表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/105

第50話 優しくないkiss、甘いlarmes

 どんどんと小さくなっていく二人の背中をいつまでも眺めながら、私は頬に感じる温もりに身体を預けていた。


 ――ううん、二人……というよりは、私が見ていたのはグリフォンだったと思う。


 頼りなかったはずの背中。今は広がった翼が強く、大きく見えた。

 ……何故かしら? 目が離せない。

 どんなに目を逸らそうとしたって、どうしてか結局はそこに行き着いてしまう。

 他のことを考えることもままならないままに、私はただもう見えもしない彼の姿を探していた。


「――す。ありす?」

「……え?」


 ぼうっと眺めていたせいか、私は自分の名前が呼ばれていることに気付かなかったみたいだ。

 はっと弾かれたように顔を上げれば、怪訝そうな顔をしたチェシャ猫。

 まずいと思って私は無理矢理笑顔を作る。


「あ、ご、ごめん。何?」

「……いや。ぼうっとしてるから、どうしたかと思った」


 私を抱えて、視線を下に落としたまま走るチェシャ猫。……よく転ばないなこいつ。

 ていうか、私心配されてた? 情けない。

 しっかりしなきゃと、私はぶんぶんと首を振ってとりあえず頭からグリフォンのことを追い出す。

 ――大丈夫。あいつは死なないから、今は別のことを考えよう。

 そう思って、よしと呟く。大丈夫。大丈夫、何かの呪文みたく。


 ――そうだ。そうだよ、今はそれより、無事に帰ることを考えなきゃ。

 私は気を持ち直すと、再びチェシャ猫の顔を見上げた。


「チェシャ猫、あのね、公爵夫人のお屋――」

「好きなの?」


 ――え、何?

 改めて話し出す私の言葉を遮った科白に、私はぽかんと口を開けたまま固まる。

 え、今この人、何て言った……?

 好き、って――?

 目を白黒させる私に、チェシャ猫は律儀に言い直してくれた。丁寧にも言葉を付け足して。


「好きなの? グリフォンのこと」


 ……は?


 それでも私はやっぱり固まる。


「…………何、で?」

「さっきからずっと見てる」


 ――『ずっと見てる』。

 心なしか刺々しいチェシャ猫の口調に、私は何故かデジャヴを覚えた。何だこれ。

 同じようなことを確かさっき……、そう、グリフォンも言っていたような。


 ずっと見てる、イコール好き。


 ――ああ、眩暈。くらりと来た。何でここの人たちの思考はそこにつながるんだろう。

 確かに見てたけど、確かにずっと見てはいたけど……。

 とりあえず誤解を解かねばと、私は懸命に弁明の言葉を並べ立てる。


「その、えーっと、ね? 別にあの、私はただ見てただけで、それ以上の意味合いは……」

「へえ、好きなんだ」


 聞、い、て、ね、えっ!


 何だかどこかでぶちりと音がした気がした。いや、気のせいじゃないだろう……。

 だって、こいつ! 人が誤解を解こうと必死になって説明してるのに!

 好きなんだ――って、いやそりゃライク的な意味ではあるかもしれないけど……!

 ぐつぐつと頭の中で怒りと、もう一つ違う熱さが煮え滾る。私はまたぐいっと顔を上げて、その言葉に反論した。


「あのねえ、別に好きってそういう――」


 意味じゃ、ない。

 思わず身を乗り出してそう反論し、――ようとした。私は。


 なのに。


「何で俺じゃないの?」


 ――唇をふさがれ、その先の言葉は声にならなかった。

 できなかった……、と言った方が正しいかもしれない。


「ん……っ!?」

「ありすは、違うって思ったのに――」



 キス。



 脳裏に、そんな単語が閃いて消えた。

 ぼそぼそと、呟く声と温い吐息が吹き込まれる。



 キス?



