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ⅩⅡ

 グルグルとなにかが長い棒で掻き混ぜられている。

 そのなにかは、最初は水のようなものであったが、次第に固まっていき、ひとつの個体へと姿を変えていく。


「……………………ッ」


 少年は重たい目蓋をゆっくりと開けていく。

 波高く荒れ狂う夢魔の海を死に物狂いで泳ぎ、ようやく岸に手を伸ばしたといった感傷に浸っていた。

 目の前には絢爛豪華な装飾を施された天井。窓に入る月の光が部屋の中に差し込み、獣脂蝋燭の悪臭が客室に充満している。

 そしてなにより、少年の足元に転がっている柔らかい毛布。


「っと……なるほどな……、ここに戻ってくるってわけか」


 少年――ナカガワ・ツバサは上半身を起こす。

 ツバサはいまだはっきりと覚醒していない頭を振るいながら、グルリと、月明かりで仄かに明るいとはいえ、それでも薄暗い客室を一瞥していく。

 ツバサの視界がリドッドの仮面を捉えた。


「――っ!」


 リドッドを被った少女も、ツバサの目とあったことに気付く。

 リドッドの少女は丸椅子からパッと立ち上がるや、そそくさと部屋から立ち去ろうとするが、


「きゃぁっ!」


 暗闇に足を取られると、激しい物音を立てて盛大に転んだ。


「屋敷の前で倒れていた俺を、誰かがここに運んできて、メイリスは俺が目を覚ますまでジッと診ていた……と。うん、あの時とまったく同じ反応……ってことは、ここがふたつ目のセーブポイントと思っていいわけだな」


 そんなリキッドの少女――メイリス・シュトールが見せた仕草や態度をツバサが見るのはこれで二度目。

 なにも知らず、なんの情報もなしに異世界へと召喚されていたとすれば、この状況に思考がついていけず、ツバサは戸惑っていたかもしれない。

 が、まずツバサがいた世界で一度殺されてからこの世界に来ており、さらにアスナ・ユーフォニアムに一度殺されたことで、この世界で時間遡行の体験をしている。

 死に戻りに関しては、初見殺しではなくなっているため、気持ちの切り替えがすぐにできた。


「ホラーゲームでもそうだけど、決められた死亡フラグなんてもんは一回見ただけで、あぁここで殺されるんだなぁみたいなことがわかるからなぁ。うん、つまり俺以外明日の晩までの記憶は綺麗さっぱりないってわけか」


 最初の、町民たちの反応や、メイリスのこの反応。

 やはり……なにかしらフラグを折っていかないとステージクリアにはならないのだなと、ツバサは結論に至った。

 そして――、


「この時点でなにかしら手を打たないといけないってところか」


 と考え、視線を、頭を抱えながらもツバサを診ているメイリスに向けた。



「あっと、メイリスに聞きたいことがあるんだけど?」


 ちょいちょいと、ツバサは自分のところに来てほしいと、メイリスを手招きする。


「え? なに? それよりなんで私の名前を知ってるの?」


 突然真名を呼ばれ、メイリスは兢々(きょうきょう)とした視線をツバサに向けた。


「うん、まぁおどろくよね。俺だって突然知らない人から自分の名前を呼ばれたらおどろくのは当然だし」


 とりあえず落ち着いてと、ツバサはメイリスを宥めた。


「まずは自己紹介。オレの名前はナカガワ・ツバサ」


 ツバサは手をメイリスに差し出す。


「メイリス・シュトール」


 オドオドとした態度を取りながらも、メイリスはツバサの手を取った。その手はちいさく震えている。


「取って喰おうって気はないから心配しなくてもいいって。それじゃまずはオレが持っていたはずのバッグを取ってくれない? 部屋が暗くてどこにあるのかまったくわからない」


「あっと、今は家政婦の――」


「ミセス・ファーテンたちが持ち物検査をしているってわけか」


 屋敷生活初日前夜のこの時点で、ツバサの手元にはバッグがなく、おそらくだが、貴重品か、もしくは珍しいものとして、シャーペンとメモ帳を取られていると、ツバサは仮定した。

 ちなみに、自分の荷物を返してほしいとお願いしたが、やはり珍しいものや見たことのないもの(キーホルダーやスマホなど)が入っていたため、前回のループでも返してもらっていなかった。

