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第92話 さようなら、愛しい人。

今回はそんなに長くない、はず。

「ありす! ――ありすっ!」


 突如、浮上。溺れた間抜けな魚のように浅い呼吸を繰り返しながら、私は目をこじ開ける。

 そこは、見知らぬ場所だった。壁や天井一面が赤と白で埋め尽くされていて……それが金色じゃないことにある種の安堵を覚えながら、私は声の方へと目を向ける。


「……グリ、フォン……?」

「ありす! 大丈夫!? 何があったのお!?」


 ――私を呼んでいたのは、グリフォンだった。

 心配そうな色をたたえて覗き込んだその瞳を見て、……私は思わず、目を逸らしてしまった。


「えっ、……ありす?」

「あ、ごめん……あの、つい」


 その黄金色を、直視することができなくて。……グリフォンが悪いわけじゃあ、ないんだけど。

 グリフォンに抱き起こされ、私は呼吸を整えながらあたりをぐるりと見回す。どうやら私は、ちゃんと現実のお城に帰ってきたみたいだ。いや、お城とは限らないかもしれないけど……グリフォンがいるんだから、さっきまでのような過去の場面ではおそらくない。


「ありす、一体何があったの? 怪我はない?」

「えっと……その、私もちょっと、よくは……でも怪我はない、かな」

「ほんと? よかったあ」


 明らかな安堵を浮かべて見せるグリフォンに、胸が少しちくりと痛んだ。

 彼は、こんなにも純粋に安心してくれるというのに。比べて私は何だろうか。彼の瞳が金色だから目を逸らす、なんて……でも、それほどまでに、アレは恐ろしかった。



『ただし、その真意(こたえ)が見抜けなかった場合、君には死んでもらおうか』



 頭の中でまだ、ぐわんぐわんと響いている。……金色の亀裂。あれは、一体……。

 私はぎゅ、とグリフォンの肩をつかんだ。驚いた様子のグリフォンは、私を見下ろして。


「……ありす? どうしたの? 本当に、大丈夫?」

「ごめん、ちょっと……ねえ、グリフォン。他のみんなは?」

「分かんない……離れ離れになっちゃったみたいで」


 離れ離れ。落ちた拍子に、だろうか。

 そしたらここは、私たちが落ちた場所? さっきの暗闇の中とは似ても似つかないけど。……明るいから、だろうか。それでもこの部屋はそれほど広くもない、この広さだったらおそらく声は反響しただろうと思うのに。

 それに、チェシャ猫やメアリ、ジョーカーは?


「びっくりしたよお。いきなりありすが降ってくるから」


 ……降ってくる? 私は降ってきたのか。

 思わず天井を仰ぐと、グリフォンはわずかに肩を竦めた。


「天井に穴なんて開いてないのにねえ……でも俺も上から降ってきたし。偶然俺が下にいてよかったよ」

「……もしかして私、あの、……つぶした?」

「うん。でも、ありすが無事でよかった」


 いつもとは全く違った態度で、朗らかに笑うグリフォン。――なんだ、今日に限ってなんでこんなに優しいんだ。……私が、情けないからか。

 私は小さくありがとうと呟くと、グリフォンの服を引っ張ったままその肩口に顔を寄せた。――慣れた、匂い。身体の芯を蝕んでいた恐怖が、段々と薄れていく。


「……みんなを、探さなきゃね」

「ありす……無理しなくても、いいよお?」

「ううん。大丈夫」


 これ以上、へこたれてられるか。怯えてばかりもいられない、あんなわけの分からない記憶のせいなんかで。

 少しの間目を閉じて呼吸を落ち着けてから、私はグリフォンを解放して立ち上がる。スカートを軽く払ってから前を見ると、それは、思っていたよりもファンシーな部屋らしかった。

