ⅩⅠ
使用人達の食事は、基本的に雇用主の後に行われる。
地下の台所に隣接している使用人ホールで食事を取ることとなっているが、家令や執事、家政婦と言った上級使用人たちは別の場所で食事を取ることとなっている。
下級使用人は屋敷での勤労時間の長さや待遇によって序列が決められており、まだ入ったばかりのツバサは一番下手の椅子に座っていた。
目の前に運び込まれた食事は雇用主であるカスバル・シュトールとその家族、そして夕食にと招待されていた王族の一人、アラン・キャノネロとその妻シルヴァーナが残した残飯である。
食事を簡素なもので、パン一切れと切り分けられたステーキ肉。寒々と冷えたポタージュに乾いたサラダ。
ツバサは文句こそ言いたかったが、周りを見ると、誰一人文句を言わずに食べていたため、口にすることができなかった。
もちろん周りの空気を呼んで、文句が言えなかったことは確かだが、さすがにこれでは腹の足しにもならない。
――たしか音を立てて食べちゃいけないんだよな。
にわか知識がこんなところで役立つか。なんでも知ってみるものだなと、ツバサは苦笑する。
「あっと、そういえば結局アレは見つかったんですか?」
ツバサは昼食前、台所であったことを、ドロシアにたずねた。
「アレって?」
ツバサを見据え、ドロシアは首をかしげる。
「ほら、お館さまたちが使われているナイフとかフォークがなくなったみたいなこと言っていたじゃないですか?」
ドロシアは思い出したように手を叩いた。
「うーん、ご主人さまたちが使われている銀食器は貴重品だから、ドゥマクさんが管理しているはずなんだけど……」
ドロシアはメリサンドを見据える。昼食が始まる前、ドゥマクと一緒にメリサンドがパントリーへと双子の従僕と一緒に赴き、数を調べていた。
「何度数えてもやっぱり数が少なくなっていたわ。でも食器棚の鍵はドゥマクさんとミセス・ファーテンが持っているし、ドゥマクさんに一番近いところにいる双子でも、いくら主人の命令でもドゥマクさんからの許可がなければ開けることはできないから、それ以外の、他の人が開けることはできないわ」
「それじゃ勘違い?」
「それはないわね。食事の用意をする前にはかならず食器の数を調べて、何枚使用しているのかを随時ドゥマクさんにご報告しているから。私たちが使っている食器よりも高価だし、銀食器はそのまま銀の材料になることもあるから、普通の食器よりもある意味価値があるわ」
一種の資産というわけか……と、ツバサは視線をアルペルティーナへと向けた。
「アルさんは知らないんですか?」
「私は家女中ですから、台所で起きたことに関しては」
アルペルティーナは他の使用人たちに視線を向けた。
シュトール邱で働いている使用人は、ツバサを除くと、
家令のフルヴィオ・スコーラ。
執事のドゥマク・トランクィリ。
その執事に仕える立場である従僕のミハエル・ミラーリアと、その双子の弟、ミカエル・ミラーリア。
家政婦のファーテン・ディルス。
小間使いのアリーチャー・カミニート、リタ・カスティグリア。
料理長のクリスト・ミフコヴァ。
料理人はジャンナ・ボノーミの他に、アーシア・デルオレーフィチェという女性使用人。
家女中はアルペルティーナ・コンシェルジュ、カーテル・ザファロン、ヴェロニカ・ボニオーリ、シルヴァーナ・バルベッラ、アルテマ・アマティ。
客間女中はジェシカ・ボーイト、アニータ・ビエルサンティ。
台所女中はドロシア・メリージ、ガルシア・タルキ。
洗濯女中のカティヤ・ベルナルデリ、アリーチェ・ベルティ。
雑役女中はメリサンド・ナタールの他に、テレーザ・ライモンディ、リリアーナ・リッツォ。
ツバサと同様、男性での雑用係となる給仕には、ドゥランテ・デルモナコとサヴェリオ・メールラ。
以上、合計二十六名からなる使用人たちがシュトール邸で働いており、食事以外ではほとんどそれぞれの持場に一日中いるようなものだ。
