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第57話 嘘つくアリスに嘘つきチェシャ猫

前話のチェシャ猫視点です。

 “チェシャ猫”は迷う“アリス”を惑わせる。

 “アリス”は“チェシャ猫”に微笑んで、世界の外へと歩き出した。






「……お姉ちゃん」


 感情のこもらない薄っぺらい声は、やけに生々しく鼓膜を刺した。

 夜半の月が無情に照らし出す、小柄な人影は震えて。


 ――言い訳、だろうか。

 いつの間にか俺は、ありすの部屋にいた。

 別に気付かれたくなかったとか、そんなことはない。理由もなく。記憶喪失だなんて、馬鹿らしいけど。

 カーテン越しの月明かり。踊る布に、目を見張る。

 声を掛けようにも掛けられない。悲哀な雰囲気が漂う美しい影に、俺は、見惚れていた。


「――勝手な願い、か」


 ふいに、ため息と共にこぼされた言葉。

 ――勝手な願い?

 それで俺は、その感情は憂いなのだと知る。


 ああ、俺に何を言えというのだろう。

 嘘しかつけないこの口に、一体、何を紡げと?


 出来るならば救ってあげたいなんて、いくら思ったことか。


「……憂いは女を美しく見せるって言うけどね」


 だけど出てきたのは、そんな言葉。

 細い影が、驚いたように身体を起こした。

 俺はこの暗闇の中で、無理にもにやっと笑って見せた。


「ありすは相変わらず可愛げがないよね。そこが好きだけど」


 にやにや笑い。自覚している嫌な笑顔を張り付けて、少女の方へ向けてみせる。

 そこでようやく悟ったらしい。少女の影は、唇を薄く開いた。


「チェシャ……、猫?」


 毒気の抜かれた、呆けた声音。それが可愛くて、思わずくすくすと笑う。


「あたり」


 それにも少女は、嫌そうな顔をしない。

 それどころか宵闇の中、俺の自意識過剰なのか、少女の頬は微かに赤かった気がした。


「眠れないの? ありす」


 一歩だけ踏み出して、仄暗い月明かりに自分の身体を晒す。

 ありすはごくりと、息を呑む。そして。


「……あんた、何で人の部屋入ってきてんのよ」


 ……出てきたのはやっぱり、憎まれ口。

 でもそれが彼女らしいと思う。くすりと笑った。


「まあ、夜伽のお相手をというか……夜這い?」


 だから俺も、慣れた軽口で返す。ありすはあからさまに嫌そうな顔をした。

 当たり前だ。――だからこそ言ったんだから。

 これでもし赤くなられたり嬉しがられたりしたら、それはありすじゃない。


「死ねばいいのよ変態……」

「え、あんまりじゃないそれ」

「当然の主張だわ」

「主張だったの」


 あまりにもありすらしい言葉。俺は思わず苦笑する。

 でもあまりにもありすが苦々しげな顔をするものだから、俺はやれやれと肩を竦めた。


「ま、冗談冗談。挨拶みたいなものだから気にしないでよ」

「それって最低よ。だから彼女がいないんじゃない?」

「うわあ、傷付くなあ」


 彼女なんていらないけど――とはあえて口に出さなかった。別に欲しくないわけでもない。必要はないけど。

 嘘だとありすに睨まれたけれど、正直本心。俺だって傷付くんだよ? 言わないけど。


「何しに来たの。変態」


 しかもこれだ。……まあいいんだけど。むしろ快く受け入れられたりしたら、それこそ虫唾が走る。


「……とりあえず変態って呼ぶのやめてくれる?」

「さっさと用件言って消えて変態」


 半分期待もせずに言えば、案の定視線が鋭くなった。

 変態だなんてひどいなあ。俺はこんなに誠実なのに。ただ、正直なところを言えないだけで。

 この舌が正しい言葉を紡げばどんなにいいことだろう。俺の気持ちに忠実であれば、どれだけ傷付けずに済んだのだろう。――そう思うけれど。


「何だか、胸が騒ぐ夜だったから。ありすも眠れないんじゃないかと思って」

「……あんたと一緒にしないでよ」

「でも、実際そうでしょ?」


 喉はくすくすと笑みまで漏らした。

 どうせ思い通りにはならないのだ。……ありすの反応は勿論面白いけれど。

 笑いたいわけじゃないのに笑って、言いたくもない悪口をこぼして。

 ありすは困ったように口を結び、唸っているし。


 俺は結局、何が言いたいのだろう。


「――帰りたい?」


 え?


 ――一瞬、それが自分の口から出た言葉だとは思わなかった。


「え?」


 ありすも同様に驚いた顔。

 俺も驚いていた。帰りたい? どこへ? 元の世界に?

