Ⅷ
ツバサは、ドゥマクのうしろを歩くたびに、彼とすれ違う屋敷の使用人たちの態度に、彼の立場が上位にあることを知る。
「ごきげんうるわしゅうございますドゥマクさま」
若い家女中たちはすでに朝食の片付けを済ませており、廊下の掃除に勤しんでいたが、ドゥマクが彼女たちのところへと近づくたびに、作業の手を止め、身体をドゥマクのほうへと向け、一度会釈してから話しかけていた。
「ドゥマクさま、となり町で美味しいアプラの果実酒が出来たそうです」
「うむ、今度味見に行ってみよう。奥さまはお酒はあまり好まれないが、果実酒は爽やかな風味があって好まれるからな」
――アプラってなんだろう。
「あのドゥマクさん、アプラってなんですか?」
ツバサはまだこの世界のことに詳しくはない。当然アプラがどんなものなのかわかるはずもなく、ドゥマクに聞いた。
「赤い果実とても言っておきましょう。後でお見せいたします」
返答されたが、ツバサはそれよりも前から、『果実酒ということは果物であることは確実だな』と考えていた。
「あのドゥマクさま……そちらの客人は?」
一人の家女中が、ツバサに視線を向けながらたずねる。
「今日からこの屋敷で働くことになったナカガワ・ツバサどのだ。みなよろしく頼む」
そう紹介され、ツバサはこしょばゆい気持ちになった。
「へぇ、結構からだつきはいいみたいね。重たいものとか運んでもらう時にでも頼もうかしら」
「あなたどこの訓練所からきたのかしら? たしか最近面接はしていないだろうし、もしかして飛び入りで?」
なんだなんだと、その廊下にいた家女中たちが、こぞってツバサのところへと集まってきた。
「まだお仕着せを受け取ってはいないのですね」
服装がジーパンとTシャツであるツバサの容姿を見て、家女中の一人がからかうような目でうったえる。
「お仕着せ……お店のユニフォームみたいなものか」
自分が着ている服(仕立屋に作ってもらった礼服は砂埃で汚れてしまい、人前に出るにもみっともなくなったので、仕方なく元のジーパンとTシャツを着ている)が、この世界において奇抜なものだということは、ツバサ自身わかってはいた。
「もしかして制服支給されるのか」
「突然の申し立てであったからな。ツバサどののお仕着せは町の仕立屋に後日お願いするつもりだ」
「それってご主人さまが収めている町にあった、あの竜頭の?」
そう口をはさむや、
「ほう、すでにお知り合いだったか」
とドゥマクは感心した顔を浮かべた。
「いちおう世話にはなったので」
「あそこはいい店よ。この屋敷に住んでいる使用人たちに支給されているお仕着せを仕立ててもらっているからね」
家女中の一人も会話に混ざりだす。
彼女たちの服装は、ボンネットと呼ばれる頭巾型の帽子、フォーリング・バンドと呼ばれる上着の襟から垂らされた薄手の白の布を掛けた鴨頭草色のカートルの裾はひざ上三センチまでしかなく、それぞれ好みにわかれた色のガーターベルトをつけている。
「あのドゥマクさん、普通メイドって地味なってイメージがあったんですけど」
どちらかと言えば扇情的なとも云える彼女らの制服姿に、ツバサは思わず興奮……はしなかった。
というよりは彼女らにそのような目で見るのは失礼だと、そちらのほうが強かったのだ。
これから一緒に働くことになるかもしれないため、印象を悪くするのはしっぱいフラグだとツバサは思っていた。
「もしかして、ご主人さまのご趣味とか?」
が、どうしてこんな制服なのか、それだけはハッキリさせておきたかった。
「いえ、奥様の趣味です。最初は抵抗がありますが、意外に動きやすいと評判を受けています」
「そっちかよっ? まぁスカートの裾が長いと動きにくいかもしれないけど」
ちょっと屈んだだけで見えそうなんだけどなぁと思ったが、あえて苦言をこぼさなかった。
「それよりお前たち、自分の持ち場から離れるな。いつなんどき王族の方がご来館されるかわからぬのだぞ」
「あ、はい……」
ドゥマクの一言で家女中たちは彼に頭を下げると、そそくさと持ち場へと戻っていった。
「んっ?」
彼女たちが、ドゥマクに頭を下げる少し前、廊下の奥を一瞥してから下げていたことに、ツバサは首をかしげる。
そして彼女たちが視線を向けていた廊下へと目を向けるや、乾いた革靴の音を鳴らしながら、三十代くらいの夫人が、ツバサとドゥマクに近づいて来ていた。
鳶色の、腰まであるウェーブかかった長髪。前髪はカチューシャであげられている。
すこしくすんだハイネックのドレスをまとっており、腰には多くの鍵が繋げられた鍵束が掛けられている。
他の女中と違い、立場的には上の人間なのだろうと、ツバサは直感した。
「ドゥマクさん、すこしお話が」
その女性に声をかけられたドゥマクは、彼女に軽く頭を下げる。
「あぁこれはミセス・ファーテン」
「ドゥマクさん、この人は?」
「家政婦のファーテン・ディルスさんだ。この屋敷ではご主人さまより偉い」
「いやですわドゥマクさん。わたしはあくまで一概の家政婦でしかありませんので」
カラカラとした笑みを浮かべるファーテンは、ツバサに視線を向けた。
「あなたが奥さまが言っていたナカガワ・ツバサさんですね」
ファーテンに名前を呼ばれ、ツバサは訝しげな目を彼女に向ける。
「オレ、まだ自己紹介していないんですけど?」
