王国の滅亡
一部、本編のネタバレを含みます。
俺は、コンラートと昔話をしていた。
亡国の昔話だ。
王国の宮廷工作を担当していたコンラートが、俺の苦労話を聞いてくれとしつこかったのだ。
たしかに、コンラートには苦労をかけたし、俺がアリシアと出会えたのもこいつの働きによるところが大きかった。
故に、酒を飲みつつ、昔話につきあってやることにした。
その日は、俺もコンラートも、相方不在で手持ち無沙汰だったというのが大きかった。
間違いなく、アリシア達の前でしたい話ではない。
ちょうどよい機会ではあったと思う。
アリシアが起こした騒動の日より、順を追って話そう。
僭主ジョンの第一子が引き起こした、婚約破棄なる醜聞とそれに伴う混乱は、多くのものたちがこれを目撃した。
特に動きが迅速だったのは、やはり地方領主の子女達だ。
彼らのほとんどはその日のうちに王都を脱出し、子女から話を伝え聞いた諸侯のほとんどはランズデール公と陣営を共にすることを選んだ。
そんな中、王都に残ったものが居た。
アデル・バールモンド辺境伯令嬢。
北部に大領を有する、バールモンド辺境伯ガーランドの一人娘だった。
アデルは、もともとは一人娘ではなかった。
彼女には兄が二人いたが、いずれも侵攻してきた蛮族との戦いで亡くなっている。
長兄は、戦いの渦中で討ち死にし、次兄は篭もる砦を落とされて、虜囚となった。
その後、蛮族がバールモンド領都を攻囲した折に陣頭に引き出された彼は、見せしめと挑発のため、家族や領兵が見守る中、惨殺された。
アデルは父とともに復讐を誓った。
しかし、5万にも届かんとする蛮族軍の前に、力及ばず追い詰められる。
そんな彼女らの窮地を救ったのがアリシアだった。
ランズデール領軍を率いて救援に駆けつけたアリシアは、北部諸侯を守るため蛮族の軍と対峙した。
戦いは熾烈を極めたという。
あのアリシアをして、隷下のランズデール騎兵隊の凡そ2割、1500を失い、彼女自身も幾度となく負傷した。
だがそれら多くの犠牲の上に、王国領主軍は、蛮族を撃滅することに成功した。
アデルは、アリシアに強い恩義を感じていた。
話をアリシアが事件を起こした日に戻そう。
事件発生当時、アリシアはほとんど丸腰といっていい状態であった。
アリシアの父、ランズデール公は、領兵を王都に入れることを禁じられている。
アデルは、王都内でアリシアが孤立し、窮地に陥ることを危惧した。
ゆえに彼女は、アリシアを保護し、万が一その身柄が王国の手に落ちたのであれば、隷下領軍200をもって突撃し、これを奪還する心づもりであった。
しかしアリシアは、既に王都を脱出していた。
アデルがその事実を知った時、彼女が篭もる王都のバールモンド領館は、既に王国近衛騎士団に包囲されていた。
絶体絶命の危機に陥ったアデルは、屋敷につめる全領兵に死守命令を下す。
「最後の一兵に至るまで徹底抗戦を命ずる。我らが鉄と血の結束を王都のモグラ共に教えてくれよう!」
玉砕を命じられた領兵達は、喜々としてその号令に唱和したという。
俺は呻いた。
「王国の令嬢には、女傑しか居ないのか」
「いやー、苛烈な方でしたよ。見た目は小動物なんですがね。中身はアリシア様とは正反対というか、いろいろひどかったです」
コンラートはこう言って笑った。
コンラートはアデルと面識がある。
なにを隠そう、この時のアデルを救ったのがコンラートだったからだ。
王都の部下から状況の連絡を受けたコンラートは、即座にアデル嬢の救出を命じた。
「救え。手段は選ばず。必ず為せ」
コンラートの持ち味は独断専行だ。
こいつとこいつの部下は、実に好き勝手に動いて、俺に都合の良い展開を引き寄せてくれる。
アリシアの時もそうだった。
