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第93話 約束

 気が付けば、私は暗闇の中にいた。

 ここはどこだろう。……私は、死んだのか。あの壁につぶされて死んだんだろうか?

 だとしたら、グリフォンはどうなったのだろう。――せめて、彼だけはせめて、助かっていてほしい。無事でいてほしい。そう願った。じゃないと、私が決断した意味は一体何だったんだろう?

 目を開ける。閉じる。変わらない、闇の中。死んだのに身体の感覚っていうのはあるものなんだろうか。ああ、そういえばこの暗闇はさっきアリスと会った場所にどこか似ているような――


 ……うん、似てる?

 暗闇?


(おかえりなさい、本物の約束されたアリス)


 ふいに、声が聞こえた。聞き覚えのある声。……ただし、今度は正面から。

 と同時に、ひたひたと足音が聞こえてくる。まるで、裸足で歩いているような音だ。思わず暗闇に目を凝らせば。


(やっぱりあなたは、答えを知っていたのね)


 見通せない闇の中。の、はずなのに――

 黒色の向こう側から現れた少女は、私の目にははっきりと映って見えた。


 黄金色の髪と碧空色の瞳を持った、10歳くらいの少女。


 その姿を認め、私はごくりと息を呑む。……彼女は。

 彼女こそが。


「……あなたが、アリス=リデル……」


(うん。私が、穴に墜ちたアリスだよ)


 こくんと頷いて、さっきよりも随分と幼い口調とともに彼女は微笑んでみせた。

 私が先刻、空から見下ろす形で見ていた少女。白兎の青年と女王様とチェシャ猫と、泣いたり笑ったりこの《夢見の国》で忙しく過ごしていた少女。その時の、そのままの姿だ。


(分かってるとは思うけど、あれは私の記憶。……500年前、私が白兎を追いかけてこの国に墜ちてきた時の。そして500年、――今はここにあなたがいる)


 言われて私は、思わず自分の身体を見下ろした。……私。

 光野ありすっていう、ただそれだけの少女。それが、彼女の代わりに、ここにいる。

 ――いや、代わりっていうのは変か? たしかに私は《アリス》だけど、彼女ではない。彼女の代理としてここに来たつもりもない。もっと、違う役割を持っているのだから。


「……グリフォンは、どうなったの?」


(あれはね、女王の罠。だいじょうぶ。あなたが正しい選択をしたことで、あなたも彼も救われた)


「……正しい選択……」


 よかった。あれが正しかったかどうかなんて私には分からないけど、それでも彼が無事なんなら。ほっとして深く息を吐き出した。


(一緒には生きられない――この世界には、いられない。……あなたがそう言ってくれて、よかった。もしあなたが彼の手を取ったなら、また呪いに囚われていた)


「…………」


(帰りたくないって願った(アリス)が、全てを引き起こしたの。だから、彼らが紡ぐ言葉は全部嘘。あなたを引き止めるためだけの)


「……グリフォンは、元々そのつもりで言ってた、ってこと?」


(そんなことないわ。彼――グリフォンは役にしばられないみたいだから。たぶん、本気で言ったんだよ? だけど彼らは結果的に、嘘を言わされるの)


 それは、どういう意味だろう。結果的に嘘を言わされる? よく――分からない。この国の人はどうしてそういう曖昧な言い方をするんだろうか、いや、彼女は元々この国の人じゃないけども!

 クエスチョンマークを頭上に浮かべる私を見かねてか、アリスは少しだけ微笑んで、言葉を付け足した。


(国自体が呪われているから。……彼自身が役にしばられていようがいまいが、関係がないの。アリスをこの世界に取り込むために働くのよ、この世界に存在するあらゆる事象はね)


「……グリフォンもそのひとつだった、ってこと?」


(うん、そうよ。もちろん私も、そして……あなたも)


 私も? ――私も、私自身をこの世界にしばるために?