 赤と白の、チェス盤。

 そんな印象を受けた。隣同士が真逆の色をした、正方形のマス目たち。残念ながら駒はなかったけど、そんなような模様が描かれた床の上に、私たちは立っていたのだ。

 ……酔いそう。はじめてお城に入った時のグリフォンの感想じゃないけど、思わずそんな気持ちを抱いてしまう。


「うわあ、あらためて見ると酔いそうだなあ……」


 そして、グリフォンも似たような感想を抱いていた。うん、そうよね。それでこそグリフォン。


「ここ、出口は……? ていうか、入り口は?」

「うーん……見たところ、なさそうだよねえ」


 口に出すまでもなく、答えてもらうまでもなく、そこは密室だった。――出られない、的な意味で。

 それにどこから落ちてきたんだ、とも私は思う。グリフォンの言う通り、見上げても天井には穴一つない。……突き抜けてきたような跡も。まさか自動修復機能なんてものがあるわけではないだろう、どんなハイテクだ。いや、床を自在に崩すことが出来るなら、逆も可能なのか? 女王様なら。……うーん。


「どこか、隠し扉的なものはないの? 探してみましょ」

「隠し扉……? そうだねえ……」


 私は部屋の中央から壁へと歩み寄って、ひとつ、軽く叩いてみる。……普通の壁だ。

 隣も同じようにノックしてみるけれど、特に違った反応はない。まあ、本やテレビ程度の知識しかない私に、そんな反応の違いなんて分かるとは思わないけどさ……。

 ――というより、これで全ての壁を調べるとしたら、一体どれくらいの時間がかかるんだろうか?

 たしかにここは思ったほど広い部屋ではない。が、それだって私の部屋よりは一回り分くらい広いのだ。全ての壁を調べるなんてこと、途方もない作業のように思える。……大体、壁に何か仕掛けてあると決まったわけでもないのに。


「ねえありす、女王様のことだからさあ、もっとなんか、こう……謎解きみたいなものを仕掛けてそうじゃない?」

「謎解き? ――たとえば、どんな?」

「えっ、うーん……たとえば……あ、ほら、パンはパンでも食べられないパンは何だ!? みたいな」

「……なぞなぞかよ」


 それは謎解きじゃないよ。どっちかって言うとなぞなぞだよ。いや、たしかになぞなぞを解くで『謎解き』かもしれないけどさ。というかそんなことで出るくらいなら、隠し扉の方を全力でお勧めしたいぞ。私は。


「……でもまあ、たしかに一理あるかも。この国の人ってなぞかけとか大好きみたいだから」


 暗闇の中の声や、黄金色の瞳を思い起こしながら言う。……全くあいつら分かりづらい言い方してくれやがって、私はそんなに頭よくないんだばかやろー。

 謎解き、という線では間違ってないのかもしれない。まあ、今のところ、その謎すら見つかってないんだけどね?


「んー、扉がないこと自体が謎なのかなあ? たとえば扉のない部屋からどうやって出る、とか」

「壁を壊して出る」

「……ありす、それはあんまりだと思うよお」


 分かってます、自分でも思いました。……だから私、そういうの苦手なんだってば。思わず口から飛び出すため息。


「なんていうか、女王様も悪趣味ね……」

「そうだねえ……俺、女王様に飼ってもらうのあきらめようかなあ」

「え、ていうかまだそれあきらめてなかったの?」


 むしろそっちの方がびっくりだ。グリフォンは私の言葉に驚いた顔を見せていたが。


「あっ、大丈夫だよお、ありす! ありすと暮らすのが俺の一番の夢だからさ!」

「……聞いてない聞かない聞こえない存在しない」

「存在否定!?」


 きらきらしい笑顔でおかしなことを言ってのけたグリフォンの言葉は幻聴として処理しておいた。

 何なんだそのとびっきりの笑顔は。ていうか大丈夫だよってお前は一体何を誤解したんだ。誰もそんなことは心配してないっちゅーに。


「もうひどいなあ、ありすってば! そんなに俺をいじめて楽しい!?」

「……楽しいのはあんたでしょ?」


 振り返って見たグリフォンの瞳は、言葉に反して何故かきらきらと輝いている。……そうだこいつマゾだった、誰かこいつ何とかしてくれ。よりによって何でこいつと二人っきりなんだ。


「ていうか、そういうのはいいから、早くここからどうにか――って、ん?」

「……ん? どうしたの、ありす?」

「……気のせい、かな」


 呟いて、目をこする。気のせいかな。気のせいだろう。気のせいで、あってほしい。……ただの願望だけど。

 目を上げた刹那、一瞬覚えた酩酊感。ぶれた視界。――目をこすって見てみても、それはやはりなくならなかった。


 それというのは。


「……ねえ、グリフォン」

「な、なあに?」

「この部屋、……小さくなってない?」


 部屋が、縮んでいるのだ。


 赤と白が交互に置かれた床。白と赤が秩序的に混ざり合う壁と天井。……段々、小さくなっている。マス目の一つ一つが。

 何度目をこすっても、瞬いても変わらない。見間違いなんかじゃない。ゆっくり、ゆっくりとだけど、空間が凝縮されていっているのだ。


 まさか。


「……えっ、これ、結構やばい?」

「多分……」


 ――まさか、つぶされる?