「あなたの身元を調べるために、バッグや服を調べさせてもらいました」
そう言いながら、ファーテンはポケットからシャーペンとメモ帳を取り出した。
「あ、それオレの……」
「これはどういうものなのかしら? インクを使っているわけでもないし、なにより筆跡が細い」
興味津々と言った顔でファーテンはメモ帳をめくっていく。
「でもかなり便利なものであることは変わらないわね」
「あっと、それはシャーペンと言って、中に芯が入ってるんです」
「まさにメイリスさまが喜びそうなものですわね。我々が見たことのないものに興味を持たれるかたですから」
ファーテンはメモ用紙とシャーペンをツバサに渡した。
「これはあなたにとって必要なものみたいだから、返しておきます」
「っとありがとうございます……って、なんかおかしい気がするけど」
どちらかと言うと、勝手に持ち運ばされたようなものなのだが、もしメイリスの手にわたっていたら、おそらく二度と戻ってこなかったんだろうなと、ツバサの背中に一筋の悪寒が走った。
ファーテンはドゥマクに小言で会話をする。
「それではミセス・ファーテン、わたしは彼をキッチンの方に案内しなければいけませんので」
「わかりました。今は昼食の準備で忙しいだろうから、猫の手も足りたいくらいじゃないかしら」
ファーテンはツバサとドゥマクにちいさく頭を下げると、
「あなたたち、今日は王家のかたが来客されます。恥ずかしくないようしっかりと掃除をしなさい。すこしでもホコリが残っていようものなら昼食の量をその分減らしますよ」
ツバサに興味があった何人かの家女中の視線を感じていたのか、ファーテンは彼女たちを一喝した。
そしてふたたびツバサとドゥマクに頭を下げると、ドゥマクとすれ違うように立ち去っていった。
「すげぇ……」
ファーテンのたった一言で、家女中たちの動きが機敏になっていく。
いや、どちらかといえば、ドゥマクが廊下を歩く前に比べれば、格段と作業効率が上がっていたとも云える。
「あのドゥマクさん、さっきファーテンさんはご主人よりも偉いっておっしゃっていましたけど?」
「うむ、まぁご主人さまは奥さまに立場上頭が上がりませんでね、ミセス・ファーテンが務めらている家政婦という役職は、奥さまの代理人という立場でもありますからな」
「つまりご主人さまは奥さまどころか、あのファーテンさんにも頭が上がらないと」
それは屋敷の主人としてどうなんだろうかと思ったが、いつの時代も世界も、妻が夫を糸で操っているんだなとツバサは思った。彼の両親も、傍から見れば父が偉く、絵に描いたような亭主関白ともいえたのだが、家では母親のほうが偉く、父親は肩身の狭い思いをしているのをツバサはよく見ている。
「っと、ちょっとすみません」
ツバサは今までのことを忘れないよう、メモ帳を取り出した。
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※カスバル・シュトール……屋敷の主。町の領主。
※パウラ・シュトール……屋敷の女主人。
※ユリアーナ・シュトール……屋敷のお嬢さま1、じゃじゃ馬。
※メイリス・シュトール……屋敷のお嬢さま2。変な仮面の子。
※メリサンド……メイド1。博多弁の小娘。
※アルペルティーナ……メイド2。じゃじゃ馬のお付き。
※ドゥマク……執事。
※ファーテン……家政婦。この屋敷ではパウラの次にえらい。
メイドの服がいやらしい。
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「っと、こんなところかな。人の名前と顔を覚えるのは追々後にして、今はまず名前と屋敷にどれくらいの人がいるかを把握するかだ」
ツバサはメモ用紙の上に、ザッとシャーペンを走らせていく。そして書き終えると、メモ用紙とシャーペンをジーパンのうしろポケットにしまいこんだ。
∇
「ツバサどの、こちらです」
声をかけられたツバサは、ドゥマクの方へと視線を向けた。ちょうど階段があり、二人はそこから一階、地下へと下っていく。
それを一人の家女中――カーテルが見ていた。
「…………」
彼女の手にはドットが打たれた用紙があり、そこには、
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※偽造硬貨を持っているだけで、問答無用で死刑にあう。
※国の名前は[グルナディエ]。
※会話のやりとりは可能。文字は右から左に読む。
※ローマ字が鏡のように逆に書かれている。[FISH]⇔[HSIF]
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と、走り書きされたものだった。
ツバサがこの世界で一度目の死に戻りをしたさい、自分の現状を把握するためと、忘れないようメモしたものだ。
カーテルはそれをジッと、難しい顔を浮かべながら見つめる。
「なんど見ても読めないわね」
メモ用紙に書かれたツバサの文字は、彼女にとっては解読できない文字列だった。辛うじて読めたのは、[FISH]と[HSIF]の部分だけ。
「これってメイリスさまが所有されている[未来が記述される歴史書」に記されている文字と同じだけど、どうして彼はその文字をさぞ当たり前のように使えているのかしら?」