 よく分からずに何度か瞬くと、アリスは頷く。


(あなたの一部は、少なくともそう。あなたのアリスとしての一面は。……その反面、あなたの役割がそれを拒み、元の世界に帰ろうとしてるの。相反する二つのアリスを、あなたは持っている)


 ……ややこしいなあ。二つの《アリス》? 何だか私が二つに千切れそうだ。

 あまりに私が変な顔をしたせいか、アリスは楽しそうにくすくす笑って言った。


(二つのアリスを持っていても、あなたは全然揺らがないんだね。素敵)


「……そう?」


 私が単純なだけじゃないですか、単に。

 そう思ったのだが、アリスはそんなふうには考えなかったらしい。


(あなたはやっぱり、約束されたアリスなんだ。……ついにこの時が来たのね)


 ――約束されたアリス。彼女はまた、それを口にする。


「ねえ、それ……何なの? 約束って、約束されたアリスって一体何?」


(あ、そっか。まだあなたには分からないんだね)


「まだ……?」


 まだ、とはどういう意味だろう。

 いつか分かる日が来るのか。自分で悟る時が来るってこと?


(きっと私が言っても、あなたは信じないよ。あなた自身はそれを否定することで、ここまでやってきたんだから)


「……どういうこと?」


(……分からなくてもいいよ。今はまだ)


 ……いいよ、って言われても気になるものは気になるんですが。独断で私の疑問をはねつけないでください。

 というか、今はまだ、というならいつそれは分かるのだろう? 今じゃなかったら、いつ? ――私は、いつになったら帰れるの?


(焦らないで。解答を間違っちゃいけない。あなたは答えを知っていても、その真意まではまだ知らないから)


「…………」


 ふわり、とアリスが切なげな笑みを浮かべる。

 真意、とは何のことなんだろうか。聞いてもおそらく答えてくれないんだろうけど。

 彼女がそう言うなら、私はそれに従うしかない。……他にどうしようもないんだし。


(大丈夫。あなたは絶対に負けたりしない。あなたには、女王もあなた自身も知らない武器がある)


「武器……?」


 この場合は剣とか銃とかなんとかこんとか物理的なもののことではないだろう。……あっても使えないし。彼女が言っているのはたぶん切り札的な何かだ。どっちにしたって覚えはないんだけど。私自身も知らない、って。

 ……いや、まあ、それはいいだろう。とりあえずおいておこう。考えていたってどうせ私には分からない。それよりも、聞きたいことがあった。


「ねえ、アリス。私はこれからどうしたらいいの?」


(あっ、そうだった。……忘れてた)


 存外呆けた声。……忘れてたんかい。私、ここから出られるのかな……不安になってきた。


(あなたはここから出なきゃいけないの。そしてもう一度――ううん、今度こそ女王と対峙しなきゃいけない)


 女王様と、対峙。……分かってる。それは避けられない、わよね。

 上等だ。そのためにやってきたんだから、怖がっちゃいられない。大丈夫。……大丈夫、だけど、だけど。


「……ここからは、どうやって出るの?」


 私はため息交じりに呟いた。

 この黒い空間の中。一寸先も見通せないような闇の中から、私は一体どうやって帰ればいいと言うのだろう。

 女王の心臓、と彼女は言ったが、おそらくここはどちらかというと精神的な世界に近いんだと思う。たとえば――そうね、夢の中のような。

 だからこそ、帰り方が分からないのだ。夢の中にいる私が夢の覚まし方なんざ知るはずもない。北に歩き続けりゃ出られるって道理でもないだろうし。彼女に会わなければ、私はきっとここを永遠にさまよい続けることになっていただろう。


(それなら簡単よ。あなたがただ、出たいと強く願えばいい)


「……え、それだけ?」


(うん)


 あっれ脱出法意外と簡単だったぞ。願えば出られるって。なるほど精神的な世界である。


「じゃあ、私そろそろ――」


(あ、待って。最後にもうひとつだけ)


 そうと分かればと早速いそいそと帰ろうとすれば、アリスが私を引き止める。何だろう?

