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第91話 黄金色の昼下がりに

 暗闇の中で、私の意識は覚醒した。……落ちてから何秒か何分か、それとも何時間か。

 瞼を持ち上げれば、漆黒。周囲を見回してみても何も見えやしない。私が目覚めたのは、そんなところだった。


「チェシャ猫? ……グリフォン? メアリ、ジョーカー……?」


 呼んでみても、それらしい気配はなく、返事もない。……一緒に落ちたはずなのに、どうしたんだろう。まだ気を失っているんだろうか。それとも既に意識を取り戻して、もしくは最初から気を失うことなくどこかへ行ってしまったんだろうか?

 何とも分からなかったけれど、ここでじっとしているわけにもいかない。私は足元を手で探って何もないことを確認すると、ゆっくりと立ち上がった。……ズキリと痛みを訴える背中。どうやら打ったらしい、というか今日は何度も背中を強打したから。明らかに厄日じゃないか。


「……誰か……いないの?」


 再び投げかける問い。でも、答えてくれる人はやっぱりいなかった。

 だけど分かったことがひとつだけ。私が今いるところは、それなりに広い場所らしい。放った声は反響する様子もなく闇に溶け込み、手探りで何とか進んでみても、一向に壁という壁に辿り着く気配がない。……それはそれで不安なんだけど。

 仕方ないから手を前に突き出し、他の人に見えているのであれば幾分間抜けな格好でゆっくりと歩いていく。かすかな音でも聞き逃すまいと、耳を澄ましながら。


(だれ?)


「っ!?」


 ふいに、何か聞こえた気がした。足音や物音ではなく、誰かの声だ。

 背後から聞こえた気がしたから振り返ったけれど……暗闇なので、見えるはずもない。一瞬息を潜めてから、私は声を上げる。


「誰か……いるの?」


(墜ちてきたの?)


 ……空耳ではない。たしかに、誰かいるらしい。

 でも声は、私の質問に答えようという気はさらさらないようだ。……それに。

 私は声に反応して振り返ったにもかかわらず、それはやはり背後から聞こえる。


「あなたは……?」


(あなたは、何番目の穴に墜ちた少女(アリス)?)


 ぐるぐる。ぐるぐる。――どこを向いても、後ろから聞こえてくる声。

 壁を後ろ手にしたいという思いが芽生えてきたものの、肝心の壁が見つからないからどうしようもない。

 奇妙だ……いや、奇妙を通り越して気味が悪い。

 この空間……一体、どうなってるんだろう。逃げ出そうにも、出口さえも見当たらないし。


(白兎を追いかけたの?)


 ほらまた、後ろから。


(辿り着いてしまったの?)


 どんなに探しても、その主は見つからない。


(穴に墜ちてしまったの?)


 それは、後ろからささやくばかり。


(夢を、見てしまったの?)


「……っ」


 耐え切れずに、私はぎゅっと目を閉じて息を吸った。


「違うわ! ここは――この世界は夢なんかじゃない!」


 声を張り上げる。闇に吸い込まれていく、音。

 一時、静寂が訪れた。


(……あなたは、真意(こたえ)に辿り着いたアリス?)


 さっきよりもやや低い音程で、声は再び問う。

 真意に辿り着いた、アリス。

 それはどういう意味だろう。――呪いのこと? それとも、もっと何か、他の。

 答えに迷っている間に、声はまたささやいた。


(あなたは、白兎に導かれてきたの?)


 追いかけたんじゃなくて、と。

 ……そんなようなことを、声は言った。

 でも私に聞かれたって、そんなこと分かるもんか。また詩のようなことをさらりと言うのだから。そんな曖昧で抽象的なことを言われたって、私はただ口を噤むしかない。


「あなたは……何」


(私、は)


 私の唸るような問いに、はじめて声が反応した。

 私は。

 続きを待って、私が息を呑むと。


(……私。私は、この国のハート)


 また詩的なことを、声は何でもないふうにささやく。ただ、それがはじめて彼女――おそらく――の疑問形ではない言葉だった。


(あなたとは、会ったことがあるわ)


「会ったこと、が……? ――え、もしかして……」


 もしかして。口から飛び出した言葉が、自らに答えを突き付ける。


「……もしかしてあなたは、初代のアリス?」


 そういえば、思い出せば。初代のアリスと話すときはたしかこんなふうだった。声まで一緒だったかどうかは判断しかねたけれど。

 ある意味確認のように尋ねると、声は少しの間止んだ。それから。


(……少し違うわ。私は、唯一のアリス)


「唯一……?」


(そう。あなた方のように、番号をつけられた模造品じゃないの。そうね……しいて言うなら、本物のアリス)


 ――それは、私の言う初代アリスと同義だと見て相違ないんだろうか。それともまるで別物なんだろうか? 測りかねていると、


(あなたは、どうしてここにいるの?)


