリンは無言で、もう一歩歩を進める。
「う、嘘だろ? なぁおい、わ、悪かったよ――謝るよ。だ、だから、おい! こっち来るな――!」
「先に乱暴ごとしたのはお前でねぇのが。こんなもの振り回し腐って――」
魔法剣を傍らに投げ捨て、オーリンが一歩踏み出した。
ひぃ、とヴァロンは泣きそうな声で呻いた。
「謝るのなら俺じゃない。お前が殴ったこいつに詫びろ。二度とこんなことをしません、許してくださいと言え」
すごい、【翻訳】のスキルをもってしても半分何を言ってるのかわからない――!
レジーナが少し興奮している横で、ヴァロンがぽかんとした顔を浮かべてオーリンを見た。
「早くしろ」
その言葉の冷たさに、遂にヴァロンは短く悲鳴を上げた。
そのままとりあえずというように地面に這いつくばり、恐怖から逃れるように額を地面に擦り付けた。
「わっ、わかった! 謝る! 二度とこんなことはしねェよ! だ、だから、頼む、助けてくれ――! ど、どうか、どうか――!」
仮にもSランク冒険者、仮にもあの素行の悪さで知られたヴァロンが、ガタガタと震えながら侘びしく背中を丸め、額を擦りつけて命乞い――。
この光景を見ているものがあったら大騒ぎになるに違いない土下座劇を睥睨しながら、オーリンはぱっとレジーナを見た。
「どうだ?」
「へ?」
「いいが?」
「は、はぁ――まぁ、正直許せませんけど――」
「それならもう少しいじめるか?」
「あっ、いいです! もうそれでいいです! もう勘弁してやってください!」
本気でやりかねない表情のオーリンに言うと、オーリンの表情が緩んだ。
そのままヴァロンに背を向け、レジーナに向かって手を伸ばした。
「立つべし」
「は、はい、あの――」
「なんだ?」
「あ、あの、今の先輩の魔法、あれは一体――?」
「え? 何が?」
オーリンはキョトンとした顔でレジーナを見た。
えっ? とレジーナもオーリンの顔を見た。
「何がおがすぃが? 俺の魔法」
「えっ、ええ――? 気づいてないんですか?」
「何喋ってらんだお前、あれは単なる魔法だべや。魔導士なら使えて当たり前だべや」
「だっ、だって! 今の全然詠唱してないし! おかしいですよ! そんな魔法使える人間が一体この世に何人いると思って――!」
そこまで言った瞬間だった。
ゴウッ――! と、まるで花火が打ち上がったかのように、赤黒い光がレジーナたちの背後から発して周囲を照らし出した。
びりびりと肌を震わすほどの物凄い魔力の噴出を感じて、レジーナははっと目を見開いた。
「こッ……この野郎がァ――――――!!」
レジーナが背後を振り返ったのと、半ば正気を失った絶叫とともにヴァロンが魔法剣を振り抜いたのは、ほぼ同時のことだった。
禍々しいまでの魔力を込めたれた魔法の斬撃が、じゅう、と大気を焦がすような音を立てたかと思うと――凄まじい速度で土塊を巻き上げながらオーリンに迫ってくる。
レジーナが悲鳴を上げた瞬間だった。
ふーっと、オーリンが呆れたように長く細いため息をつき、右手をさっと前に差し出した。
「【上位拒絶】」
オーリンがそう鋭く令した瞬間だった。
ヒュン――と、矢が風を切るような音と共に、巨大な魔法陣が眼前に踊ったかと思った瞬間、その障壁にヴァロンの剣撃が激突した。
瞬間、太陽の光さえ圧するような白い閃光がレジーナの視界を白一色に染め上げ、途端に耳を聾する轟音と衝撃が臓腑を揺さぶった。
思わず目を閉じて耳をふさぎ、その場にしゃがみこんで、自分の耳にさえ届かない悲鳴を上げた後は――何がなんだかわからなくなった。
どれだけそうしていただろう。
ふと――目を開けたレジーナの目に飛び込んできたのは――まるで影そのものになって目の前に立つオーリンの背中だった。
「え――?」