 視線を落としてアリスを見れば、彼女は、その青色の目を細めて。


(これは確認だから、あんまり気にしないでね。――あなたのそばには、猫さんがいる?)


「え……?」


 確認? 気にしないでね、って言われても。

 質問の意図が分からずに何度か瞬いたが、言われているのはおそらくチェシャ猫のことだろう。というか、猫なんて言われたらそれ以外に考えられない。


「……チェシャ猫でしょ。いるけど……」


 そう思っておずおずと頷けば、彼女はそっか、とどこか満足げに呟いた。


(そう、それなら……大丈夫かな。約束はちゃんと守られてるんだ)


「え……なに、チェシャ猫がどうかしたの?」


(ううん。彼自身は――彼自身も気付いてないかもしれないね。あの頃の記憶があるのは、結局今では私と女王様だけになっちゃったから)


 あの頃の記憶――500年前のことだろうか。だとしたら、約束というのは500年前のこと……?

 つながりそうで、つながらない。……もどかしい。彼女は何を言わんとしているのか。チェシャ猫が、いったい、何?


(聞きたかったのはそれだけなの、引き止めちゃってごめんね)


「え、……うん……」


 だけど、とてもそのことを聞けるような雰囲気ではなかった。――それも、私に見つけろというのだろうか。

 ……泣き言や文句を言っても仕方がないか。見つけなければいけないなら見つければいい。そう、それだけ。ためらってる時間はないんだから。


「じゃあ私、行くね。……アリス、その……色々教えてくれて、ありがとう?」


(ううん。……どうせあんまり大事なことは言えなかったし、いいの。お礼を言うのは私の方だよ)


 いや、お礼を言われるようなことはしてないけど……。まあ私も何か分かったかと言われれば微妙なんだけど。

 ――そういえば。


「あの……何で、あなたはここに? 元の世界に帰ったんじゃなかったの?」


(…………)


 大切なことをひとつ、聞き忘れていた。彼女がここにいる理由。

 だって彼女は、『帰りたい』と言って恋人であるシロンさんに帰してもらったんじゃなかったっけ。なのに何でここに? この国を救う、ため?

 ありのままに問いをぶつければ、彼女はその金色の髪が頬にかかるのも気にせず、儚げに微笑んだ。


(……うん。でも、『帰る』のは私の願いじゃなかったから)


「……?」


(私が帰ったのは、願いを塗り替えられないようにするため。約束を、守るため)


 願いを塗り替えられないように? 約束を守るため?

 一体、何のことを言っているんだ。


(矛盾する願いは叶えられない。だから、彼女(・・)は私の願いを塗りつぶそうとした)


「彼女? ――待って、彼女って誰?」


(そうすれば彼女の願いは叶うから。でも私はそれが嫌だった、それじゃあ私はシロンと離れ離れになっちゃうし、何よりあの人(・・・)との約束を破ることになっちゃう)


 待って。どういうことだ。何が言いたいんだ?

 願い? 塗りつぶす? 約束? 彼女って誰、あの人って一体?

 分からない。――分からないよ、アリス。


(だから私は、帰ることを選んだのに――)


 まるで私を嘲笑うかのように、青い目を縁どった金色の睫毛が、涙を乗せてまたたいた。



(彼女の願いは違う形で実現してしまった。私がいない、先の世で)



 ――彼女。まさか、女王様……?

 そうじゃなければ、誰だろう。“違う形で実現してしまった願い”。……不本意だったから、それがこの少女にとって望まないことだったからこそ今こんなゲームが行われているんじゃないのか。

 この制度(せかい)こそが、女王様の願いなんじゃないだろうか。

 何もかも推測に過ぎない。彼女は私の望むことばかりを語ってくれるわけじゃないから。でも、でもそのピースをかき集めたなら――。


(……ねえ。そろそろ行かなきゃ、あなたがここにいたところで現実の時間が止まるわけじゃない。早く行かないと手遅れになるかも)


「! じゃ、じゃあアリス、私今度こそ行くね!」


(うん。……無駄話ばっかりしてごめんね、でも、少しでも知ることがきっとあなたの鍵になるわ)


 うん、大丈夫。きっとあなたはそのためにここにいてくれたんでしょ?