減らず口が多いのが玉に瑕だが、非常に使いやすい男で、大変に重宝している。
「いや、独断専行を喜ぶ上役なんて殿下ぐらいしかいませんからね!?」
コンラートはこう言うが、勝てばよかろうが俺の信条だ。
いつか負けるまでは好きにやらせてやるつもりだ。
コンラートの部下だが、まずは近衛騎士団の団長に毒を盛った。
王国の近衛騎士団団長は、短慮な木偶であるため、アデル嬢を害した時の問題に気付いていないようだった。
当然のことであるが、アデルが死んだ場合、バールモンド辺境伯が王都に侵攻する。
王都はほぼ終わりだ。
故に手出しなどできるはずがないのだが、この男はアデル達に攻めかかろうとしていた。
王国の騎士団長を名乗る木偶の一家は、アリシアをめぐる醜聞にも一枚かんでいた。
このため小細工の手間すら惜しんだ工作員は、家族全員まとめて毒を盛った。
毒を飲まされた木偶達は、酷い食中毒と診断された。使ったのは食中毒の毒を強毒化したものだ。当然症状も同じ。当たり前だな。
一応、非致死性の毒ではあるのだが、死んでも構わんだろぐらいの勢いで大量に放り込んだらしい。
結果、騎士団長一家は、数週間にわたって、何を口に入れても上か下から出すだけの状態となり、身動きが取れなくなった。
「無能な敵指揮官は、なるべく殺さないでほしいのだが…」
コンラートの動きを知らされたとき、帝国軍の一人の幕僚の言った言葉である。
我々にとっては幸いなことに、この騎士団長一家は、およそ一ヶ月ほど苦しんだのちに復帰した。
団長が倒れて騎士団が機能不全に陥ったため、状況は膠着した。
そんな折、領館に立てこもるアデルの元に、当時の王国の王妃、僭主ジョンの妻が訪れた。
この王妃であるが、王国の社交界にあっては、洗練された立居振舞で、女性の羨望を一心に集める優美な王妃だったそうだ。
持ち前のカリスマで、王国の貴族女性達を一手に取り仕切っていたらしい。
この評に俺とコンラートは、首をかしげた。
元王妃は、アデルに対し、アリシアの粗暴な振る舞いを咎め、これに与するような真似はやめて王国の忠誠に立ち返るよう説得したそうだ。
これに対し、アデルは言った。
「自分の息子の教育すらできない女のくせに、アリシア様のことを悪く言うのはやめて頂けません?」
俺達は、アデル嬢の言葉に大いに頷いた。
次期王の教育もできない国母など、害悪以外の何物でもない。
洗練された社交性など、余技もいいところだ。
アデルは、この王妃を名乗る女を鼻で笑うと、手元の紅茶を顔にぶちまけてから、踵を返して立ち去った。
後に俺にも知らされるが、かつてアリシアが同様の侮辱を受けたことがあったそうだ。
「できれば、もう少しきっちり意趣返しをしたかったですわ」
とは後のアデルの言だった。
結局、彼女も含めた俺達は、生きた元王族達と対面する機会は得られなかった。
またも行き詰ったアデル嬢の領館立て篭もり事件であるが、王国の宰相から、譲歩案が出た。
条件は二つ。アデルは領兵すべてを率いて、速やかに王都を退去すること。
そして、バールモンド辺境伯家と王都の間で一年間の不戦協定を結ぶこと。
アデル嬢はすこし思案した後、不戦協定の期間を半年に縮めて同意、逃げ遅れた他の領主諸侯の子女も引き連れて領地へと帰っていった。
この一件も、コンラートが裏から宰相に手を回していた。
奴は、俺のアリシアに対する執心ぶりについて、宰相にあることないこと吹き込んだらしい。
曰く、第一皇子ジークハルトはアリシアを一目見て恋に落ち、その場で求婚した。
曰く、皇子は、アリシアの歓心をひくために、何十着ものドレスや宝飾品を貢ぎ、あたう限りのもてなしで彼女を歓待した。
曰く、皇子の個人的な歳費の支出は、約七割がアリシアに関するものだ。
