(短編版)悪役令嬢の執事様 ~俺が育てた彼女はとても可愛い~
お待たせしました、長編版を投稿しました。
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また、8月現在、朗読劇がラジオで放送中です。詳しくは長編版をご覧ください。
俺が前世の記憶を取り戻したのは物心がついた頃。
前世の俺は魔術を専攻する普通の学生だったが、その世界はここよりも科学や魔術が発展していたので、俺の記憶はこの世界においてとても貴重なものだった。
その事実に気がついたときはそれなりに興奮した。
だが俺がなにより驚いたのは、前世の世界で流行っていた乙女ゲームと、いま俺が暮らしている世界が酷似していることだ。
俺の姉が好んでいた『光と闇のエスプレッシーヴォ』という乙女ゲームで、子爵家の娘であるヒロインが、王子を初めとした殿方を射止めるという物語。
隠れオタクだった姉は乙女ゲームの感想を共有する相手がおらず、姉の趣味を知っていた俺にプレイするように勧めてきた。
それで俺もプレイをしたことがあるのだが、明るく元気なヒロインは自分で操作するキャラでありながら人気が高く、俺もそれなりにお気に入りだった。
そんなヒロインに悪役令嬢として立ち塞がるのがソフィア。ローゼンベルク侯爵家の令嬢で、王子の許嫁でもある。
彼女は出会ってからずっと王子を一途に想い続けていたが、王子が自分ではない少女――物語のヒロインに惹かれていることに気付き、嫉妬に狂ってしまう。
「……どうして、わたくしを見てくれないのですか?」
彼女はこのセリフを切っ掛けに闇堕ちする。
もう一度王子に振り向いて欲しくて、恋敵であるヒロインに様々な嫌がらせをするのだが、行き過ぎた行為を王子に知られてしまい、実行役の執事とともに処刑されてしまう。
ちなみに、ヒロインが王子以外のルートを選んだ場合でも王子はヒロインに恋い焦がれるので、ソフィアが嫉妬に狂うのは変わりない。
結局は悪事を暴かれて破滅してしまう。
そんなソフィアは、幼少期から両親が仕事で家におらず孤独を抱えていたり、メイドから嫌がらせを受けていたりと、なかなかに同情を誘う設定を抱えている。
嫉妬に狂ったのも、王子への一途な愛ゆえで、それ以外のところでは優しさも見せる。だから悪役令嬢でありながら、ソフィアの評価は意外と高かった。
俺もまた悪役令嬢をわりと気に入っていた者の一人だ。
話を少し戻すが、悪役令嬢とともに処刑される執事というのが、どうやら俺のようだ。
シリルという名前が同じで、代々ローゼンベルク侯爵家にお仕えする家系に生まれた俺は、将来ソフィアお嬢様の執事になることが決まっていた。
つまり俺は近い将来、ソフィアお嬢様と一緒に処刑されるというわけだ。
冗談じゃない。せっかく第二の人生を手に入れたのに、処刑されて終わるのはごめんだ。それになにより俺は悪役令嬢のソフィアを気に入っていた。
出来ることなら、彼女を処刑エンドから救ってやりたい。
ソフィアを救うためには、いくつかのポイントがある。
まずは性格を歪める原因を取り除くこと。
幼少期の環境が原因で、ソフィアお嬢様は嫉妬に狂ったときに道を踏み外してしまう。幼少期の問題を取り除くことが出来れば、最悪の事態は免れることが出来るだろう。
次にお嬢様の魅力を磨くこと。
お嬢様がヒロインを圧倒するほど可愛ければ、王子がヒロインになびくこともない。ヒロインに王子を奪われなければ嫉妬に狂うこともないというわけだ。
最後にもう一つあるが、これはお嬢様とは直接関係がない。
その時期が来たら、俺が内々に対処する予定だ。