それから、レジーナは周りの風景を呆然と見渡した。
王都の外れの田舎道は、惨たらしく黒土をめくりあげ、広範囲に渡ってえぐり取られていた。
だが、その破壊の衝撃をまるでオーリンが盾になって受け止めたというように、オーリンと、その背後でへたり込んでいる自分の下の地面だけが――まるで切り取られたかのように無事に残されていた。
何が起こったの、何が――。
もう何度目かもわからない疑問が頭に立ち上ったとき。
オーリンが肩越しにレジーナを振り返って、静かに言った。
「無事だな?」
あ、あ……! という怯えた声が耳に聞こえてきた。
「な、なんなんだよ、お、まえ……!?」
ヴァロンは、バケモノを見るような目つきでオーリンを見ていた。
まさか受け止められると思っていなかったのだろう一撃を呆気なく防がれたことで完全に戦意を喪失したらしいヴァロンは、魔法剣を取り落とさんばかりに狼狽えた。
「【腐食】」
そうオーリンが短く言った途端、じゅう、という音が発し、ヴァロンの構えていた魔法剣が先端の方から変色し、見る間に赤黒く溶け出した。
「お、俺の剣が――!」
今度こそヴァロンが甲高く悲鳴を上げ、煙を上げて地面に滴った魔法剣の柄を毒虫が如くに手から払い落とした。
ゆら――と、そのさまを見ていたオーリンが、低い声で言った。
「わい、ゴンザレスこいだで。ここでちゃっちゃどけぇんだばしゃねふりすべどおもってだどもな。なごでぁ、もうはかんにすねど。たんげふったづげでやるはでおべでれや、このえじくされが――」
【おい、ガッカリしたぞ。ここで黙って帰るなら見逃してやろうと思っていたけどな。お前のことはもう許さないぞ。しこたま痛めつけてやるから覚悟しろ、この卑怯者め】
何を言っているのかわからないなりに、それが死刑宣告に近いものであったことは、このオーリンの凶相から十二分に察したらしい。
何やらわけのわからない悲鳴を上げて遁走に転じたヴァロンに向かい、オーリンは右手を目の前にかざし、そしてゆっくりと、静かに声を発した。
「ばげのくれのばわのけやぐ、あさまのまんつこさばわのひんひさばなって、わのしゃべこどはそのきれがただいこうばみせるもの。わのしゃべこどさいしょずてではってこ――」
「何を――言ってるの――?」
レジーナは一瞬、訛りが酷すぎて東洋の呪文としか思えない響きに目を瞠った。
それは一度も聞いたことのない不思議な語感の詠唱――それはいわば、オーリンが言うところの「アオモリ」の言葉にローカライズされた詠唱であった。
慌てて意識を集中させ、今しがたオーリンの言った言葉を【翻訳】して――そして、レジーナはその文面に驚愕した。
【夜の闇は我が眷属、朝の光は我が師となりて、我が言葉はその穢れなき威光を示すもの。我が言葉に応じて顕現せよ】――。
翻訳された文面を復唱する自分の声が、震えた。
待って、いくらなんでもそんなバカな。
この呪文には見覚えがある、この詠唱は、この言葉の連なりは――!
「みじこばいっとぎまになり、ずかんはむがしごとがらさきさばかっつぎ、そすてあずますぐねまる。えぱだだしゃべごとばふでっこによってかがさり、じゃっぱさなってつからばしめすべし」
【水は一瞬に過ぎ去り、時は古より未来に追いつき、そして安寧に鎮座する。不可思議なる言葉はペンによって筆記され、欠片となりて力を示すべし】――。
どくん、どくんとレジーナの心臓が鼓動した。
この魔法を、魔法を齧る人間ならば誰でも聞いたことがある大魔法。
誰もがその名を追い、究め、そして心ならずも挫折することになるだろう――偉大なる叡智の欠片――。
この詠唱、この魔法は――!
レジーナが目を瞠ったのと、オーリンが言葉を発したのは同時だった。
「【暗夜終焉】――!」
これは――歴史に名高い闇の禁呪魔法――!?