一言に使用人と言っても、これだけの種類があり、つまるところ、使用人たちはただでさえ自分の持ち場のことで手一杯なのである。
「知らぬ存ぜぬってことか。まぁたしかに別の場所で起きていることをいちいち知っているわけないよな」
銀食器を盗んだ犯人として考えられるとすれば、従僕の二人だが、果たして盗み出すことに何の意味があるのか。
「それに今朝届くはずの発注していた食用油が来ていないってのも気になるし」
「それについてだけど、なんでも竜車を引っ張ってるリザーディオが突然暴れだして、竜車がひっくり返って運搬品全部ダメになったみたいね。被害総額金貨三千枚以上って話よ」
「まじでやばくない? それって……」
日本円に換算して被害総額は三千万以上となる。
もちろんこれはあくまでツバサが思っている金貨の最低価値である一万円から計算しているため、情勢が変わればそれ以上も、いや、もしかするとその倍以上の被害額なのではないだろうかと、ツバサは嘆息をついた。
「まぁ食品とかの他に郵便物もあったみたいで、その中に証券取引の類もあったみたい」
「株券みたいなものが使い物にならなくなったってところか」
「でもそんな大事なものを運んでいる竜車ともなれば、リザーディオはそうとう優秀に育てられているはずだ。突然暴れだすなんてことがありえるんだろうか」
「虫の居所が悪かったりして」
「彼らは仕事をしっかりとできるからね。どこその誰かさんがメイリスさまの料理を勝手に作ったわけだけど」
チラリとメリサンドはツバサを睨んだ。
「はい。頭に血が上ってやったことです。反省してます」
あの時は、すこしばかりメイリスが可愛そうだと思ったツバサの暴走だ。
その自覚があるため、ツバサはなにも言えず、萎縮していく。
「話はそこまでにしてくださいみなさん。ドゥマクさまたちが食事を終えられました」
使用人ホールに入ってきた白と黒の従僕。
その一人がそう告げると、ツバサ以外の使用人たちは急いで料理を口へとかき込みだし始めた。
「食器はこちらにお願いします」
台所女中の一人、ガルシアが台車を指さす。食事を終え始めた使用人が次々とお皿やお椀を台車の上へと乗せ、食器を重ねていく。
「っと、みんなどうしたの?」
周りの慌てぶりに、ツバサは思わず目を点にした。
「あんたは知らないのか。上級使用人が食事を終える前に、こっちを終わらせておいて待機しておかないといけないんだよ」
「マジで? 食事なんだからもう少し余裕を持たせてもいい気がするけど」
まぁ忙しないのは、地下にある台所に来る前、廊下で家女中たちや、他の使用人たちが慌ただしく動き回っているのを見て理解しているが、さすがに食事くらいゆっくりしたい。
「ちなみにキミの教育係に任命されている私も連帯責任で怒られるから、早々に食べ終えてね」
「なんだろう。学校で嫌いな給食が出てきて、食べたくないなぁ食べたくないなぁって悩んでいたらいつの間にか昼休みも終わっているみたいな感想」
「あなたの言っていることは理解に苦しむけど、文句を言ってる暇があったら食べなさい。もしくは捨てる。どっちがいい? ちなみに残したらクリストさんから厳しい鉄槌が落ちるわよ?」
「人の食いかけとはいえ、美味しそうなのは間違いない。――食べます」
ツバサは支給された料理を、喉をつまらせながらも、口の中へとかき込む。
正直、口の中では色々と混ざった混沌とした味でしかなく、料理ひとつひとつの味などなにひとつしなかった。
∠
食事の後片付け……食器洗浄などは、洗い場女中の仕事であるのだが、シュトール邸では台所女中と雑役女中で代用している。
見習いであるツバサもその中に混ざって食器洗いの手伝いをしていた。
「やっぱり人が多いと洗い物一回でも大変だな」
ツバサは、洗い終えた食器に水垢が付着しないよう、布巾で水気を拭き取っていき、吹き終えた食器は種類ごと分けて丁寧に重ねていく。