曰く、皇子は、アリシアに逃げられることを恐れ、彼女を要塞の一室に閉じ込めてはなそうとしない。
書いてみて気付いたが、全部あることだった。
「これは酷い」
「まったくですね」
そんな俺の溺愛っぷりに、宰相は大変な危機感を抱いた。
当然だ。宰相にも散々アリシアを敵視してきた自覚はある。
アリシアが俺に復讐を依頼すれば、まず間違いなく宰相の立場は無い。
十中八九粛清される。
アリシアとアデルは仲が良かった。
ここでアデルを助けて、多少なりと恩をうっておけば、将来アリシアとの仲を取り持ってくれるかも知れぬぞ、とコンラートは教えてやったらしい。
宰相もとうに王家と王都を見放していた。
ゆえに宰相はアデルを助けた。
帝国の工作員は、この辺りの裏事情もアデルに伝えたらしい。
「恩に着るかどうかは私の自由ですから」
そう言って、アデルは笑ったそうだ。
この間、当代の馬鹿たる僭主ジョンは、溺愛する第一子のエドワードを殴打されて逆上し、延々とアリシアへの憎悪を喚き散らすだけの日々を送っていた。
二代目の馬鹿エドワードは、アリシアの一撃で顔面こそ変形したものの、奇跡的に頚椎は無傷で、父とともにアリシアへの復讐を叫んでいた。
エドワードが叫んだアリシアへの言葉の中には、下卑た内容のものも多くあった。
俺と帝国軍諸将の気分を損ねるには、十分であった。
ところで公の場での国王や王子の発言は、国家の公式声明とも捉えられる。
コンラートは、帝国の第一皇子ジークハルトがアリシアにご執心であることを伝え、すぐに発言をやめさせるよう王国の宰相シーモアに指示した。
しかし宰相は困った。
宰相は、今まで国王に直言できる忠実な能臣たちを讒言で陥れてきたのだが、ここへきて自分が同じ立場に立たされた。
ジョンは鳥頭であるがゆえに、操りやすいがすぐに取り決めを忘れる。
エドワードは、鳥頭に加えて執念深く性根がネジ曲がっている。
もしも発言をやめさせるなら、繰り返し何度も諌めなければならないが、まず確実に王家の馬鹿どもには疎まれることになるだろう。
宰相の権力基盤の崩壊である。
奴は手詰まりになった。
宰相はコンラートに希望に添えないことを謝罪した。
そしてなんとか他で埋め合わせられないかと懇願したそうだ。
そこでコンラートは本題を切り出した。
王家の馬鹿を抑えられないのなら、殿下にとりなしてやるから金を出せ、と。
お前はやくざか。
「論理が飛躍していないか?あとこれで本当に出すのか、金を」
「出すんですよ、これが。命惜しさに」
金、と言ったが、コンラートが狙ったのは、現金や貴金属などではない。
領主諸侯が王都の貴族にしている、借金の証文である。
帝国が王国を併合した後に、宰相シーモアに経済的な側面から諸侯を牛耳られるのは避けたかった。
その予防策である。
一方で、宰相にとってもこの手の債権は、余り魅力的な資産ではなかった。
武力の裏付けがない宰相は、もはや諸侯から金を取り立てる術を持っていなかった。
どうせ焼き捨てるくらいならくれてやる、と景気良く借金の証文を帝国に流してくれたそうだ。
宰相は王都の商会ともつながりが深い。
守銭奴の宰相殿なら、自分とつながりが深い商会からも資金を巻き上げて、せっせと帝国に貢いでくれることだろう。
そうやって貢がれた金は、俺の歳費に組み込まれ、その金を俺がせっせとアリシアに貢ぐのである。
経済はこうやって回るのだ。
「殿下、笑えないです」
「あの笑顔を見ると何でも買ってやりたくなるからな。仕方なかろう」
ついでにいうなればアリシアは、金がかからない王女だった。
このコンラートの資金巻き上げ計画であるが、ある時期から凄まじい加速を見せる。
