○04○ 回想
照れたように謙遜しつつも、お兄さんは少し得意げだった。
たかだか十年ほどの差だと思うけど、それで『年を食ってる』なんて言い方をするところが逆に年寄りくさい。
それが童顔気味の彼には不似合いで、妙に印象に残ってしまう。
でも少しずつ口調が砕けて来るのが嬉しくて、もう少し話をしたくなる。最初は「早くどこか行って」って思ってたのに。
「ところで……お兄さんって、いくつなの?」
「そうだなぁ……そろそろ年を訊かれることを気にするような年齢だよ。きみのように若いなら平気だろうけど」
お兄さんはあたしの制服に一瞬だけ視線を落とした。
制服ってすごいよね。年齢を訊かなくても大体見当ついちゃうんだから。
「お兄さんだって、全然まだ若いじゃないですか」
サンタコスじゃあ、年齢はわからないけど。
「それよりも、今日はこんな時間まで学校? ……じゃないよね。今日は土曜だし、連休初日だし。塾だったのかな?」
やっぱり訊かれたかぁ。
あたしは自分の膝に目を落としながらため息をついた。
「学校に行ってたんです。午前中に」
校則で決められている紺色のハイソックス。スカートは、学校から一番近いコンビニのトイレで巻き上げて膝上にした。
どんな気分の時でも、習慣付いてしまった『JK』仕様。
「午前中からずっと?」
お兄さんの訊きたいことがわかった。その言葉が好奇心からじゃなくて、心配から出たんだろうな、っていうのも。
あたしがお兄さんの軽バンを最初に見掛けたのは、確か午後四時過ぎだった。
その時間でもう辺りは暗かったから、気分的にはすっかり夜だったけど、今は六時半を過ぎたくらいだと思う。
お兄さんがどのタイミングで、あたしの姿を認めたのかはわからない。
でも少なくとも、あたしが一時間くらい、この辺をうろうろしていたのは知っていると思う。
「お昼前に学校を出て、駅前のバーガーで二時間くらい時間を潰して……その後、この辺まで来たんだけど」
この先はどう説明したらいいのかわからない。
そもそも説明すべきかどうかも迷っていた。
多分、あたしがやってることは、本当は駄目なんだろうな、って思うから。
* *
あたしは、千明先生の家を探しに来ていた。
バーガーショップは、あたしの家の最寄り駅の近くの店だけど、ここは高校を挟んで四つ先の駅の場所だった。
お兄さんにそんなことがわかるわけないし、説明する気もないけど。
あたしと先生は、ちょっとだけ、付き合ってたことになるんだと思う。
もちろん、全然深い付き合いなんかじゃなかった。
千明先生は真面目で、こっそり手を繋ぐ程度しか許してくれなくて。それも、学校の人たちと会わないような場所でなきゃできなくて。
でも「茉莉菜が高校を卒業したら……きちんと付き合おうな」って言ってくれてたから、あたしはそれを信じていた。
なのに……
先週の土曜日。
先生が、同じくらいの年齢の女の人と一緒に歩いていた。
まずいことに、あたしの方はクラスメイトのミユキとアイリが一緒。あの子たちも先生のことが好きだったけど、どっちかっていうとキャーキャーするタイプで。だから先生たちの姿を見付けた途端、案の定騒ぎ出した。
おまけに、あたしが止めるのも聞かず、アイリたちは先生に駆け寄って質問攻めにした。
教え子たちが突然現れて、先生も初めは照れたような顔をしていたけど、少し離れた場所にいたあたしと目が合った途端に、表情が凍り付いた。
本当はなんとなく勘付いていた。
でも認めたくなかったからずっと気付かないフリをしていた。
先生の右手の薬指に、うっすらと指輪の跡がついてることも、女子たちの間ではとっくに噂になっていた。
アイリたちは「やっぱりね」と得意そう。
あの子たちの『好き』って結局、その程度だから。
一緒にいた女の人は、千明先生の人気に驚いていたみたい。
でもずっと先生の腕に手を回していて、ただの友だちじゃないことをアピールしているように見えた。そんなことしなくても、充分わかってるよ。
「ケイくん、優しいから断れなかったんでしょ?」という声が聞こえて来た。
なんの話をしてるのかわからないけど、笑いを含んだその言葉は、絶対的な優越感に浸っているよう。
そうだよね……千明先生、優しいから。
優しいから、あたしが「先生が好き」って言ったのも、むげにできなかったんだろうな、って考えたこともある。
優しいから、あたしの気持ちを利用せずに、一定の距離を置いているんだろうな、って思ったこともある。
でもそんな優しさって、本当の優しさじゃないよ。
「卒業したらな」なんていう現実的な区切りを出されたら、期待するじゃん。
指輪を隠されてたら、フリーだって言うのも信じるじゃん。
だってあたしは千明先生が好きなんだもの。
フラれる未来なんて考えたくないもの。
結局、その日はアイリたちとカフェでスイーツを食べてから解散したけど、食べたものの味なんて覚えてない。
今週はもう冬休み間近で、期末テストの回答と自習の時間ばかり。教室はいつも騒がしくて、先生の顔をそっと見るようなタイミングすらなかった。
だから土曜休みの今日――連休初日に、わざわざ学校へ出向く生徒は少ないから――職員室にいる千明先生を呼び出すつもりで、あたしは学校へ行った。
先生は、あたしと二人きりになった途端に頭を下げた。
「騙すつもりじゃなかったんだ。ごめん」
今更そんなこと言われてもさ……あたしはなんて言えばいいの?
じゃあ「卒業したら」ってどういう意味だったんだろう?
「あの時一緒にいたのは、風間たちが指摘した通り、先生の――お、お付き合いしている人なんだが」
そんなことを聞きたいんじゃないんだけどな。
あたしは言うべき言葉が見付からず、黙って千明先生を見つめる。
一度顔を上げた先生は、また視線を伏せた。
「いや、でも本当に、茉莉菜から……その……言われた時には、本当は別れる話が進んでいたんだ。これは本当だ」
この人は何を言ってるんだろう。
その時どうだったのかは、もうどうでもいい。
あたしの顔を見ようとしない千明先生。
ねえ、そんな嬉しそうな顔であの人のことを話さないでよ。
そんな話を聞きたいんじゃないんだってば。
「それで、秋頃になって久し振りに連絡が――」
「先生は!」
あたしは先生の言い訳を遮った。先生はあたしの声にびくっとした。
どうしても声が震えそうになるから、ゆっくり深呼吸する。
「――あの人と結婚するんですか?」
「それは……」
「するんですね。多分、来年とかに。そうでしょう」
「――すまん」