「まぁ今日はまだお客さまがアラン・キャノネロ卿とその奥さまだけで良かったと思うわよ。最悪晩餐会ともなればこの十倍以上は洗い物があるからね」
ツバサの指導をしているメリサンドが、イタズラっぽく言う。
「不安しか残らねぇ……この人数で捌けるのか? もしかして女中って華やか云々以前に重労働前提ってことじゃなかろうか?」
「まぁまぁ愚痴らない愚痴らない。晩餐会はある意味では料理長と料理人の腕の見せどころだからね。それを雇用しているご主人さまたちの評価にもかかわってくるからしかたがないわ」
お館さまは、見た目よりもまず自分の領地で起きていることを解決しろよ……と、ツバサは常々思った。
「うし、これで終わりかな」
「そうね。それじゃ食器を片付けに行くわよ」
「んっ? キッチンに食器棚があるわけじゃないの?」
「台所の隣に小部屋があったでしょ? そこに使用人が普段使う食器を置いているの」
「なるほど、売れば金貨や銀貨になる貴重な食器類はドゥマクさんが厳重な管理をしていて、普段使用人たちが使うような、鐚一文にもならないどこにでもあるような食器はすぐに取り出せるような場所においておくわけね」
「うーん、途中意味がわからない言葉が出てきたけど、まぁそういうことになるわね」
メリサンドは重ねられた食器の束をひとつ抱え、台所を後にする。
「っと、オレも運ばないと」
ツバサも、テーブルの上に置かれている重ねられた食器の束をひとつ抱え、メリサンドの後を追った時だった。
……ツバサの頭の中で警鐘が鳴り響いた。
「いっつ?」
思わず小さく悲鳴あげ、お皿を落としそうになる。
――な、なんだ?
ゆっくりと緞帳が落ちていくかのように視界が定まらなくなっていく。
グラグラと、足元が不安定な乗り物に乗ったようだ。
「も、もしかして普段やらないようなことをしているから、思った以上に疲れていたのか?」
自虐しながらも、ツバサは隣部屋へと食器を運んでいく。
距離にして三メートルもないが、まるでそれが長く感じている。
その歩みは、一歩ごとに重さを増していき、脱力感と足枷をハメられている感覚。
ダラダラと汗が大量に流れ出し、喉がカラカラと乾いていく。
「くそっ……なんだよ――これ……なにかされた?」
――もしかして食事に毒を盛られていた?
いや、それならどうして自分がそんな目に遭わなければいけないのかとツバサは苦悶する。
ガチャンと、なにかが割れる音がツバサの耳に突き刺さった。
その音は目の前の、使用人たちが使用する食器が保管されている小部屋からだ。
「お、おいっ? ……メリ……サン――ド?」
声を絞り上げながら、開放されたドアに声をかける。
が、反応がまったくしない。
いや、人の気配もなくなっていた。
ぼんやりとロウソクの光が部屋を照らしている。
そこにはうつ伏せになって倒れたちいさな躯がひとつ転がっていた。
「お、おい……メリサンド……?」
ツバサは思わず手に持っていた食器を床に落とす。連続して皿の割れる音が廊下に響き渡った。
「おい、大丈夫か? メリ……」
メリサンドのカラダに視線を落とし、ツバサは腰を抜かした。
メリサンドの首がかきむしられ、そこからダムの放水が如く、動脈のハイウェイを走っている血液が脱線し、床一面に広がっていた。
「あ、ああぁ……あぁがぁ……」
痒い、かゆい、カユイ……。
ツバサの喉の奥からなにかが喉をこじ開けようとする。
喉頭は熱を帯び、いつしか焼け石のようだ。
――吐き出したい。 むしりとりたい……。
ツバサは無意識の内に自分の喉に手を当てた。
そして……立てた爪で喉を掻いていく。
いつしか爪が喉の皮膚を破り、グチャグチャと喉を掻き毟っていく。
「あがぁ……ごほぉっ? げぇがぁがはごぉがぁげぇぎゃごぉが」
喉の皮膚から血がこぼれ落ちる。口からもなにかが吐き出されていく。
……ツバサの命の糸は、自らの爪によって引き千切られた。
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