第86話 ジョーカーはわらう
飛ばしすぎ、なのは完結が近いからか単に眠いせいなのか。
……後者の気がします☆(殴
でもまだあと10話以上ありますね。
どうぞ最後までお付き合いください。
……これ、後書きに書いた方がよかった?
私たちは、城の前にいた。
もう街を恐れながら抜ける必要もない、ただ近い道を駆けて、駆けて、駆けて――
息を殺して、城の前に潜んでいた。
「……ねえ、説明して、チェシャ猫。アリス=リデルを処刑するって、どういうこと?」
私はチェシャ猫の背におぶさったまま、彼の耳もとで囁く。
囁く、というのは、今いるのがお城の前だから。
女王は城から逃げ落ちたはずなのに、どうやらまた舞い戻ってきたらしい。
曰く、女王様は『覚悟を決めた』らしいのだけれど――
彼女の言うアリス=リデルというのは、……一体誰のことなのか。
「まだ何とも言えないんだ。伝えられたのはそれだけだし、捕らえた兵もそれ以上何を言おうともしない。……まるで、人形みたいにね」
優秀な兵士だ、と皮肉げにチェシャ猫は吐き捨てる。
……あ、ちなみに私がチェシャ猫に背負われているのは、私の足が遅いせいね。勿論。それでも置いていかれなかったのは、私の強い希望と、ハク君の進言あってのこと。私が女王様と話したいなんて言ったから、ハク君も律儀な子だ。
「でも、おそらく、彼女も腹をくくったんだと思う」
「腹をくくった?」
「そう。自身の破滅は避けられないと感じた、だからこその道連れだ。城に戻ってきたのもきっとそういう理由で、まあ、言ってしまえば自暴自棄なんじゃないかな」
道連れ。そんな理由で、処刑?
たしか彼女の言では重罪人の処刑と言っていたはずだけど、その罪がちゃんとした罪なのかどうかも怪しい。アリスとは言っているけれど、全く関係ない一般人が巻き添えになっていたとしても、おかしくないかもしれない。
「だとしたら、処刑するのは……全然関係ない一般人でもありえる、ってこと?」
「どうかな。さすがにそれはないと思う。彼女がアリス=リデルって言うくらいなんだから……大体、処刑されるのが一般人だったとしたら、――失礼だけど、こうやって俺たちが動くことのリスクが大きすぎるしね」
それはたしかにそうだ。勿論、一般人が巻き込まれること自体は痛憤ものだけど、真実かどうかも分からないような噂につられてほいほいやってくるような真似はできない。罠かもしれない、その可能性は否定できないのだ。
「彼女も最後だってことは分かってる。だから、一般人の処刑なんて小さいことはしないはずだ。もっと、できるだけ俺たちを困らせるような――どう転んでも打撃を与えるような手を使ってくると思う」
「じゃあ……でも……アリスって、誰のことなの?」
「分からない。それが思い付かないんだ、はったりだとしても自分やジャックじゃ意味はないし。ありすやメアリ、白兎もこっちの手の内、城の兵なら他は役なしばかり。でも、嘘にしては奴らのリスクも高すぎる」
だから行って確かめるかもしれない。……それがたとえ、罠であったとしても。
彼女たちが最後と理解して本気でいるからこそ、こちらも本気でぶつからなければならないと。
「奴らの行動が早すぎたんだ。もう少し時間があれば、考える時間も、他の住人を説得することもできたんだけど……」
残念ながらもこっちも少数精鋭。チェシャ猫に合わせ、私もぐるりとまわりを見回す。
――いるのは、いつものメンバーだけ。それ以上の戦力は、ない。
「ありすやメアリに話してから、と思ったのが間違いでした。もう少し早く手を回していれば……」
「白兎の責任じゃないよ。今はとにかく、女王を一刻も早く止めるだけだ」
チェシャ猫はぐっと足に力を込めたようだった。私も頷く。誰をかは分からないが、道連れのために処刑なんて。……それは許せない。
止めなきゃ。彼女も助ける、と決めたのだから。
「みんな、大丈夫だ! 見張りはいない、城の扉も開いている」
城門の様子を見に行っていた帽子屋さんが、素早い身のこなしで私たちが隠れているところまで舞い戻ってきた。どうやら、城はろくに見張りもしていない状態らしい。相手方もほとんど戦力がないというのが実情だろうし、そのことも大いに関係しているのだろうけど……。
