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第46話 自分なりの覚悟

「今さらしかもこんな場面で言うのもなんだけど、私はあんたの背中につかまってたら飲酒運転の共犯みたいな気分になるのよね」

「え、ひどいねありすー。それともそれは、それだけのスリルが感じられるってことで悦んでいいのかなぁー?」

「駄目だし『よろこぶ』の漢字が違うんだけど!?」


 非常識な人に常識を説いても無駄だ。


 ……今さらだけど、私はその言葉の意味をひしひしと感じ取っていた。

 曇天、薄暗い空の下。

 グリフォンの背に乗って優雅に飛翔――といくわけはなく、相変わらず酔いどれの運転みたいな頼りない飛び方で。

 私大丈夫かな。ここで死んだらシャレにならないぞ。つーか、死にたくない。

 そんな風に不安になりながらも、飛べない私はグリフォンに任せるしか道はない。

 私が今ほど自分の無力さを呪ったことはかつてなかった。

 ああ、……私まだ死にたくないよグリフォンさん。

 ため息が漏れる。何回目だろう、当分尽きそうにはない。


「それにしても……、追っ手、来ないねえ?」

「……本当にね」


 グリフォンの言葉に思わず、またため息を吐く。

 いくら頼りなかろうとも、その言葉には同感だった。

 脱獄。なのに追っ手が来ない。それは不思議で、奇妙で、逆に怖いことだった。

 飲酒運転まがいの飛行も怖いけど、それも十分怖い。

 ――ふと、飛んでいる最中なのにこっちを向いているグリフォンと目が合う。


「――ねえ、ありす。一つ聞いていいかな」

「え……な、何?」


 どきりとするような、真剣な声。

 そんな声で言われ、つい私の方も改まってしまう。

 何かしら。

 鼓動が大きくなっていくのを感じた。何を聞かれるのかと、身構える。


「……俺たち、どこへ向かってるのぉ?」


 ――けれど。

 相変わらず本人はこんな感じで。


 私は思わず殴りたい衝動に駆られた。


「ちょっ、ありすっ、危ないってばぁ! 殺す気なのっ? 俺が落ちたらありすも死んじゃうよぉー!?」

「あんたと心中はしたくないけどとりあえず殴りたい」

「殴るのは降りてからにしてー!」


 グリフォンは珍しく必死だった。……降りてからなら殴られてもいいんだ。

 思いながら、私はグリフォンの背中にしがみつく。殴りたくとも、こいつと心中したいわけではない。そんなの絶対にごめんだ。

 ただ、……グリフォンの言葉があまりにもふざけていたから。


「もしかして知らないで飛んでたの? あなた」

「うんー」


 やっぱり今ここで殴ろうかと本気で思った。

 ああ、道理で。なかなか着かないわけがようやく分かった。

 またため息。ああ幸せ逃げそう。


「……迷子なのね?」

「そうとも言うー」

「……それ以外に言わないわよ」


 だるそうに、ちょっとだけ楽しそうに笑うグリフォンを見て、私は今までで一番長いため息を漏らす。

 私だってここの地理なんか知らない。

 ……グリフォンなんかに任せた私が馬鹿だった。


「でも公爵夫人の屋敷なら、大きいから目立たない?」

「え、……公爵夫人のお屋敷に向かってるのぉ?」

「うん、そう。……みんな、無事かな」


 頷いて言葉にした瞬間、ふいに不安になった。

 ――みんな、無事かな。

 分からない。分かるはずがなかった。

 グリフォンは助けたものの、みんなの行方は知れない。なのに私だけこうやって逃げてきて。

 ……うわ、私悪い奴だ。

 手伝ってくれた、優しいみんなの安否も知らず。知ろうともせず、グリフォンに縋ってここまで来た。

 みんなのことなんてお構いなし。自分のことばっかり。

 ――なんて悪い奴なんだろう。落ち込む。


「……ありす?」

「……ごめん、何でもない」


 とりあえず戻ろう、と小さく呟く。

 こうやって後ろ向きになるのも私の悪い癖だ。考えなさすぎるのも駄目だけど。

 戻って――それから、考えよう。

 グリフォンもいる。私が下手に出て行って捕まっても、それこそ迷惑だ。

 一旦、公爵夫人の屋敷に。誰かいるかもしれないもの。


「えぇっと、公爵夫人のお屋敷はぁー……」


 グリフォンがきょろきょろと見回す。

 ――たびに、ぐらぐら揺れる。


「ちょっ! グリフォンっ、危ない危ないー!」

「俺は危なくないよぉ?」

「私が危ないのよ!」


 落ちる、と必死に訴える。

 でもグリフォンは華麗にスルーしてくれやがりました。

 落とす気か、こいつ……。一度ならず二度までも。


「……あ」


 ふと、グリフォンの動きが止まる。

 ほっとして私は腕の力を緩める、けれど。


「……何?」


 グリフォンが本当にぴたりと止まるものだから、思わず尋ねた。

 あ、と言ったきり、グリフォンは全く動かなくて。

 何か――あったのかしら。

 彼の視線は地上に固定されている。私もつられて、下を見る。


「――ジャック」


 不意に、グリフォンの声にどす黒い敵意のようなものが混じる。

 ジャック?