その瞬間、レジーナは自分の目にしたものが信じられなかった。
必死に遁走するヴァロンの足元にゆらりと立ち上った黒い影が、まるで渦を巻くようにヴァロンの足首に絡みつき、ヴァロンはもんどり打ってその場に転倒した。
それと同時にオーリンの立っている場所を中心として同心円状の影が地面に広がり、そこからわらわらと亡者のような人の形をした影が湧き出し始めた。
気が触れたような悲鳴とともに、寄りすがる影を蹴りつけようと足をばたつかせるヴァロンの抵抗虚しく、影は次々と人の形を成し、手を伸ばし腕を伸ばしてヴァロンの周りに殺到し始める。
「あぁ……あああああああ―――――――ッッ!!」
内臓そのものを振り搾るような悲鳴を発して、ヴァロンの身体がずぷりと影に飲み込まれた。
助けて、助けてくれ――! と涙さえ流しながら藻掻くヴァロンは、抵抗虚しく影の亡者に頭を捕まれ、地面に空いた漆黒の中へ引きずりこまれていく。
これが禁呪の力――通常の魔導士ならば、その習得はおろか、その真理の一端さえ垣間見ることもかなわないであろう、強大な魔法の姿。
この風采の上がらない青年が、最高位の魔導士ですら会得することが困難な「禁呪」の名を冠する魔法を行使してみせたことも驚きなら――Sランク冒険者を相手に満足に抵抗を許すことなく、いとも簡単に飲み込むその威力の禍々しさも、レジーナを戦慄に立ち尽くさせるには十分なものだった。
ヤバい、このままじゃ殺しちゃう――! レジーナは、闇に飲み込まれていくヴァロンを凶相のまま睨みつけているオーリンに言った。
「せっ、先輩! ヴァロンを――ヴァロンを殺す気なんですか!?」
オーリンは答えない。
返答がないことに苛立ったレジーナは立ち上がり、その背中を思い切りどついた。
「だっ、ダメですよ! ギルドの人間がギルドの人間を殺すなんて! ちょっと、聞いてるんですか!?」
それでも――オーリンは何も口にしようとしない。
レジーナの言葉が届いているのかいないのかすら、その表情からは全く読み取れなかった。
今やかろうじて頭だけ影の上に出ているヴァロンとオーリンを交互に見遣り、レジーナはオーリンのローブを掴んで揺さぶった。
「先輩、オーリン先輩! お願いです、やめてください! 先輩はこんなことをしに王都に出てきたんですか!? こんなすごい魔法が使えるのに、誰だって助けられる魔法を使えるのに、その魔法で人を殺すんですか!」
レジーナは半ば涙ながらにオーリンのローブを掴み、腹の底からの声で懇願した。
「落ち着いてって言ってるじゃないですか! 先輩、故郷のお父さんやお母さんに誓ったんでしょう!? いつか眩しく輝く星になってアオモリに戻ってくるって! だったらここで人殺しなんかになっちゃダメですよ! お願いです、どうか――どうかヴァロンを許してやってくださいッ!」
その一言に、フン、とオーリンが鼻を鳴らし、右手を降ろした。
途端に、ヴァロンを飲み込みかけていた影はゆっくりと消えてゆき――数秒後には、白目を剥いて失神したヴァロンだけが、えぐれた大地にぽつんと忘れ去られた。
ふわ……と、ヴァロンの一撃によって抉り取られた大地に、夜風が吹いた。
その夜風は、今まで死神であるように超然としていたオーリンの殺気を吹き散らしたように感じた。
「最初から殺す気なんてねぇよ。――剣もねぐなった、自信もねぐなった。もうあいづは冒険者などできねぇべ。その方がいい」
それは確かに――レジーナはヴァロンを見た。
ヴァロンは白目をひん剥き、びくんびくんと痙攣しながら泡を吹いて失神していた。
よく見ればズボンの股間にもなにかの染みがあって――間もなくここに駆けつけるだろう衛兵たちにそれを見られれば、まず王都に居続けることなどできはしまい。
凄い。本当にS級冒険者に勝っちゃった……。
レジーナは呆然とオーリンを見た。
普通の冒険者でも、ひとつ上のランクの冒険者を力づくで倒すのは並大抵のことではない。
そうだと言うのに、ひとつ上どころか数段上の、しかもS級冒険者相手に。
国内でも名声を馳せる魔剣士相手に満足な抵抗を許すこともなく、無傷で完勝してしまうなんて。
無詠唱魔法だけではなく、この世に使える人間がひとりいるかどうかの禁呪さえ簡単に操ってしまう魔導士――。
