○06○ カラッポ
「え、まさかあたしの気が済むまで待っててくれたの? あたし、お仕事サボらせちゃった?」
なにこの十至さんのいい人っぷり。そこは普通、失恋した弱みにつけ込んで口説く場面でしょ? 漫画だったら絶対、その展開以外あり得ないよ。
っていうかその前に、あたしが全然好みじゃないってのもありそうだけど。
「いや、今日はもう終わりで……そうだなぁ。残り一件あるけど、それはまだいいから。大丈夫だよ」
なぁんだ。そういうことか。
そうだよね。いい大人が、忙しい時に子どものつまんない話を聞いてくれるわけがないもん。
「それならいいんだけど。うん、十至さんのお陰でだいぶ気持ちがすっきりしたよ。あたし帰るね。今日はありがとう」
ちょっと安心したけど同時にがっかりもしてる。
よほど千明先生のことでダメージ受けてたんだなぁ、あたし。
「帰り道、わかる?」
あたしが立ち上がるのと同時に、十至さんもベンチから立ち上がった。
ベンチの上には二本の缶。かじかんだ心も温めてくれた缶コーヒー。
「うん、だいじょぶだいじょぶ。いざとなったらスマホのナビ使うし」
あたしはポケットからスマホを出して、十至さんに見せた。
「そうですか――あっ」
ほっとした表情だった十至さんは、突然目を丸くしてあたしの方を指さした。
「何よ、あたしの顔、まだなんかついてる?」
これから電車に乗るのに、涙とかハナミズとか残ってたら超恥ずかしいし。
「いえ、茉莉菜さんじゃなく、もっと向こう。月が出てます」
十至さんが指した方を振り向くと、今まで雲ばかりだった空にぽっかりと穴が開いていた。そこから月が顔を覗かせてる。
ほんの少しだけいびつな、でもほとんど丸い、大きな月。
「十至さん、月が黄色い。それになんだかいつもより大きいよ」
「まだ低い場所にあるから、余計に大きく見えるんです。そういえば今夜は満月の前日なので、サンタ検索も捗りますよ」
ふふ、という笑い声とともに十至さんがこたえる。「今はまだ黄色っぽいけど、しばらく見ていたら徐々に白くなりますよ」
「そうなんだ。どれくらいで白くなるんだろう……あ、ねえ今、何かが月の前を横切ったよ? あれなんだろう……流れ星? UFO? ねえ、十至さんも見た?」
そう言って後ろを振り返ったら、そこには誰もいなかった。
「十至さん?」
小さな公園の中には人影ひとつない。車のエンジン音も聞こえない。
ベンチに置いていたコーヒーの空き缶もない。
公園の周囲をひと回りしても、あの赤と白の軽バンは見当たらなかった。
「……急に呼び出された、とか」
十至さんは多分、変な驚かせ方をする人じゃないと思うから、その辺に隠れてるとかもなさそう。
「えっと、聞こえてないだろうけど……今日はほんとにありがとうね。十至さん。じゃあ、さよなら。いつか、また会えたら」
あたしは誰もいない公園に挨拶をしてから駅に向かった。なんだか納得いかない別れ方だけど、しょうがない。
* * *
随分長い間公園にいたような気がしたけど、駅の時計を見上げた時にはまだ七時前だった。
でも今日は土曜日だったっけ、と思い出す。あまり遅いと心配するよね。
「図書館……は、こんな時間までやってないもんな。ファミレスかな」
少し考えて『ファミレスで勉強してた そろそろ帰るね』とママのスマホに送信した。多分八時前には家に着くだろう。
晩ごはんが少し遅くなるけど、まぁ明日は日曜だし。
「ただいまぁ」
「おかえりぃ茉莉菜」
玄関を開けた途端、ニヤニヤしながらママが出迎えた。
「なに? どうしたのママ。なんかいいことあったの?」
ママがそういう顔をしている時は、懸賞が当たったとか、パパがお土産を買って来るとか、そんな小さな『いいこと』があった時。
タイミング的には……クリスマスにどこか連れてってもらえるとか?
でもママは首を振った。
「何言ってんのよ。あんたよ。茉莉菜宛てにプレゼントが届いたんだからあ。もうー、彼氏ができたら紹介して、って言ってるじゃない」
「え? 誰からって?」
吹っ切ったはずのモヤモヤが、早くも復活し始める。まさかこのタイミングで、先生が何か送って来るわけ?
「やぁだ、この子ったら。ママに読ませたいの? 自分で読みなさいよ、もう」
ママが浮かれているのとは逆に、あたしの表情はこわばって行く。
でもママは照れてるのを誤魔化してると思ったらしく、なんだかんだと囃したてた。あたしはそれどころじゃないのに。
先生からだったらどうしよう。一体何が来たんだろう……もう期待したくないのに。そう考えながら、ママがリビングに置いたという『プレゼント』を取りに向かった。
そこにあったのは……「これなの?」
「これよ。ねえ、粋な演出じゃない?」
箱だと思ったのに、目に飛び込んで来たのは大きな白い袋。シーツみたいな生地で、これに荷物を入れて担いだらまるで――
「どこかで売ってるのかしら。コスプレ用なの?」
ママは呑気に袋の端をつまんでる。
一体どういうつもりなんだろう。どこにも紙が貼ってない。誰から何が届いたのかわかんないのに、中身を見る勇気はないよ。
「ママ、送り状はどこ?」
「送り状ね、袋の口にタグみたいにつけてあったのよ。これなんだけど」
「もう、ママが持ってっちゃってたら、読むもなにもないじゃない」
ひったくるように掴んで送り状に目を通す。
「うそ……なんで?」
動悸が速くなる。書いてあったのは千明先生の名前じゃなかった。
でもママは相変らず能天気だった。
「ねえ、どこの子なの? やっぱりクラスメイト?」
「ママ……これ届けに来た人ってどんな人だった?」
ママは少しだけ驚いた顔になる。
「え? 若い配達員さんで、ちょっと見たことない顔だったわね。髪の毛を脱色してて――」
茶髪の配達員なんて、ほんとはどこにでもいるかも知れないけど。
「ねえ、その人ひょっとして、サンタコスしてなかった?」
「そうそう。それでママ『まあ、今はこんなサービスもしてるの?』って訊いたのよ。そしたら、『うちの社長が、こういう演出好きなもんで』なんて照れたように言ってねぇ」
すーっと背中が冷える。これって奇蹟と思えばいいの? それとも――
「で、どんな子? じゅうし? くんって」
「とおじ、さんだよ」
こたえた声が震えた。
信じられない。だって十至さんは茉莉菜って名前しか知らないはず。苗字も最寄り駅も知らないはずなのに。
「え? 今日は冬至だけど」
ママは不思議そうな顔をしてる。
確かに冬至だけど、そうじゃなくて。
説明するのももどかしくて、そのままあたしは自分の部屋に駆け込んだ。