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第62話 白イ兎ハ夢ヲ見ル

 夢を見ていた。



 漂う泡を弾いて、私は奥底へと潜っていく。

 海のように軽い身体だけど、呼吸ができないなんてそんなことはない。たとえできなかったとして、死ぬことはなかっただろうけれど。

 誰の夢? ――私の夢。自問自答、不思議だけどそれが当たり前みたいに。

 色がないのに、目に優しい色彩で。矛盾しているけれど、そこに何の疑問もない。

 変なの、だけど変とも思わない。夢だからこその特有の感覚。

 甘くて、苦くて、優しくて、切なくて、そんな世界に私は存在している。



 誰かがどこかで歌っていた。



 高くも、低くもない、ボーイソプラノ。聞き覚えのある声だけど、誰の声だったかまでは思い出せない。

 ただ一つの静謐を壊す、あたたかくて優しい音色。

 私は惹きつけられるように、夢の泡をかき分け、泳いだ。声の流れる方向へと。



 ――ハク君……?



 そしていたのは、白く長い耳を空に向けてぴんと立たせた少年だった。

 歌っていたのは、彼。切ないメロディーは、長い睫毛を伏せて歌う彼にとても似合っている。


 一体、何の歌だろうか。


 聞き覚えがあるようで、でも、何の曲だったかまでは思い出せない。とても切ない歌だ。

 “兎の穴に、少女は墜とされて”――。

 覚めたくない。冷めたくない。褪めたくない。醒めたくない。

 まるで悪夢をずっと見ていたいと願う無邪気ゆえに残酷な子供のように。


 私は手を伸ばす。


(ハク君)


 呼び掛ける声は小さな泡沫になって浮かび上がっていく。

 それでもハク君の紅い目は、私の方を向いた。


(ハク君?)


 けれどハク君は、緩やかに首を振る。目を閉じて、悲しそうな表情で。

 閉ざした小さな唇からはもう、さっきのメロディーが流れ出すことはない。

 白い耳がただ、ゆっくりと左右に揺れた。

 拒絶……されているのかもしれない。否定されているのかも。でもついに、その真意を知ることはない。


 笑った。ハク君は、笑った。


 切なげに、紅い目を泣きそうに細めたまま。

 零れそうな大きな瞳を、ぎゅっと瞼の下に押し込めて。




(ごめんなさい)




 言葉はさっきの歌よりも優しく、切なく私の心をくすぐって浮かび上がっていく。

 私は何かを叫ぶ。だけど多分、声にならなかった。


 夢はいつか覚めてしまうもの。




 手を伸ばすことは、きっと貴方への“ルール違反うらぎり”だから。




 ☆★☆




「――畜生あの兎ぜぇったいしばいてやる――ッ!」


 わけの分からないことを叫びながら私は、がばりと柔らかい布団を跳ね除けて起き上がった。


 ――ってあれ、……布団……?

 叫びながら起き上がったはいいものの、状況が分からずに思わず目を瞬かせてしまう。

 私が目を覚ましたのは、見覚えのある部屋の豪奢なベッドの上だった。


「……え? あれ、ここ……」

「おはようありす。白兎の夢でも見てた? 俺の夢も見て欲しかったな」

「いや誰が何のためにあんたの夢なんか――ってチェシャ猫っ!?」


 唐突に滑り込んできた声に惰性で突っ込んで、突っ込んでから一瞬後にようやくベッドの横に腰掛けたその存在に気付く。目に痛い、蛍光色のイキモノ。私は思わず後ろへと仰け反った。

 な、何――嘘、どういうこと!? 何、私はどこでここは誰でこいつはチェシャ猫!?

 え、だってそうだ、私は森にいたはずだし……それに、チェシャ猫はメアリ=アンと――。


「俺がいちゃ悪いの? ありす」


 私が混乱するのにも構わず、例のにやにや笑いを浮かべるチェシャ猫。その挑発するような物言いに、私は内心むっとする。


「わ、悪くはないけど……どういうことよ。何でいるの、私の苦悩は何だったわけ!?」

「あれ。珍しいこともあるもんだね、俺のために悩んでくれてたの?」

「ち、違うけど! とにかく説明してよ、だって私はチェシャ猫を追い掛けて森に――」

「へえ、俺を追い掛けてきてくれたんだ?」

「――だ、から……ッ! うあー、もういい何でもない! 死に腐れ変態!」

「……そこで死んじゃえとかだったらまだ可愛かったのに。何で死に腐れなのさ」


 わけが分からないままいつもの調子のチェシャ猫におちょくられ、私はがばりと膝を抱えて丸くなる。あーもう一体何なの。どういうこと?