 声はまた問いを再開してきた。


「……私、は。落ちてきたの――っていうか、落とされたの。女王様に」


(墜ちてきた……やっぱりあなたはアリスなの)


「……まあ、そんなふうに呼ばれてたけど」


 納得したように言う声に、少しだけむっとして言うと、声はさらに続けた。


(じゃあ、どうしてあなたは墜ちてきたの?)


「どうして……?」


 どうしてって、だから女王様に落とされたからなんだけど。

 具体的に、床が崩れたからとでも言えばいいんだろうか? それとももっと抽象的なことを求められているのか。彼女がささやく言葉のように。


(ここは、女王の心臓。あなたが墜ちてくるには、それなりの理由が必要)


「女王の……心臓」


 これは、勿論比喩だろう。……比喩にしたってあんまりな表現だが。

 女王の心臓に落ちてきた、って。それならますます理由を求められても困る。反芻するばかりで首を傾げていると、


(あなたが墜ちてきたのは、どうして? あなたはもしかして、約束されたアリスなの?)


「約束された、アリス……?」


 声は言った。

 ――約束されたアリス。

 この声の主はまさか私を混乱させたいんだろうか。……させて楽しいんだろうか。そういうような色はまるでないんだけど、あまりの曖昧さにそんなことを疑ってしまう。

 一体どういう意味なんだろうか。彼女の言葉を解説してくれる人が欲しい、と切実に願ってしまう。……約束って、一体、何? それに――約束した、じゃなくて約束『された』?


(わからないのね。……それなら、ためしてみるしかないわ)


「えっ、ためすって……」


(大丈夫。簡単なゲームよ)


 大丈夫って……諭すように言われても、どうにも嫌な予感しかしないんですが。

 けれど反論する間もなく、あくまで私の意思は関係なく、それは訪れた。


 突如闇の中に差し込む、黄金色の光。


 私は思わず目を細め、腕で顔を覆った。跋扈していた暗黒を溶かしていく光の帯。

 私の身体はその光に包まれ、ふわふわと、段々軽くなっていく。まるでそう、ちょうど青い空に吸い込まれてく風船みたいに。


「えっ、ちょ、ちょっと……!」


(あなたが私の思うアリスなら、きっと答えはわかるはず)


 そんなこと言われたって、なんて無茶苦茶な!

 でもやっぱり、私には抗うこともできない。選択肢のない理不尽なゲームだ。

 なくなっていく身体の感覚、指先までをも満たしていく浮遊感。光が外から発しているのか、それとも私の中から出ているのかも分からなくなる。

 逃げる暇も、術も、私には与えられないまま。……ただ、曖昧な『答え』なんてものを探すために。


(いってらっしゃい。《100番目》のアリス)


 ついに、私の身体は、光の世界へと投げ出された。





 ☆★☆





「はじめまして兎さん! ねえねえ、あなたはどこへ行くの? どこから来たの? どうして急いでいるの?」

「あーうるせーなこのガキ! 何ですか! 何か用ですか! 見ての通り急いでるんですよ、ガキはとっとと帰って寝腐りやがれ!」

「ねーどうして? そんなに大きな時計持って重くないの? ふつうの時計じゃだめなの?」

「ッ、何も聞いちゃいねえこの小娘!」


 黄金色の光が閃いた、その世界で。

 私は、晴天の空からその光景を見下ろしていた。


 ……。……え?

 え、あれ、ちょっとここどこ? ていうかこの人たち誰? どう見たって会話が全く噛み合ってないんですけど。


「ねえ兎さん、教えてよ! ここはどこ? 私は誰? 食べかけのクッキーはどこ行っちゃったの?」

「てめえのことなんざ知るかッ! ……はあ、ここは夢見の国です。分かったらとっとと帰った、帰った」

「夢見の国!? 素敵ね! ねえ兎さん、案内してよ! 夢見の国には何があるの? お菓子の家? 綺麗なお花畑? それともぴかぴかのお城かしら?」

「だーかーらー! 聞けこのガキ!」


 高価そうな黄金のタイルが敷き詰められた一本の道を、二人の少年少女が話しながら歩いている。

 ……いや、少年っていうには男の方は大人すぎるんだけど……しかも話しながらって表現するには随分と険悪な雰囲気なんだけど。

 それに、ここは一体どこ? 私はお城にいたはずなのに。気が付けばのどかな風景の一部、……何てこった。これが彼女――アリスの言っていた『ためす』っていうことなんだろうか?