 自分の声が、自分のものではないみたいだった。


「……そりゃ、帰りたい、わよ」


 そしてありすの言葉。俺の頬が、何故か緩んだ。


「そっか」


 何故こんな科白が出てくるのだろう――。

 自分で自分が信じられない。何で? 俺にも、分からなかった。


「どうして帰りたいの? みんながありすを愛してくれてるのに」


 違うのに。

 そんなことを、言いたいわけじゃないのに。

 そう思っても言葉は止まらない。いつしか言葉の奔流に、自分の意思すら飲み込まれてしまいそうな。


 にやにや、“チェシャ猫”が、俺の思考を支配する。


「みんなが好きなのは私じゃないじゃない。『アリス』ならどんな子だって好きなくせに」


 まるで抵抗するように、ありすは声を低くする。俺の喉は相変わらずいうことを聞かない。


「でも、ありすも好きだよ?」

「アリスだからでしょ。――そんなの、狂ってる」


 狂ってる。

 ――そう言われたことが、悲しくないわけじゃなかった。

 だけど俺の喉はくすくす笑う。口の端を吊り上げて。

 ありすは対照的に顔をしかめたけれど。


「狂ってるわ」


 二度目の『狂ってる』。

 心に突き刺さる、けど。


「狂ってるからこそ、だよ」


 認めてしまった。俺は。

 この舌は何を紡いでいるのだろう。『アリスだから好き』――それを今、認めてしまったのだ。

 しかもそれだけじゃ終わらない。“チェシャ猫”の仮面は。


「――ねえありす。それはそんなに嫌なものなの? ありすは、人に愛されたくないの?」

「愛されたくないなんて、馬鹿言わないで。そんな強い人、いるわけないわ」


 生きていけないものと、ありすは愚痴のように呟いた。当たり前だ。それは俺だって知っている。そして俺だって、愛されたい。


「でもね。私じゃなくても、違う子がアリスだったらそっちを好きになるんでしょ? そしたら、何でもない私のことなんて簡単に殺せるわよね」


 ありすは挑発するように目を上げる。

 どきりとしたが、俺の仮面は変わらない。多分、にやにや笑ったままの表情で。


「そうだね。――ありすが、アリスじゃなかったら」


 ――手が、ついに腰のホルダーへと伸びた。

 慣れた手つき。腕は石のように重いのに。ああ、それだけは、そう胸中で叫んでも。


 じゃきりと、握り慣れた感覚が、俺の指に絡みついた。


 それは――回転式拳銃リボルバー

 人を殺すために与えられた、俺の、道具。


「……じゃあ、殺してよ」


 怖い。一瞬遅れて恐怖が俺の思考を支配すると同時に、恐怖の色の欠片も浮かべないありすが呟いた。

 殺して? 何を言っているんだろう。金縛りを解かれたように、震えが腕を上ってきた。


 俺はありすに銃を向けて。

 ありすは俺に、殺してと言う。


 そんなこと、俺は、嫌なのに。


「私はアリスじゃないから、殺して。出来るでしょ?」

「……ありす、何、言って」


 動揺。その倍にもふくれ上がる恐怖。

 ありすはそんな俺に追い討ちをかけるように、言葉を続けた。


「言ってたじゃない。あんたが。私はアリスじゃないって」


 息の詰まるような言葉。俺ははと口を噤む。

 ――そうだよ。ありすはアリスじゃない。でも、ありすの想像してるような、そんな意味じゃないのに。


「チェシャ猫が好きなのは私じゃなくて、アリスでしょ? キスしたのもアリス」

「……ちが、あれは」