「――まるで、誘い込まれてるみたい」
「全くだよ」
私が呟いた声に、チェシャ猫が苦笑いで同意した。
そう、まるで、花の香りに誘い込まれるように。蜜を求めて飛び込むみたいに……妖しい雰囲気が、私たちを誘っている。
イエスか、ノーか? のるか、反るか。……選択は、二つに一つ。
「まあ、行くしかないけどね」
――それがたとえ、底のない闇への穴だったとしても。
先頭に立った帽子屋さん、ハク君に続いて、私を背負ったままのチェシャ猫が駆け出した。何を考えているのか、その口は弧を描いている。
「ありす」
「えっ、何?」
城門をくぐるかくぐらないか、そんな際にチェシャ猫は呟いた。
少しだけ身を乗り出した私に、彼は真面目な口調で囁く。
「守るから。――絶対、何があっても俺から離れないで」
……“運命っていうものが、あるのなら”。
私が彼に感じる思い、そして彼が私に覚えた思いは、何と呼ばれるべきなのだろうか。
なぜかそんな考えが、ふと頭をよぎった。
「……うん」
分からない、し、分からなくてもいいかと思った。
今はきっと、考えている場合ではない。……でも。
ただ私はその首に回した腕の力を、離れないようにと少しだけ強めた。
☆★☆
地鳴りのように押し寄せる足音が、世界を揺らす。
鬨の声が戦いの始まりを告げ、怒号、悲鳴――城の中には、薔薇のように赤い血の花が咲き乱れた。
「ちっ……! まさか女王派の兵が、こんなに残っているとは……!」
「予想外だな。しかも、ジャックもジョーカーも残ってるみたいだ」
ハク君が苛立たしげに舌打ちをして、エースさんは苦々しく呟く。
女王勢力が、思ったよりもずっと大きかったのだ。
逃げのびた兵が予想より多かったこともあるだろうし、もしかしたら、メアリを旗印とした反乱軍よりも女王軍についた住人もいたのかもしれない。事が思い通りに運ばないのは当たり前だ、とチェシャ猫は言っていたけれど、そういう彼も少し苦しいような表情をしていた。
「ありす、怖かったら目つむってて」
「……うん」
残念ながら、戦いの場では私は誰の役にも立てない。足手まといになるくらいだ。
チェシャ猫の背につかまったまま、私はぎゅっと目をつむる。それでも獣の雄叫びのような声やこすれるような金属音、肉を抉るいやな音は耳にまとわりついていた。
――どうか誰も、死んだりしませんように。
怖くて目を開けて確認することもできないけれど、できれば、どうか。
「ちっ……このままじゃ埒が明かないな。あっちの目的は何だ? 俺たちをみんな殺すことか、それともありすか……メアリか」
「何とも言えませんね。処刑を行うと告げてきたにもかかわらず、そこまで案内するような様子も見せない。しかしもしこれが罠だとするならば、僕たちを奥まで誘い込んで挟む方が早いでしょう」
まだ余裕があるらしいハク君。……っていうことは、おそらくみんな無事なんだろう、少なくとも今はまだ。
私は少しだけ安堵するけれど、ハク君やチェシャ猫はそれどころではないらしい。
「……何とも判断できないけど……、とりあえず女王のところまで辿り着かないと何もできないか。飛ばす?」
「そうですね……、ここで消耗するか、女王の場所まで突っ切るか。ここで消耗して倒し切れなければ無意味ですが、女王まで辿り着いて囲まれるのは避けたい」
それに、とハク君は続ける。
「もしも僕の予想が正しいなら、女王の言う『アリス=リデル』というのは――」
「ねーえ、白兎。そんなことどうでもよくなあい?」
ふいにハク君の声を、そして数多の金属音を遮って、一つの声が響いた。
聞いたことのない声だ。……トランプ兵だろうか。でも、それにしては、声音にもその内容にも余裕がありすぎる。何と言うか……一介のトランプ兵なら、二人に近付いた途端斬りかかってきたっておかしくないはずなのに。
「それより遊ぼうよ。僕、今ちょおっと暇してるんだよねー」
間延びした口調は、どことなくグリフォンに似た。――だれ?
