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第71話 それなら私は付き合いましょう、貴方が飽きるその日まで

 決戦の準備は整った。



「……本当は、お前を気絶させてでも止めるべきなんだろうがな」

「ごめんなさい。帽子屋さん」

「――ありすが謝ることじゃないだろ。ありすがそう決めたなら……、俺たちは従うだけだ」


 群青色の前髪をさらりと掻き上げ、帽子屋さんは少し自嘲気味に笑う。

 釣られて私も少し笑った。……ごめんなさい、帽子屋さん。謝るな、って言われたけど。

 だけどこれは私のわがままだ。何も、彼らが付き合う必要はない。

 ――そんなことを言えば、それこそ、私ははっ倒されてしまうのだろうけれど。……何だかなあ。


「……やっぱり、辛い、ですか」

「――何が?」

「同じですよね。帽子屋さんの、彼女の時と」


 言うと帽子屋さんは、微かに目を見開いた。驚いたのだろう。


「私は、あと少しでアリスじゃなくなる。……それがつまりどういうことなのか、貴方には大体分かるでしょう。引き継ぎを行った後、女王様がどういった行動に出るのかも」


 私も、分かる。――分かるよ。貴方が愛したアリスの気持ち、少しだけ。

 彼女も、きっと、もっと確かなものが欲しかった。

 言って微笑むと、帽子屋さんは困ったように笑った。


「参ったな。……ミルクからでも聞いたのか」

「ごめんなさい。彼も、悪気があったんじゃないと思うんですけど」


 むしろミルク君は、帽子屋さんを救おうと思ってそう言ったのだ。……彼を責める道理はない。責められるとしたら、私か。


「いや、ミルクがどうこうってわけじゃないけどな。……むしろ感謝してる。あんな幼い子どもなのに、自分のやることを知っている」


 まるで息子でも見るような目で、帽子屋さんはミルク君の方を見た。

 私も自然と笑みを零す。

 きっと、本当のそれのような関係なんだろう。ヤマネ君を含め、三人で。……想像しただけで微笑ましかった。


「――ミルク君からは、帽子屋さんに名前をあげてって、そう言われたんです」

「……俺に、名前を?」

「はい。勿論、小さいけど彼のことだから、何の考えもなしにそんなことを軽々しく口にしたわけじゃなくて――多分、悩んで悩んで悩み抜いた末の決断だと思うんです」

「……ああ」


 分かってる。

 痛いほどに、分かる。

 ミルク君の気持ちも、帽子屋さんの気持ちも。

 どうしようもなくもどかしく絡まった糸の中で、それでも、あがいてもがいて、手を伸ばそうとしている。


「だけど、私も、考えました。考え抜いた末に、それはできないって」

「……ありす」

「だって、帽子屋さんには、もう名前があるのに」


 ね、と。

 たとえ、それを忘れてしまっていたとしても。

 たとえ貴方が、ショックのあまりに記憶を封印してしまっていたとしても。

 魂に刻みつけられたその名前は、決して消えたりしないから。


「大切にして下さい。貴方の、その、魂の名前」


 私には、何もできない。名前を思い出す手伝いさえできない。……無理にすれば、精神崩壊だって引き起こしかねないもの。

 忘れたのは多分、一種の防衛本能だ。致し方ない。彼が思い出すまで、みんな気長に待ってあげればいい。それが多分、一番いい方法。

 私の足りない頭だけど、少なくとも私はそう思う。


「……ああ」


 けれどそれを否定することなく、帽子屋さんは、言って微笑んだ。

 吊り上がる、唇の端。


「大体、私、自分で言うのもなんだけど正直ネーミングセンスってなくって……私が付けたらジョンソンとかサムとかになりますよ。ああ怖い」

「……それは怖いな」

「チェシャ猫なんてタマかミケかで迷いますから」


 苦笑する帽子屋さんに、2代前のアリスが付けてくれた貴方の名前はもっと素敵な名前でしょう、と笑う。

 ――そうよ。たった一つの貴方の名前。慰め程度に私が付けた名前なんて、比にもならない。

 ……大体こんなファンタジー世界の住人(しかも思わず目を瞠るような男前)がそこらを探せばいそうなジョンソンとかサムだったらちょっと焦る。怖い。太郎よりは多分マシだけど。その上猫耳のイケメンお兄さんはタマかミケだ。……完璧ウケ狙いじゃないか。

 もし、また5年後にアリスが来ることになったりしたのなら、次のアリスは不憫なことこの上ない。


「でもな、ありす」

「はい?」

「俺や他の奴らはいい。でも、チェシャ猫にくらい、名前を付けてやったらどうだ」

「……タマなんてたった2文字の屈辱に一生まみれることになっても?」

「猫ならそれで充分だろ」


 帽子屋さんは躊躇いすらしなかった。……うっわあ、チェシャ猫、ドンマイ。

 いや、さすがにそんな名前を付けたりしないけどね。せめてジョンソンとかサムとか……。……駄目だ、それはそれで駄目だ。あの顔でジョンソンはない。いや、全世界のジョンソンさん、ごめんなさい。