 ……とりあえずは私が俯瞰している、らしいこの二人を観察するしかない。それ以外に私にはどうしようもないし。

 ため息をこぼして見てみれば、二人の言い合いはまだ続いている。いや、言い合いっていうにも一方的なんですけどね。


「大体、あなたは何故こんなところに一人でいるんです! 今、女王陛下の御機嫌が優れないことはあなたも知っているでしょう! 誰も家から出ないように御触れを出したというのに……!」

「じょおうへーか? なあにそれ? 私、ここに来たのは今日はじめてだから、よく分からないわ」

「今日、はじめてここに……? ――それならなおさらです! あなたの親は一体何をしているんですか!」


 落ち着いて観察してみれば、ずかずかと大股で道を歩いていく青年の頭にはなにやら見覚えのある白い耳がついていた。……そう、ハク君についている、例のアレだ。ハク君と同じやわらかい金髪に、結構がっちりした体格にはあまりそぐわないぴこぴこ動く可愛らしい耳がさも当たり前のように備わっている。……まあ、それも見慣れた今ではあんまり違和感のないものなんだけれど。

 そして、それに必死になってついていこうとする少女は、見たところ普通の容姿だ。年は多分10歳前後。腰まで伸ばされた金髪に、海のように深い碧眼……そう、『ふつう』の容姿。

 それに、『女王陛下』『夢見の国』。彼らの口から出る数々の言葉。


 ――これは、多分。


「ママやパパはここにはいないわ。あなたを追いかけてきたらここに来ちゃったの。――私アリス、アリス=リデルっていうの。ねえ、兎さんのお名前は?」

「僕を追いかけて……? ――ま、まさかアリス……あなたはもしや、向こう側から来てしまったというんですか!?」

「向こう側……? っていうのはよくわからないけど。だって兎さんったら、待ってって言っても聞いてくれないんだもの」


 口を尖らせる少女、――アリス。

 ……そうだ。これはやはり、《アリス》と《白兎》なのだ。

 会話の内容から言っても、おそらく初代の。招かれたアリスではない、アリスがただ一人の何でもない少女だった時のものなのだろう。


 ――だとしたら、これは過去の記憶?


 どういった理由でこんなものを見せられているのかはよく分からない。でも多分、これが初代のアリスと白兎の馴れ初めなのだ。

 ……彼女(アリス)の記憶、なのかもしれない。それを今、私が空から見ているのかも。


「あなたは、一体なんてことを……! ――いえ、この場合は、僕にも責任がありましょうか……」

「もー、あなたじゃなくてアリスって呼んでよ。それに兎さんのお名前は?」

「そんな悠長なことを言ってる場合じゃありません! あなたには、僕と一緒に来てもらいます!」

「え? 来てもらうって、どこに?」

「決まっているでしょう、お城です!」

「お城っ!? お城があるのね!? ぴかぴかの白いお城!?」

「だからもうちょっと緊張感を持ちやがれ、このガキが!」


 青年がひったくるようにして少女の手をつかんで、さっきよりも足早に歩き出す。

 一見すれば誘拐現場のようにも見えるけれど……、でも、この時、たしかに。

 黄金色の日差しが降り注ぐ、黄金色の道の上。


 ――たしかに、アリスと白兎は、出会ってしまったのだ。




 ぐらりと視界が揺れて、世界が変わる。



「女王陛下! 一体、何をしていらっしゃるんですか!?」


 今度はさっきよりも世界が狭い。……ひとつ屋根の下にいるのだ、と気が付いたのは、怒鳴り声がわんわんと反響したからだった。


「何とは何だ、白兎。……アリスと戯れているだけではないか」

「あ、シロンだ。シロンも一緒に遊ぶ? 楽しいよ」

「誰が遊ぶか! 女王陛下も、お戯れはいい加減になさって下さい!」


 黄金の壁に、黄金の床。女王陛下と呼ばれているところを見ると……彼女の私室だろうか。さすがに目に痛い色合いだな。物にあふれた豪奢な部屋の中で、女王陛下と呼ばれた女性と、さっきの少女とがじゃれ合っている。