遊ぼうよ。それに暇してる、なんて。
おそらく、役なしのトランプ兵が軽々しく口にできる言葉ではない。
だったら、その声の主は、いったい?
「……《ジョーカー》」
私の疑問に答えて、チェシャ猫は唸るように呟いた。
ジョーカー?
それは、トランプでいう――最強にして、常に不確定の切り札のことだ。
そんな人がまだ、女王側に残されていたっていうの? ……初耳だ。たしかに、エースさんがさっきそんなことを呟いていたような気がしないでもないけれど……。
「や。猫。その背中にいるのはアリス、じゃなくてありす、だっけ? お噂はかねがね。会うのは初めてだねー」
多くの人が武器を交える中、穴が開いたみたいに、私たちの周囲だけが静かだった。
その声が私に向けられているのだと知り、私はおそるおそる目を開いてチェシャ猫の背中から乗り出す。
「あら。聞いてたより結構かわいいんじゃん、……子リスみたいっていうか?」
……馬鹿にされてる。
なれなれしいのに対してはまあ大分寛容になれたとして、少しだけむっとした。子リスって。あんた馬鹿にしてるでしょ。
でもまあそれもそのはず、私が見たのは、チョコレート色の柔らかそうな髪にキャラメル色の目をしたお約束通りに麗しい容姿の小柄な青年――少年、に近いかもしれない――だった。……癪だが、女の私よりかわいい。トランプ兵らしき制服を着てはいるが、兵、というには少し頼りなく思えてしまうほどには。
だけど。
「んじゃー自己紹介。はじめまして、ありす。僕はトランプ兵の一人、といってもそんじょそこらの雑魚じゃなくて、女王様の切り札のジョーカーなんだ。……そこのエースとも、まあ元同僚ね」
ぺこり、と小さくお辞儀をしてみせてから、ジョーカーと名乗った彼は陽気に笑った。
……だけど、その笑みを目の前にしたハク君やチェシャ猫は、畏れるように息を殺している。
たしかに、目の前の青年は可憐ともたとえられるような容貌をしているし、その唇には笑みさえ乗せているのだけれど――その目に私は、どす黒く渦巻くものを感じた。
女王様の切り札。
その言葉が本当なら……今、この状況で、彼の存在はどれほど痛いものだろう。考えると、肌が粟立つ。……余裕綽々、隙だらけに見えるのに、誰も彼には斬りかかろうとしない。ましてや、銃口を向けることさえしないのだ。まるでそれすらためらっているように。
「んー、本当はもっと前に挨拶したかったんだけど、僕の役は何せ切り札だからね。なかなか表に出してもらえなくてさあ、最近運動不足なんだよね。……そのせいで苛々して、さっきもちょっと仲間割れしちゃったよ」
ぼそりと最後に呟かれた言葉は、低く。……ちろりと出された赤い舌の奥に、牙のように尖った犬歯が見えた。
ぞっとする。悪寒が、背中を駆け抜ける。……何だっていうの、こいつ。
「……また仲間を殺したんですか、ジョーカー」
「あはは、ついカッとなってねー。ジャックにもお叱り受けちゃった、でも白兎に叱られるより全然怖くないしね? ただのトランプ兵なんて替えがきくしさ。まー、今はちょっと兵減ってるし、少しは抑えたんだよ? ほんとに殺したのは5人くらい」
ハク君があからさまに眉をひそめた、……チェシャ猫の表情は見えないけど。
少なくとも私は、言いようのない吐き気を覚えていた。
少し抑えて……仲間を殺して? 5人が少ない、っていうの。一人だって、その命はどれほど重いものか。
それともこの人は、命を命とも思っていないってわけ?