「うるさい。反論なんかさせない。私のことなんか好きじゃないくせに」


 違うよ。

 違うんだ。

 違うのに。


 こういう時ばっかり、俺の身体はいうことを聞かない。


「好きじゃないんなら、いっそ……」


 浮かぶのは、月明かりさえ照らし出せない涙。


「殺せるならいっそ殺してよ、チェシャ猫! 同情なんていらない、結局何もかも向けてる先は『アリス』じゃない!」

「――!」


 声にならない悲鳴が、喉の奥から漏れた。突き抜けるように。喉を、貫くように。

 突き飛ばして欲しかった。いっそ。だけどありすはそれをしない。俺を責めるみたいに。

 殺すなんて、できるわけ、ない――


 思った気持ちに今さら呼応し、指からするりと、トリガーが抜ける。


 そして沈黙という異物は、俺の息の根を止めるように夜を支配した。


「……名前が欲しいって、あんた、言ったわよね」


 ありすの声は掠れていた。そしてそれは存外にも低く、心臓がどくんと跳ねる。

 名前。それはつい先日交わした会話だった。――欲しいよ。自分の声が、鮮明に聞こえる。


「本当は私、あんたに名前をあげようと思ってたの。もしかしたら、“私”と“貴方”になれるかもしれないと思って――だけど」


 俺の双眸を見据えたまま、ありすの黒い瞳が瞬く。

 黒い。夜を支配する闇よりももっと、深く暗く。

 言わないでと、心臓が早鐘を鳴らした。お願い、その先の言葉は紡がないで。けれど。


「結局私とあんたは、“アリス”と“チェシャ猫”でしかないのよ」


 ――ああ、叶わないことは分かっていた。


 一番言って欲しくなかった、言葉。

 自分が泣いているのだと錯覚しそうにすらなった。

 アリスとチェシャ猫でしかない。それは確かにその通りで、俺は、ありすの特別にはなれないのだと。


「……ありす」


 せめて縋るように、その名を呟いたけれど。


「呼ばないで。私はあんたに名前をあげる気なんてない」


 ありすは俺を突き放した。

 当然だった。当然だ。当然だけれど。

 ……俺の頬を伝うのは、涙じゃない。


 痛い。何が痛いのかも分からないほど、痛いよ。

 もうこれ以上触れられたら、きっとおかしくなってしまう。


 なのに――。


「チェシャ猫なんて、嫌い」


 ありすは躊躇いもなく、俺の心に触れた。



 そして最後に心臓が壊れる音がして。



「嫌い、だから、どっか行って……」


 やっぱり俺のものではない足が、逃げるように遠ざかっていく。

 さよなら。さよなら、……“アリス”。

 扉を開くノイズに混じって、俺の本音が最後に顔を出す。


「……ごめんね」


 何に対しての謝罪だったのか。

 ――壊れた俺は、それ以上何も紡がない。











 君のことが好きだなんて、結局は俺の傲慢で。

 だから君はきっと、最後に嘘をついたんだね。



 ――どっか行ってなんて、だって、あまりに君らしくない。



 “チェシャ猫”は迷う“アリス”を惑わせる。

 “アリス”は迷う“チェシャ猫”を、さようならと突き放した。




 だから、もう、さようなら。




視点変えるだけだったので結構楽でした(;´∀`)

シリアス続きます、何だかどんどんダークになっていくような。

で、でも頑張るんだもんね! 来月の半ばくらいに更新出来るといいです(´・ω・`)

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