アリシアの身分が王女となり、俺の婚約者として公表された直後のことだ。
僭主ジョンは焦った。
アリシアの身命と身分を帝国が保証してしまったからだ。
もはやアリシアを反逆罪で処断できないことを悟ったジョンは、恩赦を与えようとしたが、これまでの彼女に対する憎悪と、常人にはよく理解できない彼の思考回路が邪魔をして、最終的にこんな声明が吐き出された。
「アリシアがこれまでの非を謝罪し、その生涯をもってエドワードに償うというのであれば、これを赦す」
帝国の第一皇子の婚約者を、自分の息子の奴隷としてよこせ。
そうとしか解釈しようがない声明に、俺の父親が切れた。
俺より先に切れた。
帝国の皇帝が、ガチギレである。
直轄軍の動員も辞さない勢いで切れて、帝国皇帝として声明をだした。
「ジョンは出頭せよ。謝罪は受け付けない」
絶対に殺す。死刑宣告である。
ジョンと王国宮廷は、この声明に震え上がった。
コンラートはこのどさくさで、宰相に対する上納金の請求額を一桁追加した。
コンラートは言った。「帝国皇帝のとりなしのための宮廷費であるからして、当然の増額である」
大幅な要求金額の増加で、宰相はあっという間に困窮し、コンラートに泣きついた。
なら一つ策を授けてやる。
コンラートは宰相に一枚のリストを渡した。
王国貴族のリストだ。
帝国的に、できればいなくなって欲しいやつリストである。
ランズデール公、およびアリシアを宮廷で迫害した連中であった。
ほぼ宮廷貴族全員の名前が、コンラートの独断と偏見で優先順位付けされて並べてあった。
こいつらを粛清し、財産を没収して支払え。
そして、王国宮廷内に粛清の嵐が吹き荒れた。
宰相が、だれがしかを逮捕する際の名目は、ほとんどが帝国への内通であった。
宰相に、お前こそ内通してるだろ、と突っ込む人間はだれもいなかったらしい。
ちなみにアンなんとか男爵令嬢の実家もここで取り潰され、当人はエドワードのもとへ駆け込もうとしたものの、階段から足を滑らせ転落死している。
俺はかねてからの疑問を口にした。
「なぜ、宰相はここまで従順なのだ?帝国には、奴に命令する権利など無いぞ」
「自分が役に立たなくなった時点で切り捨てられると思ってるんでしょうよ。この手の人間は自分を基準に考えます。帝国は約束を守る国なんですが、奴は絶対に信じられないでしょうね」
コンラートはそんな風に、宰相の心情を代弁した。
帝国は当然のように宰相シーモアに命令しているが、密約の中でやつにかかわる諸々は保証されている。
だから宰相は、密約を信じて帝国の要求など突っぱねればいいのだ。
しかし宰相はそうしなかった。
要は、宰相は、約束事を守る人間ではないということなのだろう。
故にやつは帝国を信じることができなかった。
「併合後に粛清するのも面倒です。自分達の墓穴ぐらいはその手で掘ってもらいませんと」
そう言ってコンラートは笑った。
その後しばらくして王都を帝国-領主連合軍が占領したとき時、残っていた王国の宮廷貴族は往時の1/4程度まで数を減らしていた。
また、宰相含めほとんどの貴族は、総資産のほとんどを失っての降伏となった。
ちなみに宰相はこのあとすぐに死んだ。
以上が、我が忠臣コンラートによる王国宮廷内工作の軌跡である。
宮廷貴族の牙を抜くのには、それなりに時間がかかったが、かたに嵌めきったコンラートは満足げな顔をしていた。
「ご苦労だったな」
「いえいえ」
俺のおざなりなねぎらいに、コンラートもまた適当に答えた。
さてここからは酸鼻な話が始まる。
またあまり楽しい話でもない。
予めお断りしておく。
ジョンのアリシアに対する憎悪は深く、多くの宮廷貴族が、彼のご機嫌を取るためにお追従を並べた。