 ――嘘。嘘うそ。

 気付いてしまった瞬間、体温が急激に上がってくるのを感じた。

 その反対に……、頭が、急速に冷えていくのも。


「ちょっ、チェシャ――」

「ありすは『アリス』じゃないから、白兎を選んだりしないって、思ったのに」


 思わず竦んでしまうほどに、冷たい声。

 何、どういう……? さっきの――キス、で混乱している上に、アリスだの白兎だの言われて私はますます何も言えなくなっていた。

 火照った身体を持て余しながらも、冷たい唇の感触が残る。頭は冷えているはずなのに、どこか浮ついたような。


「……俺を選んでくれるって、思ったのに」


 冷えた声音。狂気を孕んだ冷たい目――。


「――っ!」


 責めるような視線にとうとう耐え切れなくなって、私は、私の身体を抱え込んだままのチェシャ猫を手で押して跳ね除けた。

 その身体は案外弱々しく、抵抗もせずに、地面に倒れ込んでしまう。

 ……だけど私は大丈夫と声をかけることも、謝ることも、出来なかった。

 地に倒れ伏せてなお、狂気の消えないその瞳が――すごく、怖くて。


「……怖いの? ありす」

「……私じゃなくたって怖いって思うわよ、あんた」


 感情のない声で、でも微かに唇の端を吊り上げてチェシャ猫は笑う。

 狂気ルナの色を含んだ暗紫の瞳が、私を捉えて離さなかった。


 ――怖い。


 何を言い出すかも分からない、突然殺すなんて言われてもおかしくない気さえした。


「ねえ、ありす……俺はありすの味方だよって、前、言ったよね」


 ――した、けれど。

 チェシャ猫が語り出したのは、昔語りみたいな、そんな話だった。

 拍子抜けするほどに優しい猫撫で声で。恋人に囁く、愛の言葉みたい。

 私はぽかんとチェシャ猫を見つめる。


「俺はいつでもありすの味方だよ。だけど、ね」


 チェシャ猫は起き上がろうともしないまま、蕩けるような甘い視線だけを上げた。

 それが、逆に、怖いくらい。痛いくらいに刺さる。

 気を抜いてしまった瞬間に、またぴりと肌を刺すような痛み。

 やっぱり狂気的で、正常ふつうなんかじゃなかった。


「……だけど、だからこそね、他の人のものになるのは耐えられない」


 恍惚の表情。科白とまるで噛み合わない、おかしな微笑が私を見る。


 ――他の人のものになるのは――


 その言葉に含まれた意味。ホカノヒトノモノ。

 深く考えてしまうほどには、私の頭は冷えていた。

 冷たすぎるほどに、冷え切っていた。


「俺のものになってよ、ありす――」


 ――そして、決定打チェックメイト


 その手が、私の頬に伸ばされる。

 ぴりりと走る痛みと、甘すぎるほどの恋情をないまぜにしたみたいに。


 それは重すぎる――『アリス』への、愛。



 ――私は瞬間、目が醒めたように、こんなところで何をしているんだろうと思った。

 選ぶ、選ばない、人のもの、俺のもの。狂気的にも思える言葉の羅列。今さらおかしいと感じる。


 私はただグリフォンの背中を探していただけで、ただ心配をしていただけで、――ただちょっと、好きだった、だけなのに。


 こんなところで、こんなこと、してる場合じゃない。

 心配されちゃう。早く帰らないと。心配されちゃう。約束したのに。――心配されちゃう。私は『アリス』だから。


 ……アリスだから。


 私は、アリスだから――



「…………ありす?」


 ふいに、私の頬へと伸びていた、チェシャ猫の手が止まった。

 チェシャ猫は目を丸くして驚いたような表情を浮かべたあと、慌てたような、焦ったような顔をして、それから、何だか困ったような顔をした。

 私は何だろうとチェシャ猫をじっと見る。恐怖が消えて、冷えていた頭が、だんだんと、熱を持つようになっていた。

 ――困った表情。

 私にはその意味が理解できなくて、ただただ見つめている。と。


「何で……泣いてるの?」


 困った声音に私は、ぱちくりと目を瞬かせる。刹那、頬を温かいものが伝った。


 泣いてる?


