碧空の下で 008
一方、日本にいる更は、夏休みを満喫していた、僕がロシアやカナダにいる間に。先生たちが日に日に関西に近づく戦地に送られたために不足し、夏休みという扱いになった模様だ。もうすでに兵庫県でも中国の手に落ちた地域があるし。
夏休みの宿題を更がやり始めた頃、赤紙が届いた。入間の航空機工場に配属だと書いてある。少子化で兵器工場の人員不足となり、小学5年生以上は同様の取り扱いだという。まあ高齢化率30.0パーセントの国だし。このことはカナダの国営テレビ、CBCでも報道されており、日本で児童労働が行われていることが如何に陋劣かを窺い知れる内容か世界に知れ渡った。
出発の日、天王寺行きに両親、祖父母に見送られながら更は乗り込んだ。途中の難波で名古屋行きの臨時の近鉄特急に接続するという。これは工場に向かう小中学生らに限定して旅客輸送を行うものだ。
東中島駅をすぎ、地下区間に突入した。暗黒の隧道を5キロほど走り、本町駅にて車掌がアナウンスを行った。
「車両故障により当駅で運転を取り止めとします」
どうやら戦争で中国は日本向け部品の供給を停止し、車両の維持が難しくなっている模様なのだろう。難波まですし詰め状態の御堂筋線を使うしかない。
難波元町駅の非常に長大な地下通路を通り抜け、近鉄の難波駅が見えてきた。階段を通り抜けた先には名古屋行きが止まっていた。
更の同級生の女の子達は先に乗り込んでいた。あと一席だけ空いた席に座ると、会話が始まった。
「更はどこに配属されたの?」
「入るに、間と書くところ。航空基地やねんてな。咲は?」
「静岡の銃工場。富士の山の麓にあるよ。」
このように、北は北海道、西は岐阜まで全国的に級友は分散することになった。更曰く、都道府県の書いたくじで決めたという。なぜ関西はいないのだろう。
そう更は考えながら近鉄の車窓を眺めた。大和八木、名張を超えて、青山トンネルを超えた時、もう関西ではないと思い郷愁の念が湧いてきた。
伊勢中川にて進路は大幅に変わり、久居、四日市と過ぎて行き、一部の友達が降りる中、伊勢湾を眺めながら名古屋に着いた。
名駅では立川まで広がる甲信鉄道のホームに急かされる。東京、浅草行きだ。私は立川で降りる。
電車が発車した。
更は、名古屋駅を出て立川行きに乗り込んだ。ここは、元は名鉄瀬戸線だったが、甲信鉄道が買収した区間だ。
甲信鉄道線は早くて快適だ。一部区間では150km/h出せるという。しかし、この列車は同じ年の子どもだけが詰め込まれているので満足不可能だ。
この列車には、近所に住んでいたという陸と名乗る男の子がいた。声からして断定できる。本当に、保栄茂 陸だ。背も高いし。
列車は神坂のトンネルを抜け、信州に入った。車窓から飯田線の列車が丸見えだ。スピードは明らかにこちらが早い。
駒ヶ根駅で一旦停止した。名物のソースカツ丼が支給されるという。更はそれを何某の場所にいる淳という兄のことを思い浮かべながら食した。
一方で、太平洋では、アメリカや国連の艦船が中国と戦ったものの敗北し、潮岬に上陸された。
駒ヶ根駅で一旦停止した。名物のソースカツ丼が支給されるという。更はそれを何某の場所にいる淳という兄のことを思い浮かべながら食した。駒ヶ根にはソースカツ丼屋がひしめく。今はスタンプラリーを開催しているそうだ。
ここを発車し、辰野を過ぎると中央道と別れて、天竜川が流れているのを発見できた。中央道のほうは中国に爆破された模様だが、こちらは安全だ。列車は急カーブを曲がった。すぐに岡谷に止まり、印刷機生産の人はここで降りるという。しかしインターネットやメールの使える時世にいるのか。中央線と並走しながらも甲信境を通過するとき、一瞬だが電気が消えた。長野と山梨は、電気の周波数が違う。それでデッドセクションがあるのだ。列車はその後も走り続け、甲府中央、石和温泉と通過して、新塩山、丹波渓谷間にあり、新甲州トンネルがすぐそばに建設されている単線の甲州トンネルを通り、奥多摩湖を眺望し、ついに立川にまでたどり着いた。この駅構内で駅弁を食べ、狭山市行きの列車に乗った。しかも、編成が短いお陰で前面にも人が張り付いており、某新興国かと見紛うばかりだった。
一方で、中国は上陸した、東海地方にも。