第5話 猫とお姫様抱っこと追跡者
「離せ離せ、降ろせーっ!」
「やだなあアリスちゃんってば、こんなとこで降ろしたりしたら死ぬよ?」
「う……っ、そ、それはやだけどっ! 降ろしてよ!」
木々の上を軽やかに跳ぶチェシャ猫。
と、そいつに捕まって暴れている無様な私。
傍から見れば滑稽な光景だろうけれど、私はとても必死だったから、そんなことも考えず手足をばたつかせる。
勿論それは私の身の安全のため。屈服させられるなんて冗談じゃない。ここから落ちたら、元も子もないけどさ。因みにここは森の上、見ようによっては上空とも。
幸か不幸か、チェシャ猫はバランスを崩すこともなく、軽快に木から木へと飛び移っていく。
「大丈夫だって、酷いことはしないからさ♪」
「初対面のレディーをお姫様抱っこする時点で私の中では変態だと決まってるの! 離れて変態!」
どんなに暴れたって、チェシャ猫は動じない。何か悔しいぞ。少しくらいバランスを崩さないものか。
まあ、それはそれで危ないことは分かってるけど。悔しいんだもん!
「にゃはは、アリスちゃんは面白いなぁ」
「ちゃん付けキモイ! やめて今すぐ!」
「じゃあ、アリス?」
「それも嫌よ!」
その呼び方はぞっとするわ。何だか生理的に受け付けない。
「じゃあ、何て呼べばいいのさ?」
「呼ばないで!」
「うわぁ、厳しいなあ」
笑いながらもどんどん木々の間を跳んでいくチェシャ猫。
どうしよう、私どこへ連れていかれるんだろう。不安と恐怖がどんどん大きくなっていく。
「……あなたも、国民の一人でしょ……!?」
「うん、そうだね」
「私をどこへ連れてくの!?」
「どこへ……って。そうだなあ、安全なところ?」
「嘘つけ!」
私は無理やり身体を捩って逃げ出そうとした。
けど、下は緑と空気ばかりが存在し、その一番下に地面。遠い。
少し怖くなって、元の体勢に戻す。
「逃げられないよ。俺からはね」
その笑顔が何となく怖い。
どこへ連れていかれるんだろう? そして……、私はどうなるの?
突然、ぱっと地面がさらに遠くなったように見えた。
森を抜けたのだ。大きな森を。
……ん? 飛び移る木がない?
「いやぁ―――――っ!」
絶叫。
落ちる落ちる。
私ジェットコースターは好きだけど、こんなスリルは絶対に求めてない!
「やっほーい♪」
嬉しそうに言うなこの猫がァァァ!
怒って言おうと思ったけど、うわぁ重力に気力を奪われる。
てかいや本当に怖いよ!? 絶叫中でこれが何も言えないんですっ。つーか心の中こんなに冷静だよおい。
いや違うな、絶叫してるから脳内がいろいろ活発なんだ。うん、よく分かんないね。
「いやぁぁぁぁ! 誰かぁぁぁ!」
「アリス、そんなに叫ばないの。誰かに気付かれちゃうよ?」
「いつ誰が呼び捨てにしていいって言ったぁぁぁ!!」
……って、ん? いや、私が言いたかったのはそれじゃない。
違う! むしろ誰でもいいから気付いてぇぇ! このよくわかんない人……猫? は嫌ぁぁ!
というか、もう――地面が、近いっ!
スタッ。
えー……普通に着地。
つーか、あの高さからよく着地できましたね。猫だからか? 猫だからなのか!?
「アリスでいいじゃん、だって―――」
「チェシャ猫」
ん? と小さく呟いて、彼は自分の台詞を遮ったものの方を向く。
私も、彼の名を呼ぶそれの方を向いた。
そこには、大きなシルクハットを被った青年。
風に揺れるミッドナイトブルーの艶やかな髪、その下に隠れた群青の瞳がチェシャ猫を真っ直ぐ捉える。
……え――と……彼は、誰?