 シロン、と呼ばれたのは、もちろん先の白兎の青年だ。……えーっと……あれか、もしかして『白』の進化形なのか? ハクもシロンもあまり変わらない、誰だ揃いも揃ってそんな安易な名前つけたの。


「アリスはおもちゃではありません! そのような扱い方をすれば、簡単に壊れてしまいます!」

「そんなことは分かっておるわ。……粗雑になど扱っていない。なあ、アリス?」

「そうだよシロン。女王様はやさしいもの。シロンとは違っていっぱい遊んでくれるし」


 皮肉気味な言い方がまざった少女の口調に、シロンと呼ばれた青年はうっとつまる。なんだか恋人同士のケンカみたいだ。――そういや結局、二人はそういう関係になるんだっけ。

 ハク君から聞いたことを思い出しながら見守っていると、少女はさらに青年に迫った。


「私をこの世界に連れてきておいて全くかまってくれないシロンとはちがうのよーだ。釣った魚に餌をやらないっていうのはこのことね」

「全く、どこから突っ込めばいいんですか……とりあえず、連れてきたというのは誤解だと言っておきましょう」

「そういうつれない態度がさらに激しい愛憎の炎を煽るんだわ! 罪な男ね!」

「……女王陛下ですか、アリスにこういう教育をしたのは」

「いや、これはアリスの元からの性格だと思うが」


 ……それにしたって、アリスはどうやら一風変わった性格のようだ。罪な男ねって。

 考えたらそうだ、メアリに似てないこともない。いや、それは逆か? メアリがアリスに似るようになっているのか。どっちにしたって不思議ちゃんなことには変わりないが。……それから、そうだ、お姉ちゃんに似ている。エキセントリックなあたりが。懐かしい、とは思わないが。そんなところに郷愁を覚えてどうする。


「とにかく女王陛下、あなたは必要もなくアリスにかまわないで下さい。馬鹿がうつります、……あなたに」

「必要もなく、とはどういう意味で言っている? それに馬鹿がうつるなどとはアリスに失礼……でもないか」

「ばかー! シロンも女王様も嫌いよー! ばかー!」

「あっ、ちょっ、そういう意味で言ったのでは……! アリス! ――褒めているんです! ああほら、馬鹿な子ほどかわいいとはよく言うではありませんか!」

「ばかー! シロンなんて冷凍した豆腐の角に頭ぶつけて死んじゃえばいいのよー!」

「何故!?」

「余計悪かったな、白兎」


 そして賑やか。何というか、シロンさんもシロンさんだ。アリスといい勝負だろう。馬鹿の何が褒め言葉か。ちょっとずれている感が否めない、というか。

 でも、……だけど、楽しそうだ。楽しそう。見ている限りは、ハク君が言っていたようにアリスが『帰りたい』なんて言い出す様子は微塵も見られないのに。


 ――どうして壊れてしまったんだろう、と、そう思った瞬間。



 世界がまたも、ぐにゃりと奇妙な形に歪んでいく。



「あ。猫さん、こんにちは」

「やあ、アリス。どうしたんだい? こんな森までやってきて」

「……シロンとケンカしたの」


 次の場面は、どこか森の中のようだった。――少し沈んだ様子の、少女。

 森と言ってもそこはやはり黄金色にあふれていて……目に痛いほどではないにしろ、森の木々たちがかすかに金色に光っている。……何、最初の頃はこんなにきらきらしかったの? さすがにため息をつきたくなるような憂鬱を覚えながら、私はその光景を少し離れた場所から見守る。

 少女の言葉に応えているのは、派手な色の三角耳をくっつけた青年だった。……《チェシャ猫》、だ。特有のにやにや笑いをぶら下げた様子は、それでも私が知っているチェシャ猫には程遠い。どこが違うって、そうね、口調もそうだけど――考えがまるで読めないところとか。……うん? それはどっちもおんなじか。