「ありす。抑えて、こいつと会話しようとしたって無駄だから」
チェシャ猫が小さく囁く。それでも、その声音には私と同じ種類の怒りを感じた。……チェシャ猫も、怒っているんだ。
「ひどいなあ、猫。僕だって最近利口になったでしょ? みんなが今回はおかしなアリスだって言うからどんな子かなあって思って、会うために結構我慢したんだからさあ」
おかしなアリス。そんなふうにたとえられることに、何の苛立ちも覚えない。
ただひたすらに思うのは、彼が何を『我慢』したのかってこと。……それはきっと、一つしかない。会ったばかりの私にでも分かる答え。
なんて奴。抑えてって言われてるし、私に何ができるとも思わないけど――最低。
「……我慢して下さったのは結構なことですが、こんなところで楽しくおしゃべりしていていいんですか、ジョーカー? よもや、あなたの仲間が倒されていっているのが見えないとは言いませんよね」
「んー、まあねえ……あんまりやられると、ここを任されてる僕がどやされるから困るんだけどなあ。……でもさ、まあ、弱いのはあいつらの責任だし」
それにさ。ジョーカー、そう名乗った残虐な青年は、歪んだ笑みを整った顔いっぱいに浮かべた。
「僕があいつらの分まで、お仕事すればいい話でしょ?」
すらり、と背中から抜き取られたのは――鉈。
……鉈? 鉈ってあの……、ふつう、薪を割ったり、枝打ちをしたりするような? 私も実物を見るのは初めて、だけど。
「みいんな、刻んであげるよ。女王陛下のめーれーはさ、ありすとメアリ、それに白兎を生きたまま連れてこいだから……まあ、手や足の一本くらい、問題ないよね?」
「っ!」
ハク君やチェシャ猫が、彼から離れるように跳躍する。
私はキャラメル色の――猟奇的な光を湛える眼から、目が離せなくなっていた。
なに……、こいつ? 何でこんなに、怖いの。
「やはり、女王の目的はありすやメアリにありましたか……チェシャ猫! 行ってください、僕も目的なら殺されることはない!」
「白兎!? でもっ、……いや、分かった! メアリは!?」
「グリフォンが一緒です! 見かけたら行くように言っておきますが、ジョーカーを押さえておけば大丈夫でしょう! ……ですから、先に!」
チェシャ猫は頷く。頷いて、取り巻くトランプ兵たちを挟んで迂回するようにして駆け出した。風のように速く、でも、静かに。
「ちょっとお、二手に分かれんの、反則……まーいーや。白兎をちゃんと連れてけばノルマ達成だよねー。他もちゃんと全部仕留めれば逃げられないし」
ゆらりとジョーカーの影が揺れるのを、最後に視界の端にとめる。
ハク君……お願い、無理はしないで。
動悸が治まらない。嫌な汗が、首筋を伝っていく。
ジョーカーの名を冠するあの青年は……明らかに、常軌を逸している。
「先にはジャックもいるし、――どーせ最後はみんな死ぬんだからさ」
鉛色にあやしく輝く鉈を掲げて、死刑宣告をする姿。怖くて震えが止まらない。
――私は生まれてはじめて、死神というものを見た。
全ての盤をも覆す、予測不能の不確定要素。あるいは、女王よりも、強い。
わらうジョーカー。
……死の足音が、する。