花束を君に -gratitude-
少しでも貴女に近づきたいです。私は貴女の一番星になれますか?
星になって貴女の元に行きたい。
美しい月に行った貴女と永遠に空を照らす。
柳隆介が会社の隣の席の存在だった風間京香の事が気になったのは些細な事だった。彼女のデスクにさり気なく置いてあった中堅の出版社の季節限定のブックカバー。私も欲しかったが機会に恵まれなかった。気が付いたら彼女に声を掛けていた。「風間さん。そのブックカバー素敵ですね。確か、季節限定品ですよね。」「柳さん。ありがとうございます。これは-。」タイミングを見計らったかのように私の目の前の電話が鳴る。京香はマニュアルに書かれたようにニッコリと笑い、コピー機に向かっていった。仕事に強制的に戻らされる。ドラマは目の前で起こらない。心が何処かソワソワする就業時間を鉄壁と呼ばれている姿で何とか消化していった。
22時閉店の大型書店にギリギリ滑り込み本を買う。本で溢れた部屋に戻る。着替えるのも面倒だった。井草の匂いが立ち籠める畳に横になる。ネクタイを緩めながら買ってきた本を読み始める。そうして活字の海を当てもなく彷徨う。潜っていく。明け方の電車の音で現実に戻る。今日は金曜日。仕事が待っている。熱いシャワーを浴び汗を流すと伴に眠気を覚ます。「おはようございます」習慣は恐ろしく、いつも通り朝一で出勤してしまう。いつも始業三十分前には来る隣の席の京香は今日は中々来なかった。時間丁度に来た腫れぼったい目をした彼女に思わず驚く。周りの視線がこちらに集まる。彼女の鞄には一冊の文庫本があった。本は海外ミステリー作家によるヒューマンドラマ作品だった。彼女と目が合う。彼女はバツが悪そうにする。
「本の続きが気になって徹夜で読んでしまいました。この作家さんはホラー作品が好きなのですが、この作品を読んだら泣いてしまいました。」ビアガーデンでジョッキを片手に彼女はハイテンションで語っていた。お互い本の話をし始めたら止まらなかった。空のジョッキが増えていく。「楽しいね。楽しいね。もっとお話ししたいです。」立派な酔っ払いと化した京香をタクシーに乗せる。運転手に京香が何とか住所を告げた。心配していたが、月曜日に出勤した京香は金曜日の夜と打って違って別人の様に凛としていた。本の貸し借りをする仲がしばらく続いていった。
どんなに無様でも傷ついても良かった。傷つくのは気になる存在なのだから。私達の仲は天秤のように揺れていた。酒は呑まなかった。スキに生じて潜り込むのはなけなしのプライドが許さない。そんな関係が半年間続いた。京香の誕生日プレゼントに思い切って銀座の隠れ家レストランを予約した。「風間さん、私と付き合っていただけないでしょうか?」答えが帰ってこない。「ごめんなさい。柳さんにだけにこの話をします。私はステージⅣの乳がん患者です」言葉が出ない。頭の中が真っ白になる。昨日と同じ町並みに違う朝が来る。京香は私という存在に気づいてくれた。それだけで満足すべきだったのだが感情が止まらない。「京香の最期の一年を私と過ごしていただけないでしょうか。私は最期まで京香の側にいます。」痛みと等しい声が走った。貴女と一緒が良い。貴女と出会えて本当に良かった。離れないで。もう少し、もう少しだけ。あと一年間という時の砂はゆっくり落ちていってほしい。
二人の告白は私達を夫婦にした。私は京香に指輪をはめる。京香も私の薬指に指輪をはめる。結婚式は身内だけで行った。純白のウエディングドレスに京香が好きな白い百合のブーケを持った姿が見れただけで私は幸せだった。プロのカメラマンに撮影をお願いした。京香は緑のドレスに着替えた。カメラのフラッシュが私達を照らす。「眩しいね」京香が笑う。「遺影はカラードレスの方にしてね。」自分が死んだあとの事を京香は結婚式という永遠を誓う祭りの際中でも考えていた。純白の余命いくばかの花嫁は近い未来に訪れる暗黒に誘われる事を受け止めている。そんな娘を見て枝の様に細い義父は結婚式当日の朝から涙が止まらなかった。その横で義母が「あなた泣かないで下さい。京香のキレイな姿を見ましょう。」と義父を支える。「お義父さん、京香さんをおもいやりのある娘さんに育てていただいてありがとうございます。最期まで京香さんに悲しみの涙を流させません。私は京香さんを大事にします。」義父が声を振り絞る。「生きている限り京香を寂しい想いはさせないで欲しい。隆介君、約束できるかい?」「はい。もちろんです。京香さんが寂しい時も辛い時も私は京香さんの側にいます。」
京香は表向きは寿退職という事で会社を退職した。退職金でずっと夢に見ていた壁一面の日本近代文学全集と児童文学全集を購入した。「これからは時間があるから片っ端から読むぞ!」京香は息を荒らげる。「懐かしい本ばかりですね。」「私の本だから私が先に読むんだよ。」ぺろりと舌を出す。濃密な時間を過ごす。余命が三ヶ月に迫り京香は病院で過ごすことが増えていった。京香は緩和病棟に移った。病院衣から覗き出る腕には注射と点滴痕が見える。京香はその痕を花だと言った。京香の命を支える花。京香は病室で本を読んでいたがペースは次第に落ちていった。それでも京香は小児ガンの子供達に児童書を読み聞かせていた。京香の目はイキイキと輝いていた。しかしガンは京香を手放さなかった。
徐々に死が迫って来ていることは分かった。痛みに耐える為に食い縛る事が増えた。ストレスで手を噛む事もあった。赤紫色の傷跡。白い百合が好きな京香には似合わない。余命はどんどん減っていく。二人で病室にいる時間が増えた。赤紫の傷跡は私の手や腕に咲き始める。最期まで一緒にいます。京香が泣いても私は泣かない。土台が崩れたら終わりだ。京香が苦しみや悲しみで声を殺して泣く事が日に日に増えていった。面会時間ギリギリまで病院に居続ける。私は会社は休職している。辞めても構わない。京香が生きている限り私は隣に居続ける。医師から呼ばれる。「柳さん。京香さんはいつ様態が悪化するか分かりません。意識が無くなったら戻る事は難しいです。」「医師、心臓マッサージはなさらないで下さい。京香は女性です。体はキレイにして頂けないでしょうか。」主治医は延命措置に関する紙にサインを求めた。その紙には京香のサインがあった。京香は自分の死を私よりも冷静に見ていた。覚悟が違う。不安定になっても芯は振れない。春まであと僅か。花は咲く準備をしている。その花を京香と見れるだろうか。
梅の花が咲いた日の朝の4時に自宅の電話が鳴る。「京香さんの意識が無くなりました。ご家族の方は来てください。」意識が無くなっても最後まで残るのは声だ。「京香、愛してます。いつまでも愛してます。」心電図のモニターが平らな線を写し、ピーと鳴り続ける。京香は穏やかな表情だった。静謐な朝。京香は旅立った。「京香、私に時間をくれてありがとう。」墓碑に白い百合とピンクの薔薇を手向ける。貴女と会えて、最期まで一緒の時間を過ごせて良かった。感謝の気持ちを花に携える。
白い百合を手向け続ける。それが私ができる唯一の事。愛はまだ色褪せない。
FIN.
長らくお待たせ致しました。
久しぶりの小説でも私の趣味の読書が炸裂しています ^^;
テキレボ7に向けて書き下ろし小説を用意しています:D
BGM:米津玄師(Orion)