そんなわけで、差し当たっての目標は先程の二つを達成すること。
そのためには俺がお嬢様の側にいる必要があるのだが、作中のシリルが専属執事になるのはゲーム開始直前だったので、おそらくは十五、六歳の頃だろう。
それまで待っていたら手遅れになる。
ゆえに俺は執事としての能力を全力で伸ばすことにした。
ただの子供である俺が早く執事になりたいといっても認められるはずがないが、優秀な成績を残せば幼くとも専属執事にしてもらえると思ったのだ。
死ぬほど努力した俺は現当主の執事である父に直談判をして、六歳でソフィアお嬢様の執事見習いという地位を見事に勝ち取った。
そして――
ソフィアお嬢様の六歳の誕生日。
両親は仕事が忙しくて彼女の誕生日を祝うことも出来ない。美しいドレスを身に纏って使用人に囲まれる彼女は愛らしく――とても寂しげだった。
だから、俺はソフィアお嬢様の前に跪いた。
「初めまして、ソフィアお嬢様。私はシリルです」
「……しりる、くん?」
「シリルで構いません」
「……しりる?」
「はい、お嬢様。今日からお嬢様の専属執事の見習いとなりました」
「……ひつじさん?」
お嬢様がこてりと首を傾げる。そんな幼い彼女に微笑ましく思い、この笑顔を学園生活が始まった後もずっと護ろうと誓う。
「執事とは、お嬢様のお世話をして、ずっと側にいる者のことです」
「ソフィアの側に……いてくれるの?」
「います。お嬢様が寂しいときも、お嬢様が苦しいときも、どんなときだって側にいます。お嬢様の味方として側にいて、お嬢様をずっとずっとお守りします」
そう口にして見上げると、お嬢様はぱちくりと瞬いていた。しばらくして俺の言葉を理解したのか、アメジストの瞳がキラキラと輝き始める。
「じゃあじゃあ……ソフィアのおたんじょうび、一緒にお祝い、してくれる?」
「ええ、もちろんですお嬢様。六歳の誕生日、おめでとうございます」
俺はソフィアお嬢様が少しでも喜んでくれるように、心を込めてお祝いの歌を歌った。正直かなり恥ずかしかったけど、お嬢様はとても喜んでくれた。
それから少し月日は流れ、ソフィアお嬢様は少しだけ心を開いてくれた。そんなある日、中庭でお茶を飲んでいたはずのお嬢様が半泣きになって俺のところに駆け寄ってきた。
「ふえぇん。シリルぅ~」
「お嬢様、どうかなさったのですか?」
ドレスの膝の辺りに葉っぱがついている。俺はそれを払い落としてお嬢様の顔を覗き込む。
「あのね、あのね。メイドさんが、ソフィアにイジワルするの」
「イジワルだなんてとんでもない。お嬢様が足を取られて転ばれたんですわ」
後を追い掛けてきたメイドがソフィアお嬢様の言葉を否定した。その瞬間、ソフィアお嬢様が身を震わせて、不安そうに俺を見つめた。
「……大丈夫ですよ、お嬢様」
ソフィアお嬢様の頭を優しく撫でつけて、メイドへと冷ややかな視線を向けた。
「ローゼンベルク侯爵家にお仕えするメイドが、主の娘であるお嬢様に嫌がらせをするなんて許されませんよ?」
「まぁ、なんて酷い。私はそのようなことしておりませんよ。お嬢様がときどき癇癪を起こすことをご存じありませんか? その癇癪で、私を責めているだけです」
メイドはその顔に軽薄な笑みを張り付かせている。まだ六歳でしかない俺やお嬢様なら、簡単に煙に巻けると思っているのだろう。
それが愚かな考えだと、すぐに思い知らせてやる。
「お嬢様が取り乱すのは、あなたがお嬢様に嫌がらせをしていたからでしょう? ストレスの憂さ晴らしかなにか知りませんが、あなたのやっていることは最低です」
「――くっ。ではどうします? 誰かに言い付けますか? 古くからこの家に仕えて信頼のある私とただの子供のあなた、どちらの言葉が信頼されているか明白ではありませんか?」
