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第51話 甘いマスクの裏側に

 公爵夫人の屋敷についたのは、涙も乾いて、何事もなかったように装えるくらいには落ち着いた頃だった。


 道中、会話は全くといっていいほどなかった。私はチェシャ猫に抱えられたまま、ただ並ぶ家々を見つめていただけ。

 気まずいというか――ぎこちないというか――微妙な空気が、沈黙とともに落ちる。嫌いとか、ケンカしたとかそういうわけじゃない。けれど、それでも私たちはしゃべろうとはしなかった。

 だから、かな。

 公爵夫人の屋敷の前に、ミルク君とヤマネ君が立っていたのを見たとき……私は、ほっとしたのかもしれない。


「ありすー!」

「ミルク君っ!」


 ぴょんぴょんと跳ねながら両手を振るミルク君に、私は大きく手を振り返す。

 チェシャ猫は相変わらず、黙ったままだったけれど。

 元気に跳ねるミルク君に対して、ヤマネ君はその隣で天使のような微笑を浮かべてこっちを見ていた。近付いて鮮明になるほどそれは優しい笑みで。うわあ、後光が見えそうだ。天使様ですか。

 若干馬鹿なことを思いながら二人を見ていると、突然、たっとミルク君が走り出した。


「お帰りっ、よかった、無事だったんだね! 帰りが遅かったから、心配したんだよお」

「ごめんね? でも、大丈夫だから」


 私はチェシャ猫の腕から下ろしてもらい、走ってきたミルク君を抱き止めた。

 ……可愛い。し、柔らかい。弟にしていいかな。ぴょこぴょこ揺れるうさぎの耳がまた可愛いんだけど。

 そんな邪念を抱きつつも、私は同じくとことこと駆け寄って来たヤマネ君に目を向ける。


「ただいま。ヤマネ君、大丈夫だった?」

「……ん、僕たちは……ありがとう。ありすこそ大丈夫……?」

「チェシャ猫に変なことされてないっ!?」


 ヤマネ君の言葉に付け足すように、ミルク君が腕の中でぴょこぴょこと耳を揺らす。

 私は苦笑しながらも、ふわりとミルク君の髪を梳くようになでた。


「ん、まあ、そこそこ……かな」


 キスされましたーとか言わない。……言えるはずもない。

 そんなこと、最後まで口にする前に私は燃え尽きてしまう。さっきは混乱してて、まともに考えられもしなかったけど。

 今さら頭に熱が上る。……恥ずかしい、チェシャ猫の顔なんて直視できるはずもない。


「そこそこって何さ!? 変なことされたんでしょー!」

「……いや、別にそんな……ね?」

「正直に言ってよお、ありす! 僕がチェシャ猫をぶっ飛ばしてあげる!」

「だーれがぶっ飛ばすって?」


 私の腕からひょいとミルク君を持ち上げ、チェシャ猫がようやく元の意地悪な光を目に浮かべた。

 ……よかった。普通、だよね。

 チェシャ猫の様子に安堵しつつも、私はミルク君の抵抗もものともしないチェシャ猫に、ついつい苦笑を漏らしていた。

 微笑ましいなあ……、何だか。ミルク君が本気で暴れてるところ、不謹慎かもしれないけど。悪いけど可愛いよミルク君。


「放せー! 猫め、ありすに手を出したりしたら許さないんだから!」

「だーから、別に俺は何もしてないって。……ね、ありす?」

「う……ん、うん」


 多少曖昧な答えを返して、また私は苦笑いを貼り付ける。上手く笑えなかっただけだけど。

 何か疑われるような答え方になったかなーと思いつつも、ミルク君は渋々と納得したようだった。


「むう……もうっ、ありす、何かされたらちゃんと言ってね? チェシャ猫は調子乗っちゃうんだから」


 はい、本当はキスされました。

 ……とはやっぱり言えない。ていうか、私、そればっかり引きずってる気がする……。


 でも、当然といえば当然だった。

 だって、家族でもない赤の他人からのキスなんて、それに――



 初めて。



 ……だったのに。


 ――う、ばかばか! 私、考えちゃ駄目だ!

