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ふと気が付いたときには夜になっていた。僕は午後をどう過ごしたのかよく覚えていなかった。なぜなら、午後はずっと昼に会った彼女のことを考えていたからだ。
僕は扇風機を強にした。夜になっても暑さは抜けず、寝苦しい夜になりそうだ。そうして思い出したのは、昼に叔母から聞いた彼女の話だった。
彼女は近所に住むごく普通の高校二年生だそうだ。いや、すごく美人の……か。僕は彼女の年齢を聞いて驚いた。外見から見て、大学生かそれ以上なのかと思っていたのだ。それが僕と一つしか違わないとは……田舎侮るべからず。
おっと、話がそれた。
そんなごく普通の彼女だが、一年前のある出来事をきっかけに笑わなくなったそうだった。彼女にはそれまでとっても仲の良かった弟がいたそうだ。五歳離れた弟を彼女はいたく可愛がっていて、とても大切にしていたらしい。よく二人で色々なことをして遊んでいて、彼女はよく笑う優しい子だったそうだ。その弟はよく麦わら帽子をかぶっていたので、歩いていると目立った。何でも彼女がどこにいるかすぐ見つけられるように弟にプレゼントしたそうだった。弟はえらく気に入って、外で過ごす場合はほとんどかぶっていた。
そんな仲のいい二人の姉弟がよくいた場所が、僕が昼間に訪れたあのヒマワリ畑だ。叔母さんによれば、彼らをヒマワリ畑で見ない日はほとんどなかったらしい。夏が終わってヒマワリが無くなっても、彼らはその場所に通い続けた。それほどまでに気に入った場所だったのだろう。
しかし、一年前のある暑い日のこと、彼女の弟は亡くなった。車に轢かれたのだ。弟が彼女とヒマワリ畑に向かう途中、スピードを出した乗用車が二人に突っ込んできた。咄嗟に弟は彼女を突き飛ばした。突き飛ばされた彼女は車に轢かれることはなく、助かった。しかし彼女を突き飛ばした弟は、助からなかった。弟がどうして彼女を突き飛ばしたのか……それはもはや知る由は無い。
それからだった……彼女が笑わなくなったのは。彼女は弟の葬式も死んだように参列した。葬式に似つかない弟の麦わら帽子を握りしめて。弟と最後のお別れをするときも一滴の涙も流さなかったそうだ。
地域の人々は「頑張ってね!」とか「私達がついてるからね!」と言う言葉で、彼女を励ました。彼女は頷いたものの、言葉は発しなかった。地域の人々は彼女を見て、きっと辛いけれど、必死に我慢しているんだ。誰よりも弟のことを愛していて可愛がっていた彼女だからこそ、自分が強くあらなければいけない、そう彼女から感じ取ったそうだ。
それからと言うものの、よく笑う優しい子と言うイメージはどこかへ行ってしまい、強くてしっかりした子、と言うイメージが彼女を包んだ。
叔母さんも「本当に大人びたしっかりした子になってねぇ~」と言っていた。
しかし、僕はその言葉に違和感を抱いた。果たして本当に彼女は大人びたしっかりした子なんだろうか。僕は彼女を初めて見たときは、そうは思わなかった。彼女の表情からはそんなイメージは全く感じなかった。大人びてしっかりしている、と言うよりは何か別の感じがする。
彼女はきっと何か別のことを思っているに違いない、僕はそう思った。
「……あれ?」
僕はそこでふと疑問に思った。何も知らない土地で今日初めて会った彼女のことをなぜこうも真剣に考えているのだろうか、と。たぶん彼女からしてみると、いい迷惑だろう。僕が彼女の側だったら間違いなく嫌だ。誰しも自分の嫌な気持ちを人に知られるのは嫌に決まっている。だがしかし、どうしても彼女のことが頭から離れなかった。それはなぜだろう……。
僕は昼間会った彼女のことを思い出す。
そうして思った。僕は彼女の見上げる視線に何かを感じたということを。僕の肩に触れて「このくらいか……」と僕を見上げて呟いた彼女。その姿から、僕は何かを感じ取った。具体的に説明しろと言われても出来ない。これは直感的な何かだった。
僕もこの田舎に住んでいて、一年前のよく笑う優しい子だった彼女を見ていれば、地域の人々と同じ感情を抱いただろうが、あいにく当時の彼女は見ていない。だから、違う感情を持ってしまったのかもしれない。
もう一度彼女と会って話したい。僕はそう思った。彼女と話せば何かが分かるかもしれない。
しかし……どうしてだろう。僕はふと疑問に思う。どうして一番弟を愛していたであろう彼女が、葬式で一滴の涙も流さなかったのだろう。大切な人を失えば、僕ならきっと人目もはばからず号泣するだろう。それはきっと許されることだ。それなのに涙をこらえる仕草さえも見せなかったなんて……。彼女はそんなに強いのだろうか。
僕は次に彼女に会ったらこう聞こうと思った。
どうして泣かなかったの? ――と。