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監察課

自分の赴任先のアンセプス区は半壊した。サンデリー区の署員は殆ど死に、自分が捕縛した人は前の日の夜に寝てからの記憶がないという。署長はどちらも消息不明であるが砲撃と自爆で消失したものと予測される。最初に頭、指示役をうって、混乱を招き、全焼を狙ったものらしい。建物の崩れなかった辺りでも相当な被害もあり、崩壊した方では地下避難をした者が多く助かりはしたが、それでも被害は相当なものであった。自分は聴取の後、片付けの手伝いがあるものと思ったが、実家に戻っていた。聴取でなにを話したか覚えていない。なにか怪しまれる事でもあったであろうかと思いながら、自室のベッドに横たわり天蓋を眺める。毎日そうぼーっとしていた。そんな毎日のうちに、客が来たと言われて自室に通されてきたのがリア少年であった。

「よう、元気かって、全然駄目そうな」

横たわったままの自分を覗き込んで呆れたような笑み。応接間でなく、自室に通すのは珍しいなと、使用人に聞かれたことに返答をした覚えのないことを思う。リア少年はベッドの脇に座る。その背に声をかける。

「ロアが死んだ」

「あぁ……」

「私が倒さなかったから死んだ。私を狙ってきた時、捕縛していれば、なにも」

レア班長も怪我もしなかっただろう。腕を無くした人もいて。

「私を狙った刃を避けていればロアにそれが返ることもなかった。考えても仕方ないとわかっている。起こったことは覆せない。起きる前にどうにかしないといけないのに、私がロアの言いつけを守らなかったから、ロアは死んだ」

あの場で起こったこと全て。

「ロアがどうして」

どうしてあぁなったのか。

「操り方が分からない。攻撃しろとの、命令が脳に」

なんであろうか。

「動かされているようで、そうでない。他の人は確かに霊力流の」

ロアは口をきき、攻撃の狙いも正確。

「ロアはどうであったかきちんと見れていなかった」

「そうか」

柔らかい声。

「ロアは、選択肢がないと……、操られずに、見張られていた?」

「……知らんけど。しかし、そうか、本当にあいつは勝手に自分の行動を決められるのが嫌いなんだなぁ」

「……」

「死ぬより嫌なこともある。それが操作の力量に逆らわせたのかもなぁ」

「……わかりません」

「ルシャを傷付けるのは死ぬより嫌だったんだろ」

「……」

「なんか……別の意味で傷付いていそうだけど」

「……別に、ただ嫌いという相手を怪我もさせたくないとは、随分と人が良いと思います」

「……それは、……うん。だなぁ」

リアのなんともいえない声を聞きながら、その背を見つめた。

「傷付いているのでしょうか」

「付かんで、いいけど」

「なにもない事に出来なかったことに、悩まされているだけでしょうか」

「んー、ん。あぁすりゃ、こうすりゃってのは、後悔で、よくあるっちゃあるし」

「……、悲しみも、悼みもしない相手を、どうして傷付けることも出来ないのでしょうか」

「……お前は、なんでロアを捕縛出来なかったんだ?」

「……」

「他のサンデリーの署員も、倒せなかったか?」

「……ロアに殺す気はありませんでした」

「まぁ、別に、お前がどうであろうと、ロアはただ嫌だったんだろ。それはロアの意思でしかない。さっきも言ったろ、ロアは操られるのが死ぬほど嫌で、嫌で、他の止まり方がなかったから、ルシャを利用した。そう思うと勝手な奴だな」