一度発見されれば大騒ぎになるであろうそんな人間が、誰からの注目を浴びることもなく、国内でくすぶっていたという事実。
この朴訥な男の顔の下に隠されていた圧倒的な魔法の才覚、これをマティルダは見抜いていたのか――。
まだ半分理解の追いついていない状態で、レジーナは飽くこともなくオーリンの背中を眺め続けた。
ふう、とオーリンは空に輝く星を見上げた。
そして、きらきらと瞬く星空を見上げて、ぽつりと言った。
「わの親や友達がらも、あの星コが見えでればいいな……」
その一言に、レジーナも思わず星空を見上げた。
月も出ていない日の夜空は格別に美しく、何だかいつもより澄んで見えた。
「ツガルもんは誰でも強情――そうだ、そうであったな。わも、なれるんだがな。あの星コみでぇに、きらきらまんつこぐ輝く魔導士さ――」
オーリンが独り言のように言った。
レジーナはその背中に、遠慮がちに声をかけた。
「先輩、あの……」
「ああ、わがっでる」
オーリンは静かに振り返り、レジーナの顔を見た。
「王都でもう少し頑張ってみねぇが、どいう話だべ? わがったって。お前が思い出させてくれだんだど。あの眩しく輝くアオモリの星コさなれるまで……あど少し、意地張って意地張って、王都で冒険者やってみるがなぁ――」
その一言に、わぁ、とレジーナは快哉を叫んだ。
「やっとその気になってくれたんですね! よかった! オーリン先輩、明日から私と二人、再出発ですね! よろしく!」
「ああ、俺の方からもお願いするびょん。えーと……レズーナだったが。よろすぐな」
レジーナの差し出した右手を、オーリンがガッチリと握った。
レズーナ、か。相変わらず物凄く訛ってはいたけれど、初めて呼んでくれた私の名前。
それがなんだか気恥ずかしくて、レジーナはオーリンの顔から視線をそらした。
「さて、そうど決まればさっさと帰らねばまいね。明日からは事務所探しだな。忙しくなるど――」
気恥ずかしかったのはオーリンも一緒であるらしい。
さっと踵を返して、オーリンは王都の中心の方へ歩き出した。
その後に続きながら、レジーナはずっと抱いていた疑問をぶつけることにした。
「ところで先輩、さっきの魔法ですけど――あんな大魔法、どうやって覚えたんですか?」
「何が?」
「だからさっきの禁呪魔法ですよ! あんなのこの国に使える人間が一体何人いるか……凄いじゃないですか。一体誰に教わったんです?」
「禁呪? 何喋ってるんだ、あれはアオモリでばリンゴ収獲用の魔法だで」
「は?」
レジーナは目を点にしてオーリンを見た。
何がそんなに気になるんだろう、というような表情で、オーリンが言う。
「リンゴもぎは人手が無ぇばまねがらな。あの魔法でいっぺんにもいですまうの。戦闘で使うのは確かに初めてであったども――あれはアオモリだばそごらの爺様でも使える魔法だど」
「えっ、ええ――!?」
「他にもニンニク手入れしたり、とうもろこし植えだり、牛集めたり――アオモリの人が使う魔法でばそんな魔法ばっかりだ。こんなもんでいちいちたまげでだらアオモリではアホって馬鹿にされんど、お前」
「な、何言ってるんですか!?」
どうもアオモリという場所は、我々の常識など全く通用しない土地であるらしい。
アオモリとは、そしてツガルとは、一体いかなる魔境であるのだろう――。
そんな驚愕を胸に抱きながら、レジーナとオーリンは家路を帰る一歩を踏み出した。
こごまで読んでもらって本当に迷惑ですた。
津軽弁さルビ振るのがホニ手間ですかだねがったす。
「おもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星ッコ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。
【VS】
6/26(土) 意外に反応あったので連載版初めました。
『【連載版】じょっぱれアオモリの星 ~「何喋ってらんだがわがんねぇんだよ!」どギルドをぼんだされだ青森出身の魔導士、通訳兼相棒の新米回復術士と一緒ずてツートな無詠唱魔術で最強ば目指す~』
https://ncode.syosetu.com/n0719hb/
よろしくです。