メイドは自信満々に言い放った。
使用人統括である父の息子である俺に対して、そのように言ってのける。まさか本当に自分の主張が通ると思うほど愚かではないだろう。
つまり、そういえば俺が騙されると思ってハッタリをかましているのだ。
その豪胆さは評価しても良いが――そもそも根本的に間違っている。俺はあまりの滑稽さに、思わず笑ってしまった。
「なにがおかしいのよっ!」
「最初に言ったでしょう。許されない、と。ここに来てどちらを信じるかなんて、馬鹿げた質問ですね。――衛兵!」
「なにを……」
近くにいた衛兵が走り寄ってきて、困惑しているメイドを捕らえてしまう。
「な、なによこれ、どういうこと!?」
「――あなたにはお嬢様を虐げた罪のほかに、横領の罪があがっています」
取り乱すメイドに、その罪状を告げてやる。
「な、なんですって!?」
「侯爵家に仕えるメイドでありながら、自らの主を裏切ったんです。犯罪奴隷として過ごし、二度と日の目を浴びることはないでしょうね」
「ま、待ちなさい! いえ、待って! 横領ってなんのことよ!?」
「とぼけても無駄です。消耗品の仕入値を毎回誤魔化していたでしょう?」
「――っ」
メイドが息を呑む。
それで衛兵を始めとした周囲の者達にも、俺の言葉が事実だと伝わっただろう。
「そ、そんな、あの程度の金額で……」
「たしかに、それだけで犯罪奴隷に堕とすのは重すぎるかもしれませんね。ですが……お嬢様を悲しませたあなたを、僕が見逃すとでも思っているのですか?」
「そ、それこそ、証拠が……」
「あなたは実際に横領の罪を犯していた。そんなあなたの証言が、僕やお嬢様より上だと、本気で思っているのですか? 子供より大人? その通りです。新人より古参? それもその通りです。だけど……あなたは当主の信頼を裏切った。だから――終わりです」
「そん、な……」
がくりと項垂れるメイドを、衛兵が連行していく。それを見届けることなく、俺はソフィアお嬢様へと向き直った。
「大丈夫でしたか、ソフィアお嬢様――っと」
「シリル、ありがとうっ! ソフィアのこと信じてくれてありがとう」
「そんなの当然です。言ったでしょう、私はいつだってお嬢様の味方だって」
泣きじゃくるお嬢様を優しく抱き留めた。
それからも俺はずっと側にいて、ソフィアお嬢様の成長を促していく。
「今日は美しいたたずまいを身に付けるレッスンです。背筋をピンと伸ばして、手足を動かすときには指先にまで神経を張り詰めてください」
「えっと、えっと……これであってる?」
「ええ、とても綺麗ですよ、お嬢様。もう少し静と動の境界に緩急を……えっと、重い荷物を持っているつもりで手足を動かしてください」
「うん、分かったぁ~」
ある日は侯爵家の令嬢に相応しい立ち居振る舞いを学ばせ――
「アン、ドゥ、トロワ、アン、ドゥ、トロワ。腰の高さを変えず、頭も揺らさない、優雅に、美しく歩く。はい、そうです。とても綺麗ですよ」
「ありがとう。ソフィア、もっともっと頑張るね」
またあるときは美しい歩き方の指導をする。
お嬢様が成長するにつれ、声楽にヴァイオリン、更にはダンスなどの教養を学べるように手配し、更には刺繍や紅茶の淹れ方など、令嬢としての嗜みも教えていく。
幼い子供に厳しすぎると思うかもしれないが、ソフィアお嬢様は一度たりとも弱音を吐いたことはない。
それどころか――
「ねぇシリル。わたくし、あなたの期待に応えられるように頑張りますわ。ですから、これからもずっと、わたくしに色々なことを教えてくださいね」