「……そう、ですか?」

リア少年のこちらを見た顔は笑んでいた。ロアも。伸びてきた手に頭を撫でられる。

「ロアが、手を握っていたんです。私の」

「あぁ……、寂しかったんだろ。死ぬときに、一人じゃないって確かめたかったんだろ」

「……人は死ぬものです」

「……うん」

「虫を潰すみたいな音もなく、死にました」

「ふっ……お前、いや、ロアもロアだけど、えっと、うん。手を握るのは怖いか?」

顔の前で手を振られる。

「元々好きじゃありません」

その手に手を伸ばして、指を当てる。温い手。

「生きて動くってなにでしょうか」

止まっていく感覚。ロアも母もこれが動かなくなった。

「気味が悪いか?」

「はい、とても。かといって、動かなくなるのも、それが動いていた、似たものと思うと気味が悪いです」

「そうか、まぁ、しゃぁないし。そういう所はそこまで悪い所でもない気がするしなぁ」

「悪い?」

「あぁ、すまん。俺の了見で計って。人の性格に良い悪いもないよな」

「……そこまで、思えません」

「そうか。で、身勝手をしたロアのことは許してやれそうか?」

「……分かりません。……死者のせいにしていいのかも」

「ん」

指が握られて、リア少年に笑まれた。

「存外繊細だな」

無神経とは逆っぽいそれ、だから存外ということだろうけれど。

「リアはあいも変わらずお優しい」

「ふはっ、どうだかな」

指から離れた手にまた髪をぞんざいに撫でられる。

「じゃぁ、な」

ぽんぽんと撫でてリア少年は立ち上がり、なにかに止まった気もするけれど、出て行った。



「 呼ばれて来ました。覚えてる?」

平坦な声がそう言った。カツラ九席の出現に流石に上体を起こす。こう考えるとリア少年には甘えてしまっていた。しかし、紙で飛行機を作ればと言っていた相手である。

「飛ばした覚えが全くないのですが」

「君のご友人が」

「……あぁ」

リア少年が立ち止まったあたりの棚の上にシガーケースが置いたままになっていた。

「それで、用事もなければ考え事の溝にもハマるだろうと。一つ、二つの選択肢を用意してみた。どっちも断ってもいいから三つか。うん、好きにしたらいい」

「……」

「一つ目、俺の所に来るか。環境課の研究室な。もう一つは内偵というのか監査官か、今度そういう課が構軍に新設されたというか、されるのか。ともかくなくて済めば良いが、組織には必要らしい、内部洗浄機関が出来る。そこに推薦出来るから、どっちか良いなら言ってくれたらそうする。どっちもいらんなら良いが、どっちも人死にとはちょっとは離れられる」

「……止められましたか」

「樹の国が認めてはくれないが、あれは昔樹の国にいた霊獣の残像。物体操作を可能にするゲノムとかいう霊獣の眷属の生き残り。それ自体に意思はなく、それを使って人が操作したものだと思っている」

「ゲノム……。確か、樹の国で生物以外の操作が可能とされて、色々運用されているそうですが、輸出も禁止されていると法で決まっている」

「そう、公にされているうちの二つの違反がある。いや、一つは違反というか、出来ないとされる事が出来ているだけだけど。あぁでも人に使ってはいけないって法が樹の国にはあるとかなんとか」

「それは」

「やれるって事だろうに」

カツラ九席は相変わらず美しい術式を纏ったままに笑む。

「違反を取り締まるのが監査課、原因究明は研究室でもする。後者は環境課の範疇であれば、前者は主に機構軍の範囲であれば。誘えるのはそういう制約付きだけどどうする?」

「……望んでいいのなら、監査課に行きたいです」

「んじゃ、そうしとく。……研究室には興味なくなった?」

「いえ……、監査課で役に立てるかは分かりませんが、そちらでは必要もなさそうですから」

「……そういうので、監査課勧めたわけでもないんだけど」

「いえ、そういうことでは。ありがとうございます。後ろ向きなことを言ってすみません。防ぐことに時間を費やせるなら、どこでも、と言っては失礼ですね。すみません」

「いや、いいけど。まぁでも、防ぐか。事が起きってからの調査も多いいと思うけど?」

「そういう事を暴き立てて、前例を上げていけば、防ぐ為の法整備も整っていくでしょう」

「……まぁ、理想形かな」

「……」

理想か。馬鹿みたいな事のように聞こえるそれ。ゲノムのことは、国に何も言えなければ意味をなさないのだろうか。ゲノムといえば物の動力部扱いのはずであるけれど。

「ゲノムのことですが、遺体は動かせないのですか」

物体操作が基本であれば幾らでも動かせそうなイメージである。

「あぁ、死んだら、脳内の行動命令が途絶えるだろ?全員を同じ動きで動かすなら一人の操作役で済むけれど、違う動きをさせようと思えば違う動作命令を複数頭で出せる操作役が必要になるけど、あの人数はさすがに無理。攻撃する命令形の頭の司令役的細胞?を乗っ取らせてやったんだろう。これはこれで難しいと思うけど、同時操作と違って一度操作をやって同じ命令を出し続けるだけで済むかなぁと、予測中。意識ないとそれはそれで難しいから外れている気もするけど。立証は現物が手に入らないから難しいし。他の予測も立てるだけ立てたいけど、どうせ調べられないと思うと、やる気が出ない」