アリシアの人格や品位あるいは尊厳に関わる侮辱も多く、それを逐一、コンラートの部下たちは記録していた。
王都占領後、戦後体制をまとめるにあたり、このコンラートの情報も開示された。
その中の、とある宮廷貴族の発言が、一人の領主軍指揮官の目に止まった。
宮廷貴族の発言内容は以下の通り。
「アリシアを捕らえましたら、裸に剥いて市中引き回し、奴隷にでも犯させて首を跳ねましょう」
そして、これを見た領主軍指揮官、アデル・バールモンド辺境伯令嬢は、内容を隷下の領兵達に伝えた。
件の宮廷貴族は、おそらく本人にとって不幸なことに、宰相の粛清を逃れて生き残っていた。
激憤した領兵1000人がかりの捜索で、まもなく彼は捕縛され、アデルの前に引きずり出された。
震え慈悲を乞う男を前にアデルは言った。
「ご自分が口になさったことではありませんか。どうぞご自身の身で味わってくださいまし」
アデルは、男を裸に剥かせると、体の一部を叩き潰した上で、馬に牽かせて市中を引きずり回した。
その後、アデルは、彼の邸宅に領兵を引き連れなだれ込んだ。
その宮廷貴族の邸宅には、瀟洒な庭園があった。
「きれいなお庭ですわね。鐘楼にでも吊るしましょうか」
家人を槍と剣で脅しつけて茶会の準備をさせると、特によく手入れされた一角にその男を引きずり出し、石打にて撲殺した。
アデルの命を受け、領兵たちが屋敷の中を駆け回る中、宮廷貴族の妻子二人が慈悲を乞うため、アデルに目通りを願った。
彼女の前で跪いたその二人の母娘は、美しく化粧をし、絹のドレスを身にまとっていた。
「とても素敵なドレスをお召しですのね」
アデルはこの二人を評して言った。
アデルは、激怒していた。
アデルは、絹服をまとったアリシア以外の女が大嫌いだった。
王国と絹服の因縁は、ジョンの失政に端を発する。
とある外国貴族が王国を訪ねた折、王国貴族に絹服をきているものが少ないことを指して、田舎者と揶揄した。
これに腹を立てたジョンは、すべての貴族に絹服を、特に女性は絹のドレスを身にまとうようふれをだした。
王国の服飾産業がこれにより衰退したのだが、それは今回の話とは関係ない。
アデルは、王国屈指の大貴族の令嬢だ。
戦続きで苦しい懐事情をおして、それでも絹のドレスを何着かは仕立てていた。
蛮族撃退を祝した戦勝パーティーの席でも、アデルはシルクのドレスを披露した。
この戦いの最大の殊勲者であるアリシアも、当然そのパーティーには出席していて、アデルのドレス姿を見るなり褒めちぎった。
アリシアは、アデルの滑らかな手袋を指で撫でながら、うっとりした表情で言った。
「いいなぁ。私もいつか着てみたい」
一方のアデルは、アリシアのドレスに見覚えがあった。
アリシアが着ていたのは、アデルのお古だったからだ。
度重なる蛮族との戦いで、財政的に窮乏していたバールモンド辺境伯は、ランズデール家に対する戦費支払いを無利子無期限の借款で猶予してもらっていた。
蛮族軍5万を正面から蹴散らしたアリシアは、実質的にはほぼタダ働きだ。
なんでも良いから礼をさせて欲しいとバールモンド卿が粘ると、アリシアはアデルのお古のドレスを所望した。
「余り自分ではドレスを仕立てないので。もし余っているドレスがあれば頂けるととても嬉しいです」
上等な衣服は、そこそこの値段になる。
仕立て直せば、侍女の服にも使えるだろう。
バールモンド卿は、アデルがもう着なくなった古いドレスをアリシアに贈った。
そしてアリシアは、早速、貰ったドレスを着て戦勝パーティーに参加した。
禄に服など仕立てたことが無かったアリシアにとって、手持ちで一番上等な服が、それだったのだ。
アデルはそのアリシアを見て固まった。
アリシアもアデルが自分のドレスを凝視していることに気付いて、素直に礼を言った。
