プロローグ
それはある夏の日のことだった。ヒマワリが辺り一面に咲きほこる畑で――僕は彼女と出会った。
その出会いは全くの偶然と言ってよかった。うん、そう言って間違いないだろう。
僕が散歩に出かけなければ。その場所に行かなければ。その場所をじっと見ずに通り過ぎれば。……いや、そもそも家でじっとしていてどこにも出かけることをしなければ。――彼女と出会うことなんてなかっただろう。それはすごい確率だ。僕らはそうやって日々を生きている。この世はたくさんの確立に満ちているのだ。たくさんのもしもがある。そのもしもの一つが今まで僕が生きてきた人生だ。
そんなどうでもいいことを思い浮かべながら、僕は布団の中で今日の昼に起こったことを思い出していた。
僕は今、叔母が住んでいる田舎に来ていた。一番の目的は避暑のためだ。僕が住んでいる都会のマンションの中は辺り一面ビルに囲まれていて、風がまったく通らず、暑くてエアコンを常時付けていなければとてもじゃないが熱中症になってしまうほどだった。そのため、僕は毎日今より一℃でも涼しい場所を渇望していた。
僕がそのことを両親に打ち明けると「叔母さんが住んでいるところ、空気が綺麗ですごくいい場所だから行ってきなさいよ」と言われた。
その叔母さんが住んでいるところ、僕はよく知らない。小さい頃に行ったみたいだが、場所を聞かされてもいまいちピンとこなかった。そりゃそうだ。自分が覚えていない場所を思い浮かべるのはできないのだから……。
僕が気にするのは一つ。涼しいか涼しくないか、それだけだ。
かなり遠い場所というのもあって、電車で長時間揺られることになった。だんだんと景色が変わっていって、普段見慣れない田んぼや山などを見たときはそれなりに気持ちが高揚したが、それが何分も、はては何時間も続いていると、さすがに見飽きて暇になってきた。よりによって充電器を忘れてきたせいか、携帯の充電は無くなっている。やることも無くぼーっとしていると、だんだんと睡魔と言う悪魔が僕を包み込んできた。
僕はいつの間にか睡魔に負けて眠っていたらしかった。目を覚ましたときには降りなければいけない駅のひとつ前だった。僕は慌てて起きて降りる準備をする。
そうして降りた駅は無人駅で、人の姿は全く無く迎えに来てくれた叔母だけが駅にはいた。
そこは、綺麗な空気が辺りを包み込んでいて、ここが田舎なんだなあ、と実感した瞬間だった。僕の住んでいるところとは全然違う。
風がふっと僕をなでる。いい気持ちだ。
僕が駅に降り立って何よりも驚いたのは、遠くまで同じような景色が続いていて、辺り一面を見渡せると言うことだった。都会では辺りがビルにふさがれて高い場所でない限り、遠くの景色を見ることはできない。ここに住んでいる人から見ればこれは大したこと無いように思えるだろうが、この景色に僕は本当に驚いた。
ただ一番の問題になりそうなのは、セミの鳴く音だった。
僕の住んでいる場所よりは涼しいが、今日も変わらずセミが鳴き続けている。
一日目は多少の新鮮さがあったが、二日目にもなるともうどうでもよくなった。先ほどから勉強をしているが、全く集中することができない。
僕は気分転換に散歩に出かけることにした。叔母さんにどこかいい場所は無いかと聞くと、この辺りに綺麗なヒマワリがたくさん咲いている畑があるんだよ、と教えてもらった。ヒマワリ……最近は見かけることが少ない。
ただやみくもに歩き回るよりはいいかと思い、僕はその場所を目的地とした。熱中症にならないために水を少し多めに入れた水筒を持つと、僕は家を出た。その道すがらなんとなく辺りを観察してみる。
観察してみると、来たときには見なかった新しい発見があった。この暑さにも負けずに元気に走り回っている子どもたち、たくさんの虫たち、綺麗な水が流れる川、等々。僕が住んでいたところではまず見ることが出来ない景色ばかりだ。僕はここにきて少しは良かったのかな、と思い始めていた。
「セミがもう少しでも静かになってくれたら最高なのにな」
僕はぽつりと呟く。
それにしても結構歩いたとは思うが、ヒマワリ畑はまだ見えてこない。一体どこにあるのだろう。
今日は暑いから明日にしようかな……そうのんびりと考える。田舎に来て僕の思考もいつもよりゆっくりになっているようだった。なんだか心がここの空気に包まれて穏やかになっている気がする。僕は高校一年生でまだ当分受験生ではないけれど、両親は高校に入ってからずっとピリピリしていた。いや、正しくは中学生のときからか。僕には少しでもいい学校に入ってもらい、そのことを近所に自慢するそうだ。正直言って僕はそれが嫌だった。別にどこの学校に入ったっていいものを……。少しは僕の意見も尊重してほしいものだった。
なんて、今は田舎にいるのだからこんなことを考えるなんて馬鹿らしい。せっかくの時間を満喫しなければ。
自分に苦笑しながらさらに歩き続ける。あの角を曲がってヒマワリ畑を見つけることが出来なかったら、また明日にしようと思った。
「時間はいっぱいあるからね……」
そうやって考えながら、僕は角を曲がる。特に期待はしていなかったが、一応視線を上げて辺りを見渡す。
すると――少し歩くことにはなるだろうが、空に向かって「私はここにいますよ!」と主張しているたくさんのヒマワリたちが咲きほこっている畑が遠くに見えた。なるほど、確かに綺麗だ。叔母さんが綺麗だよと言っていた理由がわかった。
僕はゆっくりと歩きながらヒマワリ畑に近づいて行った。近づくにつれてだんだんとヒマワリが大きくなってきた。綺麗な色だ。これまでヒマワリをまじまじと見たことは無かったけれど、改めてみると面白い形をしている。この形は何を表しているのだろうか、僕はふと気になった。
さて、そろそろ帰らなければならない。ヒマワリをじっと見ていていつの間にかかなりの時間をここで過ごしていたのだ。それに、水分をとっているとはいえ、これからまだ暑くなるだろう。なんとかお昼までには家に着きたいと思ったとき――僕は彼女と出会った。僕が最後に偶然ヒマワリ畑を端から端まで見渡したから、彼女を見つけることが出来たのだった。