もっと色々なことを教えて欲しいと願う。ソフィアお嬢様が十歳の誕生日を迎える頃には、そこらの年頃の令嬢を圧倒するほどの教養を身に付けていた。
正直、悪役令嬢として破滅する彼女のスペックがここまで高いとは思っていなかった。
……いや、彼女の学習能力はそこまでずば抜けたものじゃない。おそらくは平均より上くらいで、もっと学習能力の高い者はいくらでもいるだろう。
だが、ソフィアお嬢様は俺が教えたことをひたむきに練習して身に付ける。決して弱音を吐かず、出来るように頑張り続ける。彼女は努力の天才なのだ。
そんな彼女が将来破滅しないように、俺は様々な知識を学ばせた。
その頃には貴族の作法はマスターしていたので、護身術を教えて自衛できるようにさせ、俺が前世で学んだ魔術の知識も学ばせた。
そして――
立ち居振る舞いは侯爵令嬢に相応しく、ボイストレーニングを施した声は他者を惹きつけてやまない。毎日欠かさず梳いた髪はサラサラで、エステを毎日施したことで肌もつやつや。
十二歳の誕生日を控えたお嬢様は、才色兼備の天使に成長していた。
「シリル、またわたくしの髪を櫛でといてくれますか?」
「ええ、もちろんです、お嬢様」
艶やかなプラチナブロンドを櫛で丁寧に梳かしていると視線を感じた。顔を上げると、鏡に映ったお嬢様が俺の顔をじぃっと見つめていた。
「どうかなさいましたか?」
「ふふっ、ただシリルの顔を見ているだけよ」
「私の顔なんて見ていても面白くないと思いますが……そういえば、もうすぐお嬢様の十二歳の誕生日ですね」
「そうね。お父様やお母様はお祝いしてくれるのかしら?」
「お祝いのメッセージとプレゼントは届いています。ただ、パーティーには……」
侯爵と侯爵夫人。彼女の両親はなにかと忙しく、お屋敷にいることの方が少ない。別の日にお祝いをしてくれることはあるが、誕生日のパーティーに参加することは滅多にない。
これが、ソフィアお嬢様を悪役令嬢に貶めた原因の一つ。
心理状態を心配したのだが、鏡に映るお嬢様は微笑んでいた。
「お父様もお母様も忙しいんだから仕方ないわ。それに、今年もシリルはお祝いをしてくれるのでしょ?」
「もちろんです。私だけじゃなく、使用人一同、心からお祝いをいたしますよ」
彼女を虐めたメイドを解雇した後は、使用人とお嬢様の関係を改善するためにあれこれと画策をした。その結果、いまいる使用人はお嬢様を大切に思っている者ばかりだ。
「そう、とても嬉しいわ。でも……忘れないでね。わたくしにとって、あなたがお祝いしてくれることがなにより嬉しいのよ?」
「光栄です、お嬢様」
お嬢様はこうやってお世辞を口にするまで成長した。最近ではお茶会で彼女を見かけた他家から、見合い話が山のように舞い込んでいるらしい。
だが、当然それらは全て当主がお断りしている。
ローゼンベルク侯爵家には相応の力があり、下手な政略結婚なんて必要としていない。更にいうと、両親は忙しくて家にいないだけで、娘に対する愛情は強いらしい。
ゆえに、ソフィアお嬢様の望む相手と結婚させることを考えているそうだ。
もっとも、彼女はもうすぐ第二王子のアルフォースと出会って恋に落ちる。それを知った当主が王子との婚約を取り付けるのがゲームの設定。
そう考えれば、他家からの見合い話を断るのは当然だ。
更にいえば、美しく成長したお嬢様であれば第二王子を射止めることも難しくない。むしろ黙っていても第二王子の方から求婚してくるだろう。
いまのお嬢様に闇堕ちする素養はなくて、第二王子を惹きつけるだけの魅力もある。ソフィアお嬢様を破滅する未来から救うために、俺が進めていた当初の目標は達成した。
だから、残る不安要素はあと一つ。