「素敵なドレスをありがとう」
笑うアリシアの背には、つけ毛が揺れていた。
激戦の中で、アリシアは自前の銀髪を燃やしてしまったため、その日はつけ毛でごまかしていた。
ドレスは首まで隠す型のものだ。アリシアは肩に矢傷を受けたので隠していた。
アリシアの額と頬にも傷が見えた。
戦い抜いたアリシアは、採寸すら怪しい型落ちのドレスを着てここにいる。
一方で、城壁に守られ傷一つ無い自分は、上等な絹服を纏って彼女と談笑している。
アデルはそんな己の身を恥じた。
メアリあたりがアデルの考えを聞けば、「アリシア様はそこまで考えていない」と言下に否定しただろう。
アリシアは、ドレスよりも良い馬がほしいとそちらに金を使っているだけなのだ。
自由になる小遣いの優先順位が、他の貴族令嬢と違うだけなのである。
だが、アデルはそうは思わなかった。
ゆえに、アデルは絹服を、そしてそれに象徴される奢侈を憎んだ。
アリシアの献身に守られながら、ぬくぬくと贅に溺れる宮廷貴族の女どもをアデルは憎悪した。
そして目の前に、その象徴たる女が二人が跪いている。
さんざアリシアを愚弄してきた者共だ。
今更、命惜しさに慈悲を乞うとは片腹痛いわ。
絶対に許さん。
アデルは心に決めた。
アデルはコンラートに、件の宮廷貴族の収賄容疑について尋ねた。
ジョンのゆるみきった治世にあって、厳密に王国法を適用すれば、ほぼすべての宮廷貴族が有罪となる。
当然彼らも有罪となった。
収賄にはその額に応じて罰金が科され、更に利息が上乗せされる。
アデルは、自分たちがかつて王都の者たちに課せられた利息を乗せて請求することにした。
彼女の実家のバールモンド家は、蛮族の攻勢の前に一度滅びかけた。
窮地にあっては、借財をしようにも返済が危ぶまれたため、彼女らは法外な利息を請求された。
安全な王都に住まいながら、北部の危機に何の助けもよこさずに、重荷のみ課した宮廷貴族と商人に対し、アデルは同じ荷を背負わせることを決めた。
最長の収賄記録8年間、年利で3倍にもなる利息をのせると賠償額は天文学的な額に膨れ上がった。
とても払いきれぬと泣きつく一族から、絹服含めて全財産を接収し、それでも足りぬと女子供もふくめて拘束した。
そのまま鉱山奴隷送りの予定であった。
バールモンド辺境伯に法外な利息を要求した商会は、領兵をもってこれを叩き潰した。
かの蛮族の襲来が国体の危機と認められたために、これに協力しなかった商会は、王国法の保護範囲から外れたのだ。
「国を守らぬのなら、国に守ってもらえるなどとは思わぬことだ」
命までは奪わぬものの、家財不動産すべて接収し、関わった者すべてを王都から叩き出した。
彼らの後釜には、帝国からましな商会を入れることに決まっていた。
貴様らなどいらぬ。一からやり直すか、それができないならば野垂れ死ね。
帝国はこのアデルの動きを黙認した。
すべて合法だったからだ。
律儀に王国法に則って行動するアデル嬢に対し「あれだけの目に合いながら随分と律儀な方だ。辣腕ぶりが頼もしい」という評価が大勢を占めた。
父であるバールモンド辺境伯ガーランドも大いにこれを奨励した。
バールモンド家は、王都の者たちに見捨てられ、一度は蛮族に飲み込まれかけている。
領都が蛮族の手に落ちていれば、彼女らの末路がどういったものになったかは想像に難くなかった。
危機に立ち向かい、苦難を乗り越えた領主諸侯には、当然与えられてしかるべき報復の機会であった。
膿を出し切るにはよかろう。
それが勝者達の総意であった。
膿と断ぜられた宮廷貴族の生き残りとその家族は、進退に窮した。
彼らは、はじめ宰相に泣きついたものの、すげなく門前払いされてしまう。
