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第58話 わがままに走り出す風と

 静寂しじまの夜は、いつか明けてしまうように。

 誰にも朝は、残酷なほどに平等にやってくる。


「チェシャ猫が、出て行った……!?」


 私がそんな話を聞いたのは、一人で遅い朝食ブランチを取っていた時のことだった。

 結局昨夜寝付けなかった私は、明け方近くにようやく微睡に落ち、次に目を覚ましたのは午前11時。我ながら緊張感が足りないなあと思いつつも、どうやら襲撃やら何やらはなかったようで一先ず安心した。

 けれど、無事に済んだにしては、みんなの表情が暗い。取り繕うように笑っているけれど、どこか、ぎこちないように見えた。


 それで帽子屋さんを問い詰めてみれば、『チェシャ猫が出て行った』――なんて。


「ど、どういうことなんですか? それって――」

「昨日の夜遅く、な。何だか胸騒ぎがして眠れなくて、階下に降りてきていたんだ」


 豪奢なテーブルの向かい側でアールグレイアイスティーを優雅に味わいながら、帽子屋さんは瞼を下ろす。

 その口調はいつも通りに淀みない。冷静、というべきなのか。


「そうしたら、暗いロビーの中で、ドアの前に何故かチェシャ猫がぼうっと立っていた。一体どうしたと尋ねても、首を振るばかりで」


 話を聞きながらも私は昨日の夜の出来事を思い出して、胸の辺りに鈍い痛みを覚えた。

 傷付いていたのかもしれない。

 私のせい、なのかな……。そうであることは、疑いようもない事実だったけど。


「もう『アリス』のそばにはいられない――って言ってたよ。止める暇もなかった」

「え……」


 帽子屋さんの口にした言葉。私の名前ではない、ただの固有名詞ことばに、私は身を固くする。

 チェシャ猫は、本当に、そう言ったの?

 私のそばじゃあなくて。アリスのそば、には。


 今さら嫉妬とか羨望とか、そんなもの、傲慢すぎるけれど。


 私は頭を振ってそんな醜い感情を追い出すと、帽子屋さんに向かって、さらに質問を重ねる。


「そ、それで……チェシャ猫は、どこに行ったんですか?」

「分からない。夜も遅かったし、誰かを起こすわけにもいかなかったしな」


 顔色は蒼白、だけど妙に落ち着いたままの帽子屋さんはそう言った。

 夜も遅かった――、だから?

 なら、それが朝ならば、追いかけていたのだろうか。まるで言い訳に聞こえるけれど。


「わ、私、探してこなきゃ……!」


 だけど今は、帽子屋さんを責めている場合じゃない。

 一切の責任は私にある。あんな風に、突き放したりしなければ。私があんなこと言わなきゃよかったんだ。

 けれど、がたっと椅子を蹴飛ばすように立ち上がった私の肩を、誰かががしりとつかんだ。


「やめておきなよ、ありす」

「――グリフォン」


 いつもの惚けた目じゃない、真剣な眼差しを冷たく私に向けたグリフォンが、そこに立っている。

 そんな話、いつの間に聞きつけたのか。というか、さっきまでは部屋にいなかったと思うんだけど……私がこういう行動に出ると分かっていてスタンバイしていたんだろうか?

 強引にその腕を振り払おうにも動けない。当たり前だ、いつもはふざけていたって、相手は年上の男。力で勝てるはずもなかった。

 だけど。だからって、ここで大人しく座ってご飯を食べ続けようなんて、私にはそんなことできない。

 何で止めるかなんて分からないし、知りたくもないけど。

 危険だからなんて、そんな理由じゃ私は納得したくもないし。


「……離して」

「離したら行くんでしょ? チェシャ猫を探しに」


 当たり前だ。他にどこも行くところはない、ただでさえ外は危険なのに。

 きっと強く睨みつけても、グリフォンはびくともしない。


「ありすはチェシャ猫のこと、何だと思ってるの?」

「え?」


 そしてその口から零れた言葉に、私は思わず目を丸くする。何だと思ってる?