 唯一返してもらえたのは、着替えであるTシャツとジーパン。そしてシャーペンとメモ帳だけである。


「う、うん。あれ? ミセス・ファーテンのことを知っているの?」


 メイリスはギョッとした声で聞き返した。


「っと、実は俺には特殊能力があってね。予知夢って知ってる?」


 多分、[死に戻り]について口伝すると、なにかペナルティーがあるのではないだろうかとツバサは思い、あえて[予知夢]と変換した。


「知ってる。未来で起きるかもしれないことを夢の中で体験しているみたいなものでしょ?」


 声色はいまだにピクピクと怯えていたが、興味が出てきたのか、メイリスはすこしばかり胸襟を開きだしていた。


「それでなにを見たの?」


 はやく、はやくと、続きを聞かせてと期待に胸をおどらせたメイリスの明るい声色。


「さっきの人見知りとは違って食い気味な態度。もしかして自分が興味のないことにはまったく見向きもしない性格?」


「うっ……よく言われる」


 メイリスは注意された子どものように身を引いた。


「素直な子だな。ユリアーナより聞き分けいいのかも」


「ユリアのことを知ってるの?」


 リドッドで表情は(うかが)えないが、見たことのない人間が姉のことを知っているのかといったおどろいた態度をメイリスは見せた。


「うむ、それも予知夢でって……あれ? なんで呼び捨て?」


 ツバサは予想していないメイリスの口伝におもわず首をかしげた。

 ユリアーナとメイリスが姉妹であることは、前回のループで耳にしている。

 ツバサはメイリスはユリアーナのことを敬称で呼ぶのだろうと、勝手に思っていたのだ。


「もしかして……双子?」


「…………っ」


 メイリスは顔をツバサからそむける。


「黙りは肯定って世の習いよ?」


「双子……じゃ……ない」


「じゃ異母姉妹?」


「私のお母さまはこの町、いやこの国一番の魔女にして王家ケラスィア・バルセノス卿が一子、パウラ・シュトールだけ」


 ツバサの言葉を否定するようにメイリスは顔を近づけた。


「それ以上わたしの家族を侮辱するようなことを言わないでくれる? あなたなんてすぐに殺せるんだから」


 リドッドと、部屋の薄暗さからメイリスの瞳の色を窺うことはできなかったが、大切なモノを傷つけられて黙っていられないという雰囲気があった。


「別に侮辱しているつもりはないけど。うんわかった。とりあえずちゃんと血の繋がった姉妹ってことでオーケー?」


「オーケーの意味がよくわからない」


「それでいい? みたいなもんだと思えばいいよ」


 ツバサがそう教えると、「わかった」とメイリスはうなずいた。


「ユリアーナとわたしはパウラ・シュトールのお腹から産まれたことになっている」


 ――産まれたことになっている?