「ま、まあ、名前の話はとりあえず置いといて。そろそろお城の方に突撃イイイイイイ! したいんですけど、みんなの準備は大丈夫ですか」

「お前の頭の準備はできてないみたいだがな」

「敵の本拠地なるお城に行くんですよ! これくらいハイテンションじゃないとやってられません!」


 ……何か、私、キャラ違うけど。誰だ。誰だこれ。

 前回くらいから思ってたけど誰だこれ。私か。……すみません、突っ込まれるのも無理ないですね。


「とりあえず、俺たちは大丈夫だ。いつでも出られる。ただ、もう少し外が明るくなってからの方がいい」

「え? でもあんまり待ってたら、住人たちが起きてきちゃったり――」

「暗い中は夜目が利かないからな。その方が危険だろう」


 まだ少し薄暗い外に視線を放り、帽子屋さんは言う。それもそうか。私みたいな小娘より、年の功……げふんげふん帽子屋さんに従った方が賢明だ。


「じゃあ、後はもう少し明るくなるのを待つだけですね」

「そうだな。……もう、やり残したことはないか? もしかしたらありす、お前はもう二度とここに帰ってくることはないかもしれない」

「…………。そうですね」


 何だか、随分長くお世話になっていた気がする。

 実際の日数に換算すれば、それほどでもないんだろうけど。

 ……短くて濃い異世界経験だった。これで終わり、ってとんとん拍子には行かないだろうけど。さすがに。

 でも、私が今日を以て《アリス》じゃなくなるのなら、どちらにしろこの世界での先は短い。


「帽子屋さん」

「うん?」

「今まで、本当にお世話になりました」


 ぺこり、と唐突に頭を下げる。

 そこはさすがに大人な帽子屋さん、明らかな狼狽や動揺を表に出したりはしなかったけど。


「そんなことはないさ。……大体、ありす、お前は巻き込まれた方だろう?」

「それでも」


 言って、私は微笑む。……上手く、微笑になっていたかどうかは自信がない。


「貴方はいつも大人で、歩むべき道を教えてくれた。導いてくれた。本当に感謝してるんです。……ありがとう」

「――どういたしまして、ありす」


 帽子屋さんがシルクハットを持ち上げ、軽く笑う。

 それがすごく様になっているんだから羨ましい。……くそう、イケメンめ。いや、そんなことを妬んでる場合じゃないけど。


「あ、そして、これから――どれくらいの間になるかは分かりませんが――もよろしくお願いします。ほんのちょっとかもしれないし、結構長くなるかもしれないけど」

「まあ、それはこれからの俺たちの頑張り次第だな」

「全くその通りですね」


 苦笑が漏れる。うん、そう、これからの私たち次第。……私の選択次第とも言えよう。

 だからこそ、言わなきゃならない。今ここで、お礼の言葉を。


「私、貴方がたに会えてよかったって……本当に思ってるんです」

「――俺もだよ。俺だけじゃない、みんなそう思っている。ありすがこの国に来てくれて、本当によかった」


 それは、本音だろうか。……きっとそうだろう。

 そうだと、嬉しい。そんな気持ちで微笑む。


「ありすっ!」

「わっ」


 ドン、と突然腰のあたりに走る柔らかい衝撃。何かと思えば、ぴょこぴょこ動く長い耳。


「僕、ありすのこと大好きだったよ! お姉ちゃんになって欲しかったなあ」

「ミルク君……」


 腰に抱き着くミルク君が、上目遣いで私を見上げていた。……くそ、可愛いなこいつ。


「私も、貴方みたいな弟が欲しかった。ちょっと生意気だから大変だろうけどね」

「あ、ひっどーいありす! ありすこそ暴力的で意地悪で、僕ら大変だったんだから!」


 むくれながらも、そのミルク君の長い耳はまだ嬉しそうにぴょこぴょこ動いている。

 ごめんごめんと謝りながら、私はまんまるいその頭をなでた。


「……そしたら。僕も、弟にして、くれるよね……」

「勿論だよ。ヤマネ君」


 言う機会を待っていたのか、ミルク君の後ろに隠れるようにして立っていたヤマネ君が、そっと私の指をつかむ。

 当たり前だ。こんな弟なら、いつも構っていてあげたいくらい。

 そう言うと、ヤマネ君は嬉しそうに頬を染めた。


「ありがとう……ありす。名前なんか、くれなくても……ありすは最高のアリスだったよ」

「どういたしまして。こちらこそ、ありがとう」


 いつも眠たげなとろけるピンクの瞳が、真摯に私を見つめる。

 ありがとう、そういえば住人に捕まりそうになった私を最初に助けてくれたのは、ヤマネ君だったっけ。……最初から最後まで優しくていい子だった。この分なら将来も安泰だろう、多分。