恨み骨髄の領主諸侯には、とてもではないが話を持っていけない。
やむなく、彼らは帝国軍に縋り付いた。
帝国軍からは、帝国西部北方の開拓民が選択肢として提示された。
帝国西部北方は辺土も辺土、寒冷地に片足を突っ込んだ、帝国の最僻地であった。
財産をすべて没収、ほぼ身一つでよいのであれば、籍を作ってやると言われた彼らは、少しの逡巡の後、これを受け入れた。
座して待てば、死あるのみである。
不案内な地に、碌な支援も支度も無しに迎えば、まず絶望的な未来が待っている。
それでも彼らはその道を選んだ。
他に道もなかった。
領主諸侯の多くもまた、全財産を捨て、僻地に行く覚悟を決めた相手を追いかけてまで始末しようとは考えなかった。
多少納得がいかない者もいたようだが、おそらく時をおかずに全滅するだろうという予測が立ち、彼らも鉾を収めた。
そして、開拓団の陣容が明らかになる。
移住者200人余に対して、現地案内人20人、衣類に加えて毛布はじめ防寒具を支給し、一年間の食料と燃料の支援が約束された。
また農具、家畜についての貸与も認められ、一部手元資金についても元の財産から分与されることが決まった。
鉱山送りとされていた子女達も、開拓団への参加が選択肢として与えられた。
全員が開拓団入りを希望したため、身分買い上げのもと合流することになった。
蓋を空けてみれば、十分に成算がある内容であった。
半ば棄民に近い扱いを覚悟していた開拓団の者たちは、これを訝しんだが、同時に未来が開かれたことを喜んだ。
一方の領主諸侯は激怒し、帝国軍に詰め寄った。
ぬるすぎる。それが領主諸侯の総意だった。
この時、帝国の代表として矢面に立ったのがコンラートだ。
彼はなんともいえない顔で、憤懣やるかたない諸侯たちに告げた。
「詳しい説明が必要であれば、アリシア陛下にお取り次ぎいたします」
領主諸侯は絶句した。
アリシアとの会談をアデルは求め、その日の午後の茶会で話しをすることになった。
王宮を尋ねたアデルをアリシアは王宮の庭園で出迎えた。
アデルは挨拶を済ませると早々に本題を切り出した。
「アリシア様、なぜ、あの者たちに慈悲を与えたのですか。この機会に滅ぼすべきです。残すべきではありません」
「私は慈悲など与えていないわ。あなただって、蛮族に慈悲など施さないでしょう?それと同じ。私はただ、あの人たちに王国に帰ってきてもらいたくなかったの。だから手をうっただけ」
アリシアは続けた。
「帝国辺境に追放するという話だけど、あれではダメだわ。どんなに条件を厳しくしても禍根を残してしまう」
「過酷な地であると聞いています。ぬくぬくと王都に篭っていた者共が、およそ生き残れるとは思えません」
「いいえ、生き残るわ。だってきれいな人が大勢いたもの。絶対に現地の人がお嫁さんに欲しがるわ。そのまま根付くでしょう」
アデルは絶句した。
開拓地はただでさえ女性が少ない。
アリシアの言はもっともだった。
「彼らは絶対に生き残る。だから私は考えたの。王都のことなんて忘れて、向こうに根を下ろしてもらえばいいって。今でこそ、彼らは私達の事を恐れているけど、恐怖は時間の中で薄れていくわ。そのうち忘れるでしょう。でも恨みは違う。貧しさや苦しさの中で、恨みは膨らんでいく。覚えがないとは言わせないわよ?」
覚えは、当然あった。
今の領主諸侯で、これを否定できるものはいない。
答えに詰まったアデルにアリシアは続けた。
「だから恨む以外にすることを用意してあげたの。向こうに行って、頑張って開拓に精を出してもらえれば、あの人たちも明日のことを考えるのに精一杯で、私達のことなんて忘れてくれるわ」
もっともだと思った。
もっともだと思ったが、ここで食い下がらねばならぬとも思った。