 私の記憶にあるのは、チェシャ猫を追い掛けて、そこで……メアリ=アンと思しき人とキス、するのを見かけて、ハク君に会ったことまで。……あとハク君にキスされた。この国の人にとってはキスって普通の挨拶なのか? いや、まあこの際それは置いておくけれど。

 だけど、どう考えたって今の状況にはつながらない。鈍器で殴られて意識飛んだ上に記憶喪失とか? でも、それにしては痛みも何もないし。


「ありすは疲労で倒れたんだよ。こっちに来てから色々あったからね、無理はしないこと」


 丸くなったままうーんと唸る私の頭に、ぽんと手を置きながらチェシャ猫は言う。

 疲労……? いや、私は結構元気だったんだけど。気付かない内に疲労がたまってたのか? それは危ない。

 だけど、そう言うチェシャ猫の態度には何だか違和感があった。何だろう。よく……分からないけれど。気のせい、かな?


「……チェシャ猫が、連れて帰ってきてくれたの?」

「え? ああうん、放っておくほど薄情でもないし」

「……そっか。ありがと」


 釈然としないままでも、ぽつりと感謝を告げる。


「どうしたのさ。ありす」


 ふいに不安げな声音が、気遣うように頬を撫でた。……お礼を言う私が気持ち悪いってか? 余計なお世話だ畜生。

 むーと見上げると、チェシャ猫は真剣に懸念の表情を浮かべている。その様子に、私はごくりと喉まで出かかった軽口を呑み込んだ。


「……どうして、戻ってきてくれたの?」


 私はつい先日の出来事を思い出し、俯き加減に小さく零す。

 だってあんなに、ひどいことを言ったのに。私が嫌だったから、出て行ったんじゃないのか。


「――ありすは俺がいない方が、幸せになれると思ったんだ」

「え……」

「だけど今は、そんな戯言いいわけどうでもいいよ」


 私の髪をさらりと梳いて、チェシャ猫はにこりと微笑んだ。にやにや笑いなんかじゃなくて、もっと穏やかで、優しく。


「ありすが目を覚ましたって聞いたらみんなほっとするよ。ありすは分かってないかもしれないけど、もうありすが倒れてから一日近く経つんだよ」

「う、嘘!? 私何か最近倒れすぎ!?」


 そんなシチュエーションが最近多すぎる気がする。まずいまずいまずいまずい。

 けれどチェシャ猫は、くすりと笑って。


「ちょうど朝食の時間だし、いいんじゃない? 慣れない環境だし仕方ないって」

「……う。今、お腹鳴った」


 そういえばお腹が空いてる。何だか確実に体重減ってる気がするよ、嬉しいんだか何なんだか微妙な心境だ。


「相変わらず女の子らしさとは無縁だね、ありす」

「うるさい。仕方ないでしょ、お腹は空くもん」

「はいはい、っと」


 チェシャ猫は含み笑いを漏らしつつ、不機嫌な私の方へと手を差し伸べる。


「どうぞ、お姫様。食堂までエスコートさせて頂いても?」

「……許可するわ」


 むすっとしたまま、だけどどこか緊張しながら私はその手を取った。

 おどけたような口調の中に、真摯な響きが混じっている。気恥ずかしくて、目なんて合わせられやしないけど。


「ありすをエスコートしようなんて紳士は今までもこれからも俺くらいしかいないね。感謝してよ」

「あんたにエスコートしてもらって嬉しい貴婦人なんてそもそも存在しないわよ」


 目を合わせて憎まれ口を叩き合いつつ、笑った。

 私はチェシャ猫の助けを借りて寝起きの重い身体を起こすと、手を引かれるままに扉の方へと向かった。正直悪い気はしない。だけど、そんなことを言ってやる義理もないので黙っておく。


「好きだよありす。今この世界で何番目かくらいに好き」

「……何番目かって何よ?」


 そもそも好かれたって嬉しくないと言い捨てると、ふいと視線を逸らした。

 もう、何なんだろうこいつ。しおらしく出て行ったかと思えば、帰ってくるなり調子のいいこと言うんだから。変態め。


「私はあんたなんて嫌い」

「手厳しいなあ」


 苦笑するチェシャ猫。でも、その温かい手は離さない。

 ぎゅっと強くつかんで、安心を求めるように肩を寄せた。


(嘘だよ。ごめんね)


 伝わるとは思ってないけど、それでも伝えるように思う。きっと本当は、言わなくても伝わるものだから。


 だってこれは、私の夢。


 いつか夢から覚めるのなら、せめて幸せな夢を頂戴? ねえ、白い兎さん。




何だかんだで相変わらずですねこの人たち。畜生一体何だというんだ。

あー何だか終盤から遠のいてる……? そんなことないですよねないですよねないですよね?(←しつこい)

……うー、頑張ります。

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