 それはどういう意味なのだろうかとツバサたずねようとしたが、メイリスはそのことをそれ以上は話したくないと言った空気を醸しだした。

 それを察せないほどツバサは鈍感ではない。

 これ以上聞くだけ野暮なのだろうと、話題を切り替えた。



「さて、問題はどこからだってことだな――多分予知夢の内容を教えることはできないと仮定して……」


「予知夢のことは教えられないの?」


 メイリスは丸椅子に座り直し、ジッとツバサの顔を覗き込む。子どもが童話を聞くような好奇心に満ちた眼差しだ。


「あくまで仮定としてだ。俺もまだ半信半疑だからな」


 ツバサはゆっくりと呼吸を整える。



 ツバサがこの屋敷生活において、一度目の失敗を経験した末、あの日の体験から懸念している事例がみっつ浮かび上がった。

 ひとつ目は翌朝届くはずの食用油や食品、郵便物を運んでいた竜車が転倒したこと。

 ふたつ目は昼食前にシュトール卿家族が使う銀食器がなくなっていること。

 みっつ目は夕食後に起きた異変。

 このみっつの事件を順追って解決していかないと二日目の朝を迎えられない。



「つまりこの時点から事件が始まっていると思っていいわけね」


「予知夢ではどんなことが見えたの?」


「それよりまず、ドゥマクさんが起きているかどうか教えてくれる?」


 ツバサはメイリスに視線を向け、お願いする。

 外の月は高く昇っており、感覚的にすでに午前様かそれに近いあたりだと考えていた。

 この状態でのツバサは屋敷内では名も知られていない突然の来訪者でしかない。

 だがそれでもまずは一番信頼できる男……ドゥマク・トランクィリと会見しておき、屋敷に来るはずだった竜車を調べてもらったほうがいいだろうと思っていた。


「ドゥマクならまだ起きている。呼んでこようか?」


「それはすごく助かる」


 メイリスはスッと立ち上がると部屋を後にした。

 部屋を漂う獣脂蝋燭の悪臭と違う、甘いフレグランスの香りがツバサの鼻腔を刺激する。


「うん、見た目はとにかく、やっぱりお嬢さまだな。残り香が優雅――」


 が、そのふたつとはまったく違う臭いが彼の首を絞めた。


「――血の臭い?」


 ツバサは腰掛けていたベッドからパッと立ち上がり、ドアのほうを凝視した。

 血の臭いとフレグランスの香水が重なった複雑な悪臭に、ツバサは思わず吐き気をもよおした。

 かろうじて胃液が込み上げるほどまでには至らなかったが、できれば換気を良くしたいという気持ちでいっぱいだ。



「ツバサ、ドゥマク連れてきた」


 部屋から入ってきたメイリスの横には見覚えのあるシルバーグレイの執事。


「はじめまして、ナカガワ・ツバサさま。わたくしこの屋敷で執事であるドゥマク・トランクィリと申します」


 燈された燭台を手に持ったその執事は、深々と客人に頭を下げる。


「挨拶はそこまでに、こっちで話をしたい。と言うよりはあまり外に漏れると困る」


「…………」


 ツバサが自分のところへとドゥマクをいざなう。


「もちろんメイリスにもいちおう耳にはしてほしい」


「お客さま、メイリスさまとはどのような関係で?」


 突然、主人であるメイリスを呼び捨てにするツバサを、ドゥマクは怪訝と警戒の目を向けた。


「メイリスの、奇妙な仮面の奥には純粋無垢な子どもみたいな雰囲気にちょっと好意を持っているだけ」


 それにここまで興味を沸かせるような話をしているのだ。

 多分黙って帰らないだろうとツバサは思っていた。


「――わかりました」


 ドゥマクは了解したと頭を下げると、壁にかけられている燭台から獣脂蝋燭を手に取り、自分が持っていた燭台の蝋燭の火を写した。

 ぼんやりとした蝋燭の光が部屋を照らし始める。


「おぉ、いいねこういう趣きのある部屋も……火事起きそうだからあんまりできないけど」


「大丈夫。この屋敷には火事が起きないよう水の精霊の加護をかけているから」


 自慢気に話すメイリス。その態度はツバサのイタズラ心に火を付けてしまった。


「うし、試してみよう。油を部屋の中に撒き散らかして、その上に蝋燭の火をこぼしてもまったく燃え広がらないか」


 ツバサは壁の燭台に手を指しかけるが、


「嘘ですごめんなさい。この屋敷の部屋とか周り全体に、炎から守れるほどの水の精霊の加護を掛けられるなんて、そんな大層なことができない、魔力の制御ができない未熟者です」


 あたふたとメイリスはツバサの行動を止めた。


「それじゃ氷の精霊でまわりを凍らせて、火の精霊でそれを溶かして部屋を水浸しに」


「だぁめぇっ! そんなことしたらミセス・ファーテンに怒られるぅっ! 家女中のみんなに迷惑かけるからぁだぁめぇっ!」


 あれやこれやとイタズラを思い浮かべ、湯水の如く口にしていくツバサ。

 もちろん彼にそんな力などないが、もしかしたらするかもしれないと、パタパタと慌てながらメイリスが止めにはいる。


「ツバサさま、それ以上の御無体はご遠慮いただきたくございます」


 ドゥマクが苦笑を見せる。


「とそうだった。それじゃドゥマクさんにお願いがあるんですけど、翌朝この屋敷に来るはずの竜車を調べて欲しいんです」


「それはどういったことでしょうか? この国で使われているリザーディオの竜車は大変優秀です。毎日運ばれる荷物はしっかりと届けられておりますし、なによりこちらも利用させてもらっています」


 それに関しては、前回のループで使用人たちとの夕食のさい聞いている。だが、それでも生き物が車輪を動かしているのだ。いつ裏切るか予想だにできない。


「ドゥマク、彼は予知夢ができるんだって。今言ったことも、もしかしたらなにか関係しているんじゃないかな?」


 メイリスにそう言われ、ドゥマクは「うむ」とすこし唸ると、


「明日届く荷物を運搬しているのはたしかジェンマから出ている竜車でしたな。明日の朝ということは日が出る辺りに出発しているはずです」


「荷物がどこから運搬されているのか事前に知っているんですか?」


 ツバサは、ネットで注文した時に荷物の追跡メールが来ることと同じなんだろうかと首をかしげた。


「えぇ。この町にあるアーケードの出店もそうですが、食用品や酒などもそこから一度検問を掛けられるのです」


「つまり、自家製品以外はその町で卸されているってわけね。食用油もそこから卸されていると」


「はい。この国の食用油はカミリアという赤い()の花の搾り油を使っております。リットル単位で銀貨一枚を毎回十リットルほど注文しています」


 また聞き覚えのない花の名前だなとツバサは思ったが、


「んっ? それだけ高級油ってことは――」


 そのカミリアを実際に見たことがないが、もしかすると椿油のことではないだろうかと想像した。



「それでは明朝に日が出るより前に、従僕の一人に隣町まで走ってもらい、この屋敷に来る竜車を確認してもらいます」


「あぁっとすみません。もうひとつ……これはドゥマクさんに直接関係していることなんですけど、パンドリーにある食器棚の鍵は、ドゥマクさんとミセス・ファーテンしか持っていないんですか?」