今後のためというのなら、今、ここですべてを終わらせるのが一番確実なのだ。
「禍根を断つ意味であれば、追放刑になどせず処断すべきでしょう。我々で行います」
「処断するなら私が直接するわよ?」
「アリシア様の手を汚させるわけにはいかないのです!」
アデルは怒鳴った。
瀟洒な白い丸机を叩き、椅子を蹴倒して立ち上がる。
そんなアデルを見て、アリシアは一瞬驚いた表情を浮かべると、相好を崩して笑い出した。
そして、アリシアは傍らに控えるメアリとごそごそと言い合いを始めた。
「メアリ、私、そろそろ女王様モード限界。崩していい?」
「ええ、よく保った方ではないかと」
「そのうち慣れるのかな、これ。もう既に、かなり厳しい気がしてるんだけど」
「なにを笑ってるんです!」
漫才をはじめた主従をアデルは遮った。
アリシアはアデルに楽しそうな笑い声を向けた。
「アデルちゃんはさ、優しいよね」
「私は優しくなんてないわ!」
「いーや、優しいね。アデルちゃんは、アリシアちゃんにすごく優しい。だって、私のために手を汚してくれたってことじゃない。しかも必要ならまだ頑張ってくれるんでしょ、私のために」
アデルは真っ赤になった。
かなりはっきりと自白していた。
しかしそのまま認めるわけにもいかぬ。アデルはムキになった。
「たしかにアリシアのためってのは否定はしないけど、私の殺意だって本物だったわよ!」
自分で言っていて、すごい台詞だな、とアデルは思った。
一方のアリシアは、それを聞いて何度も頷きを返した。
わかるわかる、わたしもお父様やメアリに同じこと言われたら絶対殺してた。
そんなことを言いながら、最後に付け加えた。
「で、奴ら一族含めて200人ぐらいいるわけだけど、こいつら全員地の果てまで追いかけて、根絶やしにしてやりたいって思う?」
「そんなわけ無いでしょ!私、どれだけ血に飢えてるのよ!でも主君を侮辱されて黙ってるほど私たちは甘くない。舐められたら終わりなんだから!」
「だよね。奴らこれっぽっちも状況理解してなかったからね。私らが王都占領してるのに、茶会開いて猟官の話始めるとか、どこまで平和ぼけしてんだよとは思ってた。ありがとね。効果覿面で助かったよ」
アリシアは笑う。
アデルは、大きく息をついた。
ふーと吹き上げた息が前髪を揺らした。
彼女と諸侯らが仰ぐ、主君アリシアの意思は、間違いなくまだ共にあるのだ。
そのことを知れてアデルは安堵した。
戻って顛末を皆にも伝えなければならない。
「せっかく来たんだからお茶も付き合ってよ」
アリシアに誘われて、アデルもしばらく歓談したが、緑の多さゆえか、蚊がひどく多かったため、間もなく会談はお開きとなった。
見た目こそ瀟洒で洗練されているものの、いまいち過ごしにくい王宮の中庭からは、以前の主である元王妃の人柄が偲ばれた。
素敵なお庭なんだけど、作り直しかな。と、アリシアは残念がっていた
「血や復讐に酔ってはダメよ。思いは力にもなるけれど、毒されてはダメ。感情は従え使いこなすもので、支配されてはいけないわ。皆にも伝えて頂戴」
アリシアのこの言葉を、アデルは彼女を待つ領主諸侯にも伝えた。
「王国にいたことも、王国であったこともすべて忘れて、彼の地の民として生きてください。それが私達のあなた方に対する唯一の望みです。私達もあなた方の事は忘れます。それですべて終わりにいたしましょう」
さようなら。
開拓団の代表は、アリシアからそう言い渡され出立した。
冷たく閉ざされた女王の相貌から、彼らは自分たちが赦されたわけではないことを知った。
こうして、旧来の王国宮廷の澱は、王都から一掃され、新たな治世が始まった。
これが亡国の最後に纏わる話の顛末だ。