ヒロインと第二王子が恋に落ちる切っ掛け、二人が出会うイベントだ。
第一王子の誕生パーティー。
ソフィアお嬢様が第二王子に恋をするそのパーティーでは、貴族のどら息子に絡まれたヒロインが、お忍びで参加していた第二王子に救われるシーンが存在する。
第二王子がお忍びだったこともあり、二人は互いのことを知らずに別れてしまう。だが、学園で再会して仲良くなることで、そのことを知って恋に落ちるのだ。
だから、俺はそのイベントを――潰す。王子とヒロインの劇的な出会いを阻止してしまえば、ソフィアお嬢様が第二王子を奪われる可能性は万に一つも存在しない。
いよいよ、俺は悪役令嬢が破滅する未来を変えるのだ。
――という訳で、第一王子の誕生日のパーティー。
俺はソフィアお嬢様に同行していた。
ただ……執事としてではなく、何故かエスコート役として同行している。
本来、エスコートは恋人や婚約者がするものだ。だが、子供であったり、そういった相手がいない場合、家族の誰かがエスコートするのが一般的だ。
つまり順当にいけばソフィアお嬢様の家族の誰かがエスコートをするべきなのだが……両親は忙しく、兄弟にはエスコート相手が存在している。
そこでお嬢様は、家族のように慕っている相手、俺にエスコートを頼んできたのだ。
――普通に考えてあり得ない。
俺はローゼンベルク侯爵家に代々使える名門の生まれだが、貴族ではない。そんな俺がお嬢様のエスコートというのは普通に考えてあり得ない。
ただまぁ……俺もお嬢様もまだ未成年の子供だ。
当主もお嬢様が引く手あまたないま、下手な相手に任せて既成事実を作ってしまうより、執事に任せた方がいいと思ったのだろう。
そういった思惑が交錯した結果、普通に考えるとあり得ない状況が実現した。
「ねえ、シリル。いまのわたくしは美しく見えますか?」
「もちろんです、ソフィアお嬢様。あなたはこの会場のほかの誰よりも輝いています。いまのあなたに見惚れない者などいませんよ」
「……それは、シリルも?」
お嬢様が俺の顔を見上げる。その横顔には、子供の頃の泣き虫だったソフィアお嬢様がちょこっと顔を出している。
「私、ですか?」
「エスコートはほかの誰でもない、あなただもの。ほかの殿方がどう思うかなんてどうでも良いわ。あなたは、いまのわたくしに……その、見惚れてくれているのかしら?」
「……お嬢様」
どのようなときでも、エスコートの相手を優先する。
……お嬢様、成長したなぁ。
「もちろん、私も見惚れていますよ」
「……そっか」
お嬢様は呟いて、つぼみが花開くように微笑んだ。それだけでお嬢様に注目していた者達がどよめく。いまのお嬢様は紛れもなくこの会場のヒロインだった。
美しく成長したお嬢様の元に、様々な貴族やその子息が挨拶にやってくる。だが、貴族には階級が存在しており、下級貴族が上位貴族の会話に割り込むことはない。
ソフィアお嬢様とほかの貴族との顔合わせは優雅に、それでいて簡潔におこなわれていった。そうしてほどなく、妙にキラキラとした少年が挨拶にやってくる。
その姿はゲームのスチルそのままだ。
「……第二王子のアルフォース様です。お忍びのようですね」
ソフィアお嬢様に耳打ちをする。さすがに王子に話しかけられるのは予想外だったのか、お嬢様は「まあ」と小さく声を零した。
だが、俺が育てたソフィアお嬢様は突発的な状況にも即座に対応する。洗練された所作でカーテシーをして第二王子を出迎えた。
「あ、えっと……ぼ、僕はアルといいます。えっと……あなたのお名前を、き、聞かせていただいてもよろしいですか?」
「……はい、アル様。わたくしはソフィア。ローゼンベルク侯爵家のソフィアと申します」