「それはどうにもいけないね。どうしてケンカしちゃったんだい? シロンがまた小さなことで怒ったのかい?」

「――そうじゃ、ないの」


 平らな切り株に腰かけた青年の膝に座って、少女はひとつため息を落とした。

 ……ケンカした。白兎の青年と。まあ、ケンカすることはよくありそうだな……その証拠に、さっきの場面でも些細な口論をしていた。

 ただ、今回のは事情が少し違いそうだけれど。


「あのね、私じゃ、だめなんだって」

「……駄目? 何が?」

「わかんないの。よくわかんないけど、シロンが、だめだって言うの。……僕とあなたとは、生きる世界が違うからって」


 そう言った少女の目には、見間違いようもない涙の粒が浮かんでいた。水晶のように透き通ったそれは、今にもこぼれそうに震えている。

 駄目。――それは、一緒に生きられないってことか? よく分からないけど、信じられない。まさかこんな小さな女の子を泣かせるなんて。……どう見たって、せいぜい10になるかならないかの少女だっていうのに。


「私、やだよ……シロンと離れ離れになるの……」


 少女はとうとう、手で顔を覆って泣き出してしまった。

 そうよね。そりゃそうよね、急に一人で見知らぬ世界に放り出されたら。こんなところで離れ離れになったら、本当にひとりになっちゃう。――彼女の場合、それがただの好奇心の招いた結果であったとしても。

 見かねたように青年は、彼女の涙の粒をそっと指ですくう。


「アリス、泣いちゃ駄目だよ。――大丈夫、僕が何とかしてあげよう」

「っ、ほんと、猫さん!? 私、シロンと一緒にいられるの!?」

「勿論さ。叶えてあげよう、君のその望みを」


 にやにや笑いをさらに深めて、青年は言った。

 ……叶える。アリスの、その願いを。

 それを遠くから聞いていた私は――私の肌は、何故か粟立った。


 ――君の望みを、叶えてあげよう。


 そう言った。彼はたしかに、そう言ったのだ。

 一体それは……何のためだろう。

 何故あなたは、そんなことを言う?


「ありがとう、猫さん!」

「礼には及ばないよ、アリス。君が嬉しいんならね」


 ただその長い金髪を梳かれるままのアリスはどうやら、私と同じ感情は覚えていないらしかった。

 背後のにやにや笑い、吊り上がる唇の端、その笑みに込められた意味は。

 私だけが、感じとったのか。


「だからアリス、君は――」












「その願いを叶えたばかりに、呪われてしまうんだろうね」



 ふいに、黄金色の双眸が私をとらえた。


 闇。闇。見回しても、闇。さっきまで見ていたはずの森や少女なんてものはそこには存在しない。

 ただ世界を塗りつぶした黒の中、黄金色の目だけが二つ、私の前で妖しく光を放っている。


「だから君はいつまでも帰れないのさ。でもそれは、君が願ったことだ。後悔などしても遅い」


 それはたしかに、私に向かって放たれた言葉だ。……何で。

 手も足も、身体全てを失ったはずの――不思議な浮遊感に包まれて空から見下ろしていたはずの――私の心臓が、どこかで激しく脈を打っている。

 なに? 私が見ているものは、なに? ――私を見ているのは、だれ?

 煌々ときらめく黄金の眼。私を見つめたまま瞬きもしないで、ただ、そこに佇んでいる。


「アリス。君はひとつ、重要な思い違いをしている」


 高らかに告げた声は、たしかに、さっきまでアリスの黄金の髪を梳いていたはずのその青年のものだ。

 でも、彼の目ははたしてこんな色をしていたか。

 していたのかもしれない、でも――

 やっぱり、私の知っている彼とは、全然違うのだ。


「必要なのは、君の選択ではない。君が《運命》であるという、その事実だ」


 心臓をつかまれたような心地を振り払えないまま、私もまた、その瞳を見つめていた。

 彼の言う内容は、ほとんど頭には入ってこない。……ただ。


「それでも君が、真意(こたえ)を探すと言うのなら――」


 どうしてか、は分からない。私はまるで、魅了されたように。


「覚えておいたらいい。彼らはいつも、《嘘》を言う」


 その一対の黄金から、視線を逸らすことができない。







 白兎はアリスを導いて、


 帽子屋はアリスを守って、


 女王はアリスを壊して、


 眠りネズミはアリスを癒して、


 双子はアリスを惑わせて、


 三月兎はアリスを愛して、


 トランプ兵はアリスを傷付けて、


 公爵夫人はアリスを庇って、


 グリフォンはアリスを喰らって、


 メアリ=アンはアリスを殺めて、


 チェシャ猫はアリスを導いた。



 その真意(こたえ)にたどり着けたならば、彼女は真の《穴に墜ちた少女(アリス)》――

 彼女を愛するならば、呪いは全て、無へと帰そう。



「――ただし、その真意(こたえ)が見抜けなかった場合、君には死んでもらおうか」

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