第65話 ノアザミ嬢の憂鬱
「白兎を捕まえるための罠を仕掛けようよ!」
出し抜けにそんなことを明るい声で言ってのけたのは、やわらかそうな兎の耳をぴんと立てたミルク君だった。
「えーと……ミルク、君? 罠、って」
「にんじんとかー、にんじんとかにんじんとかにんじんとか。あとにんじんとか! 絶対引っ掛かるよ白兎ってば!」
「……いや、にんじんじゃ多分ハク君は引っ掛からないってことを前回小一時間ほど説明したはずなんだけどミルク君?」
嬉しそうにぴょこぴょこと跳ねるミルク君の気持ちはありがたくないでもないし嬉しくないでもないけれど、でもとりあえずにんじんを罠として仕掛けるのは何だか間違ってると思う。
思いながら私は、お玉ですくったコンソメスープの味見をした。ん、おいしい。ほっとひと息ついてふと横を向くと、いつの間にかミルク君はきょとんとした目で私を見ている。え、なに?
「……あれ? ありす、もしかして料理してる?」
「え、キッチンにいて一体それ以外に何に見えるの」
「味見係、もしくはつまみ食い」
「てめえ畜生!」
は、まずい。つい素の言葉遣いが。
年下にさすがにそんな汚い言葉を聞かせるのはよろしくないだろう。落ち着いて、カルシウムが足りないんだ私。
「へえ……ありすって料理できたんだ」
それはどういう意味かなミルク君。
感心したように目を丸くしながら、彼は銀飾が施されたお鍋を覗き込む。……畜生、可愛いなこの野郎。可愛いから許すけど。あと怒ると皺増える。
「何かありすってさ、何もできなさそうだよね」
「ひど!? 何もって何!?」
「色々全部。家事とかはできなさそう。不器用で乱暴でガサツそうなイメージ」
「え、何、取り柄がないって言いたいの? さすがにそんなんだったら自分に絶望して入水するんですけど」
私のイメージ悪すぎるだろおいおいおい。私さすがにそこまで使えない女じゃないぞ。
そりゃあ可愛くもないし、器用でもないし、面倒くさがりだし乱暴だしガサツだし色々駄目だけど。……駄目だけど!
「味はそれなりに保証するわよ。味見してみる?」
「それでおいしかったらこのスープで白兎を釣るんだよね!」
「だからどうして話がそこに回帰するの」
スープじゃにんじんよりも無理な気がした。複雑な気分だけど。ていうか釣るのかよ。釣る案はまだ消えてなかったんだ……。
そもそも捕獲するって方法から考え直した方がいいと思う。
というかハク君は私に、また会いましょうって言ったのよね。そしてその言葉通り、この前10人の味方を集めたからって……その先は思い出したくないけど。
あの時はうやむやになってしまったけれど、あれは結局どうだったんだろう。ハク君はまた私に会いに来てくれるのだろうか? それともこっちが攻めに出た方がいいのか。どうなんだろう。
「んん。おいしい」
「あ、そう? よかった――ってミルク君、それ私が使ってたお皿」
「間接キス? 照れちゃうね」
「やっぱり怒っていいかな?」
お玉を握り締めて言ってみた。ミルク君はごめんなさいと頭を下げて謝った。別にいいけど。
この国の人がキス魔なのは実証済みだ。私みたいな不細工でもいいらしい。……自分で言ってて何か虚しいな畜生。
でもそんなことに構わずにミルク君は皿に盛った少量のスープを飲み干すと、ごちそうさまと皿を置いた。
「おいしかった。でもありす、何で料理なんかしてるの?」
「ん。何となく、自分のできることがやりたくて」
「…………」
私がさらりと答えると、ミルク君は急に黙ってしまう。どうしたんだろう。……あれ、もしかして引いた?
「何、別に格好良いこと言いたくて言ったわけじゃないからね?」
「そんなこと誰も疑ってないけど……でもすごいね」
すごい? 何が? いや、確かに格好良いことは言ったかもしれないけど。科白だけ。
でも、そんなこと言いながらやってることは料理だし、大したことじゃないんじゃないかなあと思う。
だって私、正直何も出来ないし。
「ありすって、可愛くないよね」
「何いきなり!?」
すごいって言った後すぐに貶すか。ちょっとどころじゃなく結構ショックなんですけど。
「可愛くないけど、正直だし、一生懸命だよね」
「……何。いきなり」
それはそれで結構気持ち悪い。
褒められることなんて、慣れてないから。家族にも友達にも学校の先生にも、いつも困った顔で笑われるばかりで。それはこっちに来ても変わらなかったんだし。
そんないきなり褒められても。それからちなみに正直って褒めてます?
「――ねえ、ありす、お願いがあるんだ」
「え?」
「聞いてくれる?」
突然称賛の言葉を浴びて固まっていた私は、ミルク君の次の言葉に今度はぱちくりと瞬く。お願い?
「お願いって……なに?」
私は安易に頷くことはせず尋ねる。何だろうか。別にミルク君を信用していないとかそんなことではないけれど――いやある意味では無茶ぶりを言われそうな気もしたけれど――何となく、安易に頷いて引き受けてしまってはいけない気がした。
改めて身体ごと向き直った私に、ミルク君は俯き加減に言葉を零す。
「これは、ありすだから言うんだよ。僕はありすのことを信じてる、だからわがままを言うんだ。それだけ分かって、聞いて」
「……うん」
頷く。否定することではない。
その気持ちはひしひしと伝わってくる。それはひたむきに、疑えないほどに。ミルク君が幼いからとか、そんなことではない。
幼いからなんてそもそも理由じゃない。或いは、彼はもしかしたら私よりも大人なんじゃないかって思う時もある。――彼が私を好いてくれているのは、違う理由だ。
でもそれならば、そのお願いというのは何だろう。他の人にはできないお願い? 私は次の言葉を待つ、と。
「帽子屋に、名前をあげて」
ミルク君はついに小さな声で、それでも明瞭に言い切った。
――帽子屋さんの、名前……?
言い切ったミルク君はぎゅっと拳を握り、震えを抑えるように唇を噛む。
予想していたどれとも違う、彼にしては殊勝なお願いに、私は思わず目を丸くした。
ノアザミ:キク科の多年草。花言葉は「もっと私を知って下さい」。
あ、特に意味はないんです、タイトルが思いつかなかっただけで←