桜の木の下で…
拝啓 お元気ですか。なんて、こんなありきたりな台詞からでしか始められないけれど…手紙を書こうと思います。あなたに、今までの想いを込めて。
出会いは桜の木の下。一段と太陽の光が降り注ぐ四月の初めだった。
春休みだと浮かれる世間を尻目に、私はこれといって楽しみの一つもなかった。そもそも私の生活の中で、春休みだとかそうでないだとかは大した問題でもなければさほど関係のあることでもないのだから仕方がないだろう。年齢的には春休みが開ければ中学三年生になるのだろうか。断言できないのは、中学校は愚か、小学校にさえも一度も行った事がないのだから仕方がない。だから言ってしまえば毎日が休日のようなもので、世間一般が今どうかなんてことは全くの問題外。とは言え、私がどう思っていようと世間は春休みなわけで、そしてやはりこの時期一番盛り上がるものといったらお花見なのだろう。しかし、こんな世間一般と疎遠な私がお花見をしたことなんて勿論なく、しかしながらしたいと思った事もこれまで一度たりとも無かった。どうしてかという理由を考えたことすらないが、恐らくそれは単純かつ明快なものだろう。「桜が嫌い」ただそれだけの話だ。桜を見て「綺麗」だと素直に思える人であれば、と今でもよく思う。
そんなふうに思っていた筈なのに、その日は何故か桜を見てみたくなって何日か振りに中庭に出た。ただ何もせずに桜を見つめる。ああ、やっぱり桜は嫌いだ。そう思った矢先のことだった、声を掛けられたのは。
「あのっ。」
振り返りはしない。どうせ何か用事がある訳ではないのだから。ただ気になったから声を掛けてみただけ、きっとそれだけ。いつもそうだ。この病院という場所に興味を持ち、そこにいる人はどんな人なのか知りたくて、興味本意でやたらと話し掛けてくる。人の気も知らないで、勝手な奴ばかり。そう思っていた。だから今話し掛けて来た奴もきっとそんな理由なのだろうと信じて疑わなかった。
なのにまた、
「綺麗な桜ですよね。」
なんて話し掛けてくるから少し迷ったけど、気づいたら話し掛けていた。
「あなたは、桜が好きなの?」
なんて、自分でも驚くぐらい可笑しな質問だったのに、
「はいっ」
って興奮ぎみに、笑顔で言うから、この子にとってそれは当たり前のことなんだって、分かってた筈なのに悲しかった。きっとこの子も私とは違う世界の人なんだ、と嫌でも考えさせられて、
「そう。いいね、そう思えて…」
なんて、笑って私は答えてた。
でもその子が、
「あの…また会えますか。」
って恐る恐る聞くから可笑しくなって、
「私達同い年じゃないかな。私中学三年生、十四歳。あなたもそうじゃない。」
なんて、普通に話していた。そしたらその子もこれでもかと言うほど大きく頷くから、なんだかホッとした。
「私この場所が好きなの。だからここに来てくれたらまた会えると思う。その前に院内で会えると思うけど…」
どの口がこんなことを言うのだろうか。こんな場所好きなわけがないし、きっと今日、こんなことがなければわざわざまた訪れようとは思っていなかっただろう。でも、そんな嘘を言ってでも、その子に会える機会を失いたくはなかった。
きっと院内で会える、そう言ったのも全てあなたに会う機会が欲しかったから…なんて、あなたは気付いていないよね…
それからどれ程時間が経っただろうか、普段では到底考えられないほど穏やかな時間が流れていた。ずっとこうしていたい、そう思った自分自身に自分でも驚いた。いつ振りだろうか、桜をこんなにも受け入れられたのは。
しかし、そんな時間も長くは続かなかった。分かってはいたけれど、この場をどうしても離れたくなかった。でも遠くで私が長年お世話になっている担当医の声が聞こえるから、嫌でも現実に引き戻された。もうきっとすぐ傍にいるのだろう。私を探して無理矢理にでも部屋に戻したいと思っているだろうに、そうしないでいてくれるのはきっと先生のほんの少しの優しさで、今日はそれに素直に甘えてしまいたかった。そうは言っても、体は天邪鬼な私自身とは違って素直で、もう立ったままでいるのも限界だった。だから、その子には何も悟られたくなかったから何も言わず静かにその場を離れることにした。なのにその子は私の気も知らないで、
「また会おうね。」
なんて言うから、涙が零れそうなのを必死に堪えた。でも、私は何も返せなかった。「また」なんて、あるかどうか分からないから…
病室までの帰り道、先生と二人並んで歩いた。これもいつものことだから、いつの間にか馴れていた。先生はあの子のことについて何も聞いてはこなかった。それもきっと先生の優しさなのだと今日、やっと分かったから、今なら素直に「ありがとう」と言うことができるような気がした。
この日を境に私達はあの桜の木の下でよく会うようになったね。毎日毎日あの時間が来るのが待ち遠しかった、なんて言ったらあなたは笑うかな…