 何となく分かる気がした。――それがきっと、私の切り札になるのね。

 私は武器を持って戦うことはできない。戦ったところで負けるのは目に見えている、それはジョーカーの時で承知済みだ。……だけど。


(あなたにあるのは、言葉。あなたは今までのアリスとは違う、もちろん私とも。女王に望まれたアリスじゃない。だからこそ、あなたの言葉は女王の心臓をも貫く刃になるの)


 それなら、私がやるしかないじゃない。私の言葉に力があると言うのなら、声が届くまで叫んでやる。

 目を閉じる。もう大丈夫。帰ろう、私は――終わらせるために。彼女の言う、不本意な願いを打ち砕くために。


 帰ろう。今度こそ、戦うために。



(……ねえ、目を開けなくていいわ。願いながらでいいから聞いて)


 そっと、耳もとでささやく声がする。瞼を閉じた暗闇の中。


(ひとつだけ、あなたに謝りたいことがあったの――500年間、ずっと)


 どこからか差す金色の光に包まれていく私に。


(私はこの時のために、あなたに呪いをかけた。他の誰でもない、あなたに。きっと生まれてくるだろうあなたに)


 その声は……どうしてかな。ずっと昔、聞いたことがあるような気がして。


(それは、きっとあなたを不幸にしてしまうだろう呪いなんだと思ってた。……事実、そうだったの。夢見()の国を救うために、私はあなたを犠牲にした)


 それどころか、その声は――


(でも、……あの人は約束を守ってくれたんだね)


「あ……」


(みんなは彼を嘘つきだなんて言うけど、ほんとうはあの人、嘘なんてついたことなかったよ)


 思わず目を見開いた。今にもフェードアウトしようとする視界はぶれて、定まらなかったけど。

 そんな世界の中で、ぼんやりとうつる金色の輪郭が微笑んだ、ように見えた。


(ありがとう、100番目のアリス。私はこれで、ずっとずっとシロンと一緒にいられる。……あなたを巻き込んでしまって、本当にごめんなさい)


 消えていく。

 消えていく。

 私がそこから消えていく。

 元の世界に帰ろうとする引力が私を引っ張って――


 彼女を、ないものにしようとする。


(だから、呪いをかけた私がこんなことを言うのは変だけど、あなたには幸せになってほしいな。……本当は、本当の約束では、あなたは幸せになるはずだったんだから)


 手を伸ばす。届かない。それでも伸ばす。もう、彼女がどこにいるのかも分からないけど。

 待って。なにか分かりそうなの。――分かりそうで、届きそうなの。なのに。


(ここはね、みんなの願いが叶う国。だから私も女王様もシロンもあなたも、みんなが願いを叶えようとする)


「……っ、……」


 言葉にならない。言葉を紡ぐ唇がない。

 言うべき言葉があったはずなのに、形にならないまま喉の奥で消える。


(ねえ。――ありす、って言うんだね、あなたは)


 黄金色の光が、闇色の帯が混ざり合っていく世界。

 私はここにはいられない。

 ここは私のいるべき場所ではないのだ。だから、消えていく。


(ありす、ルーシャのことをよろしくね。彼はとっても寂しがりだから……それから)


 消える寸前、だった。ゆっくりと遠くなっていく声が、最後に言う。


(――もうひとりのアリスのことも、お願いします)


 瞬間。黄金色の光が、私の身体を全て塗りつぶした。










(金色の森で、500年前に、私は約束したの)


『――約束するわ。100代先で会いましょ、ルーシャ』



(彼が世界の中心。願いを叶える、《チェシャ猫》)

なんだか文章がものすごく納得いかなかった回パート2。

いずれちょっぴり直すかも、とか言ってきっと直しません。ごめんなさい/(^q^)\

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