 そんな想像をした。たとえるならそう、あれだ、熟し切ったトマトみたいな。壁と壁、もしくは天井と床にサンドされて、ぐちゃりとつぶれて中身が飛び出して…………思った以上に嫌な想像だった。


「……つぶ、される……」


 私と同じことを考えたのか。グリフォンも、その単語を吐き捨てて顔を歪めた。

 つぶされる。――否定できない、事実。

 どうしたら。一体、どうしたら? 焦りと恐怖とが込み上げてくる。何でこいつと心中なんか、いや、そうじゃない、こんなところで私は死ぬわけには!


「グリフォン!」

「わっ、そんな強く引っ張らっ……ありす!?」


 グリフォンの襟元をつかんで、強く引き寄せる。少し乱暴すぎたとか、そんなことにかまっているような場合ではなかった。


「天井は!? あそこから落ちてきたんだから、通れる場所とかないの!?」

「む、無理だよお! ありすが落ちてくる前に一回調べてみたけど……本当にただの天井なんだよお!? 穴どころか、ちょっとの隙間もないんだって!」


 ――どうしたら。どうしたら、いいの。

 つかんでいた手を離し、あたりを見回す。部屋はもう、最初あった大きさの半分くらいになっていた。

 早い。早すぎる。一体、どうしたらいいの……このままつぶされるしかないわけ? いや、そんなのは絶対に御免だ!

 私はだっと迫ってくる壁の方へと走り出す。私を呼ぶ、グリフォンの声は振り切って。


「お願い、止まって……っ!」


 壁に思い切り両手を打ち付けた。ぐいとそれを押し返して、何とか進行を止めようとする。

 勿論、それで本当に壁が止まるわけはない。ただ、私が段々と部屋の中心へと押されていくだけ。

 ……お願いだから。

 それでも祈り、壁についた手に力を込める。足を突っ張り、間抜けな格好だろうけど、どうか止まれと。

 だって、まだ、死ねないよ。まだ死ねない。私はまだ、なんにも――



『覚えておいたらいい。彼らはいつも、《嘘》を言う』



 ――ふいに、脳裏に声が反響した。時間が刹那、空間になる。

 黄金色を彷彿とさせる、その声音が……私に言う。彼らしい、にやにや笑いを携えたままに。


 なに? 嘘? 嘘を言う? ――誰が?


 彼らって一体、誰のこと?


「ありすっ!」


 時が正常に巻き戻され、突然、グリフォンの声が鼓膜を突き刺した。

 はっと我に返れば、私は、彼に抱きしめられるような体勢で立っている。……いつの間に。


「グリフォン……?」

「よく聞いて、ありす」


 焦燥を含んだ、真剣な声音。部屋はいつの間にか、私とグリフォンが並んで寝転がれるかどうかくらいの大きさになっていた。

 色んなことにただただ動揺していると、グリフォンは私の耳もとでささやき始める。


「ありすがもし――この国の真意(こたえ)を探そうとしなければ、俺たちは……ありすは壁につぶされることはない。今までのアリスも、そうだった。探そうとしなければ、この国で生きることを決めれば、死ぬことはないんだ」


 ――真意を探そうと、しなければ。

 その口調はまるで、私が黄金色の瞳に言われたことを知っているかのようだった。

 私が今までのアリスのように、この国で生きることを決めれば――。それはつまり、ゲームに負けることを決めればということだろう。


 ゲームに、負ける。


 言い換えれば、『この国にかけられた呪いをそのままにして』。私すらもその呪いに巻き込まれて……また、5年後に、次のアリスがやってくるということ。次は101人目。そしてそれが駄目だったなら、さらに次。そして次。いつまで続くかわからない呪いの連鎖。それを私は、断ち切れないままに。

 そんなこと、と私が言おうとした時だった。グリフォンがさらに腕の力を強める。


「元の世界に帰りたい、っていうありすの気持ちは俺にも分かる。でもね、ここでつぶされたら、帰ることどころか生きることさえできないんだよ」


 泣きそうな声だ。……自分が死ぬことよりも、私が死ぬことの方が怖いみたいに。

 どうしてそんな声音で言うのだろうか。どうして、そんなふうに、怯えるの?

