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第68話 穴に墜ちた少女の行方

 ……どういう、ことだ……それって。

 声にさえならなかった。驚いて。

 私が、アリスじゃ、なくなる? ――帰れなくなる?


『それもルールの一つなんだわ』

「時間を過ぎれば……アリスがアリスではなくなる、ってことですか?」


 少し掠れたけれど、震えてはいない声が出る。でもどこか呻いてるみたいだ。

 ふと客観的に分析してから、何をしてるんだろうって自分で思った。今は決してそれどころじゃないのに。


『正確に言うと、時が《アリス》を《役なし》に戻してしまうのではないわ。そういたらしめるのは、このゲームの生きたルール。つまり、女王よ』

「……女王様、が?」

『ええ、そう。――分かってもらえるかしら』


 それでも風――初代アリスにはまだ余裕があるようで、さっきのなぞなぞのように、少しおどけた調子で確認を求めてくる。

 でも私には、全然分からない。ふるふると首を振る。


『貴女は異端すぎるのよ、ありす』


 告げられた言葉は端的で、ショックさえもない。……異端なんて、私には無縁すぎる言葉だと思っていたけれど。平凡まっしぐらの人生を送ってきたというのに。


『この間、貴女がチェシャ猫を追って街に出た時。……覚えているかしら』

「……はい」

『住人は、貴女を目の前にして捕まえようともしなかったでしょう』

「…………はい」


 目をつむって、思い出す。――まるでホラーゲームに出てくる愚鈍なゾンビのようだと、そんな風に思ったことを覚えている。

 手を義務のように突き出し、こっちを見るけれど、それだけ。

 まるで私は探していた獲物ではなかったかのように、彼らはそれだけで動きを止めた。


『あれが証拠よ。貴女がアリスでなくなりつつある、証拠』


 そう言われれば、そうだと認めざるを得なかった。

 だって、それなら説明がつくんだもの。

 私はそもそもアリスであろうとはしていなかったけれど。――でも。


『まだ女王は気付いていないから、貴女はアリスのままだわ。たとえ形だけでも。――でも、女王がある日ふと気付いて、貴女のような異端の存在はアリスではないと言ったら?』

「あ……」


 ぞくり、と肌が粟立つ。

 女王。女王は、この国のルール。――言えばそれは、真実となる。

 ならば、アリスでなくなった、私は。


『それで解放されて、元の世界へと戻してもらえるゲームならいいわ。――でも、クリア条件はそうじゃないでしょう? 貴女がこのゲームをクリアできる条件は、白兎を捕まえるか、この国の呪いを解くか。二つに一つ』


 それは、何て理不尽なゲームだろう。でも、そのゲームの拒否権も私は持っていない。――既に、放棄してしまった。

 帽子屋さんの恋人だったというアリスの話を、私はふと思い出す。

 ただ、彼女は強かっただけなのに。彼女を引き裂いたのは女王の一言。――彼女も、アリスではなくなってしまったひと。


「……ひどい……」

『そう、惨いゲームだわ。でももう今さら後には引けないでしょう?』


 それは、その通りだ。もう今さらどうしようもない。

 私は私で、何とかするしかないのだ。

 ぎゅっと、爪が食い込むほどに手を握りしめる。


「……ひとつ、教えて下さい」


 思ったよりも落ち着いた声が出た。

 何かしら、と風は囁く。


「今までに……ゲームに勝って、元の世界に戻った人はいるんですか?」


 アリス、と聞かなかったのはあえて。……もう私は、アリスじゃないかもしれないから。

 でも答えは、思ったよりも残酷で。


『いいえ』


 否定。

 それは、勝率0%のゲーム、ってこと。肩が震えるのを遠くで感じた。


『貴女は異端なのよ、ありす』


 繰り返す風。それは、さっきも聞いた。


『そもそも、今までクリア条件すら存在していなかったんだもの。帰れる道理もないわ』

「……そ、っか」

『帰りたいって――そう思ったかどうかも怪しいわ。大抵のアリスはまず、白兎に魅せられてしまうから』


 魅せられてしまう。白兎に。

 私は別にハク君に何の魅力も感じなかったんだけど……あ、いや、馬鹿にするつもりはないのよ? そうではないけれど。

 でも、そういうものは、なかった。一体どういうことなんだろう。魅せられる? 理不尽なゲームを強いられても、それでも、帰りたくなくなるほど――?

 私は顔を上げると、目の前にいるんであろう彼女に対して問う。


「貴女も、そうだったんですか?」


 ひゅるり、と細い音。その他は沈黙。

 最初の、アリス。――全ての始まりである彼女は、どうだったんだろうか。


『……どうかしら』


 けれど答えは素っ気ない。まるで、口を固く閉ざして、知られたくない秘密を自分の心の中だけに仕舞い込んでしまうかのように。

 ……それは、それほどまでに言いたくないことなんだろうか。

 過去を封印するように、贖罪の日々に身を委ねるがごとく。嫌な思い出なのかもしれない、って私は思った。


「……ありがとう、ございました」


 きっとそれ以上は答えてくれないだろうと、頭を下げる。でもいいの。いいのっていうか、もう、たくさん助けてもらったもの。

 何から、何まで。親切すぎるほどに。

 その意図はまだよく分からないけど、それでも助けてもらったことには変わらない。

 もう一度ぎゅっと手を握りしめ、そして、踵を返す。こんなところで、こんなことをしている場合じゃない。


 私は、私がアリスであるうちに、するべきことをしなきゃ。


 そして駆け出した。もう振り返らない。

 たとえ前に待っているのが、茨の道だけだとしても。






 それでも私は約束したもの。

 私はこの国の呪いを解くんだって。








(――たとえそれが、白兎に魅せられているという証拠であっても?)

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