今度はカーテシーはせず、屈託ない微笑みを浮かべた。天使の祝福を受けたアルフォース様は顔を赤らめる。
ちなみに、カーテシーは自分と同等かそれ以上の身分の相手におこなうものである。つまり、ソフィアお嬢様は相手の身分を知っていると態度で示した。
だが第二王子がお忍びの態度を貫いたために、今度はそれにあわせたというわけだ。
もっとも、第二王子の方はソフィアお嬢様の美しさに舞い上がっているようで、そこまで気が回っているかは微妙なところだ。
だが……王子は年相応なだけで未熟なわけじゃない。ソフィアお嬢様が年齢に似合わずしっかりしすぎているだけの話である。
お嬢様、この六年ほど死ぬほど頑張ってたからなぁ……
俺が手塩に掛けて育てたお嬢様の初恋がようやく始まる。
そう思うと非常に感慨深い。
「あの、ソフィアさん。良ければ僕と踊ってくれませんか」
「いえ、その……」
ソフィアお嬢様が困ったように俺を見た。
ダンスの相手はまずエスコート相手から。だが、相手はお忍びとはいえ第二王子。頭ごなしに断るのもやはり外聞がよろしくないと考えたのだろう。
初恋の相手からダンスのお誘い。本当はいますぐお受けしたいだろうに、そこをぐっと抑えてマナーを優先させて考えている。
いままでずっと頑張ってきたんだから、こんなときくらいわがままになっても良いのにな。
「せっかくのお誘いですから、一曲踊ってくると良いですよ」
「……そう、ですね。シリルがそう言うのなら……」
お嬢様が少しだけ寂しげに微笑んだように見えた。だが気のせいだったのだろう。次の瞬間には侯爵令嬢に相応しい微笑みを浮かべていた。
「……シリル。すぐに戻ってくるので待っていてくださいね」
「ええ、もちろんです」
俺はかしこまって、第二王子に連れられてダンスホールへと移動するお嬢様を見送った。
……さて、と。
お嬢様はすぐに戻ってくるなんて言ってたが、初恋の相手との語らいがすぐに終わるはずがない。というか、戻ってきて俺がいなければ、ゆっくり二人で話せるだろう。
という訳で、今のうちに場所を移動する。
この会場のどこかに、『光と闇のエスプレッシーヴォ』のヒロインがいる。第二王子はソフィアお嬢様に夢中っぽいので、絡まれているヒロインを助ける相手がいない。
それはいくらなんでも可哀想だし、ソフィアお嬢様の代わりにヒロインが闇堕ちしないとも限らない。そういう可能性は排除しておきたい。
というか、ヒロインだって俺は結構気に入っている。そんな彼女が誰にも助けられず、貴族のどら息子に嫌な目に遭わされるのを黙ってみていられない。
この会場のどこかにいるはずだが……といた。ちょうどタイミング良く――といったら彼女に悪いが、貴族のどら息子に絡まれている。
俺はつかつかと歩み寄り、ヒロインを背後に庇うように割って入った。
「彼女が嫌がっているだろう。その辺にしておけばどうだ?」
「あぁん? なんだおまえは。俺がリード伯爵の息子だって知ってて言ってるのか?」
「これはこれは、リード伯爵のご子息でしたか。では後日あらためて――リード伯爵に苦情を申し上げた方がよろしいですか?」
「なっ? そ、それは……くっ。その必要はないっ!」
リード伯爵のどら息子は慌てて退散していった。彼自身はどら息子だが、親は意外と厳しいので、告げ口をされると困るのだろう。
ちなみに、俺がそのことを知っているのは、作中のシーンそのままだったからだ。さっきの俺のセリフも、ゲームの王子が話す内容をそのまま使わせてもらった。
ともあれ、どら息子は追っ払った。あとはヒロインのケアだけだな。