 私がその言葉の意味を数秒遅れで呑み込んだ瞬間、ぼんやりと視界が霞んできて、次から次へと雫がぽたぽた零れ落ちた。

 涙。その雫はそれに違いなくて、私はようやく自分が泣いているのだと理解する。

 滲んで見えるチェシャ猫の顔が、ますます困った顔をした。


「あ、ありす? 何で泣くの? 俺、そんなに怖かった?」


 私は答えられない。ただぱちくりと瞬きを繰り返す。

 ――怖かったわけじゃない。悲しくも悔しくもないのに、溢れるままに溢れてきて、止められなかった。ただ、それだけだった。


「ご、ごめんね、ありす、ごめんね」


 謝らなくていいよ、って、言おうとした。

 チェシャ猫はもう元の、私が好きなチェシャ猫で、全然怖くなんかなかったし、私は怒ってもいない。

 だけど、どうしてか声が出なくて、ただ出てくるのは涙ばかり。

 ぼろぼろと零れて、情けなくて、分からなくて、どうしようもなかった。


 何で、私、泣いてるんだろう?


 自分でも分からない。分からなかったけど止められなかった。

 泣く理由なんてない。怒る理由ならあったし、彼を突き放す理由もあったけど、泣く理由なんて。

 私、一体どうして――。


「ごめん、もうあんなこと、しないから……」


 ぎゅーっと私を抱き締めて深く吐息するチェシャ猫に、その時私はようやく涙の理由を悟った。

 申し訳なさそうに呟かれる言葉。さっきの、狂気的なまでの思い。


 ――ああ、そうだ。そうなんだ。


 彼にとっては、さっきのキスも、言葉も、全部『アリス』に向けてだったのだ。



 たとえ『ありす』と呼ばせてみても、どんなに近付いても、好きと囁いてみても。


 彼はいつも私を通して、『アリス』を見ていた。



 だから、だったんだと思う。

 彼の言う『あんなこと』は全て、私に向けたものじゃなかった。

 馬鹿みたいだとは思う。それが、そんなことが嫌だったなんて、そんなことで泣いていたなんて――


「……怒って、ないよ」

「でもありす、泣いてる……」

「怒ってないよ。悲しくもないから」


 私はふわりと微笑んで見せた。

 涙もようやく落ち着いて、それに気付いたチェシャ猫もほっと安堵の笑みを見せる。


「ごめんね、ありす……?」

「ううん、大丈夫。気にしないで」


 それでも何度も謝るチェシャ猫に、私は笑って返す。

 気にしないで欲しい、というのは本当の気持ちだったから。


 うん、怒ってなんてなかった。

 本当に、悲しくもなかったの。


 ただ――





 ――なんて私、寂しがり。

 なんて私、傲慢なんだろう。


 愛して欲しいなんて、アリスじゃなくて私を愛して欲しいなんて。



 ……馬鹿みたいなんて分かってる。

 だけどもうどうしようもなかった。

 どうしようもないくらいに欲しくて、つぶされそうな世界の中で、狂っていなきゃ生きられない世界の上で。


 止められない。私もアリスなんて存在に、狂ったように執着する。




 ――アリスからは、誰も逃れられない。




 涙はもう乾いてた。

 だけど同じくらい、心も渇いているのを感じていた。



 アリスに執着してるのは、私だったんだね。




記念すべき? 50話です!

更新がのろまなせいで、もう連載開始から一年ちょっと。

見捨てないで読んで下さっている読者様のために、恋愛要素なんか頑張ってみたり(^O^)上手くできなかったですけど。

ですが前回の宣言通りチェシャさんのターンです!

……作者自身が執筆中にただの変態だーとか思ってしまったのは内緒。

彼にはこれからも頑張ってもらいたい、と思いつつ書き辛いのでボイコットしたい気持ちも半分。

とりあえずこれからも頑張っていきますので、宜しければお付き合い下さいませー。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