○05○ こよみ
千明先生が言いたいのはこういうことでしょ。
遠距離恋愛になって、なかなか会えないからって一度別れたけど、やっぱりお互いにまだ好きだった――そんなの、ドラマにもよくあるもの。
それに先生と彼女さんが同じ学年だったとしたら、そろそろ結婚して落ち着きたいっていう年齢だし。
だから彼女さんの方から連絡が来たのも本当だと思う。
「しばらくお互い音信不通だったし……もちろん、最近まで会ってなかったんだよ。証明しようがないけど。彼女は今まで三年間、大阪の支社に行っててさ――あ、銀行に勤めてるんだけどね」
秋頃って、文化祭とか体育祭とかの行事が目白押しの時だ。あたしと先生は、メッセージアプリでこっそりお喋りをするのがせいぜいの『お付き合い』だった頃。
もちろん積極的に先生の手伝いもしたけど、クラス担任じゃないから大っぴらには一緒にいられない。
「でもそれなら、そう言って欲しかったな……」
あたしは寂しい思いをしていたのに、先生は元カノとよりを戻そうとしていたなんて……それって、二股になるんじゃないの?
「ごめん。でも茉莉菜が悲しむと思って、言い出すタイミングを考えてた」
「そんなの、優しいんじゃなくてズルいだけだと思います。もういいです」
あたしはそう言うのが精いっぱいで、そのまま教室を出た。
フラれたんじゃない。あたしが先生をフッたんだ。形だけでもそうしておかないと、あたしが可哀そう過ぎる気がした。
そのまま一度は最寄り駅まで戻って、食欲はないけど何か食べて頭を切り替えようと思ってバーガーショップに入って……でも、ひとりでぼんやりしているとつい、先生とのメッセージやメールを読み返してしまうあたしがいた。
その中で、千明先生の住所が書かれたメールを見付けてしまった。
告白してすぐの頃、年賀状を出すからって教えてもらった時のメール。それで我慢できなくなって、勢いだけで先生の自宅近くまで来たのだけど――
本当に自宅を見付けるつもりでもなく、千明先生に何か言いたいわけでもなく。かといってこのまま帰ることもできず。
もやもやした気持ちを抱えたまま、うろうろして時間だけが過ぎていた。
* *
「――こんなのって、ストーカーですよね」
通りすがりの、しかも仕事中のお兄さん相手に、あたしは結局べらべらと今までのことを喋ってしまった。
お兄さんは時々小さく相槌を入れるだけで、黙って聞いていてくれた。きっと迷惑に思ってるだろうに、あたしの話を中断もさせずに。いい人過ぎる。
「ごめんなさい。嫌な話を聞かせちゃって。でもお兄さんに聞いてもらって、なんだかすっきりしました。人前で泣いちゃったし……もういいや、って感じ」
「とおじ」
「え?」
「お兄さんじゃなくて、十至――ほら、僕だけ名前を知っちゃうのは不公平だから」
「あっ……そっか」
何を言っているのかわかった途端、なんだか恥ずかしくなって来た。そういえばあたし、話の中でめっちゃ名乗ってたよね。
「ついでにさ、僕の名前の由来聞いてくれる? 十に至るって書くんだけど。何故かというと、僕、冬至生まれだったんだってさ。それで、うちの十代目だから……って、子どもの名前を語呂合わせみたいに考えるのって、酷くない?」
眉間に皺を寄せて口を尖らせるお兄さん――十至さん。思わず吹き出した。
「冬至生まれで、とおじ? あ、じゃあ今日が誕生日なの?」
「うん、それがね、冬至ってちょっとずつずれて行くんだよね……だから僕の誕生日は明日なんだ。祖父が言うには、僕が生まれたのは『久し振りに二十三日が冬至になった』っていう年だったそうでね。祖父や父にとっては殊更、特別な日に思えたらしい」
酷くない? って言ったばかりなのに、お祖父さんたちのことを話す十至さんの表情は優しい。きっと大好きなんだろうな、ってわかる顔。
「そうなの? じゃあ今日はイブなんだね。えっと……じゃあ一足先だけど、お誕生日おめでとう」
「え、ありがとう……なんか照れるな。この年になっても祝ってもらえると嬉しいもんだね」
あたしはまた笑ってしまった。
「またそんな、年寄りみたいなこと言って。でもそうだよね、クリスマスだって本当はキリストさんの誕生日を祝ってるんだし、やっぱり毎年嬉しいのかな?」
「どうだろうねぇ……僕は彼に会ったことないから」
真剣な表情で、十至さんは首をひねる。
「何言ってんの。当り前じゃない」
寂しかった気持ちも、モヤモヤした思いも、十至さんのお陰でどこかに消えたようだった。
話を聞いてくれたこと、きっと一生感謝して忘れないと思う――って、大袈裟かな。でもきっとしばらくは、またふと思い出してモヤモヤするんだろうな。
「クリスマスプレゼントに、パンチングマシーンでも頼めばよかったかしら」
「え? なんで?」
十至さんはぎょっとした顔になる。「……暴力はいけないよ?」
「やだ、違うよお。ストレス発散? ほら、もやもやぁ~っとした時にバーンって殴ったりして」
「なんだ……でも、手を傷めるよ」
十至さんに苦笑された。いい案だと思ったんだけど。
「うーん……でもなんか、そういうものがあった方がいいなぁって。あとはカラオケかな」
「カラオケはいいねえ。大声を出すのもストレス発散になるし。僕もしばらく行ってないなぁ」
今度は、十至さんも同意見らしい。うんうん、って大きく肯いてる。
「でもヒトカラ苦手なんだよね。誰か一緒にいてくれた方がいいんだけどさ」
……なんて、十至さんの顔を窺いつつ言ってみたりして。冗談だけど。
「そうなんだ。うーん……お友だちは?」
あれ、真剣に悩んでる顔になっちゃった。
まあそうだよね。こんなめんどくさい話されて、じゃあカラオケ一緒に行こうかなんて、どこまでお人好しだよって話で。
そうでなきゃ、下心あるかのどっちかだよ。
「友だちもいるけど……ミユキやアイリの前で、失恋の歌とか歌えないじゃん」
「あぁ、そっか。そうだったね……じゃあ、僕でよければ聴くけど」
「え?」
思わず訊き返してしまった。でも十至さんもきょとんとしてあたしを見た。
「え……僕、変なこと言いました?」
「いや、うん……」
なに今の。さらっと言ってたけど、一緒にカラオケ行こうってこと? さっきとは全然違わない? なんか、女の扱いに慣れてるって感じ?
「あぁ、そっか……」
「な、なに?」
十至さんの小さな呟きに、思わず反応した。
ひょっとして、今ようやく失言に気付いたのかな。だとしたら、十至さんってちょっと天然入ってるかも。
「いや、なんでもない――ところで茉莉菜さん、もう帰れそう?」