 固まる私にグリフォンは厳しい視線を向けたまま、言葉を続けた。


「別にチェシャ猫は狙われる対象じゃないから、放っておいても死にやしないよ。だけど今ありすが外に出たら、どうなるか分かる?」


 ――チェシャ猫は。

 それはもしかしたら、私を心配してくれている言葉なのかもしれない、けれど私はとてもそうは思えなかった。

 つまりそれは、私にとっては仲間でも、チェシャ猫にとってはそうでもないということ。

 私はチェシャ猫に頼ってばかりで、チェシャ猫は私を重荷に感じていて――。

 そう言えばそうなのかもしれない。というか、私なんて確実にお荷物なんだろうけれど。思わず、ぐっとつまってしまう。


「だ、だけど……チェシャ猫が出て行っちゃったのは、多分、私のせいなの。もし出て行ったのが不本意なら、私、謝らなきゃ」

「ありすのせいじゃないさ」


 今度は帽子屋さんが呟く。いつの間にか隣に立っていた彼も、どこか、辛く当たるような目で私を見ていて。


「チェシャ猫が出て行ったのはあいつの意思だろう? 気にすることはない。チェシャ猫がいなくなった分、俺たちがありすを守ればいいだけで」

「――!」


 私は思わず、声を上げかけた。

 嬉しかったからじゃない。そんな、嬉しいなんて、微塵も感じない。


 つまり、チェシャ猫も、彼らにとっては『駒』なのだ。


 使い捨て。代わりなんていくらでもいる。

 だから一人いなくなったところで、どうだっていい。



 所詮は仲間でも何でもない、ゲームの参加者なんだから。



「……そういう、こと……」


 肺から酸素を追いやるように、大きく息を吐き出した。存外にも低い声が出る。


「じゃあ、もう、何も気にしない」

「ありす」

「――気にしないでよ。私なんかのことなんて」


 グリフォンの科白を遮って、私は、掠れた声を荒げた。


「それならどうせ私がいなくなったって、『アリス』が一人いなくなるだけでしょ!? 貴方たちにとっては、それ以上でもそれ以下でもないじゃない!」


 わがままを言っている。分かっていたけれど、止める気はなかった。

 許してなんて言わない。守れとも言わないから。


「チェシャ猫にとって私は何なのか知らないわ。きっとただの『アリス』に過ぎない……、だからチェシャ猫は出て行っちゃったんだと思う」


 私がアリス以上の何かだったら。

 きっとチェシャ猫は、笑って隣にいてくれた。


「だけど、私にとっては大切な人よ! 見捨てろなんて言わせない!」


 あんな風に突き放しておいて、今さら傲慢。知っているけれど。

 帽子屋さんとグリフォンの驚いた顔を横目に、私は力の抜けたグリフォンの腕を振り払って走り出した。

 分厚いドアは体当たりするように開けて、――危惧していた鍵はかかっていなかった。よかったと、階段を駆け下りて玄関まで走り抜ける。


 ――だってね。チェシャ猫、言い訳するけど。

 突き放したら、私のこと、嫌いになってくれるかと思ったの。

 いっそ『アリス』として好かれるくらいなら、私として殺された方がいい。のに。


「殺してくれないなら、好きになるしかないでしょ……」


 だから私は、離れていく貴方の心が許せない。




 ☆★☆




 街はどこもかしこも、アリスを探して彷徨う浮浪者のような人間たちで溢れていた。


 徘徊するのは目も覚めるような美男美女。例によってイケメンばっかりなのに、挙動不審で正直気持ちが悪い。その間から、怒鳴り合いさえ聞こえる。

 目は血走り、そのくせ虚ろ。まるで生ける屍ゾンビみたいだと、私は茂みに隠れながらふと思った。

 こんな人混みの中を、この目立つ容姿と格好で抜けられるだろうか。答えはノーだ。私は平々凡々月並みな女の子。見つかっても捕まらなければいいんだろうけれど、そんな脚力も何も私は持ち合わせていない。