「そうですか」

「そういえば、ロサケアだっけ、あの時君と一緒にいた。彼の死体が見つかってないみたいなんだけど、なんか知ってる?」

「……すみません、その辺りの記憶がありません」

覚えていない、いつあの手が離れたのか。いつのまにか仮設の救護所で座っていた。遺体回収は後回しにして、ただただ避難が優先されていた。あぁ、体は動けたのに、頭が何か拒絶していて、確かに役立たずであった。帰されるのも無理はないと今更納得した。

「まぁ、いいけど。見つからないのは多いいけど。砲撃や自爆でだったから気になって。死を確認した人はいるし、生きてたってことはないと思うけど」

「傀儡ですか?」

遺体から作るというそれは世界法で禁じられている、異端の術とだけ聞く。

「多分違うから、大丈夫。あれは、その人間の死の血が染み込んだ土が必要だけど、その辺りの路面が掘り出された形跡はなかったし」

「そうですか」

死んでまで人の都合に勝手をされては、思うに余りある。

「ロアの望むままになっていればいいのですが」

「ん、んー、まぁ、よくわからないけど、そうかな。難しい話に思うけど」

「……そうですか」

ノック音が響いて、ドアが開かれる。そこで使用人がカツラ九席の姿を見たら、息を飲みはく。

「どなたですかっ」

「あー、気にしないで」

今白衣で制服ではない。使用人はばたばたと廊下を走って行った。

「また不法侵入ですか」

「えー、前は見せたし」

不満気であるが、見せたのは身分証でなく、依頼書のようなもので。

「今回は本体でないから」

本体?グッと顔が寄せられる。

「君の眼を誤魔化せたら合格点かとも思うけど、君は俺の術式に見惚れすぎるから、どうだろ」

紙を一枚渡される。

「なにかあればどうぞ」

そこで、表面の術式が内側に崩れていく、綺麗な煌めきと共に、花吹雪のように掻き消えて、一枚の人型に切られた紙だけがひらひらと床に落ちる。立ってその紙を拾っても術式は見えない。

「美しい」

紙にはなにも残っていないけれど、息吸う。脳裏に美しい術式を刻み込んで、息を吐いた。



どうやら家に帰ってから一言も口を利いていなかったようで、どうにも、家の人達には心配をかけていたらしい。リア少年とは話したがと思うけれど、客が来ているのに聞き耳を立てることもないようで、お茶も出さなかったのはリア少年がさっさと帰ったからか、断っていたのかどちらかであろうか。そんなわけで、でもなく、心配の和らいだらしい家の者に見送られつつ、職場に向かう。中央区であるため通いで構わないらしいが、課として新設されたとあってか、課の場所は飛行船であった。格納庫にある航空邸というのか、胴体のような浮き袋と推進力のヒレ、魚のようなそれに住居スペースはきちんとあった。住居というか事務スペース。運転するところは他にあるのだろうか。よくわからない。ただ前に浮くための術式や、中に空気を貯めて置くための術式、方向操作のための術式など、色々配置されているものが行儀よく落ち着いていて、柔らかい印象を与える。凄く繊細で細やか。乗る者の為の心地いい術式。

「こんにちは、この艦の艦長、エレナと申します」

小さな頭に薄紫がかった銀の髪を綺麗にまとめつつ前髪を横髪のように顔に添わせる。薄黄色に緑の線が入る丸い眼、透けるような白さで、霊力が全体に透明感を与える。術式はない。一般的な制服の防御術式だけ。色は白いので一般的な制服とは違うと思うけれど。