 客室を後にしようとしたドゥマクを呼び止めた形で、ツバサはそうたずねた。


「はい。本来ならばわたくしが鍵を管理していますが、お館さまとともに館の留守をしていることもありますので、合鍵をミセス・ファーテンに持たせています」


「ドゥマクさんが鍵をなくすっていう失態はないかもしれないけど、いちおう保険としてという意味も兼ねているわけか」


 ツバサはドゥマクを見据える。ドゥマクは「はい」とうなずいてみせた。


「それにこの屋敷の鍵には魔法がかけられていて、その鍵でしか開かないように施されているの」


「一種のカードキーみたいなものか」


 ツバサはなんとも便利だなと頭を抱えた。そして型を取っての複製も不可能だということもわかった。


「その魔法を解読することは?」


「まず不可能かな。この屋敷で利用されている鍵はお母さまが丹精込めて練った魔法が組み込まれているから……多分大陸全土をひっくり返しても、解読できる人はいないと思う」


 自分のことのように胸を張るメイリスに、ツバサは思わずユリアーナを重ねた。

 やはり姉妹だなと思ったが、


「うん、メイリスのほうが大きいと」


 逆に姉妹であっても違う部分はやっぱり違うのだなとも思った。


「でも……それだけ頑丈にしていても盗まれてるんだよなぁ」


「盗まれている? もしかしてそれも予知夢で見てるの?」


 首をかしげ、ジッとツバサを見据えるメイリス。


「あぁ……えっとたしかジャン――」


 途端、ツバサの心臓をなにかが握りつぶそうとした。


「……………………………………っ」


 声にならない悲鳴。そして無数の手がツバサのカラダの節々すべて握り潰して解体しようとしている。


「がはぁっ!」


 塞がれていた口から酸素が補給され、ツバサの全身に油汗が浮かび上がる。


「だ、大丈夫ですかな、ツバサどの」


 突然苦しみ出したツバサに、メイリスとドゥマクがおどろいた様子で声をかける。


「はぁはぁ、いや大丈夫……ちょっと持病の発作が出ただけ。深呼吸すれば治る」


 ツバサは二人に心配ないと、強がりを見せた。

 ――なるほど、それに関係している固有名詞は言えない……伝えられないということか。

 ツバサはゆっくりと呼吸を整えていく。


「ちょっと横になればすぐに治りますよ」


 ツバサはメイリスを見据えた。

 メイリスの、リドッドの奥に隠れた目が、まるで自分がツバサを苦しめているような、怯えた眼差しを感じたのだ

「あぁっと、うん」


 ツバサはメイリスの頭に自分の手を乗せる。


「心配しない心配しない。ただの持病だって」


 優しくメイリスの頭を撫でる。


「本当?」


 それでもなお、メイリスは不安げな眼差しを向ける。


「あぁ本当本当。それに顔は見えないけど、素顔はあの月に腰を下ろしてるアルテミスのような美人かもしれんしな。そんな美人に――」


 ツバサがその前を言おうとした時だった。



「おぉうじょうおおおおおおおおおさんまぁあああああああっ!」


 ドアの外から、なにかが突進してくるような気配。

 ツバサはギョッとした顔で、ドアの方……というよりは声がした方へと向けた時だった。


「あっ? メリサンドが来ていなかったからすっかり忘れてた」


 バンッと、ドアが蹴り破られたかのように激しく開けられ、


「お嬢様になぁんばしよっとですかぁっ! この腐れ外道がぁあああああああああっ!」


「おごぉっとぅたぁっ?」


 メリサンドがちいさな御御足でツバサの顔面を膝打ちする。

 さらに悪魔のイタズラか、勢い余ったその一撃で、ツバサは壁に後頭部を強打する。

 意識は朦朧とし、次第に舞台は暗転していく。

 最後に、自分の意識が途切れる間際に思ったのは――、

 ――あの時もそうだったけど、オレ別にメイリスに変なことしてないよね?

 ……だった。


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