 ――どうしよう……。


 やっぱり馬鹿なことをしたと後悔はするものの、今さら戻れもしない。泣き言言って戻る気もしないし。

 私の責任と銘打って、とにかくチェシャ猫に会いたいのだ。昨日は傷付けてばかりで謝れなかったから、――もう遅いかもしれないけれど。

 とにかくあの蛍光色は目立つ。まさかこんな街中を闊歩しているとは思えないけれど、とりあえず探してみよう。


「っていっても、この人混みの中どう進むか……」


 小声でぽそりと呟く。めげそう。

 でも、こういう時はたまに自分の身体の小ささがありがたいな……。さすが万年背の順前から数えた方が早い組。嬉しくない。

 それでも見つかる時は見つかるだろう。私の身体能力じゃそれは仕方ないことだ。

 だけどそれならそれでいいじゃない、玉砕上等! 当たって砕けられるんならそれでいい。覚悟を決めよう。


 いくら大きな人混みっていったって、途切れる場所はどこかにあるはず。それか群衆の死角になるところとか。



 ――ん、あれ? 人混み……?


 そういえば、街の人は私が公爵夫人のお屋敷にお世話になってるって知らないんだろうか……?

 知ってたら屋敷でも何でも襲撃するよね。襲撃なんて早まった真似はしなくても、張り込むとか何か対策を取るはずだ。本当にアリスが好きなのなら。

 だけど徘徊する人の群れに、そんな様子は全くない。屋敷の前だけに人だかりが出来ているというわけでもなさそうだし。


 知らない? でもまさか、最初は敵として来ていたグリフォンだって知っていたんだよ? 正確に言えば、ドードー鳥か。

 彼だけ知っていたなんてことはないだろうし……、お城の兵だって来ていた。こんな盛り上がっているゲームの最中、それを誰も目撃しなかったなんてことはないだろう。


 じゃあ、何故?


(――賢い子。でもそれ以上考えちゃ駄目よ)


 ふわりと、突然風のように囁く声が飛び込んできた。


「だ、誰!?」

(声を上げないで。気付かれちゃうわ)


 くすくすと上品な笑い声を立てる風。

 一体誰だろう。気付かれたかと焦って見回してみるけれど、深い茂みの中、私と視線を合わせる人はどこにもいない。


「ど、どこにいるの……?」

(私を視認することはできないわ、私はそこにいないから)


 謎かけのようなわけの分からない答え。そっと眉をひそめる。

 だけどそれは、どこかで聞いたことのある声のような気がした。一体どこだったろうか?


(それよりねえ、ありす。猫さんを探しているんでしょう?)

「し、知ってるの!?」

(ええ。知ってるわ、案内しましょうか?)


 私は勢いよく頷く。騙されているかもしれないと思わないことはなかったけれど、今はなりふり構っていられない。

 とにかく、会いたいのだ。チェシャ猫に。


(こっちよ)


 風に導かれるまま、私は立ち上がって走り出す。

 人目なんて気にしない。今なら、どこまでも走っていける気がした。




 追い風がくすくすと笑う。


 滑稽でも、たとえ綺麗じゃなくたって、私は私のままで在りたいから。




な、長かった……。


決して文字数が多いわけじゃあないんですけどねえ。我が家一番の困り者ありすさんのターン(´・ω・`)すぐ落ち込むくせに立ち直りは早いです。

でもある意味この子が主人公組の中で一番強靭。

この精神力は作者としても見習いたいです。単に図太いだけか。うーん。

だけど次回はもっと落ち込ませようと思います(←こら)


あ、因みに作中でありすが『目立つ容姿』とか何とかほざいてますが、決して自己陶酔ではありません(*・ω・)ノ

黒髪黒目が珍しいと言っているだけです。悪しからず。

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