 そうは思っても、今さら遅い。頬に熱さが上ってくる。火照る身体に、内側を壊そうとするように暴れ回る炎。


「ん……何かあったら、ね」


 けれど私はあくまで平静を装い、そう微笑んで見せた。

 ……本当はもう言うべきなのかもしれないけれど。

 だけどまさか言えない。そんなこと。悪戯でされたような幼いキスならまだしも、あんな風に恋をされたようなキスなら尚更。


 しかも、彼が本当に『キス』したかったのは私じゃなくて、『アリス』なんだから。


 ふう、と思わずため息をつきそうになって、慌ててぐっと飲み込む。

 何か……キス自体はよかったみたいな言い方じゃない。血迷うな私。相手は天下の変態チェシャ猫なんだから!

 悶々と思考をループしていると、ふいに、ヤマネ君がこそこそと何かをミルク君に耳打ちした。……何だろう?


「ミルク……帽子屋のこと」

「え? あっ、そうだった! ありす、帰ってきたら帽子屋のところまで連れてくるよう言われてたんだった!」

「え、帽子屋さん?」


 きょとんとしてミルク君を見ると、ヤマネ君が代わりに後を引き継いだ。


「うん……話があるって。呼んでたよ?」


 話? 何だろう。

 思わず身構えてしまう。

 別に、彼のことだから変なことじゃあないだろうけど――

 でも、何だか、嫌な予感――というか。


「そっか。じゃあ、ずっと外にいるのも何だし、とりあえず入ろうか」


 私がそう声をかけると、ミルク君とヤマネ君はこくりと頷いた。

 ……チェシャ猫? 見てないから知らない。




 ☆★☆




「お帰り、ありす」


 そう言って微笑んだのは、天下のイケメン帽子屋さんでした。


 ……すみません。ふざけました。天下のイケメンというのは撤回しないけど。

 屋敷の中に足を踏み入れれば、まずその言葉。私は顔を上げて、白い椅子に腰掛ける帽子屋さんを見とめた。

 ――お帰り、という言葉に多少の違和感は覚えたものの、帽子屋さんの言葉を無視するわけにもいくまい。

 けれどやっぱり違和感は拭えない。……というわけで私は、「はあ、ただいまです」なんて曖昧な返事をしてしまった。

 あああ! 相手は天下のイケメン帽子屋さんなのに! 何だ私、この冴えない返事は!