「僕らを見分けることができたの、結局ありすだけだよねーっ」

「エースなんか未だに間違えるんだよ? 僕らのこと。見分け方教えたのにさあ」


 さらに引っ付いてくるディーとダム。……うん、先に喋った方がディーなのよね。

 勿論どっちも同じ顔をしているけれど、だけどどっちも愛しい子。一様に、じゃなくておんなじくらい好きなの。貴方たちのこと。


「仕方ないだろ。どっちも同じ顔なんだから」

「横暴ー!」

「横暴ー!」


 そんなディーとダムを抱きかかえるようにして、エースさんが覆いかぶさる。……笑ってる。

 そういえばこの人は方向音痴だったり素っ頓狂だったり色々悩まされたけど、いつも気分を盛り上げてくれるムードメーカーだった。勿論強かったし、頼りになるといえばなったのか。


「ありがとう、ありす。貴女みたいな娘が欲しかった」

「夫人さん……」


 そして私の肩にそっと手を置く公爵夫人。

 淡い微笑がよく似合う、天然だけど優しいお母さんのような存在。

 ……今着ているエプロンドレス、貴女からもらったことは忘れないよ。うん。……あれは嫌でも忘れられないと思うけど。

 いつでも親身になってくれて、本当にお母さんみたいだった。貴女がいたから頑張れた。


「何でこんなに人口密度高いのさー、ここ……」

「……来たくないなら無理して入らなくていいのに」

「だって寂しいじゃんかあ。俺、独りって嫌い」

「さいですか」

「ありすってばひっどいなあ、その反応ー。……癖になるよ?」

「キモいキモいキモいキモい近寄るなド変態!」

「冗談なのにいー」


 こんな時でも相変わらずなグリフォン。

 ……うん。……感謝の言葉より先に悪口が出てきそうな気がしないでもないけど、……感謝してる。

 具体的に何を――って言われると、……何だか記憶が曖昧だけど。あれおかしいな記憶喪失か私。

 だけど、そうね。

 私と貴方は最初から、アリスとグリフォンじゃなかった。決して。

 もっと違う絆があったのだと、思う。……そう信じたい。


「こらこら、グリフォン、俺のありすに近付かないでよね? 何をナンパしてんだか」


 そして、――チェシャ猫。


「え、そうなのお? 二人は好き合ってたんだねえー」

「ちょ、こういう時に限って朗らかだなお前は! チェシャ猫もチェシャ猫よ、いつ私がお前のものになったのか10字以内で説明せよ! 句読点含む!」

「いや、説明も何もさっきのことを忘れたとは言わせな――」

「あーあーあーあー! 聞こえない! 聞こえなーい!」


 後ろから抱きついてきたチェシャ猫を引き剥がそうと暴れるが、さすがに女の私が男の彼に勝てるはずもなく。

 さらには、こんなことまで。


「愛してるよ? ありす。俺は一生ありすのことを忘れない」

「――っ!」


 耳元で囁かれ、私はチェシャ猫を渾身の力で振り飛ばした。……振り飛ばした。ええ、振り飛ばしましたとも。

 な、なんつーことを言い出しやがるんだこの猫は……!

 何だか茹でられたタコみたいだと自分の頬に手を当て思いながら、私はぐるりとチェシャ猫を振り返る。


「な、何なの今さら! 今さらデレ期かお前は! この間まで不細工だの可愛くないだの重いだの胸がないだの散々言っておいて!」

「好きな子はいじめたくなるって言うじゃん。……まあ、半分くらい本音だけど」

「どっちにしろ腹立つわお前!」


 そんなあ。言ってチェシャ猫は、大仰に肩を竦める。

 残念がってもいないくせに、全く、この猫は……。

 大体、周りでだって帽子屋さんもぽかんとしてるし夫人――は手を叩いてるけど! エースさんだって驚いた顔してるじゃない! ああもう、一生の恥。人生最大の汚点。穴があったら入りたい。


「いいじゃん別に。減るもんでもないんだし」

「主に精神がすり減るんですけど!」


 畜生、他人事だと思っ……いや、そんなことはないはずだけど。


「ほら、そんなことしてる間に明るくなってきたよ。やり残したことは本当にないの? ありす」

「う……、な、ない……と、思う」


 ――ただ、ハク君との約束以外は。

 うん、でも、大丈夫。窓の外から差し込んでくるひと筋の光に、私は目を細める。

 私が頷いたのを見て、帽子屋さんもそれじゃあとみんなに号令をかけた。


「そろそろ出発するぞ。行き先は、女王の城。――目的は、俺たちの戦いを終わらせるためだ」


 彼の言葉に年少組はおーっと元気よく拳を突き上げ、エースさんや夫人さんは微笑を浮かべたまま頷く。

 グリフォンは頑張るーなんて頼りなく呟いて、チェシャ猫は私の肩に安心させるように手を置いた。

 私は私で、みんなをぐるりと見回すと、笑顔で大きく頷いた。





 ――ねえ、でも見て、ハク君。

 今、ここにいる人は、誰ひとりアリスなんかに囚われちゃいないわ。



 私を愛してくれる人がいて、私の愛する人がいる。



 怖くなんか、ない。



帽子屋さん、(生物学上の)女の子に対して気絶させてでもはない。

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