 一瞬思い出せずにきょとんとしたけれど、思い当たった瞬間、吐き気のような不快なものが込み上げてきた。

 ジャック――あいつ。

 ひどく嫌な奴。この世界に来てあいつほど、怖い奴はいなかった。やだ。本能的な恐怖が、身体に染みついている。

 地上に見えるのは、確かに、それに似た男で。

 私はついつい、しがみつく腕の力を強めていた。


「……ありす、安心して」


 それに気が付いたのか、グリフォンはふわりと微笑んだ。

 恐怖がふいに、軽くなる。

 心からの優しい笑み。見る人を安心させる、天性のものだ。

 つい、肩の力を抜いてしまいそうになるような。


「俺……はジャックには勝てないけどぉ」

「えええ!? そういうこと言う!?」


 ――そしてこの、人を不安にさせる態度も天性のものだ。

 ……恐怖は残らず、拭い去ってくれたけど。

 勝てないって言うか? しかも笑顔で。その笑顔で。嘘でも護ってみせるとか言おうよ、そこはさ。


「大丈夫、俺の代わりに……ほら」


 呆れる私にまた微笑んで、グリフォンは眼下を指差す。

 地上には、嫌に見慣れてしまった大男の姿。

 そして―――さっきは見えなかった、もう一人。

 もう一人、見慣れた姿。黒と紫と、それから目に優しくないピンクがとても印象的な。


「……チェシャ――猫?」

「そうそうー。猫なら安心して任せられるよねぇ」


 そう言って逃れたいだけだろうが。

 私はそう思いながら、チェシャ猫の姿をじっと見つめる。

 遠くだからそんなには、見えないけれど。

 彼が。彼が、ここにいる。それだけで嬉しかった。


「……好きなのぉ?」

「はっ?」


 グリフォンの言葉。私は一瞬意味が分からず聞き返す。


「だから、好きなのって」

「……何が?」


 まさか、とは思うけど。

 というより、グリフォンの口からそんな言葉が出るなんて思わずに、私は間抜けな顔で固まってしまった。

 え、まさかまさかまさか。そんな馬鹿なこと。でもそのまさか。


「チェシャ猫のことぉー。何かずっと見てるからぁー」


 ずっと見てるイコール好きなんですかあなたの頭の中は。


「何でそこから好きになるのかな? 心配してただけだけど。……だってジャック、強いでしょう?」

「そうだけどねぇ。つまんない答え返すねえ、ありす」

「悪かったわね」


 つまんなくて、と付け足す。

 それにしても何だこの落ち着きようは。

 ……事実、私はチェシャ猫が負けるなんて想像できなくて、安心してたのかもしれない。


「死なないといいねぇ」

「……はい?」


 軽いグリフォンの口調に、思わず右から左に受け流すところだった。

 死なないと? 誰が……?


「ありすはこの国の住人を超人か何かのように考えてるみたいだけどぉ、……みんな簡単に死ぬよ?」


 ――死亡宣告。

 そうとも取れるような、ショッキングな内容。

 死ぬかも。……チェシャ猫が?

 聞いた瞬間に、私の頭は真っ白になった。


「……死ぬの、かな?」

「まあチェシャ猫は強いけどねぇ……、ジャックの強さは、異常だよ?」


 そりゃあそうだろう。……あの時のことが、まだ、さっきあったことのように忘れられない。

 恐怖。またよみがえる。

 手が、震えそう。


「俺より強いし、死ぬ確率は……半々ってところかなぁ」


 半々。

 半分の確率で、死ぬ。

 チェシャ猫が?


「――うん、私、チェシャ猫のこと好きだよ?」

「……え?」


 私の口から出た言葉に、グリフォンはぽかんと口を開ける。


「だから助けに行かないと。そうでしょ? ほら、きゅーこーか!」

「ら、乱暴! ありす乱暴!」

「乱暴でいいわよこの際。行くんでしょ? 行かないと今この場で殴るから」

「横暴ー!」


 何か叫びながらも、よろよろと降りていくグリフォン。

 ――好意を持っているのは本当のことだ。

 まあそれが恋愛とかどうとか、そんなものじゃないけど。

 少なくとも助けに行かなきゃ。友達だから。……足手まといになるって、分かっていても。

 私は馬鹿だ。多分、いや絶対馬鹿だ。


「グリフォンは戦えるわよね? ほら戦力。私の代わりに頑張って」

「……ありすぅ、何かすごく人遣い荒いよ」

「あらそう、ありがと」


 地上まであと数メートル。

 チェシャ猫もジャックも、驚いたような顔をしてこっちを見てる――当たり前か。

 でも助けるって決めたものを、覆したりはしない。……助けるのはグリフォンだけど。


「ほら、行ってらっしゃいグリフォン! 私陰で応援してるから」

「……もう……本当にひどい……でもいいよぉ、行ってきまあす」


 背中を押して送り出す。諦めたらしくグリフォンも、一歩前に出て。

 私は自分の傲慢さくらい分かってる。それがありえないほどひどいものだってことも。


「……死なないでね?」


 ぽつりと、呟く。

 グリフォンの背中に向けて。


「大丈夫。……二人がかりだもの、これほど卑怯な手はないよねぇ」


 そして答えは、すごくグリフォンらしい。

 ――大丈夫。

 信じてる。傲慢で、勝手でも。


「死なせないから」


 私なりに、私は、やることをやる。


 ――それだけだ。




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