「お嬢様、大丈夫でしたか? ……お嬢様?」
呼びかけるが、俺の方をぽーっと見たまま反応がない。
「あの、大丈夫ですか?」
「――ふえっ!? あ、あぁあぁあっ、あの、その……た、助けてくれてありがとう!」
「いいえ、どうかお気になさらないでください」
本来であれば王子が助けてくれるはずだったのだ。それが俺みたいな執事に助けられることになって申し訳ない。
せめて何年か後に学校で会ったら、彼女が好きになった相手との恋愛を応援するとしよう。ヒロインの彼女には、王子のほかにも大勢の恋人候補がいるはずだからな。
「それでは、私はこれで失礼します」
踵を返そうとするが、ヒロインに袖を引かれて引き留められる。
「あ、あの、私はアリシア。リンドベル子爵家の娘です。お名前を聞いても良いですか?」
おっと、そういやゲームでも名乗ってたな。第二王子はアルとだけ名乗っていたが……俺はまぁ、シリルと名乗るしかないよな。
「私はシリルと申します」
「シリル様……ですか?」
「訳あってこのような恰好をしていますが、私は貴族ではなく執事です」
「え? 執事さん、なんですか?」
「はい。もし不快な思いをさせてしまったのなら謝罪いたします」
「ふえ? い、いえ、うちも下級貴族ですから、気にしません!」
いや、たしかに侯爵家や伯爵家と比べれば子爵家は下級貴族だが、一般人から見て雲の上の人であるのは変わりないぞ。
なんて野暮を言うのもなんなので笑顔で受け流しておいた。
「そ、それで……私、周りに知ってる人とかがいなくて、その……良かったら一曲、私と踊っていただけませんか?」
「……私と、ですか?」
そういえば、ヒロインがダンスに誘って第二王子と一緒に踊るまでが回想シーンだったな。
プレイ中はなんとも思わなかったけど、ご令嬢が殿方をダンスに誘うという行為にちょっと驚く。この世界では、女性からダンスを誘うのははしたないと、推奨されていないのだ。
だけど、作中のヒロインはわりとそういうことを気にしない性格だった。前世の世界は女性も積極的だったので、ヒロインはそれにあわせた性格をしていたのかもしれない。
最近はソフィアお嬢様が俺の基準になってたからちょっと驚いた。
「あ、あの……ダメですか?」
「いいえ、私でよろしければぜひ」
女性から誘うのははしたないと言ったものの、誘われたダンスを断って女性に恥を掻かすのはやはりよろしくない行為なのだ。
……いまにして思うと、この世界の貴族はわりと面倒くさいよな。
とまぁ、そんなわけで俺はヒロインと一曲踊らせてもらった。ゲームの悪役令嬢のおまけでしかない俺が、ヒロインと踊る機会なんて二度とないだろう。
ちょっとした役得だったと思いながら、ヒロインに別れを告げた。
ただ、ヒロインは年相応にダンスが下手で、俺は二度ほど足を踏まれた。
それ自体は微笑ましい気持ちで受け流したんだが……よくよく考えれば、第二王子だって、ダンスの腕前はヒロインよりはマシくらいだよな。
お嬢様は、足を踏まれてなければ良いが……
「……ようやく見つけましたわよ」
不意に背後から底冷えのするような声に呼び止められる。驚いて振り返ると、何故か仁王立ちするソフィアお嬢様が目の前にいた。
「わたくし、言いましたわよね? すぐに戻るので待っていてくださいって、言いましたわよね? なのに、なぜ待っていてくれなかったんですか?」
「すみません。第二王子とゆっくりお話をなさると思っておりました」
「どうして、そんな発想になるのですかっ」
なんだか、さっきからお嬢様のセリフにトゲがある。こんなに不機嫌そうなお嬢様は初めてだ。もしかして、ダンス中に第二王子に足を踏まれまくったのかな?