「今日付けで、監査課に配属されましたルリチシャです。よろしくお願いします」

「はい、こちらがウチの制服になります」

「ありがとうございます」

蓋のない箱に入ったそれを受け取る。階級が少尉に上がっている。なにもしていないのに。

「研修を開ける前に離脱してしまいましたが、階級が上がっているのはどうしてでしょう」

「……あとで確認をとって起きますが、真面目なのは良い事です。気になった事があればなんでも聞いてください」

「はい、ありがとうございます」

「私は出来れば此処を残念な課にはしたくないのです」

「……はい」

残念、とは。

「脅し半分の聞き取り調査だけでも良いとは言われていますが、証拠をあげて明確化を図りたいと思っております」

「脅し、とは、なにでしょうか」

「疑義をかけられた者のうち、私やシーナ補佐官に記憶解読されたくない者は皆黒、疑義に見合ったなんらかの処分を言い渡すと。……、人事部が楽したいだけの課にはしたくありません」

「そうですか」

記憶を覗き見る能力、普段は制限をかけていて見れないらしいが、意思で制限をかけられるのか、術式は見えない。

「そんなわけで、学園への潜入調査をお願いします」

どんなわけか、聞いたことを呼び起こすよりもなによりも。

「私には不向きかと思います。嘘というもののつき方がよくわかりません」

「……そうですか。なら、そうですね……。けれど、シーナ君一人に行かせるのは不安でして。能力的には問題はないのですが、いえ、勝手に記憶解読したりはしませんよ?」

「はい」

エレナ艦長とシーナ補佐官は北の研究所の遺物といわれ、石付きでもないが、能力は人並み外れて、どこか不可思議。よくわからない存在で扱いあぐねていた所に、機構軍の人事部長が今回の職に臨んだとのことである。

「そうですね。モカ大将が心配して保護者的な付き添いとして、ちょうど……ストレス事案で休養していた歳の近いルリチシャ殿を……というのは、すみません、不謹慎ですね」

「いえ。なにもせずにいても塞ぎ込むばかりなら、仕事でもしていた方が楽であろうと家の者に望まれましたので、仕事に臨むには不遜な態度でした」

「そうですか。そうですね。新規配属先の上官に休養ついでに大将の子供の面倒でも見るように頼まれたことにしておいてください」

「はい」



そんなわけで、汽車でその学校のある区、リカステ区に向かう車内でシーナ補佐官といた。黒い髪に透けるような黄色の目、体躯は華奢でやはりシーナ補佐官に術式は見えない。汽車の術式は動力部の安定にある。初動は石炭で、あとは霊石、山になると石炭動力が加わる。

「どうしましょう、僕の名前」

「シイナさんでしょう?」

「……さんはやめておこうか」

「はい、気をつけます」

君がいいのであろうか。しかし。

「お加減優れませんか」

「あー、うん。かもしれない、かな。……前に出かけた時に攫われて」

言い淀んで、寂しそうに俯く目。

「いい人に助けてもらえたので、大丈夫ですけど」

寂しそうに笑う。

「大丈夫です。私は攫われた時に隣の子が助けて下さいました」

「え?」

「あぁ、違いますね。流した方がいい話題でしたか」

「……君は、大丈夫だったの?と、いうか、……あれ?子?いくつ?」

「お互い七歳ぐらいであったと思います」

「わぁ、人を助けるには早熟な」

「攫われるには適度でしょうか。相手の顔も認識しておりませんでした」

「うん、そう言われると困るんだけど」

「すみません、不適切な言い方でした。今はもう防ぐ立場でした」

「……誘拐された僕って」

「すみません。利用価値の問題でしょうか」

「ううん……普通のって言ったら変だけど、女郎屋……じゃないか。その辺りの店に売られたから。……攫われる事は我慢したんだけど、店では意識介入しちゃって、駄目なのに」

許可のない能力の使用をシーナ補佐官とエレナ艦長は禁じられている。

「防衛本能は大切でしょう、取り返しのつかないこともあります」

「……だと、いいけど。うん。ちょっと怒られたけど。なんか心配かけたことに怒られたみたいで、能力使った事は見逃してもらえました」

困ったような笑み。規律と規範、重んじるべきであるのに、その使用制限が正しいのかどうか、その能力を持った者の良識に委ねられるとすれば、意識介入、それは使用方法によっては怖い事なのかもしれないけれど、もしもの時の防衛力を一個人であろうと奪われていいものでもないのだろう。どう言えばいいのか。石付きは体術戦闘を覚える事を疎まれていたようであるけれど。

