第55話 絶望の黒を食い潰す、白
今回は短いです……うーん。
でもとりあえず更新更新。こんなものですが、いつも読んで下さっている読者の皆様、本当にありがとうございます……!
それはね、最初は、ちいさな子にしか見えないものなのよ。
小さな感情が生み出したおんなのこ。
真っ白い髪に、透けるような陶器の肌、なにも映さない瞳はやさしく。
それが、いろんな感情に毒されて染まっていく。
愛情。憎悪。愉悦。同情。恐怖。嫉妬。歓喜。悲哀。憤怒。
あかに、きいろに、あおに、みどりに、むらさきに。
おんなのこはいつの間にか、白くなくなっていたの。
へんないろに毒されて、大人にも見えるようになっちゃった。
おんなのこはこわかった。
自分をおかしな目で見てくる、大人たちが。
だから。
だからね。
みんなに愛される、あのおんなのこを、真似しようと思ったんだ。
【アリス=リデル】
おんなのこは、彼女といっしょになろうと思った。
白いいろを捨てて、子どもたちだけの妖精をやめて。
彼女の髪の毛はきいろ。きいろは歓喜のきいろ。
彼女の瞳の色はあお。あおは悲哀のあお。
だからおんなのこは歓喜と悲哀のおんなのこ。
わらいながらないてるおんなのこ。
だけど【アリス】と同じなら、おんなのこだって愛された。
そして【アリス】と同じなら、彼女がいなければおんなのこが【アリス】だった。
だから――
わたしはアリスを殺そうと思ったの。
ねえ、素敵ね、あなたのそのいろ。
くろは何のいろ? ――知ってる?
絶 望 の い ろ よ。
絶望にまみれ、そして、それでもわたしはアリスを食い潰す。
☆★☆
「メアリ=アン……?」
聞き覚えのない響きに、私は首を傾げた。
もやもやと靄のようなものが、私の胸の内を曇らせる。
別にディーとダムの声に、嫌悪感がこもってたわけじゃない。
むしろそれは好意的な声。――嫌な人、という印象はなかった。
だけど。どうして。何故か。
「ああ……そういえばそうか。あの子も黒髪黒目だったな」
「思えばありすにそっくりだよね」
みんなから賛同の声が上がる。
『あの子』。やっぱり、好意的な話し方だ。……もしかしたらその子が、二人を罠にかけるつもりだったかもしれないのに?
「何だあ、メアリかあ……じゃあただの悪戯かな」
「仕方ないね。まあ無事に帰りつけたわけだし、結果オーライってことで」
けれど、その本人たちもこんな感じで。
――ちょっと、おかしくない?
確かに知り合いなら『仕方ないねー』で済むかもしれないけど。
そんな好意的な人物を思い出すのが遅すぎるし、その人は敵なの、味方なの?
敵ならその態度はおかしい。――味方なら、何で今まで出会えもしなかったのか。
偶然と言えばそこまでだけど、何か、おかしい。
私はぐっと唇を、噛んだ。
「その人……誰、なの?」
静かに深呼吸。そして、微かに震える声で尋ねる。
嫌な予感が当たりませんように、と願いながら。
その予感が何なのかは、自分でも分かっていなかった。
ただ――何だろう。
怖かった、というのが一番正しい。
馬鹿な話よね。
何を怖がっているのかも、自分では分からずに。
「……そっか、ありすは知らなかったっけ……?」
そんな私の不安を意にも介さず、ヤマネ君が小さく微笑んで言う。――微笑んで?
珍しい。珍しいと思った、少なくとも私は。この少年がこんな嬉しそうに笑う姿は、あんまり見たことがない。いくら付き合いがそこまで長くないとはいえ。
「メアリはね、ありすとおんなじ黒い髪と黒い目をしてるんだ」
「それで、ちょっとドジだけど、とっても可愛い子なんだよ!」
続いて、ディーとダムが嬉々として語る。それもまた、珍しいと思った。
基本自分の感情に忠実で笑ってることも多い子たちだけど、喜よりも楽の感情の方が強い。
なのに、それは嬉しい――喜びの色で。何故か胸が痛む。
それに『とっても可愛い女の子』。心を揺さぶるように、その言葉が胸に沁み込んできた。
悪い人じゃないっていうのは分かる。みんなの口振りから、人に好かれる可愛い子なんだって。
だけど――
「いい子だよね。愛嬌があって、優しい子」
――仕舞には、チェシャ猫までくすくすと笑う。
そう……チェシャ猫、まで。
ずきり、と棘のようなものが胸に刺さった感覚を覚える。
心が痛いと、その時初めて思った。
何だろう。この気持ち。
嫉妬? 羨望? 多分、どっちでもなく。
「……そう、なんだ」
曖昧な笑みを作りながら、私は呟く。
表情の変化に聡いはずの帽子屋さんや公爵夫人も、笑顔で、談笑に浸っている。
――どうして。
それが敵なのか味方なのかも聞けなかった。どっちだと答えられても、怖い気がして。
【アリス】と呼ばれた時よりも、ずっと、……怖い。
「そういえばしばらく見なかったよね」
「元気にしてるのかなあ」
私のことなんてお構いなし。私の存在だけ、ぽっかり消えてしまったみたい。
何だかその人の話題が、全てみたいだった。
その人の存在が――世界の全て、みたいだった。
まるでその人が、【アリス】であるように。
私は目を閉じる。それでも瞼の裏に焼き付いている、楽しそうな談笑。
どうすればいいんだろう。おかしい? 彼らはおかしいなんて、思っていない。むしろおかしいのは私の方。
その人は、一体、何なのだろう?
これは嫉妬や羨望なんかじゃない、愛憎よりももっと醜い感情。
――絶望。
嫉妬や羨望なんかまるで、意味がないじゃない。
だって貴方の瞳に、私は映らないのだから。