「あの、お嬢様――」
「……どうして、わたくしを見てくれないのですか?」
――え? ちょ、ちょっと待って。そのセリフは、ヒロインに第二王子を奪われて、ソフィアが悪役令嬢として闇堕ちするときのセリフじゃないか?
それがなんで、いまこのタイミングで?
………………………………あ、あれ?
もしかしてこれ、俺が王子様ポジになってないか?
……き、気のせいかな?
「ねぇ……シリル。ずっとずっと、わたくしの側にいてくれるって、言いましたよね? なのに、わたくしのことを放っておいて……シリルはあの娘の方が良いんですか?」
あぁぁあぁぁぁあ、全然気のせいじゃない気がするぅ!
いやいやいや、意味分かんないよ。
俺が王子様ポジ? なんだそれ。俺がヒロインと仲良くしたら、ソフィアお嬢様が闇堕ちして悪事を働いて、俺と一緒に破滅するのか?
色々と無理がありすぎる。
「ねぇ……シリル、なにも言ってくれないんですか?」
「えっと……その。そう。彼女が絡まれていたので助けたんです。ダンスはそのお礼に誘われたので他意はありませんよ」
「……そう、なの?」
お嬢様の瞳にわずかに光が戻った。
「ええ、そうですよ。困っている彼女を放っておけなかったんです」
「そう、だったのね。シリルは、やっぱり優しいんですね。……でも、出来ればわたくしにだけ優しくして欲しいかな……なんて」
「――ぐっ」
なんだ、この破壊力。恥ずかしそうに微笑む姿が天使みたいだ。育てるのに夢中で気付かなかったけど、この娘、ホントに可愛いな。
だけど……俺はただの執事で、彼女は侯爵令嬢。しかも、俺が王子ポジだとしたら、学園に通うようになると、ヒロインが俺に近付いてくる。
さすがにヒロインは王子に惚れると思うけど……俺とお嬢様が結ばれるはずがない。
……闇堕ちからの破滅、なんてならないよな?
……いや、冷静に考えよう。
大丈夫だ。俺が育てたお嬢様は、権謀術数にだって対応できるようになってきた。仮に闇堕ちしたとしても、悪事を暴かれて破滅するなんてあり得ない。
いまのお嬢様なら、誰にも知られないように相手を破滅させられるだろう。
――って、破滅させられるのヒロインと俺だよ!
あ、でも、俺がヒロインと結ばれるはずはない。だったら大丈夫……いや、ヒロインが第二王子とくっつかないルートでも、なんやかんやで嫉妬して悪事を働いてたな。
やばい、このままじゃ俺が――俺だけが破滅しちゃう。
なんか色々詰んでるよ、どうしてこうなったっ!
お読みいただきありがとうございます。
いかがだったでしょう? 今回は短編として構成しましたが、もし反響が大きければ長編で書きたいと考えています。>いまのところ三つくらい候補の短編があります。
面白かった、続きを読んでみたいなど、少しでも思ってくださいましたらぜひ、ブックマークや↓の評価をポチッとお願いします。
また↓で宣伝している作品なども、よろしければご覧ください。
*追記*
みなさんのおかげで日刊総合1位、週刊総合2位を獲得できました。そのうえ、まさかの短編総合年間1位(次の更新で)という快挙を為し遂げました。つきましては、全力で長編化にあたらせていただきます。
みなさん応援ありがとうございます!
投稿開始は7月中を予定しています。
>6/27追記。お待たせして申し訳ありません。あらためて告知しますが、長編は7月末か8月の一週目になりそうです。
作者をお気に入り登録していただければ投稿通知が見れますので、よろしければ活用ください。
160行目:「ありがとう。ソフィア、もっともっと頑張るね」
誤字脱字報告ありがとうございます。
なんどか同じ修正が来ていて申し訳ないのでここに書いておきます。
幼少期のソフィアは一人称がソフィアになっているので、『ありがとう、シリル』ではなく『私、頑張る』というニュアンスです。