第77話 手繰り寄せる運命の糸
寒気がしました。
え! ……あ、いや、一概にグリフォンのせいというわけじゃないのよ? 多分。
それより何ていうか、悪意というか、殺意というか……。いや殺意じゃないか。しいて言うなら、多分、嘘みたいなこのファンタジー世界の嘘みたいなイケメンに囁かれる嘘みたいな甘い言葉の垂れ流しのような。……ああ、寒気がする。
「何、ありす。震えてるけど……寒いのお? それなら俺が温めてあげ」
「結構です! ええい、どいつもこいつも急に優しくしかもオープンになりやがって。優しいのは許せてもオープンなのは許さんぞ。スキンシップ禁止!」
「ええー、薄情なあー」
グリフォンは……うん、まあ、妙に優しくてオープンで気持ち悪い以外は元に戻ったからいい。……それってほとんど口調しか戻ってなくね? いや、気にしちゃ駄目だ私。大丈夫。そんなことない。
大体薄情って何薄情って。そこ私が責められるところか? 絶対に違う。絶対に違うと思うんだけど。
「それより、今外はどうなってるの? そろそろ動きくらいあってもいいはずじゃ」
「ああ、さっき城から街の方にお城の兵たちがちょっとずつ流れてきてたねえー」
「早く言えっ!」
ええい、こんな奴とキャッキャウフフしてる場合じゃなかった! ――してないけど!
お城の兵が出てきてるって? 思わず窓を覗き込む。円くて小さな可愛い窓。可愛いのはいいけど、……見えづらい。お城もそんなに近くないし、街からも離れてるから。高い位置にあるのが幸いして、見えないことはないけれど……。
「さっき……? 今は、あんまり見えないけど……誰か出てきてるようには見えないわね。もうみんな出てきちゃったあと?」
「そんなことないと思うけどなあー、だって本当に少しの兵だったよお?」
「……あんた、何気に目いいのね」
「えへへー」
素直に喜ぶこいつがキモい。褒めなきゃよかった。
でもまあ、こんな環境にいれば当たり前と言えば当たり前か。私はそりゃあインドア派の人間ですから。
「でも、兵が出てきたってことは、チェシャ猫たち……」
「大丈夫だと思うけどなあ。俺とは違うんだしいー」
「……情けないわね……」
「だって事実だもんー。それに、兵は少ししか出てきてないんだから、女王様だけが逃げたのかもしれないよ?」
「……女王様が、城を捨てて?」
「そういうことー」
負け戦になることを予期して彼女だけ逃れたのか。……そうであればいい、と思った。
女王を捕らえるとか仕留めるとか、そんなことは望んでいない。
とにかく、ただ、彼らが無事であれば。
「そんなに心配ならさあ、様子、見に行ってみる?」
「本当!? ……大丈夫なの?」
「だから、もう兵は出てきてないし、空からなら大丈夫――」
「そうじゃなくて。あんたが」
もう私は飲酒運転の付き合いは嫌だぞ。迷子とか。あと上空で殴るはめになるとかも嫌だからね。
そんな意味を込めて言った、のだが。
「……心配してくれるんだあ。ありす、見た目より優しいねえ」
こいつもう本当バナナの皮ででもすべって転んで後頭部強打して死ねばいいのに。
「見た目よりって何よ見た目よりって。大体あんたの心配をしてるんじゃない、私の心配をしてるの」
「えー!? 何かひどくない、ありす!?」
「お前の方がひどいわっ!」
誰がお前の心配なんかするか! がくがくと揺さぶる。グリフォンは困り顔、けれどそんなことを私が気にするはずもなく。
「落とさないでよ!? それから上空で殴りたくなるようなこと言わないでね! あと行き先はちゃんと決める!」
「そ、そんな一遍に言われてもおー……全体的に無理」
「殴るわよ!」
ああもうやだこいつ!
どうしてこうも不安要素ばっかりなんだろう。
頭が痛くなってくる。……本当、夫人や帽子屋さん、ごめんなさい。こんな奴連れてきた私が悪かった。すみません。
「大体、あんたって奴はいつもっ――」
そして、心の中でお二方に謝りながらも、説教を続けようとした。その時。
――とんとん。
その音は、玄関方から聞こえた。
家の戸を叩く音。
……即ち、来客の知らせ。
私はグリフォンの胸倉をつかんだまま、静止した。
ぴたり。そんな音さえ聞こえそうなほど。……ノックの音?
「……あの、さ、グリフォン?」
「な、なにい?」
「あんたでさえ忘れていたこの家を覚えている奴、もしくは私たちがここにいることを知っていた奴って……いる?」
「し、知らなあい」
声を低めて聞いてみたが、答えは案の定。……いや、まあ、こいつに期待なんかしてないけど。
私は黙る。グリフォンも口を噤む。
――とんとん。
二度目の、ノック。
……気のせいではない。そう思った。
「……居留守とか、できると、思う?」
「あれだけ大声出してたら無理かなあ……ありすのせいだよ」
「あんたのせいよ」
お前が怒鳴らせるようなことを言わなければよかったのに。
と低い声で言うと、ええ、とグリフォンは困ったように唸る。……お前のせいじゃないとは言わせんぞ。私のせいじゃないこともないけど。
――とんとん。
しつこいほどの、三度目のノック。
…………。
「……いること、分かってるわよね」
「三回目はさすがにねえ。出るしかないかなあ」
「え、ちょ、グリフォン!?」
だからってそんなにあっさりと!
けれど止める間もなく、急に立ち上がったグリフォンは玄関へと向かう。
「はーい? どちらさまあ?」
うわこいつ緊張感ねえー!
あちゃあと私は私で緊張感のない言葉を口の中で漏らしながら、ドア一枚隔てた向こうからの返事を待つ。……ああ、せめて、私たちの居場所をどうにかして見つけてくれた、チェシャ猫たちでありますように。
でも。
――まあ、普通に考えて、最初から名乗らないところを見れば、私たちが待っている彼らじゃないことは火を見るよりも明らかで。
「迎えに来たよ、可愛い僕の姫」
…………。
……うん、まあ、私はさすがにこんな気持ちの悪いことを言う奴は知らない。
誰だ。誰だお前。誰が姫だ。ていうか、私はもうアリスじゃないのに――僕の姫、だなんて。油断させて捕まえるための罠? 女王様の手先、ってこと?
「え。……ご主人じゃん」
疑惑と思案に暮れる私に、グリフォンが、一言。
……ご主人?
その言葉に、私はぽかんと口を開けて固まる。聞き覚えの……、あるような。
――そして、さらには。
「今はもうお前の主人じゃない。――ドードー鳥、と呼べ」
……ドードー鳥?
――ああ、そういえばいたね、そんな奴!
思い出したくもない黒歴史の代名詞のような、いわば歩く黒歴史の来訪に、私は思わず手当たり次第に罪のない家具たちを殴りつけたくなった。
結論。
現在進行形で、寒気がします。