 脳内ではそんなどんちゃん騒ぎになっていたものの、表面上は何とか繕って聞きたかったことを早速尋ねた。


「あの……帽子屋さん、私に話があるって」

「ああ。……今いいか? 時間」


 そりゃあ他にすることもないですし。

 勿論そんな言葉は口には出さず、私はただ素直にこくりと頷いた。

 そして、そんな私に対して淡く微笑み、さっと踵を返した帽子屋さんに続いて歩いていく。

 どことなく堅い雰囲気。やっぱり、真面目な話かな。彼のことだから。

 何だか緊張するなあ……と、途中まではどきどきしていた。けれど。


「帽子屋ー! 抜け駆けずるいよ、ありすと二人きりなんてずるいー!」


 ――後ろからミルク君のそんな言葉が聞こえて、私は思わず苦笑してしまった。

 ふっと気が抜けてしまう。抜け駆け、って。


「……それは先にチェシャ猫に言え」


 でも、そう言う帽子屋さんも、その横顔に小さな苦笑を浮かべていた。

 うん、そうだよミルク君。帽子屋さんに言う前にとりあえずあの変態猫をぶん殴ってくれ。お願いだから。






 ――ええ……と、そんなわけで。






 私は今、帽子屋さんと部屋に二人っきりなのだけれど。


 ……はい、とんでもなく後悔しておりマス。語尾がかちんこちんに固まってしまう程度には。

 大人しくミルク君に止めてもらえばよかったー! なんて意味不明なことを考えてしまう。


「……? どうした、ありす」

「あっ、いや、何でもないです! 気にしないで下サイ!」


 あ、また語尾が固まってる……。


 ――いや、別に、帽子屋さんが怖いとかそういうわけじゃない。

 それどころか彼は優しいし、信頼できる人だ。こんな出来た人を見る目くらい、私にだってある。

 けれど。

 それが仇となって、というか…………うん。


 イケメンだ。


 美形だ。


 そのお美しい顔を直視できるはずもない私は、ただただため息を呑み込んで視線を逸らすだけ。

 話している相手から目を逸らそうなんて、失礼なのは分かっている。

 分かってるけど、美形なんだもん。


 ――チェシャ猫とかは普通に見れるんだけど。


 いや、あれとはまた別物なのだ。

 あれはそりゃあ、俗に言うイケメンではあるのだろうけれど、何せかなりムカつく。

 美形云々以前に変態だからだ。


 けれど帽子屋さんは違う。

 優しくて、常識人で、格好良くて……何だか、この世に他にこんなに完璧な人がいますか? ってくらい。


「……私明らか不釣り合いじゃない……」


 はあっ、とため息をつく。……思わず出てしまった。


「……ありす? どうした?」


 それを敏感に感じ取ったのか、帽子屋さんは秀麗なその眉をひそめた。

 何かどんな仕草でも綺麗過ぎて羨ましい……。

 ……って、そんなことを考えてる場合じゃないんだけど。


「あ、いえ、何でもないです! ごめんなさい!」

「……いや、何でもないならいいが」


 帽子屋さんに向かって、その面変えろとか言えるわけもない。そんなことしたら全国の女の子から反感を買うぜ。ていうか、美形なのはいいことなのだ。別に嫌いというわけじゃない。

 だけど……。

 元の世界に、こんなイケメンいなかったもん。詐欺だもん!


「……話を進めていいか?」

「あ、はい! な、何か……ごめんなさい」

「謝ることはない。ありすも疲れているだろう。俺の方こそ、呼び出してごめんな」


 ふわりと大きな手が頭をなでる。

 え、と目を上げると、帽子屋さんは優しい笑みを湛えて私を見ていた。

 その笑みはチェシャ猫の不敵な笑みとかグリフォンの弱々しくて頼りない笑みとかとは全く違って、この笑みだけで万物を救えるんじゃね? って思うほど。今ならこの人は空の上からやってきた天使様ですとか言われても私は信じたに違いない。神様でもきっと信じた。

 ……思考がおかしい? うん、そう思う。


 だけど、それほどには、彼は優しかった。

 優しすぎる、くらいには。


「……あの」

「うん?」


 だから私は思わず尋ねていた。


「何で帽子屋さんはそんなに……優しいんですか?」


 一瞬の沈黙。

 ――その後、ふいに帽子屋さんは吹き出した。


「え、え、え!? 帽子屋さん!? そこ笑うところですか!?」

「く、くく……。いや、ごめん。突然聞かれて……、何だか、おかしかった」


 おかしい……。

 ちょっとショックを受ける。

 けれど仕方ない気もする。そうだよね。何だ私、突然『何でそんなに優しいんですか』って。

 今さら恥ずかしくなって、ふいっと顔を逸らした。それにまた、帽子屋さんの笑いが漏れる。


「優しい……、そうだな……。俺は自分が優しいなんて思ったことはないが。殺す奴は殺すし、ありすは――言い方は悪いが、使命で護っているようなものだからな」

「う……そうですよね……ごめんなさい、変なこと聞いて……」

「いや、気にするな。俺も言い方が悪かった。俺は、ありすのそういうところが好きだよ」


 ……え?

 さらりと恥ずかしいことを言われ、一瞬の硬直の後、私はばっと俯いた。

 あああ、熱が上ってくる。この国って、何でこうやって恥ずかしいこと言える人ばっかりなんだろう……。同級生の「ふん。お前なんか好きじゃねーし」みたいなひねくれた愛情表現とはまるで無縁だな。大人だからか。


「でも、ありすが俺を優しいと感じてくれたのなら、多分、それは俺が努めて優しくしているからじゃないかな」

「努めて……?」


 どういう意味なのか分からず、きょとんと帽子屋さんを見つめる。

 帽子屋さんの表情はとても優しい笑みだったにも拘らず、どこか、虚ろに思えて仕方がなかった。


 ぽっかりと、心に大きな穴が空いたような。


「――昔ね、護れなかったがいるんだよ」


 遠くを見つめて目を細める帽子屋さんは、何故か、とても寂しそうに見えた。




帽子屋って性格よく分かんねえ……とか思いながら書いてました。白邪です。

優しい彼にも壮絶な過去――はないと思いますが、まあ、ゆっくり書いていきたいと思います(^O^)

だけどありすさん。君彼の話聞きに来たんじゃなかったっけ?

完全無視です。スルーです……いいのかしら。よくないですけど。

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