 私のため? ――いったい、誰のため? 何のために、そんなことを言うの?


「……グリフォン」

「ありす、お願いだから」


 思わず何かを言おうとして。何を言ったらいいか分からずに、ただ名前を呼んだだけでいたら、グリフォンが懇願するような声音で告げた。

 だめ。――言ってはいけないと、私の心臓が鐘を鳴らしたその言葉を。



「俺と一緒に、暮らそう。絶対守るから。女王からも、トランプ兵からも、どんなものから守るから――ここで死ぬなんて、言わないで」



 『一緒に、暮らそう』。

 背中に回った腕の力が強すぎて、苦しかった。

 でもそれ以上に、彼の痛々しい声音が……必死すぎて、苦しい。

 ――私のため? 何で、私のために、そんなことを言うの?

 自分の身も、降りかかった呪いも、全てをかなぐり捨ててでも私に生きてほしい、と言うのか。

 勿論私はこんなところじゃ死ねない、けれど。


「……グリフォン……」

「お願いだよお、ありす……俺は」


 そんなふうに思ってくれる、グリフォンの気持ちすら痛い。

 何でそんなに優しくするの。何でそんなに、思ってくれるの?

 どうして自分のことよりも、私なんかを大切にしてくれるの。

 つつけば割れてしまいそうな、泣き出しそうな声音のグリフォンに、私は耐え切れなくなって腕を伸ばす。


「ごめんね。グリフォン」


 ――それでも。


「私は、うん、って言えない」


 その背中を抱きしめて、私は言った。我ながら穏やかな声音で。

 もう既に壁や天井は目前まで迫り、自らそうしなくても、密着せざるを得ない状態だ。……つぶれてひしゃげたトマトになるのも、時間の問題だろう。

 だけど、グリフォン。だけどね。


「私はここで生きるわけにはいかないの。……帰らなきゃ。私は、最後のアリスだから」

「ありすっ……」


 息を止めたみたいな変な声で、グリフォンは私の名前を叫ぶ。

 ごめんね。

 その胸に頭を寄せて、謝った。

 ――最初のアリスは、自分の世界に帰ったの。そして、それからは誰もが帰れなかった……それなら、最後のアリスは、自分の世界に帰らなきゃ。永遠ループを断ち切る唯一の方法。

 私は、この国の呪いを解くために、この国にやってきたんだから。


「だからね、ありがとう。グリフォン。――はじめて、私と貴方という関係でいてくれた人。他の何もはさまない……ひとりの人として、大好きな人」

「ありす……」

「出会ってよかったって、思うから」


 ――貴方も、助けてあげたいの。囚われないでほしいの。生きて、幸せになってほしいの。

 私と貴方の間に《アリス》と《グリフォン》なんて関係はなかったよね。だから私も、貴方という一人の存在の幸せを願う。

 どうか、私のために、死ぬなんて言わないで。


「ごめんなさい。――私は、貴方と一緒には生きられない」


 私は、落ち着いて最後の言葉を告げた。

 ――私と貴方の間にあったのは、一緒に死ぬか、別れて生きるかという選択肢だけ。

 それなら私は、生きる方を選ぶよ。……貴方が、いつかまた、笑ってくれますようにって。果てない未来のその先で、「幸せだった」って言えますようにって。

 ……だからね。


 さよなら、《嘘をつく人》。これが私の、なぞかけの答えよ。


「ありっ――」


 その胸を押す。わずかに離れる、二つの身体。

 見開かれた金色の瞳を見つめて、私は、笑った。



「またね。バイバイ」



 ――さようなら、愛しい私の“友だち”。

 胸中でそう呟いた瞬間、その瞳からこぼれた黄金色の光が私の身体を包んだ。

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