「シーナさ、君は、体術戦闘の武道などは?」

「全然、なんか向いてないみたいで」

「怪力そうですのに」

「始めて言われた」

シーナ補佐官はその華奢な腕を撫でる。

「霊力値が、高いものと思えます。霊力が高いと力量に影響されませんか」

「あー、僕のそっちに方向には、と、抑えるの、と。忘れてた」

シーナ補佐官は鞄から眼鏡ケースを取り出し、取り出した眼鏡をかける。

「分からなくなった?」

「……多少は」

あれだけの霊力を内包として調整をきちんと出来ているので十分に思えたけれど、潜入調査という名目上、霊力値が桁外れという事実も明らかにしたくない意図は分かるけれど。

「特徴のない術式ですね」

その霊力を誤魔化せるのだから特別ともいえようが。

「……、見えない術式のはずなんだけど……。術式見える目なんだっけ、変わっているよね」

「シイナ君は見えませんか」

「見えないけど。普段から能力制御しているからか、元からの仕様か、んー」

シーナ補佐官は眼鏡を目をすがめて見る。

「見えなくする術式が見えてるの?制御まで見えてる?」

「えぇ、どちらも」

「なんか……。うん、制御のしようもないんだね」

「しなければなりませんか」

出来るかも知らないけれど。

「僕には、なんとも」

困ったような笑み。この小柄で華奢な自分よりも幼く見える補佐官は、どれだけ制御に力を入れてきたのだろうか。そうしなければ生きられなかった苦労を慮るべきだったのだろうか。よく分からないままに、たどり着いたリカステ区で学校に向かい、職員室へ。旅の荷物は預けて、必要な物を持って教室へ。シーナ補佐官は高等部一年、自分は二年。教室が分かれるとなると一緒に来た意味があるのか疑問であるけれど、寮でだけでも一緒であることに意味があるのかもしれないと気にしないことにする。歩いている間はそのようなもので、教室に入る教師の後を追って入った。

「はーい、おはようさん」

教師の入室と同時に、静まりそうだった教室ないにさざめきのように、広がる言葉の群れ。後から入学する人間など目立つのだろう。けれど、今注目されるのが好きではないと知る。

「はいはい、見ての通り、転入生のルリチシャ君です。みなさんよろしく」

「……よろしくお願いします」

頭を下げる。ちょっと悲鳴にも近い何か。そういえば、女子生徒がいるのだなと。

「ルゥ?」

後方で声を出して立ち上がった少年がいた。青い目をして焦げ茶の髪がはねている。自分を見て捉えて離さない目が近付いてくる。

「ルゥ、ルゥでしょ」

肩に伸びてくる手に身を引いて逃げる。なにか。がんっ上体を後ろに引きすぎたせいで頭を打つ。硬い黒板で痛い。

「ルゥっ、だいじょ」

伸ばされる手に身を屈めて避ければ、パタリと転ぶ事になる。そんな親しみを込めた声で呼ばないでほしい、そんな親しみを込めた目で見ないでほしい。

「フゲンやめたれ、ルリチシャ?大丈夫か」

教師がフゲンとよんで少年の首根っこを掴んで身を引かせる。

「迫りすぎだ。驚かせるな。なんだ、知り合いか」

「小さい頃、隣に住んでたんですよ」

「あー、残念だったな。ルリチシャの方は覚えてないみたいで」

「いやちょっとまって」

「あ」

「あっ、思い出した?」

「誘拐の」

「うん」

「お前、誘拐したのか」

「違うよ。助けたんだよ。ねっ」

確かめられるように見られて頷く。凄い勢いに身を引いてしまうけれど。

「あぁ、ともかく、席に座れ。ルリチシャ、君の席は後ろの、残念ながらフゲンの隣だ。鬱陶しかったら席替えしてやるから言いなさい」

フゲン少年に手を差し出されるけれど、それを取らずに立ち上がる。それにどうしてそこまで寂しそうにするのか。助けられていて忘れていたのは確かに失礼だったけれど。言われた席に着く。教科書の積まれたそこ。転入生がいる事は分かりきっていたのではと思うけれど、教師の話を聞きながら、今日時間割通りだというので、一時間目の教科書を残し、他を順序よく取れるように、詰めて今日いらない分を鞄に……所定のロッカーがあると言っていただろうか。教師は朝の知らせを終えると教室から出て行った。それと同じくして隣の席のフゲン少年が立ち上がる。

「ごめんね、驚かせて。そういやルゥは人肌嫌いだったね」

こちらの机に手をついて微笑み言って、そのまま腕を組むようにしながらしゃがみこむ。

「いえ、自分でも驚きすぎたと思います」

「はは、そっ?ならいいんだけど」

「その手」

片方の手に手袋をしていて、その手袋に術式がある。あと足の方にも術式。同じような術式の者がこの教室にもう一人いた。自分の席からフゲン少年を挟んで向こうに席にいる少年。

「あぁ、札付きだよ。普通に見えるの言っちゃダメって言ってたのに。でも、この学校には義手とか義足とか隣の大学で作る間に通っている子もいるから、あんまり見ない方がいいんじゃない?苦手でしょ、人の動きを動かすもの」

「……気をつけます」

見ると怖いものがそこら中にあるように言われた。確かに、服に霊力干渉を受けないための防御術式を施した生徒がいる。角度上そこまできちんと見回せていないが。

「札付きという事はフゲンさんも軍人ですか」

「フゲンさんって……フゥって呼んでよ」

その笑みはどこか遠く見える。

「すみません、覚えておらず、助けていただいたことは覚えていますが、顔も忘れてしまっていて、幻のように思えていました」

「ふふ、幻って。幻のヒーロー的な?」

「……ありがとうございました」

「いいよぉ。それは当時散々おば様から聞いたし……。しかし、もってことはルゥも軍に?おば様がよく許したね」

「母は死にました」

「あぁ……そうだったね。ごめん」

「いいえ……、反対していたでしょうか」

「まぁそりゃ過保護だったし……、こんな言い方したらあれだけど、さっきの反応何かあった?って誤解されちゃうよ?」

「なにか、とは?」

「ふはは、ルゥは綺麗なまんまだね」

「なにのことでしょうか」

フゲン少年は懐かしむように目を細めた。

「札付き募集があって、志願して札付きになった。従軍経験も……。ねぇ、ルゥ、ルゥは」

言おうとした口がそのままに、どこか捉えどころのない目でこちらを見て息が吐かれた。

「ごめんね。おば様と約束したのに君のナイトのままではいられそうにないや」

「なにでしょうか?なにを約束されたのですか」

「……うん。守れないこと言っても仕方ないしね」

寂しそうな笑み。フゲン少年であれば母の死を悼んで悲しんだであろうか。その目を見る。

「そういえば、ここは械の国の共同区でしたか」

「……んー、学研都市って言うのかな。俺の父さんは大学で義体の神経系伝達?頭で考えて動くのの術式の研究開発と教授してる。母さんも教授だけど天文学、母さんは術式には興味ないから械の国では変人だったけど、ここじゃ普通とまでいかなくても、父さんより変人じゃなさそうな。ルゥ会う?父さんに会うのをおば様は嫌がってたけど、義体のこと手伝わされても困るだろうけど、……んー、母さんの方がいい?ここって丘の上に天文台あるんだよ?」

「関係者以外が入っていいのですか?」

「あは、興味あるんだ」

嬉しそうな笑み。

「なら、母さんに言ってからにしようか。どうせ母さんが天文台の主任だし、もう一人のお兄さんも優しいから大丈夫だよ」

「二人で運営をされているのですか」

「運営っていうか。観測しているだけだし個人経営に近いよね。記録術式でほとんど賄えるって、それに興味あるの?」

「あるかもしれません」

「……魔装にも?」

「術式の記録観測、記録の蓄積知識として使えるのではないかと思います」

「なんか変なこと言った」

「フゲンさんの魔装では出来ませんか」

「あー僕のは火霊との契約になっているみたいな。方向性ってのかな。ある程度向き不向きで決まるみたい。面白くないかな」

「……よく見えません」

「一応魔装ないと、ほぼほぼ無意味だし。きちんと切っていれば、ただの刺青風?」

綺麗には作られているけれど、好みでないのか、美しいのかわからない。

「ハクは、たまに霊障起こすけど」

フゲン少年は振り返り、自身の机越し座る少年に手を振る。少年はそれに煩わしそうな様子を見せ、来い来いするフゲン少年に手で断りを入れている。フゲン少年とは違う方向に濃茶の髪、緑色の目で拒絶。

「水霊ですか」

「そうそ」

こちらに向き直ったフゲン少年が妙な表情をした。

「ハクの元の霊流に干渉してる?」

「えぇ、水霊は血との結合が得意ですから、身体侵略に似たこともするのでしょう」

「あー、嫌なら見ないでいいよ。表情険しい」

「あぁ、すみません」

眉間に力が入っていただろうか、指でもむ。

「でもやっぱりハクのせいじゃないんだね」

よくわからない言葉。

「なにがでしょうか」

「なんか、ね。暴走するのはハクが感情制御出来ていないからじゃないかって」

「あぁ、まぁそういうこともあるかもしれませんけれど」

サン少年がたまに制御域を出て冷気を出していた。

「どう思う?」

「どちらの要因もあるのではと、複合的理由ではありませんか。仮説を立てたとして、実行しにくいもののようにも思いますし、断定する要素はありません」

フゲン少年が感情制御出来ているかも怪しく思うし、そういう霊障が起きやすいとなると適合試験などの時に落とされそうなものである。

「そういえば、札付きの兵士で、学校に?」

「その下りはハクには聞いちゃ駄目だよ」

寂しげに言われても忘れてしまいそうであるけれど。

「んとね。一応使えるのはわかったし、学業優先?」

「……志願は」

「ルゥはどうして?兵士なのに学校、しかも中央区じゃないの?」

「休業を言い渡されまして……」

なんであったろうか、シーナ補佐官とも汽車で色々話していたけれど。

「その折、モカ大将の息子さんが中央区の学校に馴染めず、人嫌いになってしまってもなにだから、他の学校にでもと」

確かそんな話。

「一人で行かせるには不安で、そんなところだったかと」

「うん、なんかなんだろ。モカ大将とおじ様って知り合いだったの?」

「さぁ?」

知り合いでもおかしくはないと思うけれど。

「モカ大将の息子って、大佐じゃなかった?」

「大佐?……あぁ、シイナ君は御養子です」

そういえば、モカ大将の実子の大佐が監察課と人事部との繋ぎ役でそのうち監察課の副艦長なる予定と紹介されたか。

「……なんだろ、微妙なズレが」

「すみません。あまり、把握出来ていません」

「うん。ルゥ、周りに流されてよくわからないまま判断しないのはよくないよ。ルゥなら言ったら聞いてもらえるでしょ?」

「……判断してから流されたような気もするのですが、家に居ても塞ぎ込みがちであるからと勧められましたので、その時の判断には確かに自信が持てません」

「ん?んーそういや休養って?」

「それは」

口にしようとして、止まった。

「研修先で、……」

なにであった?聴取の時なにと答えた?

「ルゥ?」

「人が、死にました」

あぁ、そう大量に。ロアだけでなく。

「役にも立たず、邪魔でしか」

だから?

「そんな自分が、自分でなければと」

そうであったか。

「すみません、ただのわがままです。家にいても考えが上手く至らず」

「うん。そう。一人でいてもなんだしね」

立ち上がったフゲン少年は緩く笑む。

「関係ない事もしたら気も晴れるよ。星も観に行こう、折角だし目一杯楽しまないとね」

「……はい」

予鈴が鳴って、フゲン少年は席に戻る。教師も入ってきて授業が始まった。



「美しい」

ほうっと息をついて、口に出していた。

「ルゥ?」

廊下で美しい術式に見惚れていた。足も止まってただ見送っていた。あの人は?制服を着ていた気もするけれど、術式が美しくて、顔もなにも把握出来なかった。

「ルゥー」

耳元で呼ばれて肩が跳ねる。

「すみません、その美しい術式を見かけ」

「そういうの口にしないの。見られる方も気分良くないかもだし、その能力バレたらバレたで事だよ。狙われちゃう」

それは前にも言われた気がするけれど。

「術具で見れるようになるのですから、肉眼の利便性など大してないのではないですか」

「うん。さっさ帰ろ。寮の荷物整理あるでしょ。手伝ってあげる」

「大した量もないので、必要はないものかと思います」

授業も終えて放課後である。シーナ補佐官とは昼の食事時に顔を合わせたけれど、疲れた様子であった。部屋に人を入れていいか分からない。

「いけず」

「はい?」

「いいんだけど」

「フゲン」

フゲン少年を呼び止める声はハク少年であった。

「部活、忘れているのか」

「えー、忘れてないけど、外せない用事が」

「外せない用事があるのでしたら」

「うん、だから、部屋の片付けのね」

「手伝いでしたら必要はありませんので、どうぞ、部活?に行かれて下さい」

「おふ」

「ルリさんっ」

よくわからないフゲン少年の反応を見ながら校舎を出ようとしたところで、抱きつかれていた。相手はシーナ補佐官だから人の感覚もなく構わないのだけれど。フゲン少年の手前引き離した方がいいかと思えるのに、不安に揺れる目に見られて困る。

「シイナ君?」

「逃げて下さい。いいえ、匿って下さい、というか、なんですかね、コンパス違いすぎて」

「判断出来る情報をいただけていないので、落ち着いて」

「シーイナっ」

嬉しそうにシーナ補佐官に伸びる手を弾いてしまう。札付きの術式のある手。

「なに、お前」

そう言って、桜色の透き通った目に睨まれて、瞬く。なに、で、あったろうか。手の感触が肌に残るのが気持ち悪い。

「ニシキ、なにしてんだ」

「あー、ハク。僕のパーフェクトキュートなシイナが取られた」

「僕のってなんですか、僕のって。僕は僕です。今朝からおかしいんです、この人」

シーナ補佐官は自分の背に張り付き盾にして、指を指して文句を言う。

「同じクラスですか?背の高い」

成る程、コンパスは方位磁針でなく、円を書くもので、足の長さの例え。多分。そういえば、円を書くコンパスはどうしてコンパスであったろうか。そして札付きの術式。眺めていればハク少年が口を開く。

「君のじゃない、シイナ君?を庇っているのはウチのクラスに転入してきた、ルリチシャ君。ルリチシャ君、こっちはニシキって言って俺の幼馴染で一つ年下、可愛げなく背が高く育ったけど。えーっと、でニシキはマジでなにをやってるんだ」

「完璧に可愛いから、手に入れたくなっちゃった」

満面の笑みにハク少年は言葉をなくした様子。

「僕のルゥだって完璧に美しい造形だよ。手ェ出したら怒るよ」

「ルゥ?」

「うん。幼馴染だよ昔お隣さんだったから」

「お隣さんって械の?」

「ううん、中央区。ルゥはコンフリー老師様の一人息子で、おば様がねこっ可愛がりしてたから、お屋敷から殆ど出かけもしてなくって」

なぜ、シーナ補佐官までびっくっとなって驚きの目で見てくるのか。

「って、ごめん隠してた?面倒くさいことになる?」

「なにがどうなるかは知りませんが、隠していた気もありません」

恐る恐るという様子で、抱きつくのをやめて、ニシキ少年から逃れるように、服を掴んでいるシーナ補佐官がよく分からない。

「じゃぁ、言いふらしてもいいの?」

「構いませんけれど、意味がありますか」

「……ルゥって、やっぱり変わらないねぇ」

その言葉に、覚えはあるが、フゲン少年のその目に覚えはない。拒絶かなにか。

「なにか言われたいのだしたら言われてはいかがですか」

ロアならそうすると思って驚いた。人と比べてどうするというのか。

「ほんと、ルゥは綺麗なまんまだねぇ」

呆れかえっているようで、心底冷めた声。

「はぁ、手伝いは必要ないって言うし、ニシキも部活行くよぉ」

「えー、俺は」

「はいはい、じゃ、また明日」

「はい、ありがとうございました」

そこで別れて、外に。寮の方へと向かう。

「すみません、フゲンさんはなにかわかられておられるかもしれません」

「……そう、ですか。まぁ、そちらはバレて元々かもしれません。本当に知りたいのは動機、ですから」

「証拠ではなく、動機、ですか?」

「はい、とても悲しいことをするからにはそこに追い込まれるまでの動機があるはずと思うのです。そこに違反があると思っています。その違反の証拠は欲しいです。そして、それが分かる前であろうと、悲しいことは止めますから、大丈夫ですよ